黄昏の泉~35~

 夜が深まる刻限である。相房は、寝所で寵姫二人と戯れのひと時を過ごし、彼女達を両脇に置いて眠りについていると、外の騒がしさに目を覚ました。


 「様子を見てまいれ」


 相房は同じように目を覚ました寵姫のひとりに命じた。その寵姫が身なりを整え寝台から出ようとしていると、それより先に誰かが相房の寝室に入ってきた。


 「主上!大変です。謀反です」


 寝室に闖入してきたのは相季瑞であった。相房は瞬く間に不愉快になった。近衛兵長として泉春宮を守護せねばならぬ相季瑞がこのように慌てふためいていては兵士が動揺するであろう。相房はそう叱責したかった。


 『しかし、こやつに言っても無理であろう……』


 相房の不愉快はまさにそこにあった。近衛兵長であるならば、騒擾を速やかに収束させから相房に事後報告して初めて職務を果したと言えよう。それすらできない相季瑞はやはり国家の要職を任せられる器ではなかった。


 「謀反とは大げさな。どこぞの夜盗か不満分子であろう。早々に討伐せよ」


 相房は物憂げに言った。この程度のこと相季瑞に任せて再び眠ろうとした相房に、相季瑞はさらに言葉を浴びせた。


 「謀反の主は景政です!」


 相房は跳ね起きた。寵姫を蹴飛ばすようにして寝台から飛び出た。




 景政が反乱を起こしたのは義王朝五四〇年十二月の十四日深夜。より正確に言えば日付は十五日になっていた。


 景晋に率いられた七十名の兵士達は屋敷を出ると泉春宮の東門に達した。その道中で夜警している兵士に遭遇したが、彼らは軍勢の多さに誰何することもできず、この一段を呆然と見逃した。しかし、泉春宮東門では流石に呼び止められた。


 「ここは泉春宮である。何用ぞ!」


 東門に詰めている兵士は十名はいるだろう。彼らは圧倒的大勢の軍勢を前にしても臆することなく、景晋達に槍を向けた。


 「中務卿景政が子息景晋である。用がある故、開門願いたい」


 「用があるなら明朝にせよ。いかに景晋殿とはいえ、夜間に門を開けるわけにいかん」


 「開けぬというのであればやむを得ぬ。実力で突破させてもらう」


 かかれ、と景晋は自ら剣を抜き、門に向かった。後ろに控えていた兵士達も狂乱するように景晋に続いた。


 時を同じくして、街の外側に潜んでいた兵士五十名が泉春の東門に攻め掛かり、これを突破していた。入れ替わるようにして樹弘達が泉春を脱出したのだが、この時点で景政達の目論みは達成していた。あとは起こした反乱をどのように終結させるかであった。


 景晋達の猛攻は凄まじかった。半刻ほどで東門を突破し、泉春宮に内部に侵入した。一団は回廊を抜け、東宮に攻めかかった。


 「狙うは相房と相淵の首ぞ!」


 景晋は自ら先頭に立ち号令した。兵士達は声を上げて応じ、猛然と武器を振るった。景晋以下、誰もが生還を考えていなかった。しかも彼らは最後に真主たる少年に出会えたのである。この世に思う残すことなどなく、真主のためにも死ねると思うと一層の力が湧いてきた。


 景晋達は東宮の門も突破した。東宮は相房以下、国主の私的な住まいである。少なくとも相房がここにいることは間違いなかった。


 『もしこのまま相房を討てれば、すぐにでも主をお迎えできる』


 景晋がそのようなことをちらりと思い始めた。しかし、このあたりが限界であった。


 景晋達の攻撃は相房達の不意を完全についた奇襲となった。泉春宮に詰めていた兵士の数はもともと少なく、しかも奇襲とあって彼らは動揺し敗退を重ねた。しかし、景晋達が東宮に達した頃には泉春宮の異変に気づいた者達が兵をかき集めて泉春宮に駆けつけてきた。


 とりわけ左中将である湯瑛の参戦が大きかった。相房配下の武人の中でも猛将として知られていた。


 「相公の危機!積年の恩を返すは今ぞ!」


 湯瑛は寝巻き姿のまま十名ほどの配下を連れて駆けつけ、瞬く間に景晋達の一団に強烈な一打を加えることになった。


 加えて近衛兵長の相季瑞に代わり丞相の相淵が鎮圧の指揮を取るようになると近衛兵達は秩序を取り戻し、景晋達は次第に劣勢になっていった。配下の兵士達がひとりふたりを倒れていき、景晋自身も刀傷を負うようになってきた。


 「東宮から叩きだせ!相公の寝所を騒がせた罪を思い知らせよ!」


 相淵の叱咤により近衛兵達はさらに奮起し、反乱軍に襲い掛かった。景晋達はついに東宮からの撤退を余儀なくされた。この時、すでに景晋の周囲には数名しかおらず、景晋自身も満身創痍であった。


 「もはやこれまでだ、景晋。武器を置いて縛につけ」


 相淵が前に出てきた。対する景晋は体の至る所から流血しており、剣を杖にして立っているのがやっという状態であった。


 「我ら七たび生まれ変わっても泉国の臣である。ただそれだけだ!」


 景晋はそう叫ぶと、短刀を取り出して自らの首に突き刺して自裁した。生き残った彼の部下達も景晋に倣い、自ら命を絶った。こうして泉春宮に詰め掛けた景晋以下七十名は全滅した。

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