第3章 凡人が成すこと

第18頁 卑怯な妹

『やっぱり表情が怖いですよね……。言いたいことがあっても言えなくなってしまいそう』

『大人でも怖いですよ、あれは。報復行動を恐れて被害届けを出せてないんじゃないですか』


 コメンテーターとして招かれたタレント達。


『アメリカでは、普段の言動が外見的特徴に非常に強い影響を与えるという研究結果がありまして……』

『となると、彼の外見というのも少なからず?』

『まあそう考えるのが今の潮流かなと。FBIでも犯罪プロファイルで―ー』


 何かの専門家の顔はそこでふっと消えた。


「まったく海外でやってれば何でも正しいっていうのかしら。随分迎合主義な専門家様ね」


 リビングの魔素スクリーンを消してくれたのは、お兄ちゃん。

 朝からほとんど同じ内容のニュースが流れ続けて、もう夜。


 今日は一日、ほとんど籠もりきりで過ごすことになった。


 昨晩の騒ぎが、こんなことになるなんて。

 まるで悪夢だ。


 どうして?

 未来ちゃんだって、最後は元気に帰っていったのに。

 書森くんが一体何をしたっていうんだろう。


「明日もお休みねえ……。久しぶりにインクの調整でもしてみようかしら」


 落ち着いた様子のお兄ちゃんを、私はどこか遠くに感じた。



 昨日の深夜に諏訪さんから連絡があってから、私は頭の中がぐちゃぐちゃになったまま。


 SNS上で書森くんが話題になっていること、動画が撮影された場所が相馬堂の近くであることが割れていること。

 どこからか、彼が相馬堂で働いていると噂になっていること。


 おそらく朝一番からメディアの関係者がやってくるだろうから、店はしばらく開けないほうがいい……ということ。


「どうして……」


 思わずつぶやいて、そんな自分に嫌気がさした。

 だってそれがどうしてかなんて分かりきっているのだ。


 そう、私が彼を連れてきてしまったから。


 ムラサキファンドと面倒なことになっていた相馬堂へ。

 誤解されやすい彼を、半ば無理やり伊予川へ。


「私が……書森くんを「それは違うわよ」……えっ」


 安易な自己嫌悪の渦に逃げ込もうとする私を、お兄ちゃんは引き止めるかのように言う。


「一筆ちゃんはどんな所でも問題を起こす子なのかしら?」

「そ、そんなこと……!」


 むしろ彼はどんな所でも自分ができることを探すタイプだ。

 キャリアサポート課の職員としてもそこはよく知っている。


「だったら。どうして詩織ちゃんが彼をここへ連れてきたことが問題なの?」


 お兄ちゃんの一言に、私は何も言えなくなってしまう。

 彼に問題なんてない。

 問題がない人を伊予川へ連れてきただけ。


 そのはずなのに。


 いや、そうだからこそ。


「そうでしょ?本当の問題はわよね」


 その言葉に私はドキリとする。

 そしてその視線が私を完全に捉えた。


 駄目だ……これはもう逃げられない、私は身体が強ばるのを感じた。



「今回の詩織ちゃんはアタシ……卑怯だと思うわ」



 言われてしまった。

 ずっと隠したかったこと。

 上手く隠せていると思ったこと。


 でも、きっと最初から見通されていたんだと思う。



「わ、わたし……っ……」



 視界が歪む。

 あふれる涙を堪えられなくて。


 漏れ出る嗚咽を抑えられなかった。


「もう……仕方ない子ね」


 お兄ちゃんの優しげな言葉を聞いて。

 私は何度も頷きながら、声を上げて泣いた。


 隠し事が露呈した時の気まずさと。

 でもどこかで安堵している自分を感じながら。


 私は涙を拭うことさえできずに、声をあげた。



 

「相馬さん、例の彼。担当してもらってもいいかしら」

「れ、例の彼……ですか?えっと……」


 そんな風に課長から指示を受けたのは、梅雨の足音が聞こえ始めた頃。

 

 れ、『例の彼』……とは?


 私のその困惑っぷりに笑みを浮かべた課長は、もう少し具体的に教えてくれた。


「書森一筆くんよ。先週の面談の後、担当の子がどうしても変えてほしいって」


 ほんっと困ったものよね。

 と彼女はため息をつく。

 そう言えば同僚が、ものすごい怖い顔の子が来る、って震えてたっけ。


「男性職員も嫌がるから、私が出れれば良いんだけれど。時期的に難しいのよ」

「ああ!課長も夏は伊予川でしたっけ」

「そうなの。その準備でかなり行き来が増えるから、サポートがどうしても薄くなっちゃうわ。人手がやっぱり足りなくてね……」


 課長の言う通り、次層の就職支援はとても手薄。


 次層で育った人が表層へ行く場合。

 表層の優秀な子を次層へ斡旋する場合。


 両方での生活経験に、キャリア課の仕事経験がある人間でないと難しい。


 だからどちらも経験がある人間が、一定期間伊予川市役所で就職案内窓口を担当するのだ。

 

