第15頁 コワモテの接客
今日も伊予川を雲ひとつない青空が見下ろしている。
落ち着いた赤色の石畳からは
昼時をすぎても日差しは強いまま。
太陽は今日も空の王者である。
相馬堂の前庭にある木はセミの定位置らしい。
今日も元気に鳴いているようだ。
「お、一筆ちゃん今日も回路語のお勉強?頑張ってるわねえ」
「あはは……諏訪さんに勉強しておけって言われて。回路語で書かないと発動しないんですよ俺」
相変わらずお客さんのこない相馬堂。
魔法を学ぶ塾や、学校の一部などのお得意様に商品を発送した後。
こうして魔法文の勉強をさせてもらっている。
「でも随分魔力のコントロール上達したじゃない♪」
「ああ、いやこれも指輪のおかげです」
あの日、諏訪さんからもらった翡翠の指輪。
その効果の一つが、魔素を吸い取る……というものであった。
俺の大きすぎる魔力によって動かされる魔素。
その一部をこの指輪が吸ってくれるため、魔法を随分と発動させやすくなった。
魔法文字を書く際も魔力を込める必要がある。
だからこの効果は本当に有り難い。
「ふふっ……初日はペンまで破裂させるんだもの。アタシも流石に驚いたわ♪」
「すみません……」
「中指だけ手袋……っていうか指袋?それ案外お洒落ねえ」
俺の指元に眼を移した文さん。
「紫ちゃんのプレゼントだっけ?随分気に入られてるのねえ」
「は、はあ……それはどうでしょうかね」
実験対象としては気に入られてるのかもしれない……。
文さんは更に視線を移し意外そうな顔をした。
「懐かしい紙つかってるじゃない♪よく引っ張り出してきたわね」
「あ、はい。これが結構使いやすくて」
今俺が書き込みにつかっているのは、漢字練習帳のようなタイプ。
正方形の中に、うすくグリッドが入ったマスが縦に数個並ぶ。
そのセットが横にも連なっていく……という構成だ。
「回路語の基礎的なものって、漢字に似てる気がして」
「それ観光客に流行ったのよ。海外の人って漢字が好きだったりしてね、魔法紙としてもつかえるし、趣味と実益を兼ねたってわけね♪」
でも回路語に使う人はいなかったわねえ、と頷く文さん。
「最近こっちへ来た人ならではの発想かも♪あ、交互に紙を変えてるのね」
「折角カスタムノートですし……ちょっとルーズリーフっぽく使ってます」
いいじゃない!と彼が嬉しそうにした時、久しぶりのお客さんがやってきた。
なんと、制服を来た女子高校生が3人。
お得意様は高齢の方が多い中、これはとても珍しい。
「いらっしゃいませ、どうぞゆっくり見ていってね♪」
文さんの声が響くと、彼女たちは途端に色めき立った。
「わっ!ほんとにオネエさんがいる!」
「も、モヒカン……!」
「なあに?アタシを見に来たの?仕方ないわねえ♪」
女子高校生達の反応に気を良くした文さんは彼女達へ近づき、世間話を始めると更に店内は賑やかになる。
「えっ!これ魔法用のノートですか?可愛い!」
「すごっ、この万年筆高っ!」
そんな彼女達に笑顔で対応する文さん。
見た目はいかついけれど、愛想のよい彼は女子からの受けも良いようだ。
せっかくの雰囲気を台無しにしてはいけない。
俺がそそくさと奥へ引っ込もうとした時、店内を見回していた一人と眼が合ってしまった。
「あっ」
悲鳴を上げられる……そう思ったのだが。
「あのっ……新幹線で会いましたよね……?」
「えっ!」
意外な再会だった。
彼女は新幹線内でイケメン彼氏と一緒にいた子だったのだ。
「せ、先日は兄と二人で大変失礼を……」
驚きに固まったままだった俺を再起動させたのは、ほんの少し近づいてきた彼女の言葉だった。
結構距離はあるが、ほぼ初対面の女子高校生が野獣に一歩踏み出す。
まさに、歴史的瞬間であった。
「お、お兄さん……?」
「はい、あの時一緒にいたのが私の兄なんです。私も兄もその……驚いてしまっただけで……。声を上げたら、お兄さんが連れて行かれてしまって……」
な、なんと出来た子なんだろう。
こんな野獣を前にこんなことを言ってくれるなんて……!
