寂寞の海~53~

 章理の戦死は、身一つで泉春に逃れてきた左文忠によって知らされた。


 まさに疲労困憊といった風体の左文忠は、章理が印国で繰り広げた戦いを語り継ぐことこそが自分に課された最後の使命とばかりに詳細に語ってくれた。


 『章理さんはよくやった……』


 樹弘は声にこそ出さないが、章理に最大級の賛辞を送りたかった。圧倒的不利な状況で、よく章海を追い詰めたものだと感心するしかなかった。同時に、少しでも自分が手を貸していたら事態は大きく変わっていただろうと思うと、後悔の念しかなかった。


 樹弘は傍らで左文忠の報告を聞いている章季の様子を窺った。章季は青ざめた顔をしながらも、左文忠の一言一句を聞き逃さないよう泣かずにいた。


 『この人も気丈だ』


 樹弘は章家の女性の気丈さを見た気がした。章穂も章理も、そして章季も芯のあるたくましい女性であった。それだけに彼女達が置かれた立場というものが、果たして彼女達に相応しいものであったのかと思ってしまった。


 「これは章理様の形見です。ぜひ章季様にお渡しするようにと」


 左文忠が小さな木箱を差し出した。章季が開けてみると、黒い艶やかな髪の毛の束が収められていた。


 「姉さん……」


 章季は木箱を抱きしめ、膝をついた。声こそあげないが、静かに涙を流した。


 「ご苦労でした、左文忠殿。今後のことは傷が癒えてから考えましょう」


 「ありがたき幸せ」


 すべてを話しつくした左文忠は、崩れる様に倒れた。


 「衛兵。左文忠殿を客間に運び、医師に見せてやってくれ」


 衛兵達が左文忠を抱える様にして運び出した。


 「章季さん。姉上のことは残念でした。そして、何もしてやれなかった私を許して欲しい」


 樹弘は頭を下げた。章季は顔をあげると、手で涙をぬぐった。


 「こちらこそお礼を言わねばなりません。我ら姉妹に過大なご恩を賜りました。また姉さんも泉公に出会えて嬉しかったことでありましょう」


 「貴女の身の振り方についてもゆっくりと考えましょう。我が国にいる限り、決して貴女の不利益なるようなことを致しません。何かありましたら遠慮なく申してください」


 「では……」


 章季は章理の遺髪の入った木箱を樹弘に差し出した。


 「ぜひ姉さんを弔ってください。そうすれば姉さんも喜びましょう」


 樹弘は承諾の意味を込めて木箱を受け取った。




 章理の葬送する儀式は泉春宮の一隅でしめやかに執り行われた。参列する者も少なく、章理と左文忠を除けば、樹弘と景朱麗、甲元亀、甲朱関のみであった。印国公女の儀式としてはあまりにも寂しく、その歴史的名声を考えれば規模の小さなものであったが、それ故に厳かな雰囲気が醸し出され、参列する者達の心を打った。


 弔辞もなければ、美麗な祭壇もない。あるのは遺髪が収められた木箱があるだけであった。それでも姉は満足しているだろう、と章季は思った。姉が生涯の中で一番愛した男性と、同性として憧憬の念を持っていた女性に送られたのである。自分の人生の終焉も同じように迎えられるかと考えると、やはり姉は幸せだったのかもしれない。


 『死んで幸せと言われるのも嫌でしょうけど、私を置いて逝ってしまった罰です』


 章季はすでに心に決めていた。章季はうんと長生きをしてみせるのだと。章季だけではない。樹弘にも景朱麗にも長生きをしてもらって、泉下で姉を寂しがらせてやるのだ。それこそが姉によって寂しい思いをさせられている章季が与えることができる最大の罰であった。


 章理の遺髪はそのまま泉春宮の庭先に埋められた。せめて遺髪だけは印国に戻すべきではないかと樹弘は提案してくれたが、章季は首を振った。


 「もはやここは姉にとって第二の故郷です。体は印国の海深くに眠っているのですから、遺髪はご迷惑でなければここに収めてさせてください」


 その方が姉も喜ぶだろう。章季としても印国にはもう戻れぬであろうから、泉国に姉を感じることができるものを残しておきたかった。


 「分かりました。章理さんも章季さんの近くにいる方がいいでしょう」


 樹弘は章理のために中庭に小さな祠を作ってくれた。その祠は幾代泉公が変わっても取り壊されることなく、印国を駆け抜けた烈女を祀る場所として長く人々から敬われることとなった。




 葬送の儀式が終わると、章季は吹っ切れたのか、悲しみを表に出すことはなくなった。今はまだ空元気であろうが、元気がないよりはましであろうと思った樹弘は、泉春宮で簡単な仕事を章季に与えた。泉春宮には膨大な蔵書を収納した書庫があった。相房の時代、相房を含めた相家の人間は書物などに一切の興味を持たず、荒れ放題となっていた。樹弘が国主になってようやく整備を始めたのだが、人手が足らず遅々として進んでいなかった。樹弘はその仕事に章季を携わせた。章季は書物が好きなようなので、多少気が紛れるだろうと樹弘は思ったのである。


 章季も樹弘の意を汲んで、積極的に仕事をこなした。このようにして章季は泉国で平穏な人生を過ごしていく。章季を含めた誰しもがそう思っていただろうが、思いもよらぬことが起こった。




 章海が病のために亡くなったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る