第23頁 大人だけど仲間な彼女
――こんにちは……あ、こんばんわかな。セムです――
その熊の語り口はとても穏やかなものであった。
かつて見た番組に出ていた時と、何も変わらないような様子だ。
しかし、その声は街中から聞こえてくる。
伊予川駅前に浮かぶ大きな魔素スクリーンにも。
パススポットでコマーシャルが流れるはずの魔素スクリーンにも。
その他、普段は眼にしない場所に浮かぶ魔素スクリーンにも。
そのすべてに熊の顔。
俺が駅へ転移して最初に飛び込んできた光景は、そんな異質なものだった。
「スクリーンのセキュリティを突破されたんだろうね」
呆然としていると、聞き慣れた声がかかる。
「諏訪さん……!」
「無事転移できたみたいだね」
安心したよ、と近づいてきた彼女はほっと息をついた。
「あの、一体これは……」
眼の前に広がる異様な光景について、諏訪さんに聞こうとした時。
魔素スクリーンに映る熊が動き出した。
『さて……Vキュレーターも飽きたので顔を出そうか』
スクリーンに一度ノイズが走ると、そこには熊ではなく、青山という彼が立っていた。
『初めまして、伊予川の皆さん。僕は青山と言います。セムという名前は今日でやめることにしました』
彼はそこで軽く笑みを浮かべる。
『訳あって今、伊予川のほとんどの魔素スクリーンをお借りしています。できれば皆さんに見ていただきたいものがありまして』
素顔を見せた有名キュレーターが右手を上げると、映像が切り替わる。
そこに映し出されたのは相馬堂だ。
未だに多くの客が集っているように見えたが、その人だかりの様子はおかしかった。
翠屋を出た時に見たような行列になっておらず、相馬堂の周りに固まっている。
「これは……!」
俺は思わず声をあげてしまう。
なぜなら、固まったお客さんの周りにはアイマスク状の仮面を付けた人影が複数見えたからである。
『私がつい最近ご紹介した相馬堂さんですね。大変申し訳ないんですが、今回ここに集まった人達は人質とさせていただきました』
そして青山という男はさらりと言ってのけた。
相馬堂へ来店した時と変わらない笑顔で、彼は更に続ける。
「ひ、人質!?」
「管轄外からの警察の応援は間に合わなかったみたいだね……」
苦々しい表情で相馬さんが言う。
沼田さんの言った通り、俺を追った勢力とは別の集団が相馬堂を囲んでいたようだ。
『ああ、勘違いなさらないでくださいね。別に何かを要求するわけじゃあありません。皆さんに是非知っていただきたいことがありまして。それと見ていただきたいことも』
ふふっ、と笑う彼。
『気にされている方もいらっしゃいますが……この配信を邪魔する方々には、少しの間忙しくしていただいてます』
彼の声に合わせて映像は更に切り替わる。
そこには燃え上がる伊予川警察署が映し出された。
おそらく沼田さん達が必死で戦っているのだろう……。
「沼田さん……!」
「大丈夫。あいつはああ見えてなかなかやるよ」
諏訪さんがそう言って軽く頷くと、青山が話を始めた。
『ちなみに皆さんの様子もモニターさせていただいてますよ。見るだけじゃ娯楽としてはイマイチ面白くありませんしね』
すると、魔素スクリーン内の一部にはいつか見た花が現れる。
合わせてサップが入った時のように、スクリーン下部には様々なコメントが流れ始めた。
「あれは……どうやらSNSの投稿を取り上げてるようだね。おそらくこの状況についての発言を集めて掲載しているんだろう」
諏訪さんがコメントの内容を睨みつけながら言う。
彼女の指摘通り、そこには「祭りだ!」「セムが面白いこと始めたぞ」というようなメッセージが次々と流れる。
映し出されている花は、みるみる内に成長し大きな花をいくつも咲かせていく。
『喜んでいただけているようで嬉しいです。では次のサプライズを皆さんに』
彼がそう言うと、流れているコメントに何か文字列が付け足されていった。
そしてその文字列は……。
「名前……!」
「……随分と悪趣味なことをするね」
そう……それは氏名であった。
『ふふっ……皆さんの名前を付けさせていただきましたよ。ニックネームとかじゃありません。本名です!』
青山はそのまま嬉しそうに続ける。
『よかったですね!皆さんも配信デビューですよ。でもちょっと流れが早くて、確認できませんよね?安心してください。こちらのページで再度公開しています。名前で検索もできますし……』
彼が得意満面といった笑みで言うと、スクリーンは大きく左右に分割される。
片方には青山自身が、そしてもう片方には彼の言うホームページのようなものが表示された。
『皆さんの所属先にも連絡させていただいてます。学生なら学校に、会社員なら会社に。どんな活躍をされたのか、しっかりお伝えしないともったいないですからね。あ!先程「祭りだ!」と嬉しそうにされた方は会社員の方ですね……営業課長さんじゃないですか!警察署が炎上したことをお祭りに例えるなんて、盛り上げ上手ですねえ』
