孤龍の碑~36~

 半月一度、龍頭に残った袁干から書状が届いた。袁干は青籍が軍を去った後、彼も軍籍を抜けようとしたが、周囲から制止された。


 『お前が抜ければ、誰が軍の細々とした事務を取り仕切るんだ?すでに軍としては大幅に縮小されたが、組織としては残ったのだ。見渡した限り、お前以外に適任はおるまい』


 青籍と同じく軍を去ることになった趙奏允が言うように、軍には人材がいなくなっていた。龍国は極国に降伏こそしたが、領土を取られただけであり、国家としては存続する。治安維持の目的のために軍を持つことも認められた。軍組織を運営していくためにも袁干のような存在はどうしても必要であった。


 それに青籍としては龍頭の状況が知りたかった。そのためにも信頼できる人物を龍頭に残しておかねばならなかった。


 「袁干からの書状です」


 夕食が終わると、龍悠が袁干が届けられた書状を差し出した。見えている文面は変哲の無い時候のあいさつ文であるが、一定の濃度の塩水につけると別の文字が浮かび上がってきた。


 「よく考えたものだ」


 袁干と書状をやり取りする時に決めたやり方であった。龍国の間諜の間で用いられた密書のやり取りらしく、文字が浮かび上がる塩水の濃度も知る人は少ないという。


 「これならまずばれませんわね。極国が検閲しているとも思えませんが……」


 「用心には用心を重ねてってやつだな」


 青籍は書状を読み進めた。


 袁干によれば龍頭は比較的平穏だという。市民や龍国軍が駐屯している極国軍と衝突する様子もないらしい。


 「龍頭に駐屯しているのは確か石宇徳将軍でしたか?」


 極国は降伏条件のひとつとして龍頭に軍を駐屯させることを義務付けた。その長が石宇徳であり、弁務官として龍国への政治に時として介入することもできた。


 「確か、石宇徳という人は猛将ですが、政治に精通しているとは思えませんが……」


 龍悠が指摘するように石宇徳は勇猛な将ではあるが、お世辞にも政治分野への知性があるとは思えなかった。


 「戦場でも知性を働かせるより、武勇で突き進む形の武人だからな」


 「では、どうしてそのような人物を弁務官としたのでしょうか?」


 「俺もそのことは気になっていた。極国に人物がいないわけではない。政治家でなければ魏靖朗がいるし、武人でなければ石宇徳よりも烏慶の方がより適任のような気がする」


 極国に何かしらの意図があるとするその後、龍国にとってあまり喜ばざることではないことは明らかであった。


 「私としては馬求と恐れ洪夫人が逃げたままというのも気がかりです」


 「不確定な要素があまりに多すぎる。まぁ、全ては杞憂であって欲しいんだが……」


 それと同時にそうもいかないであろうという嫌な予感は常に持ち合わせていた。青籍はこのまま何事もなく余生を過ごすことを願っていた。



 予兆はすでに萌芽していた。というよりも譜天によって龍頭が陥落した時より始まっており、袁干からの書状を広げている頃には、青籍が抱く得体の知れぬ不安は現実になろうとしていた。


 龍国をさらに危機へと陥れようとしているのは、龍頭陥落時にいち早く逃げ出した馬求と虞洪夫人であった。彼らは極国軍が龍頭に迫ると手を取り合うようにして身を隠し、龍頭近郊の隠れた集落で身を潜めていた。


 「私はいつまでもここにいるのは嫌ですよ」


 この二人、数年前より不貞関係にあった。というよりも、もともと虞洪夫人は、馬求の屋敷で働く女官でそれが屋敷に御成した龍玄が見初め、召し上げたのである。虞洪夫人が宮殿に入った頃はそのようなことはなかったのだが、ここ最近では龍玄との肉体関係に淡白さを感じた虞洪夫人から求めるようになっていた。


 『何を言いやがる』


 馬求はこのかつての愛妾を煩わしく思う一方で、邪険にできぬほどの権力を保持しているので恐れていた。肉体関係についても断れば、誣告をされる危険性があったから続けているだけのことであった。


 「それは私も同じだ」


 馬求もいつまでもここで隠れているわけにはいかないと思っている。人生をこのような人気もない田舎で終わらせるつもりは毛頭なかった。


 「具体的にはどうするんです?龍頭には極の兵がいるんでしょう?」


 虞洪夫人はかつての関係を思い出しているのか、妙に甘ったるい声で囁いた。


 「まだ龍国軍は健在だ」


 龍国軍は規模を大幅に縮小されたが、千名は動員できるはずである。その頂点に立って指指できる者がいれば、龍頭から極国軍を駆逐することは可能であろう。


 「しかし、主が動かねば意味がありません」


 「その通りだ」


 馬求の懸念のひとつはそこにあった。抗戦を主張していた国主龍玄は、降伏後は打って変わって極国に対して恭順の姿勢を見せている。その龍玄が一転して極国に対して牙を剥くとは考え難かった。


 「やはり龍信しかおりません」


 大した戦闘もなく龍頭が開城されたのも龍信が龍玄を拘束して降伏したからである。太子龍信は龍玄とは逆に降伏派であった。


 『そんな男が今の極に対抗し得るとは思えん』


 馬求はせせら嗤いたかった。その感情が露骨に顔に出たのだろう。虞洪夫人は馬求のものをぎゅっと握ってきた。


 「何をする!」


 「そんな顔をなさらないでください。あの子はあなたの子かも知れないのですから」


 「冗談はよせ!」


 そのような話が噂であっても広がれば、馬求の復権はもはや叶わぬであろうし、何よりもあの威勢のいいだけの若者が自分の血を引いているなどと考えるだけでおぞましかった。


 『しかし、太子は利用できる』


 馬求は自分の思い付きににやりと笑った。龍玄を除くことができるのは太子である龍信だけである。

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