「伊予川は政令実験都市ですからねえ。研究者には手厚いんですけど……」


 『政令実験都市』というのは、魔法技術を科学技術に落とし込む実験をする……という役割をもった都市のこと。

 伊予川はその内の一つで、だからこそ表層の伊予川とほぼ同じ街並みを作っている。

短距離転移や魔素スクリーンなどの技術を表層の都市に持ち込んだらどうなっていくのか。


 そういったことを社会実験として取り組み、未来の都市像を眺める場所なのだ。

 完全な自動運転の導入もその一環である。


「にしたって就業人口のバランス悪すぎよ。お店もほとんど兼業してもらってるし」


 ソトシマやニノ屋を始めとした商店は、表層も次層も同じ人が経営していることがほとんど。

 伊予川出身者は魔素適正が高い人が多いらしい。 

 表層と次層の店舗で少しずつ名前が違うのは、伊予川商工会の遊び心だそうだ。 


「いつまで立っても短距離転移は表層にやってこないのよねえ」

「表層で実現できても、実用化まで何年かかるんでしょうか……」


 課長と一緒につい遠い目をしてしまう。


 魔法技術は日夜、科学技術として実現できないか研究されている。


 表層で脳波を使ってPC内のカーソルを動かす技術開発が進んでいるけれど、あれは魔素を動かすという原理を科学に応用したもの。

 秘匿されているが、魔法技術から科学技術への落とし込みは日常だったりする。


「話が脱線しちゃったわ。それで書森くんのこと。貴方平気?」

「ううん……どうでしょう。直接話をしてみないとなんとも」


 やりたくないわけではない。

 むしろ、彼のこうした境遇には少し思うところもあった。


「じゃ、お願いするわ。夏は貴方も伊予川でCS課の仕事だったわよね?ひとまずそこまでってことで」


 

 そして二日後、私は『例の彼』書森一筆くんと出会ったのだ。

 


 時は流れ夏休みの直前。


「次層へ許可をお願いします!」


 これが書森くんについて、私がたどり着いた結論。


 要するに見る目のない企業共から、彼を奪い取ってしまおう、ということ。


 真面目で一生懸命。

 怖がられても、偏見を持たれても決して攻撃的にならない。

 むしろ彼らに歩み寄っていこうという姿勢。

 

 知識も技術も、必要だと思えば進んで身につける柔軟さと誠実さがある。

 ……女性ウケ方面にやたら力を入れているみたいだったけど、まあそこは男の子だしね。


 こんなに優秀な人材を逃す表層の大馬鹿者達に、彼はもったいない。

 魔素適正があったことが分かった時、私は小さくガッツポーズをしたほどだ。


「ず、随分思い入れがあるのね……。ちょっと噂になってるわよ?」

「噂……?」

「書森くんのこと、好きなの?」

「は、はあッ!?」


 キャリアサポート課は高校生の集まりなの……?

 そんな噂で楽しむなんて、ちょっと幼い気がしなくもない。


「はあ……そういうのじゃないですよ」

「インターン中は同居、って書いてあるけど」

「人格的成長に必要ですから。店主のこだわりを生活からも感じてもらって……」


 お兄ちゃんは職人として優秀だし。


「隣に翠屋。次層から家賃も出るのに?」

「し、職人の背中を見て、学ぶことも……」


 そうそう。

 せっかくのサマーインターンだし、そういうのも大事!

 何もおかしくなんてない。


「本音は?」

「私の料理で胃袋から……あっ」


 私は課長の視線に観念して俯いた。


「まったく……まあ彼の事情もあるし、適正も高い。完全に個人的感情だけってことはないみたいだけど。少なくとも同居は駄目、シェアハウスになさい。軽はずみな行動で損するのは貴方よ?」


 ちっ……。


「貴方上司に舌打ちしたわね!?」

「し……してません」



 共感。


 それが私の気持ちが最初に動いたところだと思う。

 彼の境遇はどこか私と似ているように感じたのだ。



 私は高校の途中まで、今よりもずっと地味な女だった。

 

 伊予川は私の地元だけれど。

 魔素の適正もさほどなくて、魔法も下手くそだった。

 そんな自分が魔法文具店の娘だっていうのは、申し訳なくて。


 あまり上手くいかない毎日に、なかなか持てない自信。

 鈍痛にも似た不安と不満を抱えた息苦しさ。


 そんな自分を変えたくて、私は高校二年生の春から自分の見た目を変えていくことにした。

 変えられることだけでも、変えてみようと。

 気に入らなかった体型も運動で引き締めて、眼鏡も辞めてコンタクトにして。

 

 化粧も一から勉強して、思い切って出かけた夏祭り。

 

