第21頁 大事なものを守るために
ジュワっと音がして、伸びていたはずの線が消える。
「あっ……」
その光景に思わず漏らした声は、我ながら情けなかった。
「……ふう」
セミの声が外から聞こえてくるのを感じつつ、ちゃぶ台の上の紙と格闘する夏休みになるとは思わなかった。
改めて魔法ペンを使い、魔法紙に文字を綴っていく。
集中して、慎重に……慎重に……。
そしてようやく文字が書き上がろうとした時。
唐突に声が振ってきた。
「上手いじゃない」
「わっ……!!」
急な言葉に驚いてしまい、ペン先が紙から離れると再びジュワっと音がした。
「「あっ……」」
俺と、声をかけてきたアイリアの眼の前で。
その文字は、あっけなく消えてしまうのだった。
「ちょ、ちょっと声を掛けられたくらいで消してちゃ、せ……世話ないわね!」
口調とは裏腹にとてもばつが悪そうな表情のアイリアに、俺は思わず笑ってしまう。
「ニヤニヤやめなさいっ!」
「はいはい。ごめんよ」
野獣の笑みは彼女の機嫌を損ねてしまったらしい、ひとまず詫びておく。
「アンタ、意外とまめよね。顔に似合わず」
「顔は放っておいてくれ……」
さっと意地悪な表情になるアイリア。
仕返しよ、と口元に笑みを浮かべると彼女は俺の手元を覗きこんだ。
「魔法文字は引きこもりでも書いていられるからさ」
翠屋に引きこもるようになって以降、俺は魔法文字の練習を更に進めることにした。
回路語はもちろん、インキュノベルの模写も最近始めた。
「諏訪さんがこれをやっておけば、回路語とか簡易語も上達するって言ってたし」
「まあそうでしょうけど……」
魔法文字を書き込む際に気をつけるべきは二つ。
一つは丁寧に文字を書くこと。
これは魔法文字は、ミニチュアの魔法回路だ。
だから文字の一画が魔素の通り道でもあるわけで、当然道がガタガタしてしまっては魔法文字として機能しない。
もう一つは魔力を込めながら書くこと。
可能な限り一定の魔力をくわえて、インクに魔素を染み込ませつつ書く必要がある。
感覚としては重たいダンベルを同じ高さでキープしつづける……といった感じ。
「インキュノベルはやっぱり両方難しい。力んでしまうとすぐにジュワっとね……」
「アンタの場合はね、普通はそんな音しないんだけど。指輪付きでそれってどうなってんのよ」
呆れたように言う彼女に俺も苦笑するしかない。
魔力量を調整してくれる指輪があるのにも関わらず、力加減が下手くそなのは相変わらず。
インクに大して魔素量が増えすぎて、ジュワっと蒸発してしまうのだ。
「ん……んん!?」
と、アイリアが急に声を大きくする。
彼女が更に俺の手元を覗きこんだせいで、俺の眼の前は金髪一色である。
な、なんかドキドキするな……。
いい匂いするし……。
「アンタ……これ、意味分かって書いてる?」
ち、近い!!
ぐるっと顔をこちらへ向けたアイリアは目と鼻の先……といったところ。
しかしその表情はとても不機嫌そう……いやむしろ、怒っているように見える。
「え、ええと。正直あまり分かってないんだ……諏訪さんからまずはこれをやってごらん、って渡されて」
「ユカリね……」
俺の言葉に美しい青色の瞳はすうっと細められる。
「よし、殺してくるわ」
「は、はあ!?」
大変物騒な言葉を残し、風のようにアイリアは去っていき。
「んん……なんだいアイリア?まだ昼じゃない……か……?」
「フフフ……ユカリ……死すべし」
ぎゃああ!という諏訪さんの珍しい悲鳴が翠屋に響くのであった。
「書森くん、僕は汚されてしまったよ……」
こんな私を養子にしてくれるかい?などと意味のわからない供述をする諏訪さん。
翠屋のリビングで、遅めの昼食をとっている最中の話題としてはちょっと重たい気がしなくもない……。
「一緒に不労所得で暮らそう、パパ」
「ぱ、パパ?」
「冗談に
うんざりしたような表情のアイリアがため息をつく。
「それで、俺が模写してたインキュノベルってどんな魔法なんですか?」
アイリアが怒った原因らしい魔法文。
一体どんな魔法が発動するのだろうか。
「ああ、それはね……ひっ!」
俺の好奇心に答えてくれようとした諏訪さんは、言葉の途中で急に何かに怯えた様子になる。
彼女の視線の先には、無数の矢。
「お、おい!アイリア!?」
「大丈夫よ、ちょっと躾をするだけだから」
躾の割には凄い殺気を感じるんですけど……!
