第24頁 凡人が成すこと
「ああ、いたいた君だよ、君」
「ひっ……!」
美男子が浮かべる笑顔にぞっとしたのは初めてだった。
彼に声を掛けられた若い子も小さく悲鳴を上げている。
「ちょ「じっとしていてください」」
アイマスク達に引きずられていく彼女を見ていられず、声を出そうとすると身体が急激に重くなる。
「ティアちゃん……貴方……ぐぅ!」
お兄ちゃんが憤りの声をあげるが、それも途中で勢いを失う。
これはティアさんが使う魔法が原因。
手を向けられるだけで身体が鉛のように重くなり、立ち上がることすら難しい。
「あまり余計な手間をかけさせないでください」
相馬堂に来た時とは別人のような雰囲気をまとった彼女は、そう言ってどこまでも冷たい瞳を見せた。
嵐のような営業時間が終わりに近付き始めた時、前庭から悲鳴が上がったのがすべての始まり。
何事かと店外へ様子を見に行くと、大柄なアイマスクの男たちが並んでいたお客さん達を包囲していた。
諏訪さんのアドバイスで身につけていた、自衛用の魔法を使う暇もチャンスもなく。
彼らは前庭にも入り込んできた。
そしてその中心にいたのが……青山くん。
「後何人こうなりたいですか?」
まるで友人の家に遊びに来たような笑顔で、彼は地面に伏した男性を指さした。
そしてそれと同時に、少し離れたところから女性の悲鳴が上がった。
「ふふ、男女平等ってやつですよ。手間がかかるから、反抗の意思がある人は今のうちにお願いしますよ?死ぬか死なないかは運ですけど」
くすくすと軽い笑いを浮かべたままの彼。
「相馬堂にお集まりの皆さんは今から僕たちの人質です。暴れるようなことがなければ危害は加えませんが……」
青山くんがそんな風に話している間に、また悲鳴が上がった。
アイマスクの男が、泣き叫ぶ女の子を抱えてやってくる。
「ひっ!」
「……ッ!!」
前庭に転がされるように投げ出されたその女の子。
その光景に包囲されたお客さん達は悲鳴をあげ、私は息を呑む。
転がされたまま呻く彼女は、手のひらから手首まで真っ赤に腫れ上がっていたからだ。
「あはは!今ここでテリカを使おうとすると、
彼の言う通り、お客さんは無理やりお店の前に集められているはずなのに。
前庭に投げ出された彼女を避けるように、そこだけぽっかりと空間が空いている。
「あれ?誰か助けてあげようとは思わないんですか?随分痛そうにしてますけど」
端正な顔を歪めて笑う青山くんは、その空間の中心に立ち、立ち上がれないでいる彼女を足でつつく。
「あ、あの子……っ!」
そこへ、切迫した声を上げながら走っていったのは私の兄、相馬堂の店主だった。
お兄ちゃんは転がったままの彼女の隣に膝を付き、声をかける。
「大丈夫!?立てそう?」
「あ……うっ……う……」
現実離れした光景に呆然としていた私も、お兄ちゃんの隣へ急ぐ。
近くで見る彼女のやけどは相当のもの。
手のひら全体が真っ赤になり、恐怖からかその手は震えている。
高校生くらいに見えるその子は、涙を流しつつ首を縦に振る。
「強い子ね。詩織ちゃん、この子を店に――」
「それは駄目ですね」
私とお兄ちゃんで彼女を挟み立たせようとすると、青山くんの冷たい声が刺さる。
「気休めの治療はお好きにどうぞ。ただその子には見てもらわなきゃいけないものがありましてね。店内に連れて行くのはやめてもらいましょうか」
振り返ると、いつの間にか店の入り口は大柄な男たちに固められ、光る文字が舞う。
余計なことをすれば魔法を行使してでも止める、という意思表示だろう……。
「手当の道具を取りに入るのは、店員さんだけ。店主はそこで待っていてください」
彼がそういった途端、光る文字が集まりだし、やがてそれは人の形を成した。
「
人の形を成した文字から現れたのは、スーツの女性。
それは……ムラサキファンドのティアさんだった。
ノベラニアとして初めて相対した彼女の眼は、何処までも
「……アンタ達……最初っからグルだったってわけね」
苦々しく言い捨てるお兄ちゃんに、彼女は一切表情を動かさない。
代わりに答えたのは、青山くんのほうだった。
「ムラサキファンドの話をしてるんですか?確かに良いスポンサーでしたが。でもグルだっていう表現は違いますね」
