蜉蝣の国~23~

 賊に襲われ、一時は生命の危機を感じていた柳祝であったが、天は柳祝と伯淳を見放してはいなかった。旅をしている青年に助けられたのだった。同年代の女性を連れていたその青年は、瞬く間に賊を追い払い、転倒した馬車の中から柳祝達を救い出してくれた。


 「ありがとうございました」


 青年の手によって馬車から出た柳祝は、夜風に当たってようやく人心地つくことができた。


 「おい、君も出られるか?」


 青年は馬車の中でまだ泣いている伯淳に声をかけた。伯淳は嗚咽を漏らしながらも、這う様にしてようやく馬車から出てきた。


 「改めてありがとうございました。どのように御礼をすればよいのか……」


 「礼には及びませんよ。僕は夏弘と言います。こっちは紅蘭」


 紅蘭と呼ばれた女性は、ぺこりとお辞儀をした。年の頃は同じぐらいだろうか。ひどく快活そうで可愛らしい顔をしていた。


 「私は柳祝と申します。こちらは……」


 柳祝は言い掛けて口を閉ざした。命の恩人ではあったが、伯淳のことを軽々しく話してよいものだろうか。伯淳が伯国の国主と知れば、夏弘が豹変して自分達を人質とする可能性もあるのだ。


 そのように柳祝が逡巡していると、遠くから馬が駆ける音がして松明の群れが寄せてきた。


 「主上!柳祝殿!ご無事ですか」


 その群れが李炎達だと知れると、柳祝は胸をなでおろした。


 「申し訳ございませんでした。臣の不手際により危険な目に遭わせてしまいまして……。万死に値することで、弁解の余地もございません」


 李炎は伯淳の前で片膝を付いた。


 「いえ、この者達に助けてもらいました」


 まだぐずっている伯淳に代わって柳祝が応じた。李炎が訝しげに夏弘達を見た。


 「助けていただいて感謝する。私は李炎。そなたらは?」


 「僕は夏弘と言います。こちらは紅蘭です」


 夏弘がさきほどと同じように紹介した。李炎が柳祝と違っていたのは、さらに質問を重ねたことであった。


 「失礼ながら生国は?」


 「静国です。彼女とは幼馴染で翼国にいる彼女の親戚を尋ねるところなのですが、道に迷ってしまって……」


 「ふむ……」


 慎重に夏弘と紅蘭の素性を探ろうとする李炎であったが、悪人ではないと判断したのだろう。緊張した顔色を改めた。


 「これは失礼した。最近、どうにも不逞の輩が多くてな。人を疑えばきりがない……」


 「あの……よければ近くの街がどこにあるか教えてくれますか?大分と暗くなってきたので宿に泊まりたいのですが」


 紅蘭が言った。


 「ならばご案内しましょう。近くに嶺門という邑があります。我もそこに行く予定でしたので。その前に主上の馬車を起こすのを手伝ってはもらえまいか?」


 「主上……?」


 夏弘が驚いたように伯淳を見た。夏弘が驚くのも無理もないと柳祝は思った。まさかこんな場所で伯国の国主が賊に襲われているなんて想像もできないだろう。


 「左様。そちらにおわす方こそ、伯国の国主、伯淳様です」


 李炎は淡々とした口調で伯淳のことを紹介した。




 『とんでもないことになったな……』


 まさか伯国に入って早々に、国主である伯淳と遭遇するとは当然ながら思ってもいなかった。もはや天がそのように仕組んでいるとしか考えられなかった。


 「伯の国主が子供とは聞いていたが、本当にまだ子供だったな」


 紅蘭が耳打ちをしてきた。樹弘と紅蘭は列の最後尾を歩いている。その前には伯淳が乗っている馬車がゆっくりと進んでいる。樹弘と紅蘭が徒歩のため馬車は随分と速度を落としてくれていた。


 「そうだな」


 伯淳は本当に子供であった。子供といえど国主であるからもっと威厳のあるものと思っていたが、あの泣き叫んでいた伯淳は単なる子供でしかなかった。いや、年の頃よりも多少幼い感じがしないでもなかった。


 「しかし、いきなり伯の国主に出会うなんてな。しかも賊に襲われているなんて。小説でもこんな展開を書かないぞ」


 「そんなことよりも、国主が巡察に出ているわりには警護の者が少なくないか?」


 樹弘はそう言いながら、人のことはいえないなと思った。樹弘の場合はもっと少なかった。


 「国主が賊に襲われる国というのもどうかしているな。治安が乱れているなんて段階じゃないぞ」


 末期だ末期、と紅蘭は小声でまくしたてた。確かに国家としては末期的な状況かもしれなかった。

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