そして諏訪さんに向けられていた無数の矢は、一斉にその方向を変える。
その矛先は諏訪さんの部屋の扉であった。
「次はどのゲームがいいかしら。ああ、あの古そうな機械のほうがいいかもしれないわね……」
「や、やめてくれえ!あれはもう手に入らないんだああ!!」
諏訪さんは筋金入りのレトロゲーマーでもある。
さきほどの悲鳴は、そんな彼女のコレクションを荒らされたが故だったようだ。
「あの不思議な原っぱに変えても無駄。私なら定義文で突破できる、やってやるわよ……!」
「わかった!わかったからあ!やめてくれえ!」
見た目だけで言えば、女子高校生が泣き叫ぶ女子小学生をいじめているだけである。
「それ以上騒ぐと、アイリアは今日夕飯抜きにするぞ」
「ぐぬぬ……」
俺が伝家の宝刀を抜くと、ギリギリと歯ぎしりをしつつも彼女は矢を消す。
「有能なパパで娘は嬉しいよ」
「次にパパって言ったら牛乳パンの注文やめますよ」
「やり方が陰湿だよ書森くん……」
しょんぼりする諏訪さんを見て、アイリアはくすくすと笑う。
インキュノベルのことは、今はこれ以上触れないほうが良さそうだ。
やや物騒な昼食終えると、俺達は魔法訓練用の草原へ移動する。
ごく普通の部屋の扉からつながる不思議空間にも随分と慣れてきた。
「まったく君達のために僕が徹夜したっていうのに……」
諏訪さんがそう言って取り出したのは、翡翠の指輪。
翡翠の石があしらわれているのではなく、翡翠そのものをリング状に加工したものだ。
「昨日話したATRA作戦用のものだ」
付けてごらん?
と言われるままに、俺は中指の指輪を交換する。
「これが……」
形そのものは以前のものとそう変わらない。
「ユカリが作ったって……魔法技師もできるの?」
「魔素スクリーンの試作に魔法道具が必要でね。技師の勉強もしたんだ」
「す、凄いわね……」
魔法道具を作る職人さんのことをそう呼ぶらしい。
医者でもあり技師でもあり……諏訪さんはやはりとんでもない人だった。
そして彼女の瞳が真剣味を帯びる。
「それじゃあ、早速昨日話したことの実践だ。準備はいいかい?」
アイリアと俺はその言葉に大きく頷いた。
「名付けてATRA作戦。君達にしかできない戦い方さ」
それが昨日、諏訪さんの語りだしだった。
「ATRA作戦って、ゲームのATRAのことですか……?」
アイリアと諏訪さんが揃って遊んでいる例のゲームだ。
魔力を鍛える訓練にもなる、とは聞いたけれど…「作戦」というのはどういうことだろう。
「さすがにゲームを応用するのは無理があるんじゃない?ノベラニアが沢山いるわけじゃないんだし……」
「まあね。伝説の魔法書士にすぐに成れるわけじゃない」
諏訪さんはアイリアの言葉に頷きつつ、続ける。
「改めてATRAの仕組みをおさらいしよう。書森くんはプレイヤーじゃないしね」
こほん、と可愛らしい咳払いをして諏訪さんがATRAの説明を始める。
「5人のノベラニアを扱うATRAのルール。随時彼らに指示を出すのがプレイヤーだ。まあリアルタイムストラテジーとかって言われるタイプのゲームだね」
「ノベラニアのキャラはかなり勝手に動くわよね……細かい指示までやると手が足りないし……」
苦々しい表情をするアイリアに、くすくすと諏訪さんは笑う。
「プレイヤーが操作するノベラニア達に魔素を送るのは、現実の魔法書士と同じ。彼らはこの魔素を使って色々な魔法を使って、相手チームを倒していく。ただ、一点現実とは大きく違う点がある」
確かに現実でも、写本に魔力を込めて魔素を送るのは同じだ。
アイリアもそうして受け取った魔素を使って魔法を行使している。
「それはノベラニア達が敵に攻撃をする度に、書士にもエネルギーが貯まる、という仕組みさ。そしてそのエネルギーを利用して、プレイヤーも様々なスキルを使うことができる」
「現実の書士は魔素を送る側だから、まずありえないことね」
そこはゲームオリジナルの要素ということなんだろう。
聞くと、形勢を逆転させるようなスキルもあったりするらしい。
「私を呼んだ人達は、大抵魔法道具を使ってたわね。魔素供給の