 数少ない友達が呆れるほど、男性に声をかけられた。


 最初は嬉しかった。

 今まで話をしたことがなかった人とも、仲良しグループでない人とも関わりが持てた。

 そのことで、世界が大きく広がったように感じたのだ。 


 けれど。


 見た目を変えただけで、皆寄ってくる。

 やっていることは変わっていないのに、妙に褒められる。

 先生の態度まで変わった。



 だからすぐに悲しくなった。


 

 人ってこうも見た目で態度を変えるんだって。

 

 そして同時期に出てきたキュリズムというサービス。

 相馬堂の評価は★2と★3を行ったりきたり。

 そこでもレビューの理由はお店の見た目のこと。


 店内に来たお客さんの数とレビューの数は全然合わなかった。



 私はキュリズムのCMで言う『世界をシンプルに選ぶこと』がどうしても好きになれずに。

 結局次層を、伊予川を出ることにしたのだった。



「書森くんは違ったの……。私と同じように悲しくなって、そこから逃げたっていいはずなのに」


 人に恐怖を与えてしまうことがある見た目。

 彼はそれについて悩んでいたし、悲しさを滲ませることもあった。


 でも、決して逃げなかった。

 自分ができることを一つひとつやっていた。


 私は心からそんな彼を尊敬したし、応援したいと強く感じたのは本当だ。

 今だって素敵な人だと思う。


「それが眩しくて……もしかしたら書森くんなら……」


 けれどいつしか。


「見た目で覆る世界を、変えてくれそうだと思ったのね?」


 お兄ちゃんの声に、止まらなくなった涙を拭いつつ頷く。

 

「私……勝手に書森くんに……すがってたの……っ」


 そう。

 私は勝手な願いを彼に重ねるようになってしまった。

 彼の誠実さが、私が欲しくて仕方なかったものを見せてくれる気がして。

 

 人として彼を好ましく思っているのは間違いない。


 でもそれがいつの間にか。

 好きだとかそういうのより、きっと……もっとずっと醜悪しゅうあくな気持ちになっていったのだ。


「私が出来なかったこと、したかったことを。彼に被せようとしていたの……っ……」


 私は何もせずに。

 彼をここへ連れてくるだけで、何かが変わると期待した。


「私、ほんとに……ほんっとに卑怯者だ……っ」


 こんな事を言っても何の意味もないのに。


 でも、口に出して自分に分からせてやりたかった。

 彼に問題があるかのように逃げようとした自分に、もっともっと思い知らせてやりたかった。


「それで?卑怯者の詩織ちゃん」


 そんな刺々とげとげしい言い回しに、顔を上げる。


 お兄ちゃんは優しい眼をしていた。



 ……そうだ。 

 泣いていても変わらない。



 書森くんなら。

 彼ならこういう時、きっと何か行動を始めるのだ。


 インターンで上手く行かなければ、会社研究をやり直し。

 顔写真の角度を工夫して、履歴書も何度も書き直していた。


 そんな彼を尊敬しているのなら。


 彼に預けてしまった、背負わせてしまった荷物を私は背負うべきだ。 

 それは本来、私のもので。

 そうすることが、彼を見習うことそのものなのだから。

 

「私しばらくこっちの就職支援のお仕事、お休みもらう」


 私は少し強めに頬を拭う。

 涙が枯れてなんかいないけど、ぐっと堪えた。


「今の相馬堂から逃げない。絶対踏ん張ってみせる……それで」

「それで?」



「……書森くんの居場所を作る」



 私は改めてキュリズムのスコアとレビューを見る。


 昨晩から急落したスコアは★半分。

 つまり0.5。

 これ以上低い評価にはならない。


『女性に乱暴して逃げる人を雇う店なんてありえない』

『店主も怖い顔してたし、親族だと思う。犯罪者の血筋』

『ここの商品は買わない。使っている人いたら軽蔑する。暴漢を引き入れる店を繁盛させるとか頭がおかしい』


 散々なレビューコメント。

 相馬堂は前庭に近づけば、キュリズムが反応してレビューができる。

 メディア関係者が少ない時間を狙って、一般の人も来ていたんだろう。

 もしかしたら彼らもこういったレビューを書いていたのかもしれない。 


「お兄ちゃん……ありがとう」

「いいのよ。宣伝みたいなものじゃない♪」


 悪名は無名に勝る……と、ふふっと笑ってくれる彼。

 そんな大きな彼と同じ血が流れていることが嬉しくて。


「私も頑張る」

「大変よ?詩織ちゃん、可愛いし」


 私の気持ちをわかった上で、誂うように言うお兄ちゃん。

 多分情けない顔になっている私を、暖かい眼で見つめてくれた。


「卑怯な詩織ちゃんより、ぐしゃぐしゃな顔をしてる妹のほうがアタシは好きよ♪」


 包み隠さない彼の言葉。

 私はもう一度顔がぐしゃぐしゃになってしまうのを隠せなかった。

 


 でも、今度こそ逃げない。

 書森くんに面と向かって謝るために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る