孤龍の碑〜5〜

 炎城の戦いで一躍英雄となった青籍は、それから目覚ましく戦功を重ねていった。一軍を指揮して会戦に挑めばその都度勝利を収め、あの譜天と同等に渡り合えるのは青籍しかいないといわれるようになっていた。炎城の戦いから二年後には左中将となり、これまでの龍国における将官任官の最年少記録を大幅に塗り替えることになった。


 青籍の生活は一変した。冨貴を得ただけなく、時代の寵児となったことで社交界でも人気となり、公族貴族、官吏に富商などが青籍に近づき、賛辞を送ると共に縁を求めた。


 若い青籍は増長することはなかったものの、浮かれてはいた。公私ともに順風すぎる青籍であったが、同時に敵を作っていることにまるで気がついていなかった。


 敵となったのは丞相の馬求と皇太子の龍信であった。彼らにしても青籍が単なる武人として生きていくのならそれほど敵視はしなかっただろう。そんな彼らが青籍を敵視したのは、龍公のひとり娘である龍悠と青籍に婚儀の話が持ち上がったからであった。


 龍公は若き英雄に好感と期待を持っており、娘をやっても構わないと思っていた。青籍にしても龍悠にしても社交界などで度々対面しており、お互いに憎からず思っていたので話はとんとん拍子に進んでいった。


 馬求と龍信は焦った。馬求からすれば人気と実力を持った青籍が公族の一員となることで政治面で発言力が強まることを恐れ、龍信も同じような理由で次期国主の座を奪われるのを危惧した。二人は青籍を排除することで結託した。


 馬求と龍信はありもしない収賄事件をでっちあげ、青籍に罪を被せたのである。青籍は一切の抗弁を許されず一時は死罪とされたのだが、過去の功績を考慮されて死罪は免れ、庶人に落とされ霊鳴へと身柄を移されたのであった。それが三年前のことであった。




 『あの時、主上も姫様も私を助けてくれなかった……』


 偽の収賄事件が発覚した時、龍公も龍悠も青籍を庇うことなく、口を噤んだままであった。青籍はそのことを根に持っており、許す気もなかった。


 范李宅で久しぶりに対面した龍悠は申し訳ない様子も悪びれた様子もなく平然と青籍と対面していた。そのことがより腹立たしく思わせた。


 「私がこうして参ったのは他ではありません。青籍、戦場では貴方を必要としております。供に龍頭へ戻りましょう」


 龍悠は言葉にも青籍に対する贖罪の気持ちを滲ませることがなかった。貴人として生を受けた龍悠には人に謝罪するということを知らぬだろう。そのことが青籍は態度を硬くした。


 「私は今や一介の庶人です。ましてや罪あって軍を追われた身。どうして戦場に立てましょう」


 青籍は嫌味を言ったつもりであった。しかし龍悠は美しい顔を崩すことはなかった。


 「すでに父から赦免状が出ております。問題ありません」


 龍悠は本当に嫌味を嫌味として感じていないのだろう。かつてはお互いを思い、契りを交わした相手がこんなに情が通じない女性であったとは思わなかった。おそらくは議論しても無駄であろう。


 「兎も角、私は軍に復帰するつもりはありません。お帰りください」


 「青籍、国家の危機です。それに命令です」


 「拒否します。それがために処罰なさるのならどうぞ」


 龍悠の眉がわずかに動いた。何と言おうか思案顔をしている様子の龍悠に侍女である早紗が龍悠に耳打ちした。


 「今日のところは帰ります。しかし私は諦めませんから」


 龍悠は毅然と言い放つと早紗を連れて出ていった。


 「先生……」


 龍悠を見送った范李が心配そうに帰ってきた。


 「范翁、ご迷惑をおかけしました」


 「迷惑などは思っておりません。しかし、よろしかったのですか?」


 「勿論です。地位にも富貴に未練はありません」


 それならよろしいのですが、と范李はそれでも表情が冴えなかった。




 龍悠が去って数日、何事もない日常が過ぎていた。ただ勉強を教えている子供達の様子がどこか変であった。いつもの元気さがなく、青籍と目があってもどこか悲しげであった。理由はおおよそ察することができた。


 『きっと国都から使いが来たことを知ったのだな』


 青籍が霊鳴から去ると思っているのだろう。その気分を代表するように范玉が声をあげた。


 「先生、先生はどこにも行きませんよね?」


 子供たちの中で一番年長の范玉でも青籍に素性を知らぬであろう。ただ国都からの使者が青籍を奪っていくということだけを理解しているようだった。


 「大丈夫だよ。まだ皆には教えないといけないことがあるからね」


 青籍は子供達を心配させないように、できるだけ穏やかに言った。

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