第16頁 もう一人のノベラニア

「一筆ッ!」


 唐突なアイリアの声が響いた途端、現れた無数の魔法文字が俺を包む。

 刹那、金属同士を打ち合わせるかのような音が数度響き、壁となった無数の文字に波紋が広がった。


 攻撃魔法……!


 するりとほどけるように文字の壁が消えると、夕焼けの残滓は消え、奇妙な薄暗さが辺りを包んでいる。


「相馬堂じゃない場合に備えておいてよかったわ」


 光る文字を漂わせながら、隣に現れるアイリア。

 あの夜と同じ赤い浴衣を身に着けている。


「ありがとう、助かったよ」

「り、料理番が居なくなったら困るってだけよ」


 頼もしいノベラニアは、ごまかすように前を向く。

 その視線の先には数人の人影。

 黒い服に身を包み、その顔はアイマスク状の仮面で隠している。


「前回逃げたやつのお仲間みたいね」

「ってことは、魔法上級者達……?」


 アイリアの弓をしのぎ逃げ出した人間。

 彼女も諏訪さんもその魔法の腕を評価していたはずだ。


「雑兵ね。あいつほどじゃないわ」


 アイリアは釣り眼がちな目を細める。

 驕ることのない淡々とした言葉に、アイマスク達が身構えたのが分かる。


 俺が片手を宙にかざすと、手のひらに文字が集まり始める。


「嘘……!できるようになったの?」

「魔法文字と一緒に練習してみたんだ」


 文字がやがて写本に変わると、アイリアが少し目を見開きながら言う。

 

 魔法訓練に合わせて練習した「写本の隠蔽」。

 写本を普段は見えなくしておく……という小技だ。


「書士がやってくれると楽だって言ってたしさ」

「確かに言ったけど……」


 口ごもる彼女自身が教えてくれたのだが、少し驚かせることができたのかもしれない。 


「!」


 と、薄暗かった辺りに光るものが浮かぶ。

 アイマスク達の二撃目の魔法だ。

 

 ……これも練習済。

 俺は焦らないように注意しつつ、手に現れた写本に魔力を注いだ。



「アイリア、頼む」

「ん……上出来ね。任せなさい」



 魔素を受け取った彼女は口元に笑みを浮かべ、手を前にかざす。

 彼女の優雅なその所作だけで、殺到した魔法はすべて霧散した。 


「なっ……!」

「く……!」


 その光景に、アイマスク達が思わず声を漏らしたのが聞こえた。


「甘っちょろいわね」


 ふふっと笑ったアイリアは俺の前へ出る。

 その周囲には光の文字が幾重にも飛び回り、やがて光輝く矢が宙空から射出されていく。


「くそっ……!!」

「防御魔法を展開しろっ!」


 彼らはそれぞれに魔法文字の盾を発現させるが、それらは次々と壊され悲鳴があがった。


「ぎゃあ!!」

「お、おいおい聞いてねえぞっ!」


 しかし、その矢を辛くも躱した数人がこちらへ突っ込んで来る。


「書士をやれ!」


 多少なりともノベラニアに対する知識がある……ということだろうか。

 アイリアに魔力を送っているのが俺であることを知っているらしい。


 そして、俺を害すれば事態を打開できる――


「させないわよ」


 だがその目論見は通用しない。

 アイリアが発現させた文字が彼らをあっという間に打ち据え、吹き飛ばす。


「ありがとう」

「い、いちいちお礼は言わなくていいから……」


 魔力を使って魔素を送り込むのが書士。

 書士はノベラニアにとって一種の『電池』である。

 

 戦いになれば補給路を断とうとするのは妥当だが、それをさせないこともまた当然だ。


「回路語、上達したわね」

「相馬堂が暇なお店で助かったよ」


 俺の言葉にくすくすと笑みを浮かべたアイリア。

 