ホームページのようなものは消え、そこには大きく顔写真が現れた。
そしてその下には、住所や氏名、年齢、勤務先の情報、それから今現在の位置情報まで表示されている。
『あ、この方会社からコメントされてますね。課長さんとして情報に敏感なことは大切なことです。素晴らしい上司ですね!いやあ僕もこんな会社に勤めたいですよ!』
くすくすと楽しそうに笑いながら、彼はそのまま次々と人を紹介していく。
『適当に情報を公開しているんだろう!というコメントもありますね。まあ見せられた本人が一番おわかりかと思いますが、正確に皆さんを特定してますよ。キュリズムから情報を吸い上げてますし。ああ、言い忘れてましたが、キュリズム作ってるの私なんです』
ニヤリと笑みを深めた彼は自身のテリカを見せる。
『皆さんの位置情報はもちろん、個人情報もキュリズムから簡単に手に入るように作ってありますよ。規約をちゃんと読まないと駄目じゃないですか。収集した個人情報はサービス向上のために使います、って記述してあげたのに。まあ、何のサービスかは書いてありませんけどね!』
そこで、あはは、と大きな声をあげて彼は笑いだした。
『あらら、さっきまで元気だった花もすっかり
彼が言う通り、コメントの量はあっという間に減り、SNSでの反応に合わせて咲き誇るはずの花は枯れてしまった。
目尻を拭いながら、大笑いを終えた青山の表情は一変する。
『じゃあ次のサプライズを始めましょうか』
激しい憎悪すら感じさせる眼つきで嘲笑う彼。
そしていつの間にか彼は道に立っている。
そして青山の後ろに映るのは、人が集められた相馬堂だった。
「結界を一時的に張っていたのかもしれないね。彼自身はじめから相馬堂の近くにいたんだろう」
彼のあの表情……。
きっともっと禄でもない事を考えているに違いない……!
「落ち着いて!」
「……ッ!?」
俺が思わず相馬堂へ駆け出そうとすると、いつもの様子からは考えられない鋭い声が響く。
身体を止めて振り返ると、諏訪さんが厳しい表情をしていた。
「……警察の応援を待つべきだよ」
「で、でも……!その間に!」
確かにそれが正しいのは間違いない。
けれど、これ以上放置をしておくと相馬堂で何が起きるのかわからない。
俺に優しくしてくれた人がやっているお店を。
俺を暖かく迎えてくれた場所を。
このまま何もせずに見ているなんてできそうになかった。
「君は初級も初級。付け焼き刃も良いところの書士だ。勢力は分散したとはいえ、ティアというノベラニアや、あれだけのアイマスクを相手に本当に立ち回れるのかい?人質をとられた状態で?」
「ですが……!」
訓練はしたつもりだ。
アイリア用の特殊構文もいくつか書けるようになった。
「確かに君は訓練をした。けれどこの状況を打破できる、とするのは傲慢じゃ――」
分かっている。
当初予測していたものより、状況はとても厳しい。
けれど、この状況で何もしないなんて……。
「それはどうかしらね」
俺が何かを話そうとする前に、聞こえたのは勝ち気な声。
「アイリア!」
「この距離ならなんとかなったわね」
白い文字をまといつつ、俺の隣に顕現したアイリアに、諏訪さんは大きくため息をつく。
「まったく……じっとしてろって言ったはずだよ?」
「別に言われただけよ?約束はしてないわ」
はあ、と再びため息をつく彼女をアイリアは見下ろす。
「でも、どうやって?」
「アンタの馬鹿みたいに多い魔力を使ってなんとかしたわ」
早く魔素補給して頂戴、という彼女は少し顔色が悪い。
俺が写本の隠蔽を解いて魔力を込めると、ありがと、と彼女は笑みを浮かべる。
「なんとかって……書士もノベラニアもめちゃくちゃだね……。大丈夫なのかい?」
「一筆に書かせておいた魔法文を使ったわ。翠屋も奴らが囲み始めてる。余計なちょっかい出されたくないし、逃げてきたわ」
アイリアによると、俺がこの数日の間に書いた特殊構文の一つを使ったようだ。
役に立つから書いておけ、という彼女の指導は正しかったらしい。
「翠屋には僕がセキュリティを張ってるから大丈夫だって……」
「書士を放って置くノベラニアに成り下がるつもりはないわ」
ぴしゃりと言い放った彼女は、もう既に腹をくくったような表情をしている。
「大事なものを守りたいって言うから訓練に付き合ったのよ。そうでしょう?」
「……ああ」
俺は彼女の言葉に、改めて頷く。
そう。
あの訓練は大切な人達を守るためにしたことなのだ。
だから、少し状況が厳しいくらいで引いてしまっては元も子もない。
「まあ、薄々こうなるんじゃないかとは思っていたけど」
やれやれと諏訪さんが頭を振ると、魔素スクリーンから青山の声が響いた。
『ああ、いたいた。君だよ君』
『ひっ……!』
そこには人質として囲われてしまったであろう女性が映る。
彼女は青山から離れようとするが、両側をアイマスクに固められ動けなくされてしまう。
「あ、あの子は」
その女性に俺は見覚えがある。
未来ちゃんと一緒に相馬堂に来た、彼女の友達の一人。