強力なノベラニアを相手にするより、彼らの「電池」である書士を狙うのは時代の常のようだ。
ティアさん達に襲われた時も、アイマスク達はまず俺に攻撃を仕掛けてきたことを思い出す。
そして最大の戦力はノベラニア達がもつ
各々がもつ世界で一つの魔法。
「書士から十分な魔素をもらって使うものよ。私のは一度見せたでしょ?あの赤いやつよ」
「ああ……!あのカッコいい弓矢……」
「なんかそう言われると複雑だけど」
初めてアイリアに会った日に彼女が使った赤い弓矢。
あれが彼女の定義文だそうだ。
「先に撃つ白矢は、アンタの実力次第で数が変わる」
「あの日は……」
「3本よ。次はもっと見せてほしいわね」
挑発するように語るアイリア。
「魔素が不足している状態で発動すれば……伝承では定義を失う、と言われている」
諏訪さんは彼女の説明を補足するように話した。
定義を失う……というのはノベラニアの存在が失われるということ……?
「そんな無茶はしたことないから、私に言われてもわかんないわよ」
「まあそうだろうね。とにかく使い所はよく考えてってことさ」
つまり魔素が確保できる状況でなければ、強力な攻撃は使えない……ということなのだろう。
俺がそこまでの説明に頷いていると、諏訪さんが言う。
「定義文のことを考慮しても、書士自体に戦闘力があることは大きなアドバンテージになるね」
「でもまあ……一筆はまだ魔法を使い始めたばかりだしね……」
アイリアの言う通り、俺はまだまだ魔法に慣れていない。
そもそも魔法道具でさえ禄に扱えていないのは、ルーシャを割ったことで明らかで――
「いいや。ルーシャを割るほどの書森くんだからこそ。現代のATRAに成ることができるんだよ」
そのための道具は明日渡すよ、と言った諏訪さん。
昨日はその後基礎的な訓練をして解散となったのだ。
そして……。
「うわっ!!!!」
俺は急速に発熱する身体に驚く。
そしてすぐさま、どくん、どくん、と全身が脈打つかのような感覚に襲われる。
「それが君に渡した魔法道具の効果だ。あっちに向けて、走ってごらん」
真っ青に晴れ渡る空の下、諏訪さんは随分先のほうを指差す。
脈打つ感覚が少し引くのを待って、俺は軽く駆け出してみた――つもりだった。
「うぉわぁ!?」
視野が狭まったかと思うと、信じられない速度で俺の身体が動く。
軽く地面を蹴るだけで、全力で走っている時以上の速度へあっという間に到達するのだ。
身体を落とし足を踏ん張ってようやくスピードを落とすと、芝の地面がめくれていくほどの勢い。
「おお、無事止まれたね。上出来上出来」
パチパチと手を叩く諏訪さんの隣では、アイリアが呆れていた。
「身体強化……そんな簡単につかえていいのかしら……」
「し、身体強化?」
俺が聞き返すと、彼女はやれやれと頷く。
「ティアって女もやってたやつよ。凄い勢いで距離を詰めてきたり、最初の夜は飛んでたでしょ?」
「そういえば……これはあれと同じ魔法なのか……」
あの驚異的なスピードのからくりはこういうことだったらしい。
俺は新しくなった指輪にふれる。
「書森くんが魔力をアイリアに送る度、その指輪には魔素が蓄積される。そうして蓄積した魔素を開放することで、身体強化の魔法が発動するんだ」
「書士にエネルギーが貯まるってことね」
「ゲームの仕組みに似ていると思わないかい?」
なるほど……だから「ATRA作戦」。
「今の書森くんの調整能力では、普通の魔法道具は耐えられない。だから一端蓄積した魔素を流用するやり方にしたんだ」
「俺が直接流さなければ、ルーシャみたいなことにはならないってことですね?」
そのとおり、と頷く諏訪さん。
「同時に簡易的な防御魔法も展開する。君の身体を守るためにもね。それを応用すれば、君の得意なカラテも一つの武器になるはずだ」
男の実戦カラテが役に立つのは嬉しい。
これで足手まといを卒業できるだろうか。
「ただ、弱点もあるんだ」
ここは大事なことだろう。
諏訪さんも真剣な表情だ。
「この指輪にも限界がある。魔素を溜めすぎるとおそらく破裂するだろう」
は、破裂……!