 彼女が最初に打ち込んだ魔法も、俺を守ってくれるこの魔法も。

 時間をみつけて――強面が幸いし、隠れる時間は沢山あったので――回路語を勉強し、魔法文を作ったもの。

 写本の中には、これらと諏訪さんから頂いた魔法文が半々くらいで入っている。


「つ、強い……!」

「うぐっ……」

「くそ……」


 地面に転がされたアイマスク達はアイリアの魔法のダメージで、ほとんどうめき声を上げるだけ。


「ぐわぁッ!!!」

「あがっ……!!」


 そこへ更に発光する文字が襲いかかり、彼らを地面に張り付けにする。

 アイリアが放った拘束の魔法だ。


「これで、大丈夫でしょう。後は……来たわッ!」


 彼女のその声とほぼ同時。

 一筋の光が一直線に俺へ向かってくる。


「はぁッ!」


 そしてそれは青く光る文字を伴い人型に変化し声をあげた。

 俺が目で追えたのはそこまで。



 ――次の瞬間、俺の身体は翠屋の壁に叩きつけられた。



「一筆ッ!」


 俺を気遣うように声をかけたアイリアが、幾本もの矢を宙から放つ。

 俺を吹き飛ばしたであろう人影は、それを打ち払いながら距離を取る。


 アイリアもまた距離を取り、吹き飛ばされた俺の直ぐ側に立った。


「平気?」

「ああ、防御魔法ありがとう」

「アンタが回路語上達してなかったら、発動が遅れて間に合わなかったかもね」


 ニヤリと笑うアイリア。

 ほんと勉強しておいてよかった……。


 俺は背中にさほど痛みが残っていないことを確認しながら、立ち上がる。

 不思議と翠屋の壁が壊れた様子はない。


 俺が叩きつけられたのだ、それなりに衝撃があったはず。


「結界よ、強盗の時もあったわ。周囲の世界から隔絶させられてる。普通の人は入ってこれない。逃げ回ってたやつが来たらしいわね」

「そういえば……あの時も……」


 強盗騒ぎの時、あのアイマスクが言っていた。

 

『時間を稼いでも、警察はこない』


 それはこういうことだったのだ。

 そのことに気づき、改めて飛び込んで来た敵を見た時。


「貴方……っ!!」

「!!」


 俺とアイリアは同時に息を呑んだ。

 改めて確認できた人影、それが見覚えのあるものだったからだ。



「ティアさん……!」



 彼女は相馬堂に来たときと同じスーツであった。

 美しい顔立ちも、抜群のスタイルもそのまま。


 ただ、その手には柄の無い日本刀のような刃物。

 持ち手は真っ黒で、刀身は対照的に白く輝いている。


 そしてその刃からは、光に反射するかのように文字が現れたり、消えたりしている。


「『固有こゆう文』……!貴方、まさか……!!」


 アイリアが目を見開く。



「同類に出会うのは初めてですね」



 同類……!

 つまり。


「ティアさんも、ノベラニア……!?」


 ティアさんが、右手に持っていた刀を左手に持つ。

 すると刀身に文字が集まりはじめ、鞘に収まった刀に変わっていく。


「くるわよっ!」


 アイリアの言葉とほぼ同時、再び光が突っ込んでくる。

 そして今度は、かろうじて刀が振られるのが見えた。


 そこにアイリアの防御魔法が重なり、弾き返す。


「……っ!!」


 アイリアがわずかに苦悶の表情を浮かべる。

 それだけ威力のある攻撃だと言うことだろう。


 俺は写本を実体化させ、今一度魔素を送る。


「定義文を防ぎますか……無茶苦茶ですね……!」


 再び距離を取ったティアさんはそうこぼしつつ、アイマスク達を捉えた光の文字をけとばす。

 すると光る文字による拘束は砕け、アイマスクは一人、また一人と自由になっていく。


「……させないッ!」


 アイリアは彼女の動きを遮るように矢を放っていくが、ティアさんはそれらを切り捨てていく。

 踊るように動きながら、彼女は複数人の拘束を破壊してしまった。


 次々と立ち上がるアイマスク達。

 ふらついてはいるが、彼らが戦闘態勢に戻る。


「いきなさい」

「はっ!」


 ティアさんの言葉にあわせ、一斉に突っ込んでくるアイマスク達。

 その標的は俺だ。

 まっすぐに突っ込んでくる彼らを見据える。


「一筆……くっ!!」

「貴方の相手は私ですっ!」


 アイリアの元へはティアさんが飛び込んでいく。

 ティアさんがアイリアを抑え、俺を潰そうということなんだろう。


「死ねッ!」


 一方俺のほうでは、アイマスクの男が物騒なことを言いながら飛びかかってくる。


「ぐっ……!」


 アイマスクの拳を手のひらで受け止める。

 アイリアの攻撃で消耗しているはずなのに、重みのある一撃だ。


 だからこそ……。

 俺は受け止めた腕を思い切り引っ張り投げに転じる。


「なっ……がはっ!!」


 男の実戦カラテ、暴漢から彼女を守るモテ技。

 まさか自分を守るために使うことになるとは……。


 地面に転がった男は、身体を丸めたまま呻いている。


「おらぁッ!」


 しかしすぐに別の声が聞こえ、横腹に衝撃が走る。

 どうやら他のアイマスクの人間が、蹴りを入れてきたようだ。


「うぐッ!」


 骨がきしむような感覚に襲われつつ、相手の脚をしっかりと抱え込む。


「うあッ……!」


 驚きに口を開けた男をそのまま投げ飛ばすと、低い声を上げ地面に転がった。


 まずは二人。

 

 しかし残りの数人の周囲に、魔法文字が現れるのが見える。

 それらは踊るように宙に浮かび、複雑な回路を形成していく。


 まずい……アイリアに防御魔法を使ってもらわないとこれは防げない……!