『未来に何しようっていうんですか!』と俺に叫んだ子であった。
その顔は恐怖に歪んだまま、配信画面に大きく表示される。
「ちょ……早く行かないとまずいわよ、これ」
人質に直接手を出し始めた彼の様子を見て、アイリアがスクリーンを睨みつける。
「仕方ないな。僕も腹をくくろう」
軽く息をつきながら話をする諏訪さんが、テリカを操作する。
すると、普段は荷物を運んでいるはずの自動運転車の一つが、俺達の前に止まる。
「うん、時間指定の荷物は乗ってないね。ちょっと遠回りしてもらおうか」
「ええ!?」
彼女は一切躊躇なく車のドアを開け、乗り込む。
「さ、二人とも乗って。運転手もいないし、運賃は無料ってことで。ま、荷物用の車だから立ち乗りだけどね」
ニヤリと笑った彼女に呆然としつつ、俺とアイリアは乗り込む。
「これ、諏訪さんが操作しちゃったんですか……?」
「当然。引きこもりを甘くみちゃいけないよ」
「泥棒し放題じゃない……。まさか牛乳パン、こうやって盗んでるんじゃないでしょうね」
訝しむアイリアに、お金を払わない牛乳パンなど邪道!と笑みを深める諏訪さん。
「大人として君達を止めるつもりだったけれど。それが無理なら、味方として最後までサポートするよ。多少の無理は必要になる。君達も覚悟はできているね?」
「もちろんよ」
表情を今一度引き締めた諏訪さんに、アイリアは即答し、俺は深く頷く。
「なら結構」
諏訪さんが満足そうに笑うと、自動運転車は赤い石畳を走り出す。
まもなく、車内にどこからか輝く文字が浮かび、アイリアは先日新調した魔法装束姿になった。
「外だとますます……慣れないわね……」
ひらひらする短い袴に微妙な顔をするアイリアに、俺は苦笑する。
今まで相馬さんが作った草原でしかこの姿を見せなかった彼女。
「ほら、書森くん。言うことがあるだろう?」
諏訪さんにニヤニヤと肘でつつかれる。
「えっと……か、可愛いと思うよ」
彼女がこの姿になる度に言わされているのだが、未だに慣れない。
「わ、わかったから。無理に言われても嬉しくないから……」
「んん?頬がひくひくしてる気がするぞお?」
ま、まあ喜んでくれてる……のかな?
諏訪さんにいじられるアイリアに、俺は張り詰めた心に余裕が生まれたことを感じた。
「そっ……それにしても……あの青山ってやつ、こんな大掛かりなやり方で一体何がしたいのよ。目立ちたいの?」
取り繕うようではあったが、アイリアが言ったことは俺も同意するところであった。
「こんなことをしなくても、不人気店にして買収しちゃえば技術は手に入りそうなのに……」
こんな事を言うのは不謹慎だが、資金力に物を言わせれば不可能なことじゃないはず。
相馬堂は大企業でもないのだから……。
「彼の実家は表層にあるようだ。いや、あったと言うべきかな。相馬堂のような中小企業の息子だったらしい」
唐突に切り出した諏訪さんに、俺とアイリアは顔を見合わせる。
「それが何か関係あるんですか?」
「飲食店だったらしいんだけどね、とあるレビューサイトで悪質なデマが広がってね」
「最低の評価を付けられたことがきっかけで店はあっという間に潰れ、両親は無理心中。彼は辛うじて命は助かり、魔素適正があったことも幸いして、親族の居る伊予川へきたそうだ」
「!」
「うそでしょ……」
諏訪さんが続けた言葉に、俺達は息を呑んだ。
「週刊誌にも悪意のある記事を載せられてね。彼はおそらく、メディアを相当憎んでいる。……そしてそれに煽られた人々も」
「それは……」
「僕も沼田に調べてくれと言われてから、この情報を掴むのにかなり苦労した。相当巧妙に隠されていたからね……。でもだからこそ、彼の動機につながっていると思う」
彼女はそう言って眼を伏せる。
「おそらく彼にとって、一連の行動は復讐なんじゃないだろうか。大掛かりにすぎるとは思うけれど、彼が復讐したいものが『社会』だとするのならば」
……この大きさは納得できる。
彼がいつか「脱飾」について語ったその裏側に。
『全然っだめっすよ』、という言葉に。
もしかしたら、人そのものに対する絶望が漂っていたのかもしれない。
「それなら、交渉は意味がないのかもしれないわね」
「ああ、彼にとってはこの犯罪そのものが目的だから」
――おそらく彼の扇動に乗った人質達を殺そうとする。
それは誰も口にしなかったけれど。
けれど無言の内に、俺達の共通認識となったと感じた。
「書森くん、君はそれでもやるかい?社会にはいつも狭苦しい想いをさせられてるだろう?」
諏訪さんのその問いに。
迷わなかったといえば嘘になる。
けれど、確かなことがあるのだ。
そして、今。
言葉にしておくべきことがあるのだ。
「……社会は。少なくとも俺の周りは。そんなに狭苦しくありません」
二人が優しい笑みを浮かべたのを見て、俺も頬が緩むのを感じた。
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