第26頁 夏の終わり

 静寂を破って甲高い衝突音が響き渡る。


 それは諏訪さんが展開する防御魔法に、アイマスク達が攻撃魔法を打ち込み始めた音だった。


「しばらく外に出ない間に、随分と伊予川も賑やかになったもんだね……っ!」

「お前ら!すぐに聞こえなくしてやれ!」


 諏訪さんがやや苦しそうに声を上げ、青山がニヤリと嘲笑ったとほぼ同時。

 

 俺の目の前には高速で光が飛んできた。

 

「一筆っ!」


 アイリアの切迫した声を聞きつつ、俺は指輪に軽く触れる。


 全身に血が改めて回り始めるような感覚。

 視界がぎゅっと狭まるような錯覚。


 ――高鳴る心音。


 練習した身体強化。


 そして眼が追いついたその手を、俺は正確に叩き落とした。

 


「っ!?」



 パンっという破裂音が響き、とっさに距離を取ったティアさんが驚愕に目を見開いている。


「……期間を空けてしまったのは愚策でした……!」

「今、距離をとったのもねッ!!」

「!!」


 俺と距離が開いたところを見逃すアイリアではない。

 ティアさんに、無数の白い矢が飛びかかっていく。


「ちっ……」


 しかし、アイリアは舌打ちをする。

 ティアさんがその全てを、正確に刀で切り払ったからだ。


 やはり一筋縄ではいかない。



「ぐぅうううッ!!!」

「諏訪さんっ!?」



 唐突に響く鈍い声に顔を向けると、青山が諏訪さんに向け攻撃魔法をぶつけていた。

 

 俺は身体強化と防御魔法で、彼女と青山の間に割って入る。


「厄介な魔法を使いやがる……ッ!」


 自身の攻撃魔法を防がれたことに苛立ちを隠さない青山。

 俺は指輪が蓄積している魔素量に気をつけつつ、写本に魔力を流す。


「だいぶ……板についてきたじゃ……はあ……はあ……ないか……」


 気丈に振る舞おうとする諏訪さんだが、その消耗は隠しきれていない。


 彼女と俺が立つ正面には、青山とティアさんの二人。


 現状ティアさんはアイリアと戦っているが、分が悪そうだ。

 おそらく場所が狭く、弓を活かしきれていないのだろう。


 主に諏訪さんに負荷を与えているのは、彼女が展開した防御魔法の後ろから攻撃をするアイマスク達だ。


 もともと人質を囲っていた彼らが今は、諏訪さんの魔法を崩すべく総攻撃をしている状態。

 その証拠に衝突音は断続的に聞こえている。


 そこへ青山とティアさんの攻撃が加われば、相当に厳しいはず。


「いつまで保つか試してやる……!」


 今も俺がなんとか広げる防御魔法に、険しい形相の青山が攻撃を加えてくる。

 このままだとジリ貧だ……!


「諏訪さん……!」

「つ、次の作戦に移ろう……!相馬兄妹、前に指示したやつ……身につけてるかい……!?」

「も、持ってます!

「強盗撃退用のやつよね!もってるわよっ!」


 苦しげな彼女が聞くと、相馬さんと文さんは切迫した表情で頷く。

 その様子を確認した諏訪さんは、二人に眼で合図をした。


 すると。


 夕陽が落ち、薄暗さが漂う相馬堂に。

 強力な光が明滅する。


「くそっ!!!」


 その後発光する球体が二つ前方に放たれ、青山の顔を覆う。


 これは相馬兄妹が放った魔法。

 人気店を襲う強盗撃退用にと諏訪さんが指示し、少し前から二人が常備していたらしい。


 わずかにバランスを崩した青山の腹に、俺は今度こそ全力でタックルを繰り出した。


「がはぁっ!!!」


 相馬さんより、少し重いだけの華奢なイケメンで良かった……。

 

