蜉蝣の国~20~

 伯国はどこへ行こうとしているのか。


 川辺に下り、桶に水を汲んでいると、対岸を歩く人の群れが見えた。家族なのだろうか夫婦らしい男女二人と、小さな子供が三人いた。着ている服はいずれもみすぼらしく、会話をしている様子がなかった。ただ何かに憑依されたかのようにひたすら足を動かしどこかを目指しているようであった。ここ数日、よく見かける流民の群れと全く同じであった。ここ一年、彼らのような土地を失い彷徨うしかない人々が伯国では増加している。伯国という国家の進路がどこへ向かおうとしているのか、不安になってしまう。


 『でも、私は贅沢をいえない身分だ』


 ましてや国家の政治についてとやかく言う立場にはなかった。桶に水を汲み終えて来た道を戻ると、数台の馬車が待っていた。馬車の周りには物々しい鎧武者が立っていたが、物怖じすることなくその前を通り、一頭の馬の前に水の入った桶を置いた。馬が美味そうに水を飲み始めた。それを見届けると、馬車の向こう側へと歩いていった。そこには数名が焚き火を囲んでいた。


 「柳祝、おかえり」


 焚き火を囲んでいた一人が柳祝に声をかけた。まだ少年のあどけなさを残していて、柳祝を見かけると実に嬉しそうに笑った。彼の前には焼かれた肉と羹が置かれていて、まだ手をつけていなかった。きっと柳祝が帰るのを待っていたのだろう。彼の周りにいる男達も誰も食事には手をつけていなかった。


 「お待たせいたしました、主上」


 柳祝は彼から遠い席についた。自分で羹を椀に注いだ。


 「では、皆さん、いただきましょう」


 まるで学校の級長のように言った。彼の中ではまだ自分の地位に対する認識はその程度なのかもしれない。彼の名前は伯淳。伯国の国主であった。




 泉国にいた柳祝が伯国に来て、伯淳の傍に仕えるようになったのには説明がいる。


 柳祝は父である柳興が湯瑛に討たれた時、使用人達の手によって泉春から逃げ出すことができた。それからしばらくは使用人夫婦の下で匿われて生活してきたが、この老夫婦が亡くなると自活する道を歩まざるを得なくなった。しかも真主である樹弘が即位すると、泉国に居づらくなってきた。


 『私は真主に献じられるはずであった……』


 父である柳興は、樹弘陣営に寝返るために柳祝を妾として献じようとしていた。しかし、そうなる前に柳興は誅され、逃亡の末に相房政権は崩壊した。真主の時代になり泉国は平和になったが、柳祝としては複雑な気分であった。樹弘の妾になりたかったわけではない。しかし、樹弘の妾になっていたら父も死なずに済んだかもしれない。日々その葛藤を持ち続けた柳祝は、葛藤から逃れるようにして足を南に向けた。ちょうど二年前のことである。


 当てもなく伯国に入った柳祝は、そこで一軒の孤児院を見つけた。柳祝はそこの院長に頼み込み住み込みで働かさせてもらうことになった。その孤児院に伯淳―当時は法淳―がいたのであった。


 法淳は気の優しい少年であった。孤児院内では年長ということもあり、年下の子供達の面倒をよく見ており慕われていた。柳祝は法淳のことを弟のように思い、法淳も柳祝を姉のように慕ってくれた。


 孤児院で働いた一年間は柳祝にとって充実した日々であった。勤労の喜びもそうであったが、それよりも孤児達の面倒を見つつ、彼らと寝食を共にして初めて人との繋がりのようなものを知ることができた。将軍の娘としての生涯、あるいは真主樹弘の妾としての生涯を送っていては、まず得ることのできない喜びであった。


 しかし、喜びは長く続かなかった。一年ほど前のことである。国都の衛環から丞相伊賛の使者を名乗る男達が孤児院を訪ねてきたのである。


 『そこにおわす方は先主伯史様の嫡子でございます。すみやかに衛環にご帰還いただき、国主となっていただきます』


 使者は有無を言わさぬほど高圧的であった。法淳の意思などまるで考慮していないようであり、拒否すれば無理にでも連れ去らんばかりの威勢を示した。


 法淳も我が身と孤児院の危険を察したのだろう。自らの意思で国都に向かうと言ったのである。但し、法淳は条件を出した。


 『あの人は僕が姉と慕う人です。あの人も連れて行きたい』


 法淳は一人になるのが寂しかったのだろう。柳祝を連れて行きたいと言い出したのである。使者はやや眉をしかめたが、最終的には妥協した。柳祝としても法淳が一人になるのが忍びながったので、従うことにしたのである。


 そうして法淳は伯淳と名を改め伯国の国主となり、柳祝は身の回りの世話をする召使となったのである。それがちょうと一年前のことであった。


 

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