泰平の階~25~

 北定よりも先に慶師を脱出した斎治一行はどうなったのだろうか。北定が大甲に到着して費俊と言葉を交わしている頃、実はまだ慶師の周辺を彷徨っていた。別に追手に追われて遠回りを余儀なくされたとか、比較的安全な経路を通ろうとしたとか、そういうことではなく、単に道に迷っていたのである。


 斎治に同行するのは十名。彼らはいずれも慶師から出たことがない者ば多く、長い旅に慣れておらず、しかも地理にあまりにも不案内であった。唯一、北定が後事を託した千綜のみが諸国を漫遊した経歴を持っていたが、同行する者の中で従者を除けば彼が一番身分が低く、意見が通らなかった。このことがこの一行の道程をさらに混乱させた。


 「この坂道を行けば、一気に南へと抜けられるはずです」


 千綜がそう意見を出せば、必ずと言っていいほど、


 「このような坂道を主上に上れと言うのか!もっと緩やかな道を捜せ!」


 と喚きたてる者がいた。坊忠という公族の男である。斎家の遠縁ということもあって身分と気位だけ高く、それだけに斎治の脱出行を英雄的行動と感じており、無理やり付いてきたのである。


 「しかし……」


 「千綜。余も疲れた。坂を上るのは良いとして、しばらく休まぬか?」


 斎治にそう言われれば、千綜は黙って頷くしかなかった。


 『このままの調子では、とても逃げ切ることはできまい。せっかく北定様がお膳立てされたのが不意になってしまう』


 千綜は斎慶宮に侍る公卿の中で世間を知っている。武芸の修行として諸国を歩き回った経歴があるだけに、自分達がいかにきわどい橋を渡っているか十分に承知していた。


 「承知しましたが、急ぎませんと、探題の追ってに見つかってしまいます」


 「それよ、千綜。本来であるならば佐導甫が兵を率いて主上を保護して然るべきではないか?」


 坊忠が怒りを交えて言った。千綜の方こそ坊忠に怒りを感じながら、怒りを消すことに努めた。ここで仲間内で決裂するのが一番恐ろしい。


 『この男は現実が見えていない』


 このような粗衣を纏ってまでしないと慶師から脱出できなかった、ということをこの公族はすっかりと忘れてしまったのではないか。


 「坊忠、言うでない。今の余にそこまでの力はない。誰かに頼まなければならない立場なのだ」


 まだ斎治の方が現状を理解していた。やはりこの人はこれまでの斎公と違って、英主となる資質を持っている。そう確信できるからこそ千綜も堪忍して来れたのである。


 「ああお労わしい限りです、主上。この坊忠、悲願が成就されその日までお傍を離れないでしょう」


 「頼りにしているぞ、坊忠。さて、そろそろ参るか」


 斎治が重い腰を上げた。坊忠は少し恨めしそうに立ち上がった。




 斎治一行は追われているという危機感を感じさせぬほどゆったりとした速度で南へと向かった。実はこのことが斎治達に多少幸いしていた。


 追手である探題の兵士達は、まさか斎治達が物見遊山のような足取りで逃げているとは思っておらず、斎治達よりもかなり先行して南下していた。


 『逃げ切るれるのではないか?』


 という楽観が一行の中に生まれ、千綜ですら多少そう思うようになっていた。そういう楽観が不幸へと導くことになるのであった。


 道に迷いながらも兎に角南下していた斎治達一行は、気が付かぬうちに烏林藩の領地に入り込んでいた。当初の予定では烏林藩は避けるようにしていた。


 『前回の蜂起未遂でも分かったであろうが、烏道という男は大事を図れる相手ではない。領地には入り込まぬ方がいい』


 千綜は何度も北定から言い含められていた。それだけに注意はしていたのだが、油断したせいか知らぬうちに烏林藩に入り込んでしまっていた。


 勿論、そのまま抜け通ることができれば問題なかった。しかし、不幸なことに、この怪しげな風体をした一行は烏林藩の警備兵に見咎められることとなった。


 「そこの者ども、止まれ」


 警備兵は山道を下ってきた一行を呼び止めた。一行の身なりは宿なしのようなみすぼらしい粗衣であったが、その割には顔つきや雰囲気には気品が感じられた。


 『ひょっとして斎公一行ではないか?』


 この警備兵の勘は鋭かった。すでに藩主の烏道からは斎治が慶師から脱出したので見つけ次第丁重に捕らえよ、という矛盾した命令を受けていた。


 『まずい……』


 千綜は庇うように一行の前に立った。警備兵は全部で五人。自分一人で切り抜けられるどうか難しいところであった。千綜は背中に背負っている剣に手をかけるかどうか迷った。


 「我らは斎公の近習で、主上を捜しているのです」


 と言ったのは阿望であった。苦肉の策であるが、穏便に切り抜けるにはなかなか良い作戦ではないかと思い、千綜は背中にやろうとした手を元に戻した。


 「斎公が近くにいるのか?」


 「左様です。我らより先に行ったはずなのですが」


 千綜も話を合わせた。警備兵長はそれでも疑わしそうにこちらを見ていた。


 「ひとまず君達を拘束させてもらう。これも役目であるから悪く思うな」


 警備兵長はまだ半信半疑のようだった。とりあえず斎治の存在がばれていないとなると、隙をついて逃げ出すこともできる。ここは大人しく従うのもやむなしと思っていると、声を荒げた者がいた。


 「無礼者!何故、我らが拘束されなければならんのだ!畏れというものを知らん痴れ者め!」


 叫んだのは坊忠であった。これですべて台無しとなった。


 「無礼?やはり斎公がいたか!」


 警備兵長は容赦なく斎治達を拘束した。千綜はまっさきに押さえつけられてしまった。

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