 俺そのままは青山を無理やり肩に乗せ、大きく飛び上がる。

 諏訪さんの展開する防御魔法を超え、相馬堂に面した道路を目指す。


「アイリアっ!」

「今いくわ!」


 空中からの俺の声に、アイリアも同じく飛び上がり、空からティアさんに矢を振らせていく。


「逃しません……ッ!」

「嘘っ……!」


 しかし、彼女はそれらを切り伏せることはせず、身体にいくつかを浴びながらまっすぐ俺へ飛んでくる。


「一筆ッ……!」



 ――そして彼女が空中で放った一閃は、俺の横腹を正確に打ち据えた。



「が……っ……は……ッ!」


 なんとか路面に着地はしたものの、激痛に膝をつく。

 

「一筆!」


 切迫した声とともに隣に降り立ったのはアイリア。

 普段は見せない心配そうな表情に、俺は立ち上がる。 


「だ、大丈夫……!防御魔法ありがとう」

「ごめんなさい、ちょっと不十分だった。あの女、捨て身で飛んでいくなんて……!」


 身体が半分にならなかったのは、指輪で使った防御魔法と、アイリアが咄嗟に展開してくれたものの二つがあったから。

 アイリアが使った防御魔法は展開が少し遅れてしまったらしいが、それも仕方がない。

 まさかティアさんが、矢が降りしきる中に突っ込んでいくとは思わなかった。


「……無事ですか?」

「黙れ無能。道具なら役割を全うしろ。狭い舞台を作ってやったのを無駄にしやがって」


 空中でバランスを崩している間に、青山は俺の手から脱出したようだ。

 その側に控えたティアさんに、彼は淀むこと無く冷たい罵倒を返している。


「随分仲が悪いのね?」


 挑発的なアイリアの言葉に、青山は嘲笑した。


「投資もまとめられない、適切に行使したのに結果も出せないノベラニア。こんな欠陥魔法とどうして仲良くする?ヒトモドキの発想はわからないな」


 侮蔑の光をともした瞳で、彼は口元を更に歪める。


「ああでも、女モドキとしてするって手もあった。僕はゴメンだが、君の書士みたいに分別のつかない馬鹿相手なら、多少は金になりそうじゃないか。ビジネスアイディアをありがとう、感謝するよ」


 あまりに下衆な発言。

 彼の声には、ティアさんに対する軽蔑の響きすら感じられる。

 

 同時に一切の反応を示さないティアさんが、俺は無性に悲しかった。


「っ……分別がついてないのはどっちよ……ッ!」


 我慢の限界に達したらしいアイリアが、青山に向かって無数の矢を放つ。

 

 が、それらはすべて彼の前で霧散した。


「……させません」


 霧散させたのはティアさんの刀。


「貴方……っ!」


 あそこまで言われておいて尚、彼女は冷徹に役割を全うしようとしていた。

 光を失ったようにすら見える瞳を細めて、構える。



「それじゃあ、本物の正義の証明のために。君達には犠牲になってもらおうか」


 

 そういった青山が憎悪を含んだ笑みを浮かべると、アイリアが即座に防御魔法を張る。


 まず響いた甲高い衝突音は後から。

 俺が振り返ると、諏訪さんの防御魔法を攻撃していたアイマスク達の一部が、こちらにも攻撃してきているのが見えた。


「任せてっ!」


 早速アイリアが、そちらへ矢を放とうとした刹那。

 間髪入れずに、彼女の背中に光の塊が迫る。


 俺は、指輪の蓄積魔素を開放し、その塊が振るうを、片手にまとわせた防御魔法で受け止める。

 ほとんど衝突といった衝撃を魔法で吸収しつつ、しっかりと彼女の腕を捕まえた。


「……貴方の相手は、俺です」


「……っ!!」


 受け止められた反動で、わずかに動きを止めた彼女。

 俺はその隙に、もう片手に防御魔法を展開させる。 


 そして身体強化と同時に、腕を振り抜く。


「おらぁあああっ!!」


 内心で謝罪しつつ……彼女のお腹へ掌底を叩きつけた。

 彼女が展開したであろう防御魔法を突き抜けて、その衝撃は伝わっていく。


 男の実践カラテ、その二十。

 『女性の顔への攻撃は避けるべし』


「かっ……はっ……!!」


 苦しそうな声をあげたまま、ティアさんは衝撃で後方へ飛んでいき、受け身も取れないまま路面に投げ出された。


「うぐああっ!!」

「ひぃいっ!!」


 吹き飛んだ彼女を見送っていると、後方からは男達の悲鳴があがる。

 アイリアは彼らが打ち出す多数の遠距離魔法を打ち消しつつ、順調に仕留めていっているようだ。


「魔素送って!」


 当然使う魔素量も多い。

 だからこそ、俺も電池としての役割はこなさなくては。


 アイリアと二人で背中合わせに立ちつつ、俺は写本に魔力を籠める。

 