俺は感激のあまり溢れ出そうになる涙をこらえつつ、気にしないでください、と伝える。
「いいえ……。に、荷物を棚にあげようとしてくれたんですよね。兄と一緒に後で気付いて、謝りたかったんですけど……私達は先に駅から離れるようにって言われてしまって」
なるほど……。
もしもの時のため俺とは合わせないようにした、ということかもしれない。
被害届けが出されるようなら、きっと対面したのだろうけど……そうならなくてよかった。
優しい駅員さんにも会えたしな。
「ちょ、ちょっと!
「何この人、顔怖ッ……!?」
と、彼女と一緒に訪れた女子高校生二人が、俺たちの間――と、いっても距離はかなり空いているが――に入り込む。
「お、オネエさん、あの人お店の奥へ行こうとしてますよ!」
「未来のこと睨んでたし、警察呼んだほうがいいですよッ!」
何と友達想いの子達だろうか。
俺の視界に入っただけで逃げていく大人も多い。
しかしこの子達は友達のために間に入ってきた。
やはりいい子には、いい友達がいるものである。
「これ、お願いします」
俺はとりあえずお客の振りをして、手についた商品をレジへ持っていく。
「ちょ、ちょっと一筆ちゃん……」
小声で何か言ってくれようとする文さんに、大丈夫、と口だけを動かす。
キュリズムのスコアのこともある。
俺が席を外せば、文さんとのふれあいで評判が上がるかもしれないのだ。
「……また来て頂戴ね♪」
少し引きつった笑顔の文さんに会釈する。
背中にささる視線がとても痛い……。
未来という子の顔を見ないようにしながら、俺は店を出る。
さて、彼女たちがいなくなるまで翠屋で枕を濡らそう。
多分文さんが連絡してくれるはず。
なんとも虚しい昼下がり。
女子高校生に、警察を呼ぶ、とか言われるとやっぱり凹むなあ……。
日差しが傾いた頃、翠屋の枕をたっぷりと濡らした俺は再び相馬堂にいた。
ちなみにATRA徹夜明けのアイリアと諏訪さんに大笑いされた。
晩飯抜きにする、と告げると揃って土下座されたので許したけれど。
「ごめんね、一筆ちゃん。気をつかってもらって……」
「いや、いいんです。慣れてますし……彼女達どうでした?ノート気に入ってくれましたか?」
辛くないと言ったら嘘になるが、ノートに興味を示していた彼女たちの反応のほうが気になる。
「もう……。いい感じだったけど買わせなかったわ。今持っているのがまだ使えるみたいだったから、彼女達に押し付けるのはちょっとね♪」
大変文さんらしい。
彼はモノに対する愛情が深いのだろう。
無理に買い替えを進めなかったようだ。
と、前庭に人影が見えた。
俺は先程のようなことが無いように、店の奥へ移動を始める。
「一筆ちゃん」
しかし、それは文さんの声で止められた。
思わず振り返ると、そこには昼の女子高校生の一人が立っていた。
「さきほどは……すみませんでしたっ!」
そして、彼女は綺麗なお辞儀をしたのだ。
「まったく!店の従業員を犯罪者みたいに扱って。あの二人はどうしたのよ?」
珍しく憮然とした態度の文さん。
子供を叱る父親オーラがすごい。
「その……いくら言っても信じてくれなくって……」
「相手の言うことに耳を貸すのも信頼のうちよ!あの子らアタシが直々に指導してやろうかしら……ッ」
「ひぃい……すみません……!」
おいおい、文さんが怖がらせてどうするんだ……。
「新幹線のことも聞いたわよぉ……結局貴方おんなじこと繰り返してるじゃないっ!あーもう腹立たしいわ!!」
「そ、そのとおりですっ!ご、ごめんなさい!」
「ごめんで済んだら警察はいらないのよっ!それとも何?呼んでやろうかしら?営業妨害とかなんかそういうのでっ!」
「文さん、そこまで!そこまででお願いします!」
いい大人が女子高校生に熱くなりすぎですよ……。
なんですか、営業妨害とかそういうのって。
「良いの?ひどいことされたの一筆ちゃんよ?」