彼は嘲笑う。
「もう少ししたら分かりやすく説明して差し上げますよ、生中継でね」
そして彼は、自らセムだと明かした上で中継を始めたのだ――。
「さ、こっちへ立ってごらん」
「い、嫌……!」
アイマスク達は彼女の精一杯の抗議を無視し、青山くんの隣へ立たせる。
両脇から抱えられ、ほとんど身動きが取れない彼女は道具のように扱われてしまっている。
「あ……あ……!」
その様子に両手をやけどした彼女が声をあげた。
隣に座る彼女の様子に、私は小さく声をかける。
「もしかして、知り合い……?」
「は、は……い……と、友達です……」
「……この間、二人でお店に来てくれたのよね」
お兄ちゃんが少し苦しそうに言葉をかける。
こくりと頷く彼女から再び涙がこぼれ落ちた。
二人は未来ちゃんの友達で、少し前に相馬堂へ来てくれたそうだ。
「……」
私達の会話も聞いているんだろう。
けれどティアさんは何も言わなかった。
そこへ青山くんの声が聞こえ、魔素スクリーンが浮かぶ。
「さて、君はこの動画。SNSにコメント付きで投稿してるね。動画サイトに上がったものを引用したみたいだけれど……」
そのスクリーンに映ったのは、書森くんが映った例の動画。
一時期様々なメディアで取り上げられたものだった。
そしてその横には、今青山くんの隣に立たされている女の子の投稿が映し出される。
「『コイツは犯罪者。私の友達にも手を出そうとしたし、絶対危ない奴。見た目ですぐに分かるんだし、さっさと捕まえたほうがいい』」
……青山くんが読み上げたのは彼女の投稿の内容だった。
そこで、ぱっとスクリーンに映る映像が切り替わる。
「や、やめてぇっ!!」
そこには彼女の本名、住所、通っている高校の名前が表示され、彼女の顔も大きく映し出された。
泣き叫ぶ表情も一切隠されることなく投影されている。
彼女は精一杯抵抗するが、身体の大きなアイマスク達はびくともしない。
それどころか乱暴に手で口をふさがれてしまった。
一連の様子を楽しそうに眺めた青山くんは、芝居がかった様子で拍手をした。
「恥ずかしがることじゃあない。正義感あふれる素晴らしい投稿じゃないか!高校生の時点でこれなら、いつか世界を平和に導く素晴らしい指導者になるかもしれないね。中継もされているし、高校にもしっかりと君の活躍は伝えておいたよ!おめでとう!」
そこで彼は大きなため息を付き、やれやれと首を振る。
「ただ、僕は妙なものを手に入れてね……」
その言葉とともにもう一度動画が流れ始めた。
『大丈夫だよ、落ち着いて』
『今警察にも連絡するからね』
動画をアップしたという大学生達の穏やかな声が聞こえ、一度映像は止まる。
「ここで動画は終わっていたよね。けれど、僕が手に入れた音声はまだ続くんだ」
映像は止まったまま、けれど音声だけが再び流れ始めた。
そしてそこには。
すごい剣幕で間に入るアイリアちゃんの声と。
大丈夫です、と告げる未来ちゃんの声がしっかりと録音されていた。
「さて、正義感にあふれる若者さん。この音声についてどう思うかい?」
止まったままの映像は消え、再び大きく彼女の顔が映し出される。
眼を見開いたまま、ガクガクと震える彼女は唇を噛み締め一言も発さない。
手はどかされ、その口は既に自由になっているのにも関わらず。
「君の友達の声だ。どうだい?今の君みたいに震えているかい?僕にはそうは聞こえないし、知り合いだって話もあったね。これだと動画の彼が悪いやつかどうか、なかなか判断が難しいところだよねえ」
嘲笑の表情を崩さない青山くんは、楽しそうに続ける。
「ん……ああ!そうか。この音声が捏造って可能性もあるんだね!さすがだ!」
うんうん、と頷く彼はそこでピタリと動きを止める。
「まてよ……?じゃあこの動画が編集されたものだって可能性もあるよね?」
おかしいなあ……と大きな声で語る彼。
しかし次の一言は、芝居がかった声色から一変した。
「君は、何の根拠があってこの投稿をしたんだい?」
ぞっとするほど冷たい声。
今まで浮かべていた軽薄な表情は消え、まったくの別人といってもいいほどの人間がそこに現れた。
「なんで黙っているんだい?