「滅多にあることじゃないが、無茶な使い方をするのはおすすめできない。魔力を送りつつ、自身も上手に魔法道具を使うこと」
「バランスが必要なのね……」
心配そうに俺を見るアイリア。
確かにそういう器用さは自信はないけれど……。
「破裂させてしまうと、周囲の魔法をすべて無効化してしまうだろう。自身が発動している魔法は吹き飛ぶし、魔素が暴れてしばらくは魔力そのものが使えないと思ったほうがいい」
魔素を内的に保持しているノベラニアは別だけどね、と諏訪さんは付け足した。
なるほど……これは相当習熟が必要になりそうだ。
でも、だからこそ。
「使いこなしてごらん。大事なものを守りたいんだろう?」
「……はい!」
挑戦的な諏訪さんの言葉に俺は力強く答えた。
「それと、アイリアはその
「うっ……」
け、剣は苦手なのよ……!と赤い顔をするアイリアは少し可愛らしかった。
ノベラニアにもそういった得意不得意はあるようだ。
「だから書森くん。君は可能な限り彼女に近づく敵を減らす。身体を張って止めていく。おそらくノベラニアを止めることは不可能だけど、大抵の人間を倒すことならできるだろう」
お姫様を守るんだ、と口角を上げる諏訪さん。
俺は深く頷いた。
「お、お姫様じゃないわよ。守られなくても平気だから……」
アイリアは赤い顔のまま、否定する。
それはそうだ、彼女のほうが戦いにも慣れているだろうし、能力も上。
守ることができる、とはとても思わない。
けれど、守られるばかりの存在ではあまりに情けない。
俺はこうして役割を持てたことが嬉しかった。
「あ!忘れてたよ、アイリアにはお着替えをしてもらわないとだった」
「お、お着替え?」
諏訪さんの突拍子もない発言にアイリアは大きな目を更に大きくした。
そして――。
「ね、ねえ……ユカリ……」
俺の魔法体験の後、写本の裏表紙を変えること数度。
驚くことにその素材によって、アイリアの服装は変わるらしい。
試しにやってみよう!という諏訪さんに流されるまま、やってみたけど……。
「す、すごいスースーするんだけど」
恥ずかしそうにする彼女の出で立ちは、大正ロマンという感じであった。
深い赤色の
ただ……袴がやたら短い。
これはもう袴というよりスカートだよな……。
足元はくるぶしまでを隠す、黒色のブーツを履いている。
「アイリアは足も綺麗だねえ。女性として羨ましい限りだ」
「み、見ないでよ!あ、ちょっと触るな!」
「よいではないか、よいではないか」
なんだか楽しそうではあるが、疑問もある。
「いつもみたいに私服でいいんじゃ……?」
俺の言葉に悔しそうにアイリアが答える。
「一応浴衣も、これも。写本から生み出してる魔法の一つ。敵の攻撃を防ぐにはこのほうがいいのよ……」
『
普段はTシャツにショートパンツの彼女が、ティアさんと戦う時は浴衣だったのはそういうことだったのか……。
「とはいっても動きやすさは大事だ。ティアって子のスピードについていくには軽装であったほうがいいんじゃないかい?」
「ま、まあそうだけど……!」
そう。
スピードタイプのティアさんを捉えていくためには、動きやすさは必須。
だからこその着替えということだったのだ。
「何故か和装ばかりだったからね。今までの中では一番動きやすそうだけど?」
諏訪さんの言う通り、アイリアの魔法装束は着物ばかりなのだ。
ちなみに、私だってわかんないわよ!というのが彼女の意見であった。
「わかったわよ……。うう……慣れないわね」
「僕は可愛いと思うけど?書森くんはどうだい?」
まあ……言うまでもない。
「可愛いと思う」
「……っ!」
ますます赤くなったアイリアは、目まぐるしく表情を変えた後。
わかったわよ……、とつぶやく。
「それじゃ、ATRA作戦の訓練を始めるとしようか」
――大事なものを守るために。
諏訪さんが付け足した言葉を、俺は深く心に刻んだ。
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