第17頁 世界はいつもわかりやすい
「何やってるんだ!」
声のするほうを見ると、すぐ近くまで数人の若い男性が迫ってきていた。
その中の一人に乱暴に突き飛ばされ、転がるように地面に投げ出される。
「暴漢だ!そいつを抑えてくれ!」
「わかった!」
一体何が……?
周囲の状況が理解できず身体を起こそうとするが。
「見てたぞ!大人しくしろっ!」
上半身を起こしたところで、後ろから羽交い締めにされた。
「……えっ……?」
顔だけを動かし周囲を見て、俺は思わず声を上げてしまう。
未来ちゃんに手をかざしていたはずのアイマスクが居ない。
それどころか倒れ込み呻いていた彼らも。
そしてこの時になってようやく、俺は結界が解除されていることに気づく。
普通の若者達、それに未来ちゃんがここにいることがその証拠だった。
「えっ、じゃないだろう!」
「その子を押し倒してたのは見えたぞ!!」
俺を囲む男たちの声。
上手く説明しようとするが、突然のことが多すぎて言い返せない。
「あ、あの……ち、違うんです……!」
未来ちゃんは状況に驚きつつも、俺のことを擁護してくれようとしていた。
しかし集まった男たちは、彼女が恐怖のあまり言葉がでてこないんだと感じたらしい。
「大丈夫だよ、落ち着いて」
「今警察にも連絡するからね」
男の一人が穏やかな声で未来ちゃんに話しかけつつ、テリカを取り出そうとしたその時。
「ちょっとアンタ達!!」
アイリアのよく通る声が響く。
少し離れた彼女のほうを見る。
どうやらティアさんも姿を消したようであった。
怒り心頭の様子の彼女が大股でこちらへ近づいてくると、そのまま男たちに詰め寄った。
「違うって言ってんでしょ!ちゃんと話を聞きなさいっ!」
不意に現れた強気な女の子に、男たちは驚き一瞬沈黙する。
「い、いや。コイツが女の子を押し倒してたんだって」
「っていうか誰だよ……」
辺りはすっかり夜闇に包まれている。
俺とアイリアは離れた場所にいたので、彼らからすれば唐突な登場だろう。
一体お前はなんなんだ、とアイリアに言い始めた。
とはいえ、先程まで起きていたことを説明するのは随分とややこしい。
アイリアも同じことを感じたらしく、うぬぬ……と難しい顔をしている。
このまま押し問答になるかもしれない、と思った時。
未来ちゃんが控えめだが、確かに声をあげた。
「あ、あの……大丈夫なんです。ちょっとぶつかってしまっただけで。皆さんご迷惑かけちゃってすみません。それにこの人、私の知り合いなんです」
「えっ……?」
「本当に?無理しなくていいんだよ?」
大学生くらいの男たちは、口々に未来ちゃんを心配する。
……が、その視線にはやや下心も見えるような気もした。
未来ちゃんが可愛らしいので、これをきっかけ仲良くなることを期待したのかもしれない。
「だ、大丈夫ですから。その、ありがとうございます」
彼女はそう言って立ち上がると、男達は複雑そうな顔をしたまま立ち去っていった。
彼らが立ち去った後、ひとまずアイリアと一緒に未来ちゃんを相馬堂へ連れて行くことになった。
閉店後ではあったが、文さんと相馬さんは快く対応してくれた。
「そんなことが……。未来ちゃん、大変だったわね」
「いえ、ちょっとびっくりしただけで……」
忘れ物のノートを受け取る未来ちゃんは随分落ち着いてきたようだ。
「あっ、このお茶美味しいですね」
「でしょ♪一筆ちゃんが淹れてくれたのよ」
「そうなんですか!?」
女子高校生に喜んでもらえる日が来るとは思わなかった。
ありがとう『モテ執事』。
これから新刊は2冊ずつ買おう。
「それにしても……ティアちゃんがねえ……」
「ノベラニアさんってホントに人と見分けがつかないんだね……」
