第4章 夏の終わり

第25頁 「知らないということ」を知っている

「その子を離せ。謝罪はちゃんと受け取った」



 俺がそう言った僅かな間に、青山が魔法を打ち込もうとした少女はアイリアの手によって救出される。

 彼女を両脇から固めていたアイマスクはアイリアの前では無力だったらしい、あっという間に地面に叩きつけられていた。


 アイリアが防御魔法を張り、俺が身体強化で人だかりの外から突っ込む。

 青山やアイマスク達の注目を引きつけて隙をつくる……という諏訪さんの提案は功を奏したようだ。


 路上駐車した自動運転車の屋根から飛べ、と言われたときは肝を冷やしたけれど……!



「……規則を守らない輩がいたようだね……」



 さきほどまでの勝ち誇った笑みを消した青山。

 その表情には苛立ちが色濃く浮かんでいる。


 おそらく駅前への転移魔法道具について言っているのだろう。

 沼田さんの口ぶりからすると、正規に持ち出してなさそうだったし……。


 青山がいたのは前庭の中心。

 人質であるお客さん達は、恐れからか彼の周りの空間をぽっかりと空けている。

 俺達が突っ込んだことによって、その空間は更に広がった。

 そのせいで人質とされた人々の一部は道にはみ出す形だ。

 しかし、その人々すらもアイマスク達が包囲している。


「気絶してるわね」


 無理も無いわ、と語るアイリアが俺の隣に立つ。

 その小脇にはまぶたを閉じた女子高校生。

 さきほど彼女が救出した子だ。


「ず、随分軽そうに持つな……」

「この子が軽いの。いいわね、軽いのよ?」


 脳筋と言われたことを少し気にしているらしい。

 アイリアは俺に念を押すように言う。


「それに」


「……動かないでください」


 彼女は、ほらね、とその声に肩をすくめる。


「……!」


 声がしたほうにわずかに顔を向けると、そこには冷たい瞳をたたえたティアさん。

 その手にはいつか見た刀。


 ……その切っ先は、相馬さんの首もとであった。


 俺はにわかに胸がざわつくのを感じたが、堪える。

 そんな俺と眼があった相馬さんは、口だけを動かす。


『だいじょうぶ』


 そんな状況で何が大丈夫なのか……怖くて仕方がないに決まってるのに。


 けれど何の根拠もないその言葉に、彼女の強い信頼を感じつつ俺はもう一人のタイミングを待つ。 

 

「どうして邪魔をしに来たんですかね?僕はアンタの無実を主張している最中だというのに」


 不健全な笑顔を取り戻した青山は、動けなくなった俺達に問う。

 自身の優位を確信したんだろう、先程までの調子を取り戻したように見えた。


「ああ、それとも。この機会を利用して、ご自身が社会に訴えたいことがあったんですか?それは大変申し訳ありませんでした。お顔を出したくないかなと、余計な気遣いを――ッ!」


 わざとらしく媚びるようにした青山が、魔素スクリーンを操作しようとした途端。



 すべてのスクリーンが消え、俺とアイリアは同時に動き出す。



「ぼーっとしてんじゃないわよっ!」

「くぅっ!!!」



 苦悶の声をあげたのはティアさん。

 彼女が辛うじて受け止めたのは、アイリアが打ち出した矢だ。


 その間隙を突き、俺は身体強化で相馬さん飛び込んだ。


「ちょ、ちょっと、かきもりく……きゃあっ!!」

 

 器用さに欠ける俺ができる、原始的な救出方法。


 つまるところ、ラグビーのタックルみたいに抱きついて運ぶだけ……!

 

 ああ、なんか柔らかいしいい匂いする……相馬さんごめんなさい!



「はいはい、ストップストップ」



 打ち合わせ通りの場所まで到達すると、もう一人の味方の声が聞こえる。

 そこで、最終的には肩に抱えるような形になった相馬さんを降ろす。


「詩織くん、無事かい?」

「……はっ!!あ、はい!大丈夫です!」

「乱暴にしてしまって……すみません」

「むしろうれし……あ、いやいやなんでもない!助けてくれてありがとう」


 一瞬魂が抜けたようになっていた相馬さんは、ぱっと顔をあげ、驚きつつもお礼を言ってくれた。

 

 あれで怒らないとは……やはり女神様に違いない。

 

 相馬堂とは反対側、人質とされたお客さん達の一番前側。

 そこが諏訪さんの指定した地点。

 一連の騒ぎにアイマスク達が気を取られている間に、作戦参謀は持ち前の小柄さで忍び込むことに成功したようだ。

 

 相馬さんたちは、お店の出入り口に付近にいたので、青山を挟んでちょうど反対側まで連れてきたことになる。

 