「ノベラニアを素手で殴り飛ばした書士、私初めて見たわよ」

「俺は初めて女性を殴ったよ……」


 背中越しに聞こえるアイリアの嬉しそうな軽口に、俺は罪悪感にさいなまれつつに答える。

 

「もうちょっとだけ頑張って。鬱陶しいやつらは掃除してみせるからっ!」

「ああ、頼む……ッ!?」


 アイリアがアイマスク達に悲鳴をあげさせながら言った時、今度は俺の目の前に光の玉が複数飛来する。


「ふんっ……!!」


 俺は広げられるだけ防御魔法を広げて、アイリアに玉が抜けないように打ち消す。


「ちっ……次層に来たばかりって聞いてたけど、伝聞ってのは宛にならないな」


 光の玉が全て消えたのを見て、攻撃魔法を使った青山は苦々しい表情をする。

 アイリアに青山の攻撃を届かせるわけにはいかない。


 とはいえ、こっちもかなり手一杯だ。


 諏訪さんの防御魔法が破られる。

 アイリアが戦闘不能になる。

 俺が魔素供給不可の状態になる。


 これら一つでも成立してしまえば、相馬堂や俺が大切にしたい人々に大きな被害がでる。


 それを避けるためには。


 アイリアがアイマスク達を倒し切る、もしくは、警察の応援がやってくるまで、青山とティアさんを俺一人で何としてでも足止めする他ない。


 積極的に打ち負かしにいけるほどの実力がない以上、とにかく耐えること。

 アイリアの後ろに壁として立ち続け、時間を稼ぐこと。


 それが今の俺が目指せる唯一の勝利条件。


 そのために使える武器は。

 身体強化と防御魔法。

 そして、馬鹿魔力。



「おい!いつまで寝てるつもりだよ!仕事をしろ!」



 身構えた俺を睨む青山は、苛立ちを隠さず、手に持った黒い手帳に魔力を送り出す。

 

 小さなあれが、ティアさんの写本らしい。

 これでティアさんが再び全力になってくる……、そう覚悟したのだが。


「あぐうっ!!」


 魔素を供給されたはずのティアさんは、苦しそうに呻いている。

 痙攣気味の身体をなんとか起こす様子の彼女に、青山はさらに魔力を送る。 


「さっさとしろ!」

「ああっ!!」


 悲痛な叫びをあげつつも、立ち上がったティアさん。

 まるで亡霊のようなその様。

 

 俺はアイリアが言った言葉を思い出していた。


『そーっと流しなさいっていったでしょう!!』


 もしかして……アイリアも苦しかったのか……?


「私は大丈夫だからっ!魔素よこしなさい!」

「!!」


 後ろから聞こえた声に、俺も写本に魔力を籠める。

 一度アイリアは宙に飛び、男たちの悲鳴の後、再び俺と背中合わせに立つ。


「魔素の相性があるのよ。あの二人は見たところ最低ね……だから多分魔素が入ってくるだけで痛いんだわ」

「……!」


 もう少しだから、と再び彼女が魔法を撃ち始めると、それを阻止するかのようにティアさんが飛び込んでくる。


「くっ……!!」

「……っ!」


 再び指輪に蓄積した魔素を流し、防御魔法で彼女の刀を弾く。

 すばやく俊敏に動くティアさん。

 

