黄昏の泉~22~

 「見えました。あれでしょう」


 先を行く田員が馬の速度を落とした。景朱麗もそれに倣った。


 「多いな。三十はいるかな」


 相手側は松明を持っている。それが敵の姿を煌煌と映し出してくれていた。騎馬武者ばかり三十名はいるだろう。


 「朱麗様はここでお待ちください。ひとまず私が」


 田員は少し先に出て馬を止めた。


 「止まれ!止まれ!私は田参が息子、田員である。これは何の騒ぎだ!」


 田員が叫ぶと、敵方も動きを止めた。


 「田員様。推谷であります。田参様の命令により、相公に歯向かう大罪人を捕らえに参りました。そこをお退きください」


 「やはり父は変心したか……。聞け、者共!父は当初、景家の皆様と甲元亀様をお迎えしようとした。しかし、わずかな間に変心し、このような事態になった。いつまた変心するか分からんぞ」


 田員が言い放つと、推谷の背後に控える武者達がざわつき始めた。また田参が変心し、景家を助けると方針転換した時、かつて景家に剣を向けた自分達が罪に問われるかもしれない。そう思わせたのである。


 「騒ぐな!景家の者を捕らえた者は千戸の長が約束させているぞ!」


 部下の動揺を鎮めるように推谷は剣を抜いて馬を進めた。それに釣られて部下達も動き出した。


 「仕方ないか!樹君!」


 景朱麗が振り向いた。樹弘は背中に背負っている剣を掴んだ。やはりあの声が頭の中に響いた。


 『主よ。いざ!』


 力が体中に漲ってきた。馬の背に立つと、そのまま跳躍して敵の只中に着地した。敵が何事が起きたかを理解していないうちに、樹弘の剣が一人の武者を馬から叩き落した。悲鳴と怒号があがる合間も、樹弘は次々と推谷の部下を切りつけていった。


 「凄まじいな、樹君……」


 「感心している場合ではないぞ、田員殿。我らも蹴散らすぞ!」


 景朱麗が剣を振るって突撃した。田員も遅れまいと続いた。景朱麗も田員も武術に優れ、次々と推谷の部下をなぎ倒していった。しかし、樹弘の活躍は二人を明らかに上回っていた。すでに樹弘の周囲には十名近くの武者達が転がっていて、ある者は傷口を押さえ悶絶し、ある者は事切れているようにぴくりとも動かなかった。


 『彼は鬼神か……』


 景朱麗は驚きながらも恐怖も感じていた。さらに言えば、樹弘のその外観からは想像できないほどの働きに神意のようなものを感じていた。


 「朱麗様。樹君は凄まじい。彼は何者なんですか?」


 田員も驚きを隠さなかった。


 「分からん。しかし、今は心強い」


 それは本心であった。甲元亀が樹弘を仲間に引き入れたいと考えたのも無理のないことであった。


 「退け!これ以上、僕に人を切らせるな!」


 樹弘が咆哮した。彼の半身は血に汚れ、剣の切っ先からは血が滴り落ちていた。


 「く……。一度退くぞ!」


 推谷は顔を引きつらせながら、部下達に撤退を命じた。それを見届けた樹弘は、気が抜けたように腰を落とした。


 「樹君、見事だった……」


 景朱麗が馬上から樹弘を労った。彼女の体も返り血でひどく汚れていた。


 「朱麗様、お怪我はありませんか」


 「大丈夫。樹君も大丈夫そうだな」


 自分のことよりも他人の様子を気遣う樹弘に対し、景朱麗は思わず笑みをこぼした。


 「さて……。これで終わりではありますまい。父のことですから手勢を増やしてくるでしょう」


 「田員殿、どうするか?」


 「我が妹には静国に逃げ込むように指示しております。あそこには亡命した泉公の遺臣も多いですから」


 「静国か……。遠いが、やむを得ないな」


 「朱麗様。私は一度古沃に引き返し、情報を収集すると共に父の動きをかく乱してまいります。その隙に二人は南へとお急ぎください」


 「田員殿。それは危険だ」


 推谷が逃げ去ったことからして、田員が父に背いたことは明らかになるだろう。古沃に潜伏しているところを見つかれば、命はないであろう。


 「危険は承知です。それに古沃には朱麗様達に心を寄せる者も多いのです。どうぞそのことを信じていただきたいのです」


 「……。分かった。古沃のことは田員殿の方が詳しいだろう。任せるとしよう」


 景朱麗は即断をした。ここで悩んでいては時間の無駄であった。


 「お任せください。静国にはここからずっと南へ向かってください。但し、相蓮子の軍勢が闊歩しておりますのでお気をつけを」


 「蓮子か……。気をつけるとしよう」


 景朱麗は覿面に嫌な顔をした。


 「樹君。朱麗様を頼む。あの働きぶりならば、無事朱麗様を守ってくれるだろう」


 「はい。必ず」


 「では、いずれどこかで」


 田員は馬上の人となると、推谷を追うようにして古沃へと戻っていった。

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