 

 と思った時、頼もしい声が響く。


「人の書士に余計なことすんなっ!」


 声と同時にやってきた光の矢は、正確に彼らを撃ち抜く。


「うわぁああッ!!」

「くそッ……ぎゃあっ!」


 悲鳴を上げながら倒れ込む彼らを、更に拘束の魔法が追い打ちをかけた。

 振り返ると、アイリアがティアさんの攻撃を受けとめている。


 ここからは少し距離があるのに、俺の状況を見ていてくれたらしい。


「アイリア!」

「魔素足りないっ!!」


 アイリアの返事に、顕現させた写本に改めて魔素を込める。


「はあっ!!」


 魔素を受け取ったアイリアが声を上げると、光る壁がティアさんを打ち据えた。

 彼女を吹き飛ばしたアイリアは、さっと俺の近くへ戻ってくる。


「無事?」

「ああ、アイリアは?」


 俺が小さな声で聞くと、彼女は苦々しい表情をする。


「魔法文が足りなくなりそう。やっぱり回路文は消費が早いわ」


 本来はノベラニア毎の規則に沿って書かなければいけない魔法文。

 しかしアイリア用の規則が複雑で間に合わず、現在は回路文を無理やり使ってもらっている。


 その影響は、彼女が魔法を行使できる回数に色濃く現れてしまっているのが現状らしい。


「アンタはまだ魔力は平気?」

「ああ。そこは心配ない」


 魔力を使いすぎた時の脱力感は訓練で経験した。

 今はその感じからは程遠い、まだまだ魔素を送ることならできるだろう。


「それなら――」 

「仲がよろしいんですねっ!」


 鬼気迫る声とともに、再びティアさんが飛び込んでくる。

 

「ったく!しつこいのよッ!」


 金属がぶつかるような音が響き、彼女の刀がアイリアの壁と激突する。


「はっ!!」


 間髪入れず、複数回響く金属音。

 

「下がって!」


 俺をかばいながら、壁で刀を受け止めるアイリアが叫ぶ。

 横っ腹の痛みに耐えつつ下がり、再び魔素を送る。


「随分はしゃぐじゃない!」

「今日は足手まといがいないですからね……っ!」


 『今日は』……。


 あの夜強盗とともに現れたアイマスク。

 やっぱり、あれは彼女だったんだ。


 ティアさんがあの時から関わっていた。


 つまり、一連の襲撃がムラサキファンドによるものという予想は間違っていなかったのだ。


 アイリアの挑発するような言葉に、ティアさんは踊るような斬撃の舞で答える。

 片手で壁を張り、アイリアはそれに応戦する。


 魔法文を慎重に使うためだろう、アイリアは攻撃は控え、チャンスを狙っているようだ。


「その割に刀が一本なんて謙虚なのね!手加減のつもりかしら?」

「……貴方の胸ほど謙虚ではありませんっ!」

「コロス!!!絶対殺す!!」


 金属音が鳴り響くなかの言い合いは中々に熾烈で……。

 アイリアがもう片方の手を前にかざすと、無数の矢が放たれティアさんに襲いかかる。


「くっ……!」


 苦悶の表情を浮かべるティアさんは、距離を取りつつもその矢をすべて切り払う。

 

 ……凄い。


 これがノベラニア同士の戦いか。

 常人ではついていくこともできないだろう。

 守られ、電池役になることしかできない自分が歯がゆい。



「動くなっ!!!!」



 ……と、そこへ唐突に別の声が響いた。

 見るとアイマスクの一人が、一人の女性に掌を向け叫んでいる。

 

 全員倒れて呻いていたと思ったけれど……まだいたのか……!


「……大人しくしろ」

 

 そういったアイマスクが手を向けている女性を見て、俺は目を見開く。

 そこには未来ちゃんがいたのだ。


「い、一筆さん……こ、これは……」


 震える彼女と目が合う。


「行って!!」


 アイリアの声とともに、未来ちゃんの周りに光の壁が現れる。

 その壁を見たからか、それともアイリアの確信を持った声色に背中を押されてかは分からない。


 気づけば俺は夢中で未来ちゃんに向かって走り出していた。 



 けれど夢中で走りすぎたせいか、俺は重要なことに気付いていなかった。



 アイマスクの口元が笑っていたこと。

 後ろ手で、未来ちゃんを引っ張っていたこと。


 そして、いつの間にか結界が解除されていたことに。



「きゃぁッ!」



 彼女の悲鳴と、俺が彼女の元へたどり着いたのはほぼ同時。

 倒れた未来ちゃんに半ば覆いかぶさるようになってしまい、彼女は目を見開く。

 

 怖がらせてしまったと思うけど、今はひとまず彼女を連れて距離を……。

 と、状況を確認するべく身体を起こそうとした。



 ――しかしそうするより前に、辺りに男性の声が響いた。



「何やってるんだ!」

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