 けれどその瞳にもはや生気は感じられない。

 その様はまるで……。


 と、気持ちがそれてしまった瞬間。


「ぐううううっ!!」


 腹に雷が走ったかのような激痛。

 ティアさんの刀が、防御魔法の強度を超えて衝撃を伝えてくる。


 こみ上げてくる胃液を必死で抑えつつ、なんとか踏ん張る。

 思わず抑えた脇腹は熱く、血が出ていないのが不思議なほど。


 そのまま腕を横に振り払うと、彼女はぱっと距離をあける。


「……粘りますね……とても、初級者とは思えない」


 ボソリとつぶやくように言うティアさん。


 確かによく粘っているとは、自分でも思う。

 ……しかし、それもそろそろ限界に近い。


 俺は視線だけ動かし右手の中指を見る。

 嵌めていたはずの革製の指袋は、指輪の部分だけ焼ききれ、いつの間にかどこかへ行っている。


 ひび割れかけた指輪。


 度重なる魔素の強引な操作で、指輪は高温に達し、すでに中指の感覚は無い。

 もともと器用さの無い俺が、無理に防御魔法を操作し、身体強化を重ねたのだから無理もない。


「でも……これで終わりにします」


 くらく鋭い瞳のまま、彼女が再び飛び込んでくる。


「どうして……っ!!」


 俺はそれを受け止めながら思わず聞く。


 まるで生きていないかのようなティアさんの眼を見る。


 俺が出したお茶を褒めてくれた時の彼女とは、まったくの別人。

 こっちが本性だと言われたら、そうかもしれないけれど。


『くれぐれもお気をつけください』


 お茶を褒めた彼女が去り際に言った言葉。

 あれが心からの忠告だと思ったのは、勘違いだったのだろうか。

 

「……私は道具」


 そう言って彼女が振り抜いた刀を、最低限の身体強化でかわす。


「それを奪わないでください……っ!」


 生気を失った彼女の眼に光が戻る。

 そしてうっすらと伝う涙を……俺は確かに見た。


 ただそれはほんの僅かな間。

 次の瞬間、彼女の姿は消える。

 


「情を制御できなきゃ『虫』と同じ。俺の正しさを証明してやるよ……!」



 次に視界に映ったのは醜悪な表情を浮かべた青山。


 そして彼が放った光の玉が殺到する。


「くそっ……!!」


 とっさに展開しようとした防御魔法。

 しかし、それは途中でかき消えてしまう。


「えっ……!?」


 思わず指輪を見ると、指輪は亀裂だらけになり焦げ付いていた。


 彫り込まれた文字がバラバラになってしまえば、当然魔法はもう発動しない……。


「があああああっ!!!」


 俺にぶつかる光の玉によって体中に激痛が走る。

 一つひとつが鉛のように重く、身体の自由が効かなくなっていく。


 強盗騒ぎの夜にも感じた魔法だ……!



「さようなら」



 動けなくなった俺の頭上から落ちてくる声はティアさんのもの。

 

 おそらく彼女の刀が俺の命を狩るのだろう……。

 全身の感覚がおぼろげになり、断続的に降り注ぐ光の玉に意識が途切れそうになった時。


 不意に右手を包む暖かな感触がした。


 これは……誰かに手を握られている……?



「大丈夫」



 直ぐ近くで声がする。

 この夏に出会った、優しいノベラニアの声。



 そして次の瞬間。

 右手に軽い衝撃の後。


 ――大きな破裂音と、爽やかな風が吹き抜けた。



「なっ……!!」


 

 声をあげたのは青山か、それとも俺だったのか。

 それはよくわからないけれど。


 再び鮮明になった意識。

 一瞬で飛び込んでくる様々な情報。


 身体の重みはさきほどの風に吹き飛ばされたかのように無くなっている。

 そればかりか、殺到していた光の玉も一つもない。


 そして目の前では刀を振り抜いたままの姿勢のティアさん。


 しかし、その手に刀は無い。


「一筆!その女捕まえててッ!」


 スローモーションのように感じる時の中、アイリアの声が響く。

 

