寂寞の海~57~
明かりは月と星しかない。樹弘の寝所に初めて招かれた景朱麗は無言のまま樹弘と抱擁を交わした。抱擁したまま樹弘が景朱麗の下帯を解いた。
「あ……」
恥じらいのあまり景朱麗は言葉を漏らした。そのままするりと寝巻が床に落ち、景朱麗は素肌を樹弘に晒した。裸体を異性に見せるのは初めてであった。
『恥ずかしい……』
樹弘はじっと景朱麗の裸体を眺めていた。今すぐにでも落ちた寝巻を拾い上げたかったが、体が思うように動かなかった。
「主上……そのように見つめられると……」
「ああ、ごめんなさい。でも、あまりにも美しかったから……」
景朱麗はさらに恥ずかしくなった。やはり寝巻を拾おうと腰をかがめると、それを阻むように樹弘が身を寄せてきて、景朱麗の唇を吸った。口づけも景朱麗には初めてのことであった。
とろけるような意識の中、気が付けば景朱麗は寝台に寝かされていた。樹弘は優しく景朱麗の全身を愛撫した。
『ああ!主上!』
景朱麗にとっては夢のような時間であった。いつの頃からか、こうなるたいと望みつつも、叶うまいと思っていたことが現実のものとなっていた。その喜びを景朱麗は全身で感じていた。
だから樹弘を体内に受け入れた時も、痛みなどなかった。ただ歓喜に満ちて、樹弘のすべてを受けれ入れるだけであった。
情熱的な時を終え、樹弘と横並びなって寝台に横たわっていると、改めて恥ずかしさが波のように迫ってきた。せめて寝巻でも纏おうと身を起こすと、樹弘がこっちに顔を向けた。
「そのままでもいいのに」
「そういうわけには……」
と言いながらも、景朱麗は寝台の中に体を隠した。
「遠回りになってしまったけど、僕は朱麗さんを妃に迎えることができて本当に嬉しく思っているよ」
「私もです、主上」
「……朱麗さん、その主上という呼び方止めない?」
「急に言われましても……。主上も私のことを朱麗さんと言うのをすぐに止められますか?」
それは難しいな、と樹弘は笑った。景朱麗も微笑した。
翌日のこと、樹弘は朝議の場で景朱麗を正妃に迎えることを延臣の前で発表した。延臣達が驚きを顕にしたのは言うまでもなかった。ただ、樹弘が景朱麗を正妃にすることに驚いたのではなく、唐突に発表したのに驚いたのであった。
「いずれそうなるとは思っていましたが、いやはや、お早いことで」
甲元亀は嬉しそうに笑った。その言葉に延臣達はどっと笑い、場は和やかになった。
朝議が終わると、樹弘の執務室に甲元亀が尋ねてきた。そこにたまたま景朱麗がいたので、
「これは新郎新婦お揃いですな」
と言って顔を赤くする二人をからかった。
「それで御用は?」
「丞相にはすでにお話しておりましたが、主上がご成婚されたら隠居しようと思っておりました。どうやらその時が来たようです」
樹弘には初耳であった。景朱麗を見ると、真剣な顔で頷いたから偽りではないのだろう。
「そんな……僕はまだ元亀様から教えていただかなければならないことが山のようにあります」
「ほほ。嬉しいお言葉ですが、もう十分でありましょう。学ぶ謙虚な姿勢があれば、誰もが師となりましょう。今の主上のご姿勢であれば、儂から学ぶことよりも多くのことが多くの師から得られるでしょう」
樹弘はしばらく目を閉じて考えた。甲元亀には大いなる恩がある。甲元亀と出会わなければ、今の樹弘はなかったかもしれない。もし、甲元亀の恩に報いるとするならば、今この時なのかもしれないと思った。
「分かりました。後は僕達に任せて、ゆっくりとお休みください。ですが、たまには泉春宮に遊びに来てください」
「勿論でございます。朱麗様は儂にとっては娘も同然ですからな、孫の顔を見に伺いますよ」
甲元亀がからから笑うと、再び景朱麗は顔を赤くした。
続いて樹弘は甲朱関を呼んだ。甲朱関は樹弘と景朱麗が揃っているのを見てにやりと笑った。
「なんですか?私だけを呼んで、新婚生活の指南でもしろと言うのですか?」
実は数か月前、甲朱関は許嫁と結婚していた。樹弘は苦笑して首を振った。
「元亀様が引退するのは聞いたな?」
「聞いております。それが?」
「これを機に閣僚の人事を一部変更する。朱関、君が丞相だ」
「は?」
甲朱関は見たこともないような呆けた顔をした。開いた口が塞がらないと言った様子である。
「は、じゃないよ。朱麗が僕の正妃となる以上、丞相を続けるわけにはいかなくなる。空位になるから君に任せたい」
「しかし、私は政治を素人です。朱麗姉さんの後釜なら岱夏がおりましょう」
甲朱関は動揺していた。ここまで動揺した甲朱関を樹弘は見たことがなかった。
「岱夏には元亀様に代わって大蔵卿の仕事をやってもらわなければならない。岱夏の後釜の民部卿には田璧を添えるつもりだ」
「だから言って……私が丞相とは……」
「朱関。丞相とは何も政治だけではない。軍事の見識だって必要だ。私が見たところ、お前には十分に両方の素質が備わっている。安心しろ、いざとなれば私が助けてやる」
景朱麗は甲朱関の肩を叩いた。
「やれやれ。主上と公妃様に言われれば仕方ありません。微力ながら丞相として任務を全うしたいと思います」
「期待しているよ、丞相」
素直に快諾してくれたので樹弘は安心した。自らの結婚も含めて、泉国に新しい時代がまた到来したような、そんな気がした。
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