漂泊の翼~35~

 剛雛が予測したように、融尹が送り込んだ暗殺団は全員で十二人であった。彼らは束ねるのは以代。融尹が試したいと言った男であり、人を殺すことが何よりもの楽しみだと公言して憚らなかった。


 もとは羽氏軍の一兵卒であった。とにかく前線に立ち、疲れ果てるまで戟を振るい続けた。彼が陣に帰ってくると、出撃した時以上の傷を負っており、さらにそれ以上の返り血を浴びていたと言われていた。羽氏が滅んで戦がなくなると、以代は広鳳近辺に出没する単なる殺人狂に成り下がった。そのような話を聞きつけ、捕らえさせたのが融尹であった。


 『お前を拷問の末に殺すことは容易い。しかし、人を殺すことしか能がないのなら、それを最大限に活かしてみたいと思わんか?』


 もとより人を殺すことに動機も思想もない以代は、助命されたうえに、合法的に人を殺せるのならばと融尹の誘いに乗った。それが許斗へ向かう二ヶ月前のことであった。


 その二ヶ月の間、以代はかつての仲間や同じような種族の人間を集め、融尹のための暗殺集団を作り上げた。初仕事が公子楽乗の暗殺と聴いて、以代は胸が高鳴った。


 以代と暗殺団は、許斗に入ると、情報収集を行った。楽乗が月に数度、郊外に出て狩を行っているという情報をすぐに得ることができた。


 『その時が好機だ』


 と判断した以代は、狩の予定地を調べさせ、襲撃計画を練り上げていった。そして万全の準備を整え、楽乗が狩に出る日を待った。




 その日が来た。楽乗達よりも早く許斗を出た以代は、襲撃地点近くの洞穴に身を潜めた。


 「すべては手筈どおりに。獲物発見を知らせる鼓を打ち鳴らし、こちらまで公子を誘引するのだ」


 そこで一度、軽く弓を射掛けて楽乗主従を混乱させ、護衛兵に成りすました以代の仲間が楽乗を助けるふりをして襲撃地点まで誘い込むというものであった。


 洞穴に身を潜めたのは全部で八人。楽乗の傍には常に胡兄弟がはべり、彼らを含めて四、五名の護衛がついているのだが、以代にはこの八名がいれば充分に殺すことができるという自信があった。


 「俺が育て上げた連中だ。軟弱な坊ちゃんどもに負けるはずがない」


 この時の以代は、まだ刺客として未熟であった。夕刻になり、周囲が暗くなってきた。以代の予定ではそろそろ楽乗が誘引されてくる刻限なのだが、人影はまるで見えなかった。


 「しくじったか……」


 以代は焦れ始めた。同じく身を潜めていた配下に、様子を見て来い、と命令した。この配下は勇んで飛び出していった。しかし、日が完全に落ちても配下は帰ってこなかった。


 「おかしい!何があった!」


 我慢できなくなった以代は、全員に洞穴を出るように命じた。最初の一人が洞穴から出ると、飛翔するように吹っ飛んでいった。


 「何だ!」


 以代は配下を押しのけて外に出た。瞬間、右横から何かが突き出てきたが、以代は既の所で避けることができた。周囲は暗い。以代は何も見えぬ闇に向かって剣を振るったが、剣先は空を切った。


 『事が露見したか……』


 以代はようやく自分達の目論見が露見したことを悟った。しかも露見しただけではなく、逆に襲撃されて窮地に立たされていた。こうなれば逃走するしかなかった。


 「全員出ろ!逃げるぞ!」


 以代は洞穴に向かって叫んだ。洞穴から配下が抜け出してくるよりも早く、数本の松明が以代の周りに投げ込まれた。


 「逃がすな。捕らえろ」


 以代達は十人ほどの男に取り囲まれていた。その中で松明を持った痩身の男が命じた。その男は丸腰であったが、隣には槍を構えた男が油断なく以代を睨んでいた。


 『こいつはできる……』


 殺人狂としての以代の本能が囁いていた。もはや刺客としてではなく、殺人者としてこの男のことを殺したくなってきた。


 「あいつを吹き飛ばしたのはお前か?」


 以代は無用なことながら問うた。


 「少なくとも一人は生かしておかないとお前達の正体が分からないからな」


 そういうことか、と以代は得心した。吹っ飛ばされた配下は意識を失って動けないでいる。少なくともそいつは生きて捕らえることができるわけである。


 『どうやら槍働きだけではないらしいな』


 ますます殺したくなってきた。以代は剣を構えた。


 「胡演様、お下がりください。ここは私が」


 男が前に進み出た。まるで隙はない構えである。崩すしかないと以代は剣を振り上げて跳躍した。


 『俺の間合だ!』


 男の頭部がぱっくりと裂ける光景を以代は見ていた。しかし、剣を振り下ろした先に男はおらず、逆に槍の先が以代の目の前に迫っていた。


 「ちっ!」


 以代は倒れ込むようにして槍を避けた。


 「できるな、お前。ますます気に入った。しかし……」


 以代は周囲をうかがった。配下の多くが血を流して地面に転がっていた。まともに立っているのは以代のみであった。


 「いずれ再戦しよう。それまで楽しみにしておくことだ」


 以代は、最初に吹き飛ばされて失神している配下に向かって短刀を投げた。短刀は喉元に突き刺さり、配下は血を吹き出して絶命した。


 「しまった!」


 敵の視線が今しがた絶命した男に注がれた。その隙を突いて以代は、敵の一人を切り殺して包囲網を脱出した。

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