文さんと相馬さんは、ううむ……と唸っている。
「納得いかないわ」
ぼそりとつぶやくアイリア。
彼女によると、ノベラニア同士ならすぐにお互いが分かるのだという。
「強盗騒ぎの夜に一度会った時、とてもノベラニアとは思えなかった……」
「思えなかった?」
強盗騒ぎの夜にやってきたアイマスクはティアさんだった。
声も変えていたし、さらしを巻いてしまえば身体つきも誤魔化せてしまうだろう。
同時にそんなことを気にしていられる状況でなかったことも大きい。
「ええ……扱っている魔法の質が低すぎる。ノベラニアは人間よりも魔素と親和性が高いわ。だから魔法の質も人よりずっと上になるはず」
『すっからかんじゃない』とあの時彼女が言ったのは、そのことも指していたのだと言う。
その時、恐る恐るといった様子で未来ちゃんが声をあげる。
「その、のべらにあっていうのは……?」
「あっ……」
彼女を完全においていきぼりにしてしまったことに、俺達はようやく気がついた。
「そんなことが……。アイリアさん、同級生にしか見えないです」
「あ、貴方よりずっと大人よ」
一通りの事情を話すと、未来ちゃんは関心したようにアイリアを見る。
当の彼女は頭からつま先まで見つめられつつ、恨みがましそうに未来ちゃんの胸を睨みつけていた。
「……不公平だわ」
ま、まあ……結構差はあるかな。
もちろん口には出さない。
「とりあえず公平ちゃんにもこの件は伝えておきましょう。アタシからも連絡いれておくわ♪」
「未来ちゃん、今日どうやって帰る?このまま帰るのはちょっと怖いよね?」
相馬さんが優しく聞く。
確かに黒い服の人間に加え、急に俺に押し倒されてしまうような格好になったわけだ。
落ち着いてきたようには見えるけれど、怖さが無くなったわけではないだろう。
「えっと、親に連絡したのでそろそろ迎えが……」
彼女がそう言うと、丁度通りにお洒落な車が止まったのが見えた。
と、その中から男性が飛び出すように降りてくる。
「未来!無事か!?」
その男性は猛烈な勢いで、相馬堂の扉を開け未来ちゃんに声をかけた。
ジーパンにTシャツと言ったラフな格好の男性。
しかしどこか品があって、眼鏡をかけた顔は知的な印象だ。
「お、お父さん!仕事は?」
未来ちゃんの声に、安心したような顔になる彼。
どうやら未来ちゃんのお父さんだったようだ。
「会議は放り出してきたぞ!どこか怪我はしなかったか?」
「えぇ!?……うん、大丈夫。皆さんが良くしてくれて」
「あ!すみません!いきなり押しかけるような形で……お、おお……随分強そうな方々だ
……」
文さんと俺は、そんな言葉に苦笑してしまう。
失礼、と咳払いをした彼は、改めてお辞儀をする。
「未来の父、
「店主の相馬です。大切なお客様ですから♪」
冗談まじりに言う文さんに、修司さんは気持ちよさそうに笑った。
「この子の母親も心配してまして。お礼は改めてということでもいいでしょうか?」
失礼は承知なんですが、と付け加えた彼は未来ちゃんの肩をそっと抱いている。
未来ちゃんも柔らかい表情をしている所をみると、いいお父さんなんだろう。
「お礼なんていいですよ!未来ちゃん、今日はゆっくり休んでね」
「詩織さん、ありがとうございます。皆さんお世話になりました」
そう言って寺岡親子は、手を振って去っていった。
「私達も帰りましょ、お腹減ったわ。一筆、なんか作りなさい」
彼女たちを見送ったアイリアの第一声は、やっぱり俗っぽかった。
「一筆ちゃん、随分懐かれたわね♪」
「あはは、書森くん料理上手だしね」
楽しそうに笑う相馬兄妹に俺が苦笑していると。
「い、犬猫みたいに言わないでよ!!」
アイリアが真っ赤になって抗議する。
随分と騒がしい夜だったけれど、その後はいつもどおり。