 状況を理解するより早く、俺は反射的に目の前のティアさんにタックルをした。


「……えっ……はっ!?」


 ティアさんも何が起きたのか理解できていなかったらしく。

 すんなりと捕まえることができた。

 そして、勝ち気な声は頭上から。



「脳筋結構!全開で撃つわよっ!!」



 美しい金髪を振り乱し、大きな赤い弓矢を掲げるアイリアがそこにはいた。

 そして彼女の言う通り、その周囲には大きな白い矢が12本浮かぶ。


 そうか……。

 俺は諏訪さんの言葉を思い出した。


『破裂させてしまうと、周囲の魔法をすべて無効化してしまうだろう』


 アイリアは俺の指輪に魔素を流し……わざと破裂させたんだ。


 ティアさんの刀も、青山の光の玉も。

 全てが魔法。


 だからこそ、今は魔素の暴風が吹き荒れているような状態。

 しばらくは俺も青山も魔法は使えない空間になってしまっている。



 ……ただし、魔素を内的に保持しているノベラニアは別。



 俺が捕まえているティアさんが、その状況を把握する前に。

 

 白く輝く美しい12本の矢は、辺りに降り注ぐ。



「私の本気の定義文、その腐った眼に焼き付けときなさいッ!!!」



 そして、彼女の放つ赤い矢が。



「くそがぁあああっ!!!」



 ――叫びを上げる青山を貫いた。




 あの夜と同じように。

 日が落ちたはずの相馬堂周辺に、朝が来たかのような光が満ちた後。


 そこには再び夜と静寂が訪れた。


「生きてるわよね?」


 ふわりと着地したアイリアは、俺の側へ小走りでやってくる。


「ああ……なんとか」

の私の定義文、ちゃんと見た?」

「もちろん」


 嬉しそうな彼女に頷くと、ポツポツと雨が降り出した。


「雨ね……ユカリの魔法って雨宿りできるのかしら」

「どうかな……」


 くすくすと笑う彼女の肩越しに、薄い青の防御魔法が見える。

 どうやら諏訪さんも無事のようだ。


「で、いつまでその女を抱きしめてるのかしら?」

「え、あ……すみません……っ!!」


 アイリアの言葉で自分の状況を把握し、俺は慌てて両手を離す。


「…………ですか……はは……」


 手を離した途端、ティアさんは力なくごろりと路面に転がった。


「アンタの書士、もう一生魔法使えなくしてやったわ。本気も本気で撃ったからね」


 勝ち気な様子を崩さないアイリアに、ティアさんは薄く笑う。


「道具であったなら……徹することができたなら……よかったのに……」


 そのまま涙を流す彼女の身体は薄っすらと透け始める。


「……!」


 青山からの魔力供給が途切れたことで、ティアさんは実体を保てなくなったのだろう。


「……アイリアさん、でしたか。貴方は……」


 涙に濡れたまま、アイリアに何かを問いかけようとするティアさん。

 彼女が言葉を続ける前に、アイリアは答えを返す。


「私も貴方もノベラニアよ。『人』でも『道具』でもない」

「!」


 ぴしゃりと言った彼女に、ティアさんはわずかに目を見開いた。


「自身が道具だと思い込めば、青山に協力した責任から逃れられると思った?」

「ど、どうして……」


 アイリアは大きくため息をつきながら、俺の隣に寄り添う。

 いつもより距離が近いのは、気の所為だろうか。


「私達は呼ばれた瞬間から、嫌でも自由意思を持つ。自由を持ったその時から、責任から逃れることはできないわ」


 何を思うか、どんな魔法を行使するかは、その自由意思で選び取っているんだから。

 

 静かに、けれど確かに響いたアイリアの言葉は重かった。

 

 そして多分……その重さが。

 『自由』という行動や思想に紐付いていて、そして俺達がすぐに忘れてしまう重さなんだと思った。


 ティアさんは自身を、道具だ、とすることで思い悩むことを放棄しようとしたのかもしれない。


 しかし自身の書士が行うことへの苦悩は捨てきれなかったんじゃないだろうか。

 

 『くれぐれもお気をつけください』と、真剣な目で訴えた裏側に。

 この結果をなんとか避けたい……という気持ちがあったのではないだろうか。 


「ティアさんは……」

「……いいえ」


 俺がそのことを確認しようとした時、彼女はゆっくりと首を振る。


「私は、相馬堂や貴方達に刀を振るいました。ですからもう……何かを語る資格は、ないのです……」


 静かに涙を流すティアさん。


 その身体はいよいよ希薄になっていく。


「次は……貴方を守ってくれる書士に呼ばれなさいね」


 ピンクのTシャツを着たやつがお勧めよ、と冗談を言うアイリアに。

 

