寂寞の海~7~

 「ひどいじゃないですか、元亀様。今回の旅は僕の慰労ではなく、結婚話を進めるためのものだったんですね」


 祝宴が終わると、樹弘は早速に甲元亀に詰め寄った。甲元亀が印国へと樹弘を誘ったのは、印公の公女との婚儀を成立させるためのものであった。しかも、甲元亀はそれを内密に進めていたのだ。


 「秘密にしていたのは申し訳ありませんが、そうでもしないと主上は婚儀のことを前向きに考えないでしょう」


 甲元亀は悪びれずに言った。どうにもこの老人にはあらゆる面で勝てそうになかった。


 「それで、この話は誰が知っているんですか?朱麗さんもご存じなんですが?」


 「知っているのは、儂と岱夏、そして孫の朱関ぐらいです。朱麗様が知っておれば、すぐさま主上のお耳に達しておりましょう」


 私も知りませんでした、と景蒼葉が申し訳なさそうに頭を下げた。確かに景蒼葉はそのような真似はしないだろうと思い、では景黄鈴はどうかと疑わしそうに視線を送っていると、景黄鈴は両手を振って否定した。


 「私も知らないよ!知っているわけないなよ!」


 「左様。このことは景姉妹にはお伝えしておりません」


 甲元亀が景黄鈴の否定を補うように言った。


 「それはどういう意味で?」


 「……ふむ。まぁ、他意はありませんが、そのことはまず置くとしましょう。それよりも婚儀のことは真剣に考えていただきます」


 「元亀様、僕はまだ結婚する気などありませんよ」


 「そういうわけには参りません。主上が主上であられる以上、世継ぎを生んでいただかなければ困ります」


 「僕の次の国主のことか?それなら神器に選ばせればいいだろう」


 樹弘は本気でそのように思っていた。いずれ妃を得て子をなすつもりでいるが、それほど急務であるとは考えていなかった。それは世継ぎは自分の子である必要はなく、神器によって選ばせればいいと思っていた。


 「主上。神器は自発的に真主を選別できるわけではありません。あくまでも持つ者が真主であるかどうかを判別する物でしかありません。要するに選びたくても選べないのです。ですから、血統による世継ぎが必要となってくるのです」


 甲元亀の言葉は中原の国家では道理なのだろう。だが、樹弘はどうにも素直に頷くことができなかった。


 「主上は妃はご自分で選びたいとお考えですか?まぁ、それもよろしいでしょうが、今の主上を見ておりますと、妃をお迎えできるのは何年先が分かりませぬ。ですから少しお手伝いをさせていただこうと思ったのです」


 甲元亀としても強制的に婚儀を進めるつもりはないようである。ただ婚儀に対して前向きでない樹弘に業を煮やしてお膳立てをしたいだけであった。


 「まぁ気軽にお考え下さい。国主であるかどうかだけではなく、一人の男児としてあまり禁欲的なのはよろしくありませんからな」


 「そうだな、気軽に考えさせてもらうよ。章理という人も婚儀について全力で否定していたな」


 「ふむ……。向こうには向こうで、一癖二癖あるようですな」


 甲元亀は嘆息した。章理が婚儀について拒否したのは甲元亀としても計算外だったのだろう。




 ぱん、という乾いた音がした。


 「貴女はそれでも印国の公女ですか!恥を知りなさい」


 祝宴の後、章理を呼び出した章穂は、彼女の頬を叩いた。それで涙を流すような女性であるならば、あの場であのようなことは言わないであろう。章理は冷たい目で母を見下ろしていた。


 「私は結婚など嫌だと申し上げてきたはずです」


 「相手は泉国の真主です。それに対してあまりにも無礼な行いではないですか!」


 「私にその気がないのに婚儀を進めることこそ泉公に無礼ではないですか」


 「貴女はそうやって口答えをする!」


 章穂はもう一度章理の頬をはった。章理の左頬が赤くなっていた。


 「お母様、おやめください。姉さんも……」


 章季が気弱気に二人の間に入った。それで多少なりとも冷静になった二人はにらみ合いながら呼吸を荒くしていた。


 「明日、泉公に非礼をお詫びします。貴女も同席するのです。いいですね?」


 章穂が念を押すと、章理は諾とも否とも言わず、母から背を向けた。


 「理!」


 「お母様、姉さんには私が言っておきますので、落ち着かれてください」


 母をなだめた章季は、一礼すると姉の後を追った。


 「姉さん……」


 母の部屋を出た章季は小走りで姉に追いついた。章理は速足でいち早く立ち去りたいようであった。


 「すまなかったな、季。私としたことが取り乱してしまった」


 「姉さんの気持ちも分かりますが、流石にあの行いは泉公に無礼です」


 「ふん。だったら、季が泉公の嫁になるか?」


 「姉さん、そういうわけにはいきません」


 国主などの貴人の下に嫁ぐ時、姉妹で輿入れするのが習慣となっていた。これは正妃に子が生まれなかった時のことを考えてのことであった。


 「分かっているよ。ま、泉公には謝罪しよう。でも、結婚などする気がないことは言っておかないとな」


 章理が声を小さくした。正面から近づきつつある足音に気が付いたからであった。


 「おお。これは美人姉妹。久しぶりだな」


 姿を見せたのは二人の叔父にあたる章海であった。二人の父であり、先代国主である章平の弟であるが、鑑京には住んでおらず、近隣の山村で暮らしていた。


 「叔父様……。そういえば祝宴にはおられませんでしたね」


 章理は冷えた声で言った。章理がこの叔父に対してあまり好意的ではなかった。


 「招待状はいただいたんだけどね。馬車の手配ができず、歩いているとこんな時間になってしまった。今から主上に詫びに行くところだ」


 では、と軽やかにすれ違っていった。章季もこの叔父のことがあまり好きにはなれず、不気味さすら感じていた。

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