魔法を使った疲れもあり、俺はあっという間に眠りにおちた。
だから忘れていたのだ。
世界はいつもわかりやすさの味方だということを。
翌朝、朝食の準備をしつつ魔素スクリーンを立ち上げる。
アイリアも諏訪さんも起きてこないリビングはとても静かだ。
だから最近は二人の分の朝食も作りつつ、こうして番組を聞き流すことが増えた。
魔素スクリーンに映し出されたのは、朝の情報番組。
『彼はこのまま逃げていってしまった、ということです』
『ははあ、なるほど。ひとまず女性が無事でよかったですねえ』
番組内では繰り返し何かの映像が流され、それについてコメンテーター達が意見を交わしている。
『警察は今の所動いていないんですか?』
『女性側が被害届を出していない、ということが理由みたいです』
キャスターによる説明に、彼らは改めて声を上げる。
『被害女性はこの男が怖くて、声を上げられないんじゃないですか?彼女の気持ちをもっと尊重すべきですよ』
『画像があまり鮮明ではないですが、かなり恐ろしい表情をしていますよね。そういう気持ちになってもおかしくないと思います』
恐ろしい表情。
ほとんど聞き流していたはずの彼らの声が、そこだけ妙に気になりスクリーンを見た。
「えっ……」
そして思わず声を上げてしまう。
そこに大きく映っていたのが……俺の横顔だったからだ。
『この動画をアップした大学生達は、彼女の声にできない叫びを代弁したかったそうです。被害が実際にあったのだから、警察も動いてほしい、という気持ちもあったとコメントしています』
『助けた上に代弁とは……関心な若者達ですね。SNSの悪い面がクローズアップされることも多いですが、こうして社会に対して訴えかけるツールとして優秀な面も――』
動画の一時停止は依然として大きな画像で表示され続ける。
薄暗い中に映し出される俺の横顔は、その不鮮明さも手伝って不気味さが増している気がした。
「い、一筆……」
いつの間にか起きていたのか、アイリアの声が聞こえた。
「ええと……お、おはよう」
なんとか絞り出した言葉は、自分でも呆れるくらい間抜けなものだったと思う。
彼女はそんな俺に、何か言いたげな表情をしたまま口を閉ざした。
伊予川のテクノロジーにも慣れた彼女。
おそらくこの事態を理解したんだと思う。
未だ呆けたままの俺よりも早く。
『こちらの現場にほど近いという文具店前に〇〇アナウンサーが取材に行ってくれています。〇〇さーん!』
沈黙の中、番組は無神経に続いていく。
目線を向かわせるべき場所が分からず、その声に促され魔素スクリーンを見てしまう。
『一言だけでもお願いしますー!動画の彼が、こちらで働いているって情報があるんですけど、その情報は事実でしょうかー!』
そこに映ったのはよく見覚えのある前庭。
それは相馬堂のものだ。
開店前の相馬堂前には報道関係者が集まっているらしく、様々な声が飛び交っている。
『このように現時点ではお話を聞けてはおりません』
『〇〇さん、こちらに警察関係者が訪れたりといったことは?』
『現時点ではありません。現在は警察署前でも取材を続けています』
あれだけ不鮮明な映像だったのにもかかわらず、俺の素性の大体は判明してしまっているらしい。
相馬さん達に大変な迷惑をかけてしまっているようだ……。
「そうやって他人の情報を探ることを趣味にしてる人がいるんだよ。それでネット上で公開するわけだ。まあ嘘も多分に含まれているけどね」
「す、諏訪さん……」
「おはよう、書森くん」
映像を呆然と見つめていると、諏訪さんから声をかけられる。
この時間に彼女が起きることは珍しい。
「深夜に沼田から緊急で連絡があって、情報の推移は見ていたんだ」