「大丈夫ですから。こうして謝ってくれるだけで充分です。えっと……」
ちらりと頭を下げていた彼女を見ると、はっとした表情をする。
「てっ、
改めてお辞儀をしてくれる彼女。
本当に立派な子である。
「未来さんのお兄さんや、友達を驚かせてしまったのが発端ですし、別に怒ったりはしてないのです。わざわざ謝罪に来ていただいて、ありがとうございます」
彼らにしたって悪気があったわけじゃないだろう。
トゲトゲしても仕方がない話である。
……枕は濡らしましたが……。
「まあ、一筆ちゃんがいいって言ってるんだし私からも許すわ。あの二人も機会をみつけて謝りに来なさい。それをさせるのも友達として大事なことだからね」
今一度言い含めるように文さんが言う。
彼女はわかりました、としっかり頷いた。
それを確認した文さんの表情にも笑みが戻る。
これで要件は終わりかな、と思っていると彼女は申し訳なさそうに続けた。
「それで、この状況だとすごく言いづらいんですけど……。私ノートが欲しくって」
なかなか度胸のある子かもしれない。
俺と文さんは顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
「将来、回路語を扱う大学へ進学したいんです」
ぱっちりとした大きな目を開いて言う未来ちゃん。
彼女は高校2年生らしく、この夏から少しずつ準備をしたいんだそうだ。
こうして見るとやはり美少女だ。
彼氏かと思った兄もイケメンだったし、血筋を羨ましく思ってしまう。
アイリアと同じくらい長い黒髪はさらさらと輝いている。
しかもアイリアより……その、かなり大きい。
ティアさんより大きいんじゃないかな……。
だ、駄目だっ!
これでは本当に犯罪者になってしまう!
でも……あれは目立つよな……。
ちなみに『ちゃん』づけ、というのは非常に抵抗あるのだが、彼女が「さん」は嫌だというのでやむを得ない。
まさか呼び捨てにも出来ないし……。
「でもなかなか上手くいかなくて。ノートも探してみようかな……と」
私が出来ないのは道具のせいってわけじゃないですよ!と慌てたように付け足す彼女。
「そういう話をお父さんにしたら、このお店を教えてもらって。一人じゃ勇気がでなくて、友達を誘ってきたんです」
「お父さんいい趣味してらっしゃるわ♪」
ふふふっと文さんはご機嫌である。
「今使ってるノートは持ってきたかしら。ペンもあれば見せて頂戴」
文さんの言葉に、これです、と言って彼女が見せたのは大手メーカーのものだ。
価格も手頃で、かなり普及しているものだと聞いている。
「ペンはこれを使ってます。お父さんが買ってくれて」
「あら、良いものつかってるわね。お父さんやっぱり趣味が良いわ♪」
彼女が取り出したのは、ボールペン。
今俺が使わせてもらっているものと似ている。
万年筆の前に、まずはボールペンから。
と、文さんに渡されたのだ。
「
「そ、そうなんですか?あんまり気にしないで使ってました……」
「あらあ……文字に関わるなら、しっかり道具も勉強なさい」
めっ、と軽くおでこをつつく文さん。
突かれた彼女は少し呆けた後、恥ずかしそうに笑う。
ペンに描かれたチェックみたいな柄は、SHIZシリーズの定番だそうだ。
「ふふ……でも回路語ならちょうど良いわ。一筆ちゃん、彼女にノート見てあげなさい」
「えっ……!」
しっかりね、と文さんに背中を押され俺は彼女の前に出てしまう。
「あっ……えっと。お、お願いします」
おっかなびっくり挨拶をしてくれる未来ちゃんを前に、無理です、とは言えなかった。
「あ、ホントだ……書きやすい!」
未来ちゃんはさらさらとペンを動かしながら、嬉しそうにする。
よかった、どうやら俺が選んだ紙を気に入ってくれたようだ。
「私のノートの紙と何が違うんですか?」
「こっちは少しだけざらついているんだ。触ってみたらわかると思う」
