孤龍の碑~22~
龍頭を出発した討伐軍は意気揚々と進発し、予定戦場に到達したが、極国軍の姿はまるでなかった。
「ふん。呉延が死んで意気消沈としたところでこの軍勢を見れば、戦いたくもなかろう」
敵影ひとつない広野を見て龍信は鼻で笑った。
「さて、夏進。これからどうする?お前が立てた作戦案と随分と変わってしまったが」
傍らの夏進は深刻そうな顔をしていた。彼の手元には斥候がもたらした情報が紙の束となっていた。
「どうやら近隣の城郭に兵を篭めているようです。それを全部潰して敵を覆滅していきます」
「攻城戦か……。苦労するぞ」
「時間はございます。篭城とはいえ敵は分散するという愚をおかしました。こちらがひとつひとつ踏み潰していけばよいのです」
夏進の進言に思慮するように腕を組んだ龍信であったが、真剣に内容を吟味しているわけではなかった。龍信が考えているのは、
『いかにして勝つか……』
ということであった。龍信が大軍を率いて極国へ討ち入るのは、極国を滅ぼすためではない。青籍よりも華々しい戦果を挙げて太子としての地位を確固たるものにするためであった。そのためには大軍同士の大会戦で敵を華々しく撃滅しなければならなかった。夏進の作戦案も、龍信のそのような意向に沿ったものであった。
ところが蓋を開けてみると敵の姿はなく、地道な攻城戦を強いられようとしている。龍信としては面白くなかった。
『だが、手柄なしで帰るわけにもいかないか……』
龍信の武人としての限界はその程度であった。純軍事的な戦略も戦術もなく、単なる利己しかなかった。
「よかろう。但し、時間はかけるなよ」
夏進は言葉では答えず、青白い顔をわずかに下へ向けた。
そこから龍国軍は快進撃を続けた。わずか一ヶ月で五つの邑を落とした。この近辺を守っていたのは呂徳という将であった。彼は龍国軍の軍容を見ると邑を捨てて逃げ出し、これを五回繰り返して新合という城郭をもった邑に籠もった。そこからさらに一舎ほど南には新合よりも大きい牙玉という邑もあったが、呂徳を屠ることしか考えていない龍信は迷うことなく新合を包囲した。
今度も呂徳は逃げ出すだろう。龍信と夏進はそう高を括っていた。しかし、ここでようやく呂徳は徹底した抵抗を始めた。新合を包囲して一ヶ月、未だ城壁には極国の旗が翻っていた。
「どうにも嫌な戦いになってきた。そう思わないか、鉄将軍」
討伐軍において後方警戒をしている趙奏允は苛立ちを隠せずにいた。青籍の下で千や万の軍を率いていた趙奏允も鉄拐もここでは三百名程度の兵士を指揮するに留まっていた。
「まったくです。随分と敵地深くに入り込んでしまいました。それに我らにはこれといった攻城兵器がありません」
鉄拐が指摘したとおり、この討伐軍には主だった攻城兵器がなかった。これまでの五つの邑は城郭として貧弱であり攻城兵器を必要とせず、しかも呂徳がすぐに逃げ出したので龍頭に攻城兵器を要請することもなかった。ここにきてそのことが悔やまれる事態になっていた。
「ふむ。補給もやや滞りはじめている。ここはひとつ包囲を解いて本国からの補給と攻城兵器を待った方がよいのではないだろうか」
「確かに。ですが、それを我らから太子に進言するのは難しいでしょう」
「そうさな……」
鉄拐の言わんとすることは趙奏允にも理解できた。青籍の仲間と思われている二人の進言を青籍が取り上げるとは思えなかった。
「やれやれ。敵意上に味方に気を遣わないといかんとはな。儂が若い時はこんな気苦労をせずに済んだものだが……」
「そう仰るな、趙将軍。どれ、私から軍師に進言してみよう」
夏進はかつて鉄拐の部下であったことがある。その伝手でしか上奏できないのが現状であった。
鉄拐は早速夏進の陣幕を尋ねた。夏進は丁重に迎えてくれ、鉄拐の進言を黙って聞いてくれた。夏進は父である夏望角のような驕慢なところがなく、人の進言をよく聞いた。しかし、それだけに明確な判断ができずにいた。
実は夏進も一時的な撤退を考えていた。それは趙奏允と鉄拐が考えていたような大幅な撤退ではなく、包囲したまま一部を下がらせるというものであった。その理由は、華々しい勝利を目指している龍信の意向を曲げないためであった。
『ここに来て何を悩む!』
鉄拐はかつての部下をそう叱り飛ばしたかった。今は軍事的な階級は夏進の方が上であるので、鉄拐はその言葉をぐっと飲み込んだ。
「軍師、ここでの逡巡は危険です。すでに五邑を得ていて、それらを捨てるわけではありません」
「分かっています……。一度、太子に進言してみます」
夏進がそう言ったので鉄拐は自陣に戻っていった。夏進は龍信の元を訪れて進言をしたのだが、返ってきたのは罵声であった。
「何を考えている!ここにきての撤退など、武人としての恥ではないか!」
あまりの龍信の剣幕に夏進は身を縮めた。
「確かに我らは辛いかもしれん。だが、それも敵も同じのはずだ!そうであろう!」
龍信から強く迫れれば、左様でございます、と言わざるを得ないのが元近侍である夏進の辛さであった。
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