泰平の階~10~

 話は少しばかり逸れる。ここで一人の男を紹介せねばならない。


 一つの世代に戦争の天才と言うべき人物が一人でも出れば良い方である、という名言を高名な歴史家が残しているが、この時代にはその天才が三人も存在していた。


 泉公樹弘に仕える甲朱関。極国の将軍譜天。そして最後の紹介すべきは劉六。条国千山に住む彼は、条国の内乱に大きな役目を果たすことになる。ここからは少しばかり彼の生い立ちとを辿っていきたい。




 劉六は千山近郊の小さな邑で生まれた。父は医師をしており、劉六が幼少の頃に千山に越してきて町医者として開業した。医者としての腕はそこそこであったが、人当たりの良さもあってかそれなりに繁盛していた。そのような父の姿を見て育った劉六は、将来自分も医者になるのだろうなと思っていた。そのためか小さな頃から黙々と勉学に励み、医学は勿論のこと数学や天文学にも学問の範囲を拡大していった。十六の頃には千山きっとの秀才となっていて、この地で劉六に学問を教えられる者はいなくなっていた。


 「どうだ?国都栄倉に行って適庵先生の門を潜ってみる気はないか?」


 劉六にそう勧めたのは、千山における劉六の師匠であった。この言葉に劉六は胸躍った。医学を志す者にあって適庵の名前を知らぬ者はいなかった。


 適庵は栄倉で開業している一介の町医者であった。しかし、その見識は条国、いや中原においても右に出る者はなく、国内は勿論、各国から典医にならぬかという勧誘もあったが、適庵は須らくそれらの勧誘を蹴っていた。


 『私は町医者だ。町医者のままがええ』


 適庵には金銭欲や出世欲といったものが皆無であった。ただ医者として患者を治すことのみを喜びとしていた。


 適庵に蹴られた各国の国主達は、適庵の意思を尊重しながらも、その代わりに自国の若く優秀な医者に医術を学ばせることを頼んだ。適庵はそれについては快諾し、多くの若き医者を受け入れた。それが段々と発達していき、現在では適庵の仕事は医学校の教授となっていた。


 『これが私の天職であるかもしれん』


 適庵という男は底抜けにお人よしであった。患者を救うことを喜びとするのを同様に、若き秀才達に物を教えることも喜びとした。もはや適庵の診療所は完全に医学校へと変貌し、多くの秀才を輩出するようになっていた。


 実は劉六の師もまた適庵の門下生であり、劉六のために推薦状を書いてやると言ってくれたのである。


 「しかし、我が家には金がありません」


 劉六の父は町医者として繁盛していたが、数年に渡り栄倉に留学できるほどの金銭があるわけではなかった。


 「その点、私に任せよ」


 師は胸を叩いた。師はなんと代官である易迅に掛け合ってくれたのである。民衆から搾取することしか能がない易迅であったが、劉六の留学費を全額出資してくれると言ったのである。この点、易迅とは不思議な男であった。自分が治める千山から優秀な人物が高名な適庵の医学校に入学したとなると自らの手柄になるとでも考えたのだろうか。ともかくも金が出してくれると約束してくれたのである。


 「しかし、代官様が出す金は千山民衆の金ではないですか?」


 まだ少年である劉六も代官易迅の暴虐さは知っている。自分が留学するための金銭が民衆の懐から出ていると思うと、素直に喜べなかった。


 「では、お前が先生の門下で多くを学び、千山に帰ってきて医術で多くの人を助ければいい。そうなれば千山の人々からいただいた金銭を還元することができる」


 師はそう言って劉六の背中を押してくれた。それならばと劉六は適庵の門を叩くことを決意した。


 準備が整うと劉六は栄倉へと旅立った。当然ながら初めての一人旅であったが、適庵の門下に入る医者であるという身分は旅の役に立った。どこに行っても歓待された。


 ある邑では領主自ら劉六の宿に来て挨拶を述べることもあり、逆に患者を診断を頼まれることもあった。


 「私の母が目を病んでいます。ぜひ診ていただけないでしょうか?」


 ある領主などは懇願するように劉六に頼んできた。


 「私はまだ適庵先生の門下に入っていないのですよ」


 「それでもこれから入ろうとしている先生だからここらの盆暗医者よりはましでしょう」


 そうまで言われれば診ないわけもいかず、劉六は領主の母を診た。早速に診察すると、寝台から身を起こしている老女の右目が大きく膨らんでいた。


 『目に悪いものが入ったな』


 劉六の脳にはあらゆる医術書の文言が入っていた。実際に千山では父の手伝いで眼病の患者を診ることもあった。


 「まぁ、なんとかなるでしょう」


 劉六は持ち合わせの薬剤と、自生している薬草を使って目薬を作り、領主の母に点眼した。すると三日後にはすっかりと目の腫れがひき、五日後には目が開けられるようになった。


 「おお、流石大先生だ!」


 領主は大喜びした。お礼とばかりに劉六に多額の金銭を渡そうとした。劉六は愛想なく首を振った。


 「そのようなことは無用です。一人前でありませんのでもらうわけにはいきません」


 それでも執拗にお礼をしようとしてくるので、劉六は逃げる様にして旅を急いだ。

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