孤龍の碑〜4〜

 青籍の過去について触れればならない。


 青籍は盛戸といわれる龍国北部の貧しい漁村に生まれた。大昔は食用の高級魚を水揚げする漁村として大層裕福だったらしいが、青籍が生まれた二十年ほど前には見る影もなかった。村民達が生活できるだけの漁獲高しか確保できず、しかも冬となれば港が凍って漁に出られない可能性もあり、村民達は塩漬けの魚で糊口を凌ぐしかなかった。


 青籍の親も漁師であった。幼少の頃から利発で聡明であり、次男であるため家業を継ぐ必要がなかった青籍は、口減らしをされるかのように兵学校に入れられた。


 兵学校というのは龍国独自の教育機関であった。龍国は極国との戦争で軍隊は慢性的な人不足になっていた。特に士官の人材不足は深刻的で、それを養成するために創立された。官製の学校であるため学費は要らず、衣食住を提供してくれるので口減らしには最適であった。当初は入学条件が厳しく、試験も難関とされていたが、人材不足の深刻化が増すと条件も緩くなり、試験のある程度の字が読めれば合格とされるようになった。青籍も簡単な身体検査と『国辞』を数行読むだけで合格とされた。そこで軍事の勉強をした青籍は、わずか二年で卒業させられ、前線へと送られていった。


 青籍は軍人としての資質があったらしい。軍功を重ねつつ、周囲にも認められて順調に出世して言った。そして青籍の名を一躍有名にしたのが、炎城の戦いである。炎城の戦いが行われたのは義王朝五三七年、青籍はわずか十八歳であった。


 炎城は名前こそ猛々しいが、極国との主戦場からかけ離れた補給基地でしかなかった。それでも三個大隊を置き、将軍を配していた。炎城の守将は鉄拐といった。門閥だけで現在の地位を手に入れた将軍になってからはさしたる戦功も得られず、多少の焦りを覚えていた。


 鉄拐は炎城から南方で極国軍と会戦が行われるのではないか、という情報を得ると、戦備を整えて出撃しようとした。これを諌めたのが輜重管理の長をしていた青籍であった。


 「将軍、我らは貴重な兵糧を預かっております。それを蔑ろにして奪われるわけにはいきません」


 青籍の諫言は尤もであった。しかし、功名心に駆られた鉄拐には聞き入られなかった。


 「それほど米が大事ならお前が守れ!」


 鉄拐はおよそ将軍とは思えない啖呵を切って、わずか百名の兵を残して出撃してしまった。残された兵士達は落胆した。戦場の功名こそが立身出世の条件なのに、その機会もなく留守番させられるのは不本意であった。しかも最高階級者はわずか十八歳の少年なのである。彼らの士気が下がるのは当然であった。しかし、青籍の考えは違っていた。


 『敵将はここを狙ってくる。俺ならそうする』


 炎城周辺の地図を見た時、会戦が行われるだろう予定地点から見て炎城は急所であった。極国軍からすれば、炎城を奪うということは龍国軍の後背を脅かすだけではなく、貴重な物資を略奪できるのである。狙わぬはずがなかった。


 「袁干よ、国都に援軍を要請してくれ」


 袁干は青籍が信頼する副官である。年長ながら青籍によく仕えていた。袁干はすぐさま国都に使者を立てた。


 事態は青籍の予想通りになった。この会戦において極国軍の将は譜天。極国軍を代表する名将であり、これより幾度となく青籍と戦場で渡り合うことになる。譜天は予定戦場に近づくと、すぐさま炎城が弱点であることを見抜いた。


 「炎城は敵の補給地点というだけではなく、ここを取れば敵の後背に進出する橋頭堡となる。しかも、その進軍路は森林群を上手く使えば敵に視覚となる。速やかに奪取しよう」


 譜天は諸将にそう説明し、二千名の兵を差し向けた。将は伶病。譜天の下で薫陶を受けた有能な武人である。伶病は秘密裏に、それで迅速に炎城まで進歩した。


 炎城の兵士達は驚いた。大軍が突如現われ、攻撃を仕掛けようとしているのである。驚かなかったのは青籍と袁干だけであった。


 「驚くことはない。すでに鉄将軍はこうなることを予見して私に準備をさせていた。援軍も来る。しばら持ちこえてくれ」


 勿論、鉄将軍の件は嘘である。しかし青籍は籠城戦に向けて準備を怠っていなかった。城壁は少人数で守りやすいように改良し、兵糧を一箇所にまとめることで豊富に備蓄されていることを兵士達に見せた。兵の士気は自然と高くなっていった。


 さらにに青籍は積極的に打って出ることにした。


 「素敵はこちらが完全に籠城すると思っているはずだ。その意表をつく」


 青籍は数々の藁人形を作らせて、夜間に城壁の上に並べて敵兵に見える範囲に配置した。そしてほぼ全軍を率いて敵軍に対して夜襲を敢行したのである。伶病は、夜討への備えなどでしておらず、完全に青籍の術中にはまった。陣営の各所から炎が上がると伶病軍の混乱は極まり、伶病自体も


 「引け!いや、引くな!ひ、引け!」


 と支離滅裂な命令を叫び、自分も脇目も振らずに後退した。伶病軍は一時的に一舎ほど撤退を余儀なくされた。青籍は大勝利を得ると同時に、伶病に対して大軍があるかのように思わせることに成功した。実際、伶病は、


 『城兵がいるのに夜襲を仕掛けてきたということはそれなりの余剰戦力があるということか……』


 と攻勢について慎重に、青籍は時間を稼ぐことができた。


 青籍が炎城で戦果を上げていた頃、南方で行われた両軍の会戦は龍国軍の大敗に終わっていた。勝手に駆けつけた鉄拐の部隊を含め一万名以上の兵士を揃えた龍国軍は五千名にも満たない極国軍に散々に打ち破られた。勝手に戦場に駆けつけていった鉄拐は後方にあったため大敗による直接的な被害はなかったが、退却する道中で炎城が敵に囲まれていると知ると恐怖した。


 『これで炎城が落とされたとなれば我は終わりだ』


 本来の任務を廃棄したことも罰せられるし、そのために炎城が落ち、大量の兵糧が奪われたとれば、もや武人としての立場も生命もなくなっているだろう。


 「刑場で死ぬぐらいなら戦場で死ぬまでよ!」


 鉄腕は遮二無二軍を走らせ、炎城を囲んでいる伶病軍に迫った。この鉄拐軍の動きを知るに及んだ伶病は、


 「ともかくも我らは会戦で大勝したのだ。欲をかいて兵を損なうこともあるまい」


 と言い、悠然と引き上げていった。鉄拐が炎城に戻ってきた頃には伶病軍の姿はなく、炎城は籠城戦から解放されたのであった。


 後にこの戦いは 『炎城の奇跡』としてもてはやされた。会戦で大敗した龍国がせめてもの慰めとばかりに囃したてた。これにより青籍は英雄として名声を馳せていくのであた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る