「文くんも、よく対応してくれたね。助かったよ」

「引きこもりニートの諏訪ちゃんが出てきてるんだからね、アタシも頑張るわ♪」


 これは耳が痛い、とニヤッとした諏訪さんの隣には文さん。

 彼は、一筆ちゃんも無事で良かった、と笑みを浮かべつつ一人の女子高校生を抱えていた。


「座ってなさい」


 文さんは厳しい声色で、抱えていた女子高校生を地面に座らせる。

 震えながら頷く少女の横には、アイリアが救出したもう一人の少女が寝かされている。


「妙な魔法を解いてくれたみたいね。おかげで二人を連れてこれたわ♪」

「ティアってノベラニアの注意を一瞬引けたからね……文くんが二人を抱えてこれるか心配だったけど杞憂だったみたいだ」

「最近の高校生は軽いもの♪」


 文さんがくすっと笑い、諏訪さんは軽く頷く。

 そして眼前ではティアさんとアイリアが一進一退の攻防を繰り広げている。



「せっかく用意した舞台を壊しやがって……!誰のためにやってやってると思ってるんだっ!!」



 そこへ破裂音とともに、青山の苛立った声が聞こえた。


「お遊戯会を邪魔されてご立腹みたいだね。端正な顔も、それだと見苦しいよ」


 破裂音は彼が放った攻撃魔法が打ち消された音だ。


 眼の前で両手を広げた諏訪さんが展開しているのは、大きな防御魔法。

 うっすら青みがかった半球状の膜が、人質となった人々をまるごとすっぽりと覆っている。


 一方、青山の手にあるのは、小さなノート。

 見覚えのあるカスタムノートだ。

 おそらく攻撃魔法はあれから生み出されたものだろう。 


「君の中継は終わりにさせてもらったよ。あまりにも退屈な番組だったし、僕の趣味じゃなくてね」

「そのノート、青山ちゃんが使うとそれこそ営業妨害になっちゃうわ♪」


 諏訪さん達の挑発に、青山は再び嘲笑の表情を浮かべる。


「退屈?耳が痛くて聞いていられないだけだろう?」

「くっ!!」

「アイリアっ!」


 彼が笑みを深めると、アイリアの苦しそうな声が聞こえた。

 声の後、彼女は飛ぶように俺の隣に戻ってくる。


「大丈夫よ。アンタは自分の役割をこなしなさい」


 青山の横に並び立ったティアさんを睨みつけるアイリア。

 一方のティアさんは、くらい瞳をたたえたままだ。


「その薄っぺらい防御魔法を崩す前に、どうしても確認したいことがあるんだけどいいかな?」


 一度全員の動きが止まった状況。

 青山は取って付けたような軽薄な笑みで続けた。


「なあ、アンタを弄んだ奴らを守ってどうするんだ?」


 彼の視線はまっすぐに俺に向けられる。

 軽薄な笑みとは裏腹に、その瞳には強い意思が感じられた。


「そこのメスの羽虫も、アンタの後ろにいる群れも。等しくアンタという餌に群がって、食い散らかした虫の群れだ。脳じゃなく欲に動かされ、そんな自身を認識することすらできない」


 侮蔑の色を隠さない声。

 そこには彼の憤りも強く滲む。

 人質となっているお客さん達も、何も発さずそこには不気味な静寂が訪れる。


「聞いただろう?そこの虫は、アンタじゃなく僕に謝った。自身がどんな罪を犯したか、この期に及んでも理解していない証拠じゃないか」

「……っ……!」


 静まり返ったそこに響いた彼の言葉に、俺の後ろにいた少女が息を呑む様子が伝わってきた。

 気配は一つ、もう一人はまだ目が覚めていないようだ。


「アンタを追い詰め、はずかしめ、おとしめた奴らをどうして?……それともアンタもコイツらと同類ってことか?……お仕着せの正義にたかる醜い虫と」


 深い怨嗟えんさに染まった瞳。

 殺意すら交じる敵意の前に、俺は握りしめた手が汗ばむのを感じる。

 わずかな沈黙の間にも、彼の端正な顔立ちは冷たさを増していく。

 

 けれど。

 

「なんとか言ってみたらどうなんだよ……!」


 焦れったそうに言う彼の瞳に俺は見つけた気がしたのだ。

 馴染みのある哀しさを。


 だから俺は、向き合うために。



「――腹が立たないわけないだろうッ!」



 彼と俺は同質のものを抱えている。

 だからこそ、考えを伝えておこうと強く思う。

 

「い、一筆……」


 思わず叫んだ俺にアイリアの声が聞こえる。

 美しい彼女の瞳は、少し揺れている。

 

 彼女を怖がらせてしまったかもしれない。

 

 それでも俺は続ける。

 同じ哀しみを持つ彼に伝えるためには、一切誤魔化してはいけないのだ。



「自身じゃそうそう変えられないことで判断されて、好き勝手言われて。同じ能力があったとしても、同じだけ頑張ったとしても、なかなか評価してもらえない。顔をあわせることすら避けられる。お前みたいに端正な顔とは言わないから、怖がられない顔に生まれたかった!」