更にスクリーンは切り替わり、メッセージアプリの一部が表示される。
そこには。
『あの人は優しい人なんだって!だから平気なんだよ!』
『アンタは遠慮しすぎ!悪いことをしたやつは罰を受けるべきなの!』
『そうそう。女だからって舐められてるんだよ』
というやり取りが映し出された。
「なるほどねえ、もう一人
不敵に嘲笑う青山くんが指差したのは、私の隣で震える少女だった。
「……い、嫌……!」
やけどで痛いであろう手を動かし、必死で顔を隠そうとする彼女。
しかしその腕は、ティアさんによって押さえつけられた。
私はもう彼女の顔を見ることはできなかった。
お兄ちゃんも、唇を噛み締めて下を向いている。
彼女は……彼女達は、未来ちゃんの友達であったのにも関わらず。
書森くんを悪者だと決めつけたまま、好き勝手言った人間の一人だったのだ。
私は強い憤りを胸の内にしまおうと必死だった。
だから、彼女たちどちらかの顔を見ることを精一杯避けた。
それは怒りが爆発してしまいそうだったから。
醜い感情が留められるほど、私は大人じゃないようなのだ。
そうでなければ、もっと毅然としてられたと思う。
「正義の味方になれて気分が良かったかい?それとも沢山拡散された自分の投稿が、誇らしかったのかな?友人に指摘されても取り下げないなんて、君達の
共感はしないけどね、と再び冷たい声色に戻った青山くんの語りは終わらない。
「では皆さん、もっと面白いことを教えてあげましょう。先程の音声ね、ほぼすべてのメディアに送ってあげたんですよ。朝昼晩とやってるニュースメディアなんかにも当然送ってます。でもね、なぜかどこも報じませんでした。
何故かわかりますか?僕がムラサキファンドの関係者として、各所に口添えしたからです。これを報道したらスポンサーをやめますって」
あはははは!と大きな声で笑った彼の瞳には、暗い狂気が見えた気がした。
「キュリズムを運営するためにね、随分前からムラサキファンドの幹部やってるんですよ。でね、この音声は悪質なデマだし、面白くない。例の動画を取り上げたほうが視聴回数も、サップもとれますよって言ったんです。あははは!みーんな言うこと聞いてくれました!
