孤龍の碑~15~

 開奉を陥落させた極国軍の将は赤犀といった。


 赤犀は開奉を落とすと態勢を整えて、すぐにでも国都龍頭へと進発できる準備をしていた。しかし、本国から新たな訓令が届かず、無為の日々を過ごしていた。


 「このまま訓令なく攻めかかるか……」


 極国軍において命令系統は絶対ではない。本国からの訓令を待たずして現場の判断で軍を動かしても、その行動が理に適っていれば非難されることはなかった。しかし、間もなく敵の国都に攻め込もうとしている段階になると、流石に本国からの訓令なくして軍を動かすことに憚りを感じられた。


 『呉延様か譜天様にお出ましいただくべきだろう』


 その旨を書状を極沃に送っているが、まだ返事はなかった。赤犀が逡巡しているうちに、龍国軍が鱗背関を出て出撃したという報せを受けた。


 「ええい!じっとしていると、ろくなことがない!」


 赤犀はすぐさま開奉防衛の陣を敷いた。だが、龍国軍の動きは赤犀の予想を裏切った。開奉を無視するかのように南下し始めたのである。


 「とういうことだ!」


 赤犀はすぐに龍国軍の意図をつかめなかった。時間が経ち、出撃した龍国軍がどうやら炎城に向かっていると知ると青ざめた。


 「敵は我らの補給路を遮断するつもりだ」


 炎城は北部で活動する極国軍の一大補給地点である。これを奪われると、赤犀が率いる軍は孤立してしまう。


 どうすべきか。赤犀は判断に迷った。炎城には戦力はあるが、さほど多くはない。篭城の有利があるとはいえ、出撃した敵軍をどこまで凌ぎきれるかは疑問であった。


 「敵にもなかなかの将がいるらしい。我らの弱点を的確についてくる」


 赤犀は唸った。


 兵も精強で譜天のような天才としか言い様のない戦略家がいる極国であるが、最大の弱点があった。国力の差である。開奉を占拠して龍頭まであとわずかという所まで迫りながらも極国が実効支配しているのは龍国の半分程度でしかない。しかもそれらを得たのはまだ半年前であり、そこから国力に転化するに及んでいない。実質的に極国の国土といえるのは半島の四分の一程度で、単純に国力を数値化すれば、龍国が七に対して極国は三、といわれていた。


 「どうすべきかな」


 赤犀は参謀を務める副官に意見を求めた。開奉から炎城まで拠点はない。従って援軍は本国から求めるしかなく、当然ながらそれを待っている余裕はなかった。


 「我らには二つの選択肢があります。敵軍の動きを無視して開奉を堅持するか、開奉を放棄して敵軍を追うかです」


 副官の答えは的確であると赤犀は思った。この場合、兵力を二分して開奉を守りつつ敵軍を追うという選択肢はなかった。兵力で劣る極国軍では戦力の分散は絶対避けるべき愚行であった。そして本国からの訓令を待っている時間的余裕もない。赤犀が判断するしかなかった。


 「炎城の同志を見捨てるわけにはいかない。開奉を放棄して敵軍を追う」


 放棄したものならまだ取り戻せばいい。赤犀はそう判断した。




 赤犀が全軍を持って開奉を放棄し、炎城の救援に駆けつけたという報告を得た青籍は、敵将ながら赤犀の判断を高く評価した。


 『極国には良将が多い』


 凡将であるならば、せっかく得た開奉に固執し、兵力を分散させるか、炎城を見捨てただろう。兵力の分散は言うまでもなく愚行であるし、炎城を見捨てれば補給に困って結果として開奉が枯渇する。青籍が赤犀の立場でも同じ判断をしたであろう。


 「得た領土を惜しげもなく捨てるというのはなかなかできることではありません」


 副官である袁干も同じ意見であった。


 「では我々も出撃して開奉を奪還するぞ。そしてすぐに敵軍を追う。いくら趙将軍でも挟み撃ちされては対処しきれないだろう」


 青籍は一部兵力を鱗背関に残し、開奉に兵を進めた。当然開奉は無血開城となった。開奉の人々は歓呼をもって青籍を迎えたが、長居をしている暇はなかった。こちらにもわずかな守備兵を残して、軍を南下させた。


 「急げ、上手くいけば趙将軍と連携して敵を南北から挟み撃ちにできるぞ」


 青籍は兵士達を鼓舞させる一方で趙奏允に伝令を出した。開奉の奪還と敵軍が背後から迫っていることを知らせるためであった。


 青籍が伝令として霊鳴からついてきた范尚達であった。当初青籍は彼らの扱いに困った。彼らに情があるため前線には立たせたくないし、だからと言って特別扱いもできなかった。そこで伝令兵として側に置くことにしたのだが、彼らが伝令として実に優秀であった。


 龍国の北部に住む人々は脚腰が強く健脚であった。また北部には山岳部が多いため山道の歩き方に慣れており、人通りの多い街道ではなく人目のつかない山道を進むには適していた。素早さと隠密性を求められる伝令兵にはまさにうってつけの人材であった。ゆくゆくは斥候として用いたいと思うほどであった。


 范尚は無事に趙奏允に対面することができた。


 「ほう。全ては青籍の予測どおりになったか。相手だけに天才がいては面白くないからな。よし、進路を反転して南下してくる敵を迎撃するぞ」


 この時、趙奏允は炎城から敵が出撃してくることをまるで懸念していなかった。これは理論というよりも趙奏允が長年培ってきた戦場での勘であり、その勘がよく当たるからこそ趙奏允は今の地位にあるといってもよかった。

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