漂泊の翼~21~

 楽乗が羽陽達を保護した一方で、楽伝も一人の女性を保護することとなった。このことが楽氏、さらには翼国にとって大いなる災いとなるのだが、こちらの運命も当事者たちは知る由もないことであった。その女性とは条西である。条公一族に連なる女性で、羽禁に見初められて広鳳に来たという話は先述した。


 楽氏軍が広鳳を囲みだした頃、羽禁はまだ楽観していた。十分に反撃できると信じていたし、条国からの援軍もあてにしていた。だから羽禁はこれまでどおり美姫達を侍らせて夜な夜な酒宴を開いていた。その席に条西はいなかった。羽禁の寵愛はすでに条西から去っていた。


 楽氏軍が広鳳に突入すると、羽禁はようやく甲冑を身に付けるようになった。延臣達はようやく羽禁に危機感が生まれ、戦う気になったのだと手に手をとって喜んだのだが、実はどの甲冑が一番似合うかを美姫達に選ばせて競い合っていただけであり、それを知った延臣達は落胆した。


 羽氏の終わりが近づきつつある。おそらくはそれを一番に悟っているのは羽禁その人かも知れず、楽宣施が宮殿外壁に取り付き猛攻を加え始めても、享楽の宴を辞めることはなかった。それはまるでこの世との惜別の宴のようでもあった。


 「どれ、今宵は高楼に上って狼藉者達が無様に死んでいく様を肴にして飲むとしよう」


 宮殿への攻撃が始まって二日目の夜、羽禁はそう言い出した。羽禁を取り巻く美姫や阿諛追従の臣達も、享楽に身をゆだねることで目前に迫った危機を忘却しようとしていたので、羽禁の提案に賛同した。


 この享楽の一座にも条西は入っていなかった。このことが彼女を死から逃れさせた。楽氏軍が宮殿を囲み、羽禁が酒池に溺れる中、条西は自らの身が助かる術を模索していた。


 『もはや主上からの愛がないのならここには用はない』


 条西は自分が愛に生きる女性であると思っていた。だから条国で身を燻らせていた時、羽禁に見初められた条西は、翼国に行くことにまるで抵抗などなかった。寧ろ妾とはいえ、国主の寵姫になれることに喜びを感じていた。


 だが、条西への愛は長く続かなかった。そのことについて条西は当初は苦悩した。


 『私は女性として足らぬのではないのだろうか……』


 条西は薄れていく寵愛に寂しさを感じつつ、自らを攻めた。しかし、その原因が自分にあるのではなく、羽禁が単に多情なだけであると悟ると、飼い殺しにされていることに気楽さを感じるようになっていた。そして、楽氏軍が迫ってくると、羽禁からの愛がなくなったことを幸いに、躊躇いなく羽禁に見切りをつけた。


 「こうなっては素直に楽氏に降りましょう。誰か楽氏の将に話をつけてきてください」


 条西は侍女達に対して事も無げに告げた。侍女達も条西の性格を心得ていて素直に彼女の命令に従った。


 条西が降伏する相手に選んだのは楽伝であった。これもまた彼女の才覚をよく表していた。尾城を奪われた時点で羽禁にある程度の見切りをつけていた条西は楽氏について調べさせていた。その結果、楽伝が一番女性にだらしがないということを突き止めていた。楽伝の前に進み出れば、助命されるだけではなく、再び為政者の寵姫として過ごせるだろうと判断したのである。


 この判断は的を射た。眼前に現れ跪いて助命を請うた条西の姿に楽伝は心を奪われた。


 『これは美しい……』


 色白で線の細い条西は、楽伝の好みに合致した。


 楽伝は武に優れ、文についても一角の見識を持ち合わせていた。人の好悪こそ激しいが、それはあくまでも個人的な範疇であり、部下達に対しては比較的公平であった。楽玄紹も後継者として申し分ないと思っていた。その楽伝に唯一欠点があるとすれば、女性を愛しすぎることであろう。楽玄紹が正妃以外に夫人を持たなかったのに対して楽伝には三人の正妃―楽乗の母のみ死去しているので実際には二人―の他に五人の妾がいた。歴代楽公の中でも多いほうであった。


 「そなたが条西か……。話には聞いていたが、美しい女性だ。このような状況になっては、さず辛かったであろう」


 「今となっては楽公におすがりするよりありません。条国に帰ることもできませんので」


 条西が条公の一族であるということも楽伝の琴線に触れた。条西を手にすることで条国との関係も築けるであろうし、なによりも楽伝は貴人の女性というものに強い憧れを持っていた。


 「左様であろう。よかろう、すべてはこの楽伝にお任せあれ」


 楽伝は条西を匿うことにした。楽乗が羽陽のことを楽玄紹に告げたのに対して、楽伝は条西の存在を楽玄紹に秘密にした。このことが楽氏、そして翼国にとって多いな禍根となるのであった。

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