気づけば大した根拠もないのに、相馬堂さんの前に関係者はたかって営業妨害。色々な人が適当なこと言って、どこの誰かもよくわからない彼を悪者にして、大盛り上がり」
いやいや、ホントに素晴らしいです!と手を叩く青山くん。
そこにはかつて見た好青年らしさの面影は一切無い。
「その後、セムとしてここを紹介したらあっという間に大行列!手のひらを返しすぎて、手首がおかしくならないのか僕不思議でしょうがないですよ!あはははは!」
有名キュレーターなんて大抵買収済みなのに!と付け加えた彼。
彼のようなキュレーターに流されたお客さん達は、今相馬堂に集まり人質になっている。
なんと皮肉な画なんだろう……。
「いくらでも編集の可能性がある短い動画を見て、正義の味方になる気分はどうだった?」
彼の侮蔑の瞳が少女たちを見下ろす。
「営利企業が流すニュースを鵜呑みにして大騒ぎ。楽しかったですか?」
彼は人質になった人々を見渡す。
「責任を取る必要の無い自由な発言、薄っぺらい正義を掲げた報道。さぞかし気持ちよかったでしょうねえ」
青山くんはそう言って魔素スクリーンに嘲笑を向けた。
「皆さんのゴミみたいな正義感。優越感、偽りの達成感への欲。利益への
すると君達は喜んで一人の人間をおもちゃにし、
浅はかな欲求を満たしたり、束の間の満足を得たり、ちょっとした小遣いを得るために。
さっきの彼女達のように、自身の間違いの可能性なんてあっさり忘れて」
彼の言葉に反論できる人間は多分、ここにはいない。
悔しいけれど……認めるしかなかった。
極端な表現もあるし、意図的に情報を操作するような行動をしているのは間違いない。
でもそれでも。
「君達はそうして、一人の人権をあっさりと踏み潰し。そして過去にして、今日は人質事件さえ匿名の傘のもと、大衆娯楽にしようとした。
これが君達がやっていること。脳を使うことを放棄し、欲望に眼がくらんだ凡人が日々繰り返す
そう。
今うつむいているすべての人間が。
テリカを使い、言葉を使い、笑顔を浮かべ、偽りの正義の憤りを持って。
この根拠のない迫害に加担した。
私も。
書森くんに、勝手な願いを重ねた。
それは本質的には、この巨悪と同じ。
禄に相手を見ず、見たいものを見て、書森くんより自分の欲を優先した結果なのだから。
「レビューをすれば簡単に信じて
複数アカウントで工作をしてるだけなのにね、と心の底から軽蔑の眼差しを向ける彼。
「脳を使わず、倫理も無視。欲望に抗わずに、街灯に
青山くんはスクリーンを含め、辺りを見回す。
そして、顔を青くしている女子高校生に眼を止めると、はっきりゆっくりと言う。
「ですからね、僕がご視聴されてる皆さんに代わって殺虫しようと思いまして。人類の未来のために、脳無しには死んでもらわないと。馬鹿につける薬はないって言うじゃないですか。でも、虫を殺す薬はある。そして、その最初の一匹目があさましく死ぬ様子を見てもらう技術もね」
彼はなんでもないことのように、少女の頭に手をかざす。
始めその意味がわからなかった私達も、そこに文字が集まり始めることで理解した。
そしてそれはその少女も同じだった。
「い……いや!やめて!!お願いしますっ!!ご、ごめんなさい!謝ります!ごめんなさいっ!!」
「や、やめて!!!」
泣き叫びながら身体をよじる彼女。
彼女の友人も、大きな声をあげる。
「あははは!よく喋る虫だね。脳を使わないから、誰に謝るべきかまったく分かっていないじゃないか」
けれど青山くんは、心底楽しそうに嘲笑う。
「……ッ!!」
「ティアちゃん……貴方ッ!!!」
反射的に身体を動かそうとすると、一段と身体の重みが増した。
お兄ちゃんも同じだったらしい、悔しそうな声を上げる。
「……静かに」
ティアさんは、私が精一杯睨みつけても、鉄のような無表情さを崩さない。
そしてその瞬間は無慈悲に訪れてしまう。
「
熊の皮を被った、不気味で丁寧な猛獣はそう言って。
泣き叫ぶ彼女の頭に光を打ち込んだ。
――はずだったけれど。
響いたのは、鉄をぶつけたような音。
「その子を離せ。謝罪はちゃんと受け取った」
そして見覚えのある優しい背中が、私の前に降り立ったのだ。
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