泰平の階~9~

 費兄弟による蜂起計画が失敗して一年が過ぎた。あの事件以来、斎治は斎慶宮に逼塞し、探題兵による監視も強化されていた。


 『迂闊には近づけんか……』


 頭をそり上げ、粗衣を身にまとった費俊は、斎慶宮を遠目にしていた。探題兵の数が減っている様子もなく、費俊としては遠くから眺めているしかなかった。あれから何度も慶師に帰って来る度に斎治に一目会おうとしていたのだが、とても叶いそうになかった。


 『主上、どうぞご無事で。しばらくの辛抱でございます』


 費俊は斎慶宮に背を向けた。またしばらく慶師を留守にしなければならなかった。


 蜂起計画に失敗し費資が刑死してから、費俊は兄の意思を継いで国内をめぐり、反条公への機運を高めるべく活動をしていた。当初は兄の刑死を知り、深い悲しみに沈み、自らも後を追って死のうかと考えていた費俊であったが、すぐに死んだ兄のために行動を起こさねばならぬと思った。


 『兄は罪を一身に背負って亡くなった。それは私に生きて宿願を達成しろということだ』


 そう思いなおした費俊は、以前より増して各地にを回り、来るべき日への機運を高めるべく諸侯や有力者に面会していた。


 そのようにして一年過ぎてくると、費俊はあることに気が付いた。


 『兄は慶師や栄倉の近郊で乱を起こすとしていたが、むしろ離れた場所で乱を起こさせた方がいいのではないか?』


 斎治が決起して号令するのではなく、先に乱を起こさせた方がよいのではないかということである。奇しくもこれは北定が考えていたことと同じであった。しかも、地方にいる藩主や諸侯の方が条公に対しての忠誠心が薄く、公然と反感を顕にする者も少なくなかった。


 特に西方にある藩、夷西藩の藩主少洪覇などは、その最有力候補であった。


 『何故、我にお声をかけていただかなかった!もしその時に我に蜂起せよと仰っていただければ、一年、いや三年は条公の軍を釘付けすることができましたのでしょうに』


 費俊が初めて少洪覇にあった時、彼は床を叩き心底悔しそうに叫んだ。兄である費資は、夷西藩については構想の外に置いていた。単に慶師から遠いという理由だけであった。


 少洪覇は費俊と同年代で、若さ故に多少軽薄なところはあるが、斎公への忠誠心は本物であった。かねてより慶師や斎慶宮の惨状を嘆き、多額の献金をしてくれていた。


 それだけではない。夷西藩の兵は強靭で、藩の地形も山岳地帯が多いので、攻めるには難しく、守るには容易い地形となっている。蜂起すれば三年は条公軍を釘付けにできるというのは、あながち大言壮語ではないだろう。


 『ですが、軽挙は慎んでください。今度計画に失敗すれば次はありません』


 費俊は少洪覇に会う度に軽はずみな行動しないように求めた。今回も少洪覇に会って情報を交換しつつ、まだ時期ではないと諭すつもりであった。


 『少氏は決起せよと言えば決起するだろう。しかし、それは二の手でいい。騒乱の第一手は自然発生の方がいい』


 要するに最初の内乱は費俊達が誘発したものではなく、自然と湧くようにして発生した方が良いと考えていた。その方がいかにも条公の治世が乱れていると印象付けられる。


 『しかも諸侯や藩主の乱ではなく、民衆の蜂起がいい』


 それに最適な場所も費俊は見定めていた。千山である。


 千山という邑は夷西藩と同じく西側にあり、条公の直轄地であった。そのため領主や藩主がおらず、慶師から派遣された代官が治めていた。


 千山はひとつの邑であるが、その敷地面積は慶師や栄倉よりも大きく、経済規模でいえば夷西藩の藩都である坂淵よりも数倍大きかった。謂わば千山の代官は領主や藩主に等しい地位と権限があり、西方における条公の代理人とも言われていた。


 時の千山代官は易迅。歴代の千山代官は有能で清廉とされてきた。しかし、易迅に限ってはそうではないらしく、必要以上に民衆から搾取しており、私腹を肥やしていた。当然ながら千山の民衆は易迅に反発しており、易迅を放置している条公に対して良い感情をもっていなかった。


 易迅に対して千山の民衆が反感を持っている理由はそれだけではない。もともと千山を含む一帯は条国の有力な家臣であった毛家の領地であった。しかし、十数年前に召し上げられて条公の直轄領となってしまった。そのような経緯があり、直轄領となっても毛家を懐かしみ、条公に反発する民衆はかなり多かった。


 費俊は千山を最初の一手と見定めると、身分を隠して千山に潜伏し、不穏分子などと接触し、蜂起に向けて扇動活動を続けていた。


 『すでに千山では反易迅、反条公の気運が高まっている。しかしまだだ。最高潮まで不満を高めて大きく爆発させる』


 費俊は費資よりも優れた謀略家であっただろう。千山の暴発は目前に迫っており、千山の暴発こそ条国内乱の発火点となるのであった。

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