蜉蝣の国~4~
樹弘とその一行は無事に界国の国都にたどり着いた。そこでは静公が待っていてくれた。
「よぉ少年。久しぶりだな。すっかり国主が板についているじゃないか」
静公は軽口をもって樹弘を迎えてくれた。馬車から降りた樹弘は静公に叩頭した。
「お久しぶりです。あなたのおかえで泉国は内乱を終え、平穏になりました。このご恩は一生忘れません」
「よせよ。俺は当然のことをしたまでだ。真主が国主となる。これは当然のことだ。そうだろ?爺さん」
「お前さんはもっと年長者に敬意を表すべきだと思うがな」
翼公も馬車から降りてきて、静公に叩頭した。翼公の方が年長者であったが、翼公もまた静公の尽力によって国主となれたのである。憎まれ口を叩きながらも静公に敬意を示した。静公は翼公、そして樹弘の順で叩頭して返礼した。
「さて、もう夕暮れだ。三人の国主がこうして会するのは稀有なことだ。界公への面会は明日にするとして、今夜は飲もうじゃないか」
すでに用意はしてある、と静公は嬉しそうに二人を案内した。
酒宴の場所は静公の宿舎で行われた。卓上に並んだのは山海の珍味ではなく、界国の郷土料理ばかりであった。三人の国主が集まっての酒宴にしては質素であったが、これが美味いのだと静公は教えてくれた。
「界国は小国ながら義央宮を擁しているから各国の富が集まる。だから裕福になり、普通の料理も美味いものばかりだ」
静公は実に美味そうに羹を啜った。樹弘も飲んでみて、確かに美味いと思った。
「各国からの租税は一度界国に納められ、それから義王に献じられる。当然、界国は上前をはねているというわけだ」
翼公は料理にはほとんど手をつけず、先ほどから酒ばかり飲んでいた。顔を赤くしながら愚痴る姿はさながら酔漢のようであった。
「ですが、それは各国とも承知してのことだと聞いていますが……」
界国が義王への租税の一部を自分達の国庫に納めているということは景蒼葉から聞かされていた。
「そうだ。別にそのこと事態は構わん。しかし……いや、だからこそ、界公は中原の状況に責任を持つべきなのだ」
翼公は界公を非難した。そのような非難が以前からあることも、景蒼葉が教えてくれた。
「界公とはどのような人物なのですか?」
「明日会ってみれば分かるよ。まぁ、至って普通の男だよ。そこの爺さんみたいにあくの強い顔をしてない」
「ふん。泉公、ひとつ言っておくが、界公はこの男ほど腹黒い顔はしてないぞ。まぁ、掴みどころのない奴だが……」
翼公が反撃すると、静公は大いに笑った。なんとも取り留めのない会話であったが、二人の気軽なやり取りをうらやましく思うと同時に、その輪に自分が入りつつあることを密かに嬉しく思った。
翌日、樹弘は界公に謁した。界公のいる宮殿は、泉春宮よりかなり小さなったが、中に飾られている調度品などは見るからに豪奢で、樹弘は圧倒された。
謁見の間も小さい。わずかに高い壇上に界公が座り、樹弘と介添えの翼公、静公は壇の下で伏した。
樹弘が見た界公は特に印象に残らぬ顔をしていた。年の頃なら静公と同じくらいかもしれないが、やや青白い顔色には静公が見せるような力強さなどまるでなかった。
「この度、神器に認められ真主として泉国の国主となりました。ぜひとも義王への上奏をお願いいたします」
樹弘が言うと、界公は間髪要れず、
「すでに汝のことは義王に達しておる。謹んで拝謁するように」
早口で言った。言い終わると、すぐさま界公は席を立った。あっと言う間であった。
義王への謁見も似たようなものであった。界公に謁したその日のうちに樹弘は義央宮に入り、謁見の間に通された。謁見の間は暗く、わずかに二本の松明が辺りを照らしていた。
樹弘と翼公、静公を除けば、白装束を来た二人の従者がいるだけであった。義王の前には御簾がぶら下がっていて中の様子は分からなかった。どうやら人がいるらしいことが判別できる程度であった。
「この度、神器に認められ真主として泉国の国主となりました」
樹弘は界公の時と同じ台詞を言った。すると白装束の従者が進み寄ってきたので、樹弘は神器を渡した。従者は神器を受けると、そのまま御簾の中に入り、神器を義王に差し出した。神器が本物かどうか検分しているのだ、と事前に静公が教えてくれた。
すぐに神器は樹弘に返された。樹弘は教えられたとおり神器を抜いて見せた。
「樹弘を泉国の真主と認める」
聞き取り難いくぐもった声がした。これが義王の声らしいと思った瞬間、すでに御簾の中の人は姿を消していた。これで終わりであった。
「なんとも味気のないものですね。もっと時間がかかって面倒なものだと思っていましたが」
謁見が終わり、介添えしてくれた翼公と静公に礼を言った樹弘は、率直な感想を述べた。
「無意味とは言わんが、通過儀礼なんてものに過度な時間と金をかける必要はない。粛々と淡々とやればいいんだ」
静公はそう言って笑った。
「そうだな。我らが成すべきは治国を富ませ、民を飢えさせないことだ。無用なことに時間をかけている暇はない」
と言ったのは翼公であった。静公も翼公も表現こそ違うが、為政者として根ざしている精神は同じであった。樹弘はこの二人を見習わなければと思った。
「兎も角も、この度はありがとうございました。お二人のご恩は忘れません」
「良いってことだ。困ったらいつでも言って来い」
静公は自らの馬車に乗った。ここでしばらくの別れとなる。
「そうだな。隣国同士、仲良くしようじゃないか」
翼公はふわっと笑みを浮かべると、同じように馬車に乗った。翼公ともここで別れることになる。翼公は先に帰るが、樹弘はもう二日ほど、界国に残って物見遊山をすることになっていた。
「それではお元気で」
樹弘は二人の乗る馬車を見送った。樹弘にとっては界公や義王に会ったことよりも、翼公と静公に再会したことのほうがよほど意義があった。
『お二人の期待に応えるためにもいい国を作らなければ……』
樹弘の国づくりはこの時から再出発した。樹弘はよき国のために全身全霊を傾け、そして三年の歳月が過ぎたのであった。
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