ペタペタと歩きリビングの椅子に座る諏訪さんは、大体の事情は聞いたよ、と付け加えた。
どうやら彼女は深夜から起きたままだったらしい。
そんな彼女に従うようにアイリアも椅子に座る。
「相馬堂にも先んじて暫定的な対応の連絡はしておいた。相馬堂は数日休業になるだろう。本来なら長期間の休業が望ましいけれど……文がそうしたくないって話でね」
そうか……。
俺のせいで営業が……。
事態の大きさにショックを受けていると、魔素スクリーンは消される。
アイリアが気を効かせてくれたみたいだ。
「先に言っておくよ」
静かになった部屋に諏訪さんの声が響く。
「書森くんへの風当たりはこれからどんどん強くなる」
「……」
それはそうだろう。
俺は暴漢として取り上げられ、しかも逃げたということになっている。
こういう話題に一度なってしまうと、どうしたってやり玉にあげられるだろう。
「だから、君はしばらくここから出ちゃいけない。あらゆる手を使って君の居所は隠してある」
諏訪さんは、他も誤魔化したけれど不十分かもしれない、と申し訳なさそうに続けた。
「外に出れば、あることないこと言われてしまうだろう。相馬堂も、君も、両方守るためには嵐が過ぎ去るのを待つしか無い」
「そ、そんな……だって一筆はアイマスクのやつから、あの胸のおっきい子を助けただけよ!」
彼女の言葉にアイリアは少し腰を浮かせる。
「そうだろうね。何も悪くない」
「じゃあ、外に出たって……!」
「出てどうする?」
諏訪さんは強めの口調で、アイリアの声を遮った。
その眼にはいつものような穏やかさや、やや気だるそうな様子は微塵もない。
「今、彼を連れて出て。狼の群れに放り込むような真似をして、どうするんだい?」
「……っ!」
口ごもるアイリアを強い眼差しで見た後、彼女はほっと息をつく。
「今、事実に力はない。この間話をしたアレクサンドリアだってそうだったろう?人は見たいものを見て、言いたいことを言う」
学者達の試みは、一部の人間たちにとって
でもそれはその人間たちにとってそうであっただけ。
そしてその思想を拠り所として学者達を攻撃し、アレクサンドリアを転移へ追い込んだ。
「
スカッとするじゃないか、とため息混じりに言う諏訪さん。
苦々しい表情で彼女は続ける。
「
「そんなのって……」
諏訪さんの言葉にアイリアは悲しそうな表情をする。
正義の味方。
確かに、女性を襲った悪い男を吊るし上げるのは正義なのだろう。
しかもその男の見た目は野獣だ。
大衆娯楽にぴったりの分かりやすさなのかもしれない。
「だから」
と彼女は強い意思を瞳に込めて、俺を見据えた。
「書森くん、僕は君の……君達の味方でいると決めている。
こんな
僕は君を知っている。そして君達をもっと知りたいと思っている。
正義を語るより、君達と語っているほうがずっといい」
真っ直ぐな眼に撃ち抜かれて、俺は心が揺れるのを感じた。
同時に涙が出そうになるのを必死に堪えている自分に気づく。
「なあに、しばらく一緒にニートをすればいいんだよ」
そして茶化した諏訪さんの笑顔を見て、結局涙が頬を伝ってしまった、
「二人とも泣き虫だなあ、書士とノベラニアは似るのかい?」
「に、似ないわよ!それに、私は泣いてない!」
アイリアの声は少し震えていたが、近くにあるティッシュでチーンと鼻をかんでいた。
そんな彼女の様子に少し頬が緩む。
「私だって、味方だからね……」
ぼそりと言うアイリアに再び泣きそうになったのは秘密だ。
こんなに暖かな二人に。
せめて俺ができることを今はしよう。
そんなちょっと大げさな気持ちで、俺は改めて朝食の準備を始めた。
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