「……あのTシャツ……私、好きでした……」


 弱々しく。

 でも可愛らしい笑顔を浮かべた彼女は。

 次の瞬間には光の文字の集まりに代わり、その後粒子となって消えていった。

 

 そこには黒い表紙の手帳だけが残る。


 雨に濡れてしまわないように、俺が手帳を手に取った時。


 ポツリとアイリアの声がした。



「――駄目ね」



 その言葉に彼女を見て。



「あ、アイリア……っ!」



 俺は彼女の名前を呼ぶのが精一杯だった。

 

 ……なぜなら。


 

 彼女の身体もまた、透き通っていたから。



「ふふっ……ちょっと張り切りすぎちゃった。アンタに引っ付いて誤魔化したけどもう無理そう」

「……う、嘘だろ……!」


 どうして……!

 

「指輪が壊れた時が、唯一のチャンスだって思って。思い切りやらないと、あのクソ男、色々用意してそうだったし」


 定義文は『書士から十分な魔素をもらって使うものよ』ってアイリア自身が言っていた。

 

「結局、一筆から受け取ってた魔素、全部定義文に持っていかれて……それでも足りなかったみたい。不器用なのはお互い様ね」


 ノベラニアの定義文は『魔素が不足している状態で発動すれば……伝承では定義を失う』って諏訪さんが教えてくれた。


「ま、まさか……」



 そう。

 指輪が壊れた時は、書士も魔素を制御できない。


 つまり、彼女に俺は魔素を送れなかった。


 けれどその状態で、アイリアは使ったのだ。

 全力の定義文を。


 状況を打開する唯一のチャンスを……逃さないために。



「だからね私、『定義を失っちゃった』みたい」



 お別れね。


 

 そう言って、優しく微笑むアイリア。

 まるで出会った日のように、辺りには文字の雪が舞い始める。


「お別れって、そんなわけ……!」


 また俺が魔素を流せばいい……!

 あのノートに、馬鹿魔力で……!


 言い募る俺に、アイリアは苦笑して首を振る。


「あのノートごと、私はここで燃え尽きる。私をここへつなぎとめるものはもう、どこにも残らない」


 なんとなくわかるの、と彼女は続ける。


「これがノベラニアとしての最後の顕現……そして、最後の夏よ」


 嘘だろう……。

 相馬堂を守れたと思ったのに。

 大切なものを守れたと思ったのに。


 君がいなくなってしまったら……!


 彼女に魔素を送ればと、必死で写本を取り出そうとするけれど、何度やっても現れない。

 隠蔽の魔法を解いているはずなのに、まるではじめから無かったように……。



「……素敵な夏だったわ。今まで一番」



 彼女の身体はどんどんと光になっていく。

 出会った時と逆に。

 髪の毛の端から、文字へ代わり、光へ代わり、消えていく。


「一緒に美味しいものを食べて、遊んで、笑って。……不器用で優しい書士の、大切なものを守るノベラニアになれた」


 ……違う、違うんだ!

 俺の大事なものには……!



「アイリアだって……大事に決まってるじゃないか……っ!」



 気づけば泣いていた。

 消えていく彼女に、みっともなく手を伸ばして。



「もう……情けないわね……」

「待って……待ってくれよ……!まだ作ってない料理たくさんあるのに……!!」



 悔しいけどユカリに譲るわ、と言う声はいつもどおりで。

 

 全部嘘に決まってるでしょ、と笑ってくれないかと。

 馬鹿ね、と茶化してくれないかと。


 すがるように泣き叫ぶ俺に――



「私を『人』と言ってくれて、大切にしてくれて……最後の夏を私と過ごしてくれて。ありがとう、一筆」



 ――彼女は今までで一番優しい声をくれた。




 そして――舞っていた雪はいつの間にか、大粒の雨に変わっていく。


 夏に雪が降るなんて、はじめから夢だったかのように。

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