 この顔じゃなければ、俺だってもう少しチャンスが増えたんじゃないかなんて妬んでしまうし。

 けれど同時に、産んでくれた親を思うと、そんなことを考えてしまう自分が嫌いになる。


「だから、お前の言うことには共感する部分もある」

 

 歪んでいるし、極端すぎるし破綻もあると言われるかもしれない。

 それでも俺は、青山の気持ちを頭ごなしに否定はできない。


「そうだ!良い人なんて気取っても意味がないんだよ!アンタはもっと怒るべきだ、それは正しいんだから!そいつらを消す権利はアンタには十分ある、そいつらは消えるべき責任を負ってるだろう!」


 俺の言葉にそう答えた青山は、もう嘲笑わらってはいなかった。

 

 そこにあったのは必死な叫び。

 評価を捻じ曲げられ、その不当さに耳を貸さない世界と人々に対しての慟哭どうこく


 見た目やレビュー、短い動画に象徴される、切り取られた一部の情報。

 上辺だけの分かりやすさに甘え、考えることを放棄した人々はそれだけで判断を下す。


 安易に好み、嫌い、抱きしめ、つばを吐く。

 

 そうすれば、楽に直ぐに簡単に。

 自分の欲を満たせるから。


 それが普通だ、それが人間だ、仕方がない、愚かだからこそ愛らしい。

 隙あればその残酷さすら肯定し、賛美し正当化し、疑問や罪悪感を投げ捨て、逃げ出し、目を背けて笑みを浮かべる。


 この怒りの本質は、そんな人達への絶望だ。


 自身の醜い部分を認めずに美化し、今日も誰かをサンドバックにする。

 そのことを『普通』に行う人々への際限のない哀しみなのだ。

 

 俺にはその哀しみが、とても他人事だとは思えない。



「でも、それじゃあ駄目なんだ」



 青山は、きっと俺よりずっと思い知ったんだろう。

 同質の哀しみを持っているとは思うけれど、両親を失った彼は俺よりずっと深く絶望したはずだ。

 だからこそ、その怒りも俺よりずっと根深い。


 ……でも、その怒りで脳を停止させてしまってはいけないと思うのだ。



「俺は評価を捻じ曲げないように自身を律した『人』を知っている」


 『さきほどは……すみませんでしたっ!』

 未来ちゃんはそう言って頭を下げたんだ。


「上辺だけを見ること無く、愛情を持って仕事をし、生きている『人』を知っている」


 『一人ひとりに向き合うのが当然じゃない!』

 文さんはその言葉を、自らの行動で示していたんだ。


「俺の代わりに怒ってくれる『人』を知っている」


 『そんなクソ企業の話は無かったことにしましょ』

 相馬さんはそうやって俺の憤りを肩代わりしてくれたんだ。


「味方になってくれた『人』を知っている」


 『僕は君を知っている』

 諏訪さんは俺に真っ直ぐな瞳を向けてくれたんだ。


「涙を流してくれる『人』を知っている」


 『私だって、味方だからね……』

 そして優しいノベラニアは、隣で泣いてくれたんだ。


 俺はそんな『人』達を知っているから。

 優しくて暖かくて、心の底から救われてきたのだから。



「俺に対する行動だけを見て、人を害したとしたら。それこそ僅かな情報だけで決めつけて、考えることを放棄した『虫』じゃないか」

「……っ!」



 俺の言葉に、青山の目は鋭さを増す。

 しかし、彼は何も言い返しはしない。

 だから俺もまた、言葉を止めなかった。

 


「動画を投稿した人のこと。お前が危害を加えようとした女の子のこと。俺は何も知らない。もしその人について知っていることがあるとすれば『何も知らないということ』だけ」



 人には色々な面がある。

 だから、知らない人の一つの振る舞いをみただけで、その人間を断ずるのは全く脳を使っていない。


 体調が悪くて、頭が回らなかったのかもしれない。

 家庭で悲しいことがあって、寛容になれなかったのかもしれない。

 イライラしていて、攻撃的になってしまったのかもしれない。


 彼らのことは知らなくとも、人間が毎日菩薩ぼさつじゃいられないことは誰だって知っている。

 

 嬉しい日もあれば、悲しい日だってあるのが人間。


 一部で判断される辛さを感じているのに、その初歩的な想像を忘れてしまったら、それこそだ。

 


「お前の言うことは一理ある。でもお前がやろうとしてる行動は、お前が嫌いなもの……そして俺も嫌いなもの、そのものだ。『虫』と軽蔑した存在に、自ら成り下がることだと俺は思う」



 だから……止める。

 彼を『虫』にさせないために。


 彼が彼自身に絶望してしまわないように。



「……だったら、やってみせろよ……!」



 俺の言葉を最後まで聞いた青山が見せたのは、獰猛でちぐはぐな笑みだった。

 

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