孤龍の碑~26~

 可能な限りの兵を収容した趙奏允は北を目指した。ひとまずは青籍のいる炎城を目的地とするつもりであるが、敵の動き次第ではそのまま龍頭に逃げ込むしかなかった。


 『上手く逃げられればの話だが……』


 趙奏允の危惧はすぐに現実のものとなった。南方から迫ってきていた石宇徳と烏慶の部隊が追いてきたのである。元々趙奏允の下にいた将兵はまだしも、敗走してきた龍国軍将兵は、凄惨な経験をしているためか一気に恐慌状態に陥った。


 「恐れるな!奴らもは人間ではないか!」


 趙奏允はそう鼓舞して将兵を立ち直らせた。簡素な陣を築き、その中に籠もって敵の猛攻に只管耐えた。騎馬を主力とする石宇徳と烏慶の部隊は、趙奏允の巧みな指揮もあって、攻めあぐねて一時的に後退していった。


 だが、敵の後退は本当に一時的であった。新合から譜天の部隊が到着し、それに呼応するかのようにして石宇徳と烏慶の部隊が突撃してきたのである。趙奏允は堪らず撤退を開始した。


 撤退しながらも時に反撃し、敵の猛追を凌いできた趙奏允であったが、北方からも敵の姿が現れ、龍国軍は完全に極国軍に包囲されてしまった。譜天が仕掛けた大規模な包囲網がついに完成したのである。趙奏允は味方の兵士を密集させ、なんとか脱出口を捜そうとしたが、極国軍の攻撃にはまるで隙なかった。


 『もはやこれまでか……』


 趙奏允は死を覚悟した。同時に最低限可能な限り有能な将兵を逃がして青籍のもとに届けなければと思った。


 「鉄拐。わしが決死隊を組織して敵に突撃する。その間にお前は可能な限り味方を収容して炎城を目指せ」


 「何を仰りますか!趙将軍こそ脱出してください。ここは私に……」


 「鉄拐!儂より若いお前を死なすわけにいかんのだ。生きて青籍の役に立て!」


 「超将軍。私は青将軍のおかげで武人としての名誉が守られ、そればかりか出世できました。以来、彼を将として仰いできましたが、まだ恩を返せたわけではありません。恩を返すのは、生きて趙将軍を青将軍のもとに送り届けることだとこの征旅が始まった時より決めておりました。彼に必要なのは私ではなく将軍です」


 「鉄拐……」


 趙奏允は鉄拐の静かな迫力に押された。青籍への恩を返すというのは、紛れもなく鉄拐の本心であろう。それが分かるだけに趙奏允は抗弁できなかった。


 夜になると鉄拐は決死隊を募った。二百名ほどの将兵が応じ、鉄拐は彼らの前で訓示した。


 「我らは今宵、敵と渡り合って死ぬであろう。死を恐れるな。我らは敵前で逃げた卑怯者ではなく、味方を助けるために戦った名誉ある武人だ。泉下で総大将でありながら逐電した我らが太子を笑ってやろうではないか!」


 この訓示ほど将兵を勇気付けたものはなかった。鉄拐が龍信のことを卑怯者と罵ったことで、自分達を見捨てて逃げた龍信に対する溜飲を下げたことになり、死しても名誉を守られることになった。


 「突撃!」


 鉄拐は譜天の陣に夜襲をかけた。極国の支柱というべき譜天を襲えば敵軍も混乱し、あわよくば譜天を討ち取ってやろうと考えていた。譜天は夜襲に備えていたのだが、決死隊の猛攻に一時的に混乱した。実は譜天の部隊以上に混乱したのは石宇徳の部隊であった。譜天が夜襲を受けていると知ると、


 「すわ!御大将の危機ぞ!」


 と無用ながら譜天救出に動いた。このことが包囲網に穴を開ける結果となった。趙奏允は残った部隊はその隙間から脱出することに成功した。その代償は鉄拐指揮する決死隊の全滅であった。


 翌朝、鉄拐の決死隊を除く龍国軍が姿を消している光景を見て、譜天は嘆息した。


 「自らを犠牲にして味方を逃がしたか。尊いことだが、果たして投げ出した命に相応しい対価を彼らは託せたのだろうか」


 譜天は鉄拐達の遺体を丁重に葬るように命じた。同時に彼らの死と、彼らの生命を犠牲にして生き伸びた者達に待っている未来に思いを馳せざるを得なかった。譜天という男は、敵を全滅させるほどの凄まじい作戦を練る戦術家でありながら、生命のやり取りに対して時として思想家のように思い悩むところがあった。


 「譜天、すまない。俺のせいで敵を取り逃がしてしまった」


 譜天が瞑想するように思案していると、石宇徳が謝罪に現れた。


 「構わんさ。追う必要もない。ここまで痛めつければ、しばらくは攻めてくることもなかろう」


 譜天は撤収を命じる一方で、次なる作戦を頭の中で描いていた。

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