孤龍の碑~12~

 常識を覆すということが歴史を変える、ということであるならば、臥龍湖山での白襄軍と反乱軍の一戦はまさにそれであった。


 不利な地形に陣取り、山に篭る呉延達を討とうとした白襄軍に襲い掛かったのは反乱軍ではなく大量の水であった。譜天の計画では遊撃で白襄軍を身動きの取り難い地形に誘引し、その上で臥龍湖を決壊させて白襄軍を水攻めにしようというものであった。その計画が見事に成功したのである。


 白襄軍が目標地点に到達すると、譜天は躊躇わず臥龍湖の堰を切り落とした。臥龍湖の水はさながら暴れ狂う龍のように山を駆け下り、白襄軍を飲み込んだ。


 「こんな馬鹿な戦いがあるか!」


 ぎりぎりのところで水から逃れた白襄は、堤防の上から水に飲み込まれていく自軍を見守るしかなかった。


 「畏れ多くも禁足地である臥龍湖の水を解き放つとは!不敬にもほどがある!」


 白襄の言葉を魏靖朗や譜天が聞けば失笑しただろう。そもそも臥龍湖の水を運河で龍頭へと運ぼうと計画したのは龍公ではないか。ならば龍公も不敬に極みであろうと言い返しただろう。ともかくも白襄軍はほぼ戦うことなく大半の兵士を失い、反乱軍は大勝を得たのであった。


 「勝つには勝ったがこれからどうするのだ?」


 呉延は魏靖朗に問うた。ここまで仕組んだ魏靖朗が先のことについて全くの無策であろうとは思えなかった。


 「極沃に帰還しましょう。この一勝を広く喧伝するのです。そうすれば各地で大小様々な反乱が起こるでしょう。それらを糾合し、勢力を構築するのです」


 そう上手くいくものだろうか、と呉延は疑問に思ったが、驚くほどに上手くいった。魏靖朗の予測どおり、臥龍湖での一戦で勇気付けられた民衆が各地で反乱を起こしたのである。特に極沃を中心とする南部は、今回の運河建築でもっとも賦役として人員を借り出されていたし、重税にも喘いでいた。彼らからすると呉延達の蜂起は痛快な壮挙であり、自分達の苦しい生活から抜け出すには呉延の下にはせ参じるしかないという意識が蔓延していった結果であった。




 白襄が大敗したと知った龍岱は腰を抜かすほど驚くと同時に激怒した。


 「たかが庶人の一揆ではないか!禁軍が負けるとは恥でしかない!」


 龍岱は白襄を将軍職から解任し、禁軍から追放した。代わって本格的な討伐軍が組織され、その司令官には夏望角であった。


 「夏望角なら安心である」


 龍岱にそう言わせる夏望角は若くして将軍の地位を得た俊英である。この時わずか二十五歳。呉延や譜天と同年代である。


 龍国軍きっての秀才と言われ、机上演習では常に相手を打ちかまし、山賊討伐などでも目覚しい戦果を残してきた。ただ本格的な戦闘は未経験であったが、龍頭では誰しもがこの若き英雄が瞬く間に反乱を鎮圧するものと信じて疑わなかった。夏望角も自信満々で、


 「反乱軍など会敵して一撃で破ってご覧にみせます」


 と大見得を切って出陣していった。動員された兵士数が一万名に及んだ。


 これに対して極沃を拠点にした呉延達が集めた兵力は三千名程度であった。一万名の禁軍が南下してくると聞いて、呉延は流石に動揺した。


 「しかも将は禁軍きっての名将といわれる夏望角だという。勝てるのか?」


 外では弱気や動揺を決して見せない呉延であったが、譜天と魏靖朗の前では本音を吐露した。呉延に対して魏靖朗と譜天は不気味なぐらいに平然としていた。


 「名将と言われておりますが、赫々たる戦果を挙げているわけではありません。予断を持つのではなく、実像の敵として考えるべきです」


 魏靖朗はあくまでも理論的で淡々としていた。この男に恐れるものはないのではないかと呉延は思った。それは譜天も同様であり、戦場で夏望角と対決せねばならないこの男は魏靖朗の言葉にひとつひとつ頷いていた。


 「我らは確かに戦争の素人ですが、すでに実戦を経験しています。敵は秀才かもしれませんが、実戦での経験はほとんどありません。我らはその差を突きます」


 譜天には自信があるようであった。呉延としては彼らに命を委ねた以上、全幅の信頼を置いて譜天を送り出した。


 譜天は三千名の兵力を五百名ずつに分けた。そのうち一隊を極沃の守備におき、残り五隊を分散させて夏望角軍に徹底した遊撃戦を展開した。反乱軍は神出鬼没に現れてはわずかに攻撃を加え、風のように去っていく。譜天はこれを徹底的に繰り返させた。敵軍が疲弊すると同時に、隊列も乱れていった。白襄との戦いでも使用した戦術であるが、夏望角はそれを教訓とする素振りはまるで見られなかった。


 「姑息なまねを!堂々と我が軍の真正面に現れて会戦を挑め!」


 夏望角は反乱軍の遊撃に悩まされることになった。書物の上で戦争を知り、机上で兵の進退を行っていた夏望角からすれば、反乱軍のやり方は常軌を逸していた。


 「こうなれば奴らの拠点へ急ぎ、これを落としてくれる!」


 夏望角は進軍を急がせた。これにより一万にも及ぶ大軍の隊列は大いに乱れた。


 「これで敵の各部隊は孤立した。全軍を持って敵の本隊を叩く」


 譜天が待っていたのはまさにこの状況であった。譜天は各地に散っている遊撃部隊に集結を命じた。


 そして翌日早朝、集結した反乱軍は怒涛のように夏望角がいる本陣に襲い掛かった。寝込みを襲われた夏望角軍はまさに虐殺されるかのようであった。反乱軍には龍国公族貴族に恨みを持つ者は少なくない。彼らからすると積年の恨みを晴らす格好の機会であった。


 「こんな戦があるか!正々堂々と戦え!」


 夏望角は叫び散らしたが、兵をまとめることもできず、自らも逃げ出すしかなかった。


 「敵将が逃げたぞ!徹底的に追え!」


 譜天は追撃を命じた。大将である夏望角が逃げたことで全軍が崩壊し、勢いに乗った反乱軍は逃げる敵を背後から襲いかかり散々に討ち破った。反乱軍は大勝し、龍国軍禁軍は史上類を見ない大敗をした。これにより龍国禁軍はすぐさま反乱軍を討伐することができなくなり、呉延達は独立に向けて力を蓄えることができた。


 呉延が極沃において極国の成立を宣言し、自ら極公となったのは、この戦いより一ヶ月後のことであった。


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