「あ、確かにそうですね……、こっちよりざらざらしてます!」
彼女のもつノートに使われている紙は、Kコート、と呼ばれる紙。
これは既成品に多く使われ、万人向けだ。
ただ、弱点もある。
「Kコートはなめらか過ぎて、PARKで丁寧に書いていると滑りやすい気がしてて」
「そ、そうですそうです!そうなんです!すいーっと行き過ぎちゃうんです」
勢いよく頷く未来ちゃんに頬が緩む。
回路語は、画数と角が多い密度の高い文字。
『すいーっと』言ってしまうと、とても書きにくい。
PARKのなめらかな書き心地が裏目に出てしまうことがある。
……という実体験から、Kコートより一段安いKUコートという紙を用意した。
「偶数頁をこの漢字練習タイプ、奇数頁を横罫タイプの組み合わせで俺は練習してるんだ」
「おお……!賢いですね!こっちで基本練習して、魔法文は奇数頁で……」
回路語を練習する、という意味では同じ境遇にいたということが大きかったのだろう。
いつの間にか会話ははずみ、気づけば嬉しそうにノートを受け取る未来ちゃんがいた。
「ありがとうございました!そのとっても親身にしていただいて」
ぺこりと頭を下げる彼女。
たまたまタイミングがよかった、と告げると照れくさそうに続ける。
「そ、それなら私もタイミングがよかった……です。一筆さんがいる日でよかった」
えへへ、と笑う彼女になんだか照れくさくなってしまう。
ニヤニヤとこちらを見る文さんの視線がちょっと気まずい。
「それじゃあ、また来ます!」
もう一度軽く頭を下げると、未来ちゃんは上機嫌で去っていく。
「ふふ……良い文具店員っぷりだったわよ♪」
そんな彼女を見送りつつ、文さんが言う。
まあ出来過ぎ……というか、俺にとってすごくいいタイミングでのお客さんであったことは間違いない。
でも……。
これだけ人と話し、何かを提供するということは初めてだった。
怖がられずに、気づけば直ぐ側で説明をしていた。
接客業なんて、一度も出来たことがなかったのに。
彼女が喜んでくれたこと、お客さんの笑顔が見られたこと。
その事実が、とにかく嬉しかった。
「あ!あの子これ忘れていってるじゃない」
文さんの声のほうを向くと、未来ちゃんが持ってきた既成品のノートが置かれたままになっていた。
「よっぽど浮かれてたのかしら。それともまた来るっていう意思表示?」
くすくすと笑う文さんに、俺もつられてしまった。
「一筆ちゃん、どうして彼女あんなに嬉しそうだったかわかる?」
「え……?」
目的に合ったノートが手に入ったからではないだろうか……?
「半分正解♪」
「は、半分?」
ふふっと笑う文さん。
彼は少し溜めをつくってから続ける。
「一筆ちゃんが寄り添ってくれたからよ。自分の経験を交えながら、こういうのはどうですか?って」
「た、確かにそうでしたけど……それがそんなに……?」
俺の言葉に文さんは深く頷く。
「カスタムノートはね、一緒に買うの。お客さんと一緒に見て一緒に考えて、一緒に大切なお買い物をする。そこまで含めて相馬堂の愛なのよ♪」
勉強になったかしら、とこちらを見る文さん。
その優しげな眼差しに、俺は胸が一杯になり言葉に詰まってしまう。
「……はい」
精一杯絞り出すような返事をして頷いた俺。
そんな俺の様子に、文さんは楽しそうに笑い声をあげた。
閉店後の相馬堂を後にし、翠屋へ向かう。
日中のことを思い出し、俺はわずかに頬が緩んでしまうのを感じた。
「嬉しかったな……」
つい、そうつぶやいてしまうほど。
端的に言えば浮かれていたのだ。
日中の陽炎はなりを潜め、わずかに潮の香りを感じる風が心地よい。
夕陽もほとんど落ち、その名残が空に滲んでいる。
今日の夕飯はなににしようか……そんなことを考えていると。
「一筆っ!!」
唐突に、アイリアの声が響いた。
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