蜉蝣の国~3~

 少し余話を挟みたい。樹弘が泉国の国主となって一ヵ月後のことである。樹弘は真主として国主になったことを義王に上奏するための旅に出た。


 中原の王は義王ただ一人であり、各国の国主は形式的にはその臣下であった。そのために真主が即位する度に義王にその旨を伝えねばならなかった。しかし、その儀礼はすでに形骸化しており、単なる国主の代替わりではわざわざ国主が赴くことはなかった。


 だが、樹弘の場合は事情が異なる。仮王である相房を倒しての真主即位であり、謂わば新たな政治体制が開かれたことになるため、真主自らが出向くことが求められた。


 義王のいる義央宮は中原の中央部にある。但し、義という国家は存在しない。義王は一寸の領土も持っておらず、各国からの租税で義王朝は運営されていた。領地という点で言えば、義央宮は界国の中にあった。そもそも界国の国主―界公は、初代義央である義舜の側近中の側近であり、代々、義王の補佐を続けていた。そのため義王に会うにはまず界公に取次ぎを求めねばならず、樹弘は界国を目指すことになった。


 泉国から界国へは翼国を通るのが一番早い。但し、急ぐ旅でもなかったので、途中で翼国の国都に立ち寄り、翼公を表敬訪問した。翼公は快く樹弘を迎えてくれた。それだけではなく、


 『余も界国へ行くとしよう。真主誕生に多少なりとも縁があるからな。介添えしてやろう』


 さらに静公にも、供に樹弘の介添えをしようと使者を出してくれたのである。これは異例中の異例であり、真主即位を義王に譲するに際して他の真主が介添えするだけでも稀有な例であるのに、二人の真主が介添えしたのは歴史上記録に残っていなかったという。


 「翼公の好意がありがたいことだけど、少し気味が悪いな」


 併走する翼公の馬車を横目にしながら、樹弘は正直な感想を漏らした。


 「好意ということもありましょうが、翼公にとっても不利益なことではありませんから」


 樹弘の隣に座る備峰が見解を述べた。今回の旅で樹弘と供にするのは備峰と景蒼葉、景黄鈴であった。景朱麗は自ら同行を申し出たが、内乱が終息したばかりの国で国主と丞相の二人が不在とするわけにもいかないので、残留してもらうことにした。同じ理由で財政を担う甲元亀も残留してもらわねばならず、厳格で有職故実にも精通している備峰が選ばれたのであった。


 「それはどういう意味ですか?」


 樹弘もこの元は相宗如の配下にいた老人に敬意を持っていた。


 「翼公は明らかに覇者を志しています。おそらくは静公も……」


 「覇者か……」


 覇者については樹弘も教えられ承知していた。最近では歴史書も読んでいるので、過去にどのような覇者と呼ばれる人物がいたかも知っていた。


 覇者とは何か。元来、中原を治めるのは義王である。しかしながら、現在では義王は祭祀という色合いが強く、実際に政をしているわけではなかった。平穏な時代であるならばそれでいい。だが、中原が乱れた時、義王に代わって中原をまとめる者こそが覇者であった。勿論、覇者とは任命されるものではなく、各国の国主から徳望を集めて認められなければならなかった。


 「覇者とは必要なものだろうか?」


 「平和な時代なら必要ありません。しかし、今の中原は決して平和とはいえません。我が国もつい先ほどまで仮王の相房が立ち内乱状態にありました。龍国は極と対立しておりますし、条などは目も当てられないぐらいの混乱ぶりです。翼公や静公が自ら望まなくとも、民衆が覇者の出現を望んでいるのは明らかです」


 景蒼葉の解説に備峰は何度も頷いた。樹弘は中原の国情も学んでいるが、まだ完全には把握できていなかった。今は自らが治める泉国のことで精一杯であった。


 「志としては尊いことです。しかし、中原を治めるべきは義王なのです。覇者が誕生するということは決してよいことではないのです」


 厳格な備峰らしい言い方であった。あくまでも義舜からの政治体制を維持すべきだということなのだろうが、その備峰が仮王だった相房の子息相宗如に仕えていたという事実はやや矛盾しているようにも思えた。


 樹弘は、戯れ程度にそのことを言うと、備峰は真顔で頷いた。


 「主上の仰るとおりです。大いなる矛盾と言われても仕方ありません。しかし、こういう言い方は卑怯かもしれませんが、私は陪臣でございます。生まれた時から相家に仕えておりましたので、こればかりは如何ともしようがありません」


 これも備峰らしい言葉であった。樹弘は苦笑しながらも、ぜひともこの老人を閣僚に加えたいと思った。

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