第14項 馬鹿魔力の魔法訓練

 世間は夏。

 

 しかし芝生の広がるこの不思議な部屋は、春の陽だまりのように心地よい。

 時折過ぎていく風も、とても作られたものとは思えない。

 魔素スクリーンを作った手腕は伊達ではない……ということだろうか。


「とりあえず、もう一回やってみようか」


 そんな不思議な空間で、諏訪さんは宙に手をかざす。

 すると木製の引き出しが現れ、中からは魔法用紙が取り出された。


「簡易語でさっきより長めにしたやつ。上手く行けばカメラのフラッシュみたいになるはずだ」


 はいどうぞ、と手渡された紙は手に平に収まるほどのサイズ。

 そこには黒いインクで、魔法文字が数行書かれている。


「それじゃ、ゆっくり行こう。まずは指でなぞって……」


 俺は彼女の言葉に頷き、文字に人差し指を当てる。


「ゆっくり横にスライドさせて、女の子のほっぺを触るくらいの力を入れて……」


 女性のほっぺを触るって経験が無いのですが……。

 

 と、とにかく優しくってことだろう。

 俺は左から右に指を走らせつつ、そっとお腹に力を入れる。


「……っ!」


 すると文字はゆっくりと緑色に光を放ち始める。


「そのまま最後までゆっくりと進んでみよう」


 諏訪さんの言葉に従い、俺は指を次の行に移す。

 そのまま最後の行に差し掛かった時。


「!!」

「あっ!」


 残りの文字だけでなく、紙そのものが緑色に光を放つ。

 そして次の瞬間。


 ものすごいスピードで魔法文字が紙から飛び立ち、宙に複雑な模様を描く。

 しかし模様が描かれていく途中。



 ――それらは花火のように弾けてしまった。



「……綺麗だね。夏だし、気が利いている」

「綺麗じゃないわよ!失敗してるじゃない!」


 ふむ、と頷く諏訪さんとは対照的にアイリアは盛大にため息をつく。


「魔法紙も無くなってるし……」

「あっ……!」


 手元を見ると、文字が無いどころか紙まで無くなっていた。


「こりゃあルーシャをぶっ飛ばしたのも頷けるね」

「にしたって……」


 呆れた目でこちらを見るアイリア。

 

 魔法文を使うと、文字が宙に浮き魔法回路を模した模様が浮かぶ。

 そして効果が発動した後文字は紙に戻るが、回路発動の余波として文字が掠れた状態になる……というのが通常らしい。


 翻って今の俺はどうかというと。


 魔法は発動せず、インクどころか紙も光ってなくなってしまう……という状態なのだ。

 しかもこれで10回目。

 さっきからまったく魔法が発動しない。

 

「な、なんかごめん……」


 力技で呼ばれ、呼んだ相手がこの調子じゃあアイリアも落胆するだろう。

 彼女は今までもっと熟達した人に呼ばれていたようだし……。


 と、思ったが。

 意外にもアイリアは困ったような笑みを浮かべる。


「謝らなくっていいから、ちょっと驚いただけよ。子猫族が寂しい時みたいな顔しないの。ユカリ、もっと長いのはないの?」

「ふふふ……当然色々ある。インキュノベルは無いけど……」


 ニヤリと笑った諏訪さんは魔素スクリーンを出し、何かのリストを眺め始めた。


 見せて見せて、とそのスクリーンに歩いていくアイリアはどことなく嬉しそうだ。

 こ、子猫族ってなんだろう……もふもふしてそうな語感だけど、ノベラニア界のお伽噺とかそういうのかな……。


「よし!次はこれで行ってみようか!」


 なんだかワクワクした様子の諏訪さんが、再び新しい紙を持ってきた。


「ん?何を落ち込んでるんだい?」

「いや……さすがにこれだけ魔法が使えないと……」


 ルーシャを割ってからというものの、自覚的に使おうとした魔法が全く成功していないのである。

 経験のない人間に渡すのだから、今日渡されているのはおそらく初級のものだろう。

 さすがに自信をなくしてしまうというものだ。


 そんな俺の様子に彼女はハッとし、自分の髪をわっしわっしと触る。


「ごめんね。ちゃんと説明してなかった」


 つい勢い込んでしまってね、と諏訪さんは申し訳なさそうに続ける。


「君は確かに馬鹿魔力だ、しかも制御できてない。だから文字が霧散し、効果が出ない」


 やはりそういうことらしい。

 途中で文字が光っちゃうもんなあ……。


「魔法に対して魔素の量が多すぎて、回路そのものが吹っ飛んじゃうってわけさ」


 そこで諏訪さんはぐっと俺に近づき、下からキラキラとした眼で見つめてくる。

 

「でもね……そんなこと些細な問題に過ぎない」


 制御は後から訓練すればいいのさ!と、いつもより熱の入った彼女の言葉にドキッとする。



「君の唯一無二の特色を無駄にさせるもんか。研究者として僕は今、君に期待してるんだ!」



 さあ!どんどん回路をぶっ飛ばして、まずは僕に限界を見せてくれ!と楽しそうに言う諏訪さん。

 

「私だって期待してないわけじゃないんだからね。まずはちゃんと自分を知って頂戴」


 くすっと笑うアイリア。


 そんな二人の様子に俺は先程までの暗い気持ちが霧散していくのを感じた。


「よしっ……」


 俺は弱気な自分に活をいれるつもりで頬を叩く。


「ふふっ……わかりやすいわね」

「うん、わかりやすい。結婚詐欺とかに弱そうだね、彼は。チョロそう」


 ……ニヤニヤとこちらを見る女性陣に頬が熱くなるのを感じた。

 いや、違う。

 これはさっき叩いたからだ、そうだ、そうに違いない。


 こうして俺の魔法訓練は続いた。



 ――そして。


 

 魔法訓練開始から80枚目。

 


 芝生が広がった部屋に、大きな光の玉が現れ空間を真っ白に覆い尽くした。



「ま、眩しっ……!」

「ちょ、ちょっと……っ!」


 あまりの光に、アイリアと諏訪さんは顔を覆ったようだ。


「や、やった……!」


 しかし、俺はその光を待ち望んでいたのだ。

 だからこそ、そのまま立ち尽くし、圧倒的な光を全身で浴びた。

 

 手元には白紙になった魔法紙。

 

 改めてそれを確認し、俺は自身二度目の魔法がようやく成功したことを噛み締めた。

 

「ふふふ……予想を簡単に超えてきた。相当高いレベルの魔法文でやっととは……ふふふ」

「これが力技なんだから、ちょっと怖いくらいね」


 呆れを通りこしうっすら笑みの浮かぶ諏訪さんとアイリア。

 控えめにおめでとう、と言ってくれた彼女達に、俺は少し泣きそうになった。


「さてアイリア、君も他人事じゃないんだよ?」


 ニヤリと言った諏訪さんの言葉に、彼女は途中で何かに気付いたらしい。

 さっと顔が青くなっていく。


「ちょ、今日やるの!?」

「もちろん。この調子でやってしまおうかと」

「む、ムリよ!無理無理!」


 何やらアイリアに負担がかかるようなことをやるらしい。

 はあ、とわざとらしくため息をついた諏訪さんはぼそっとつぶやく。


「ATRAで二人しか操作できないのも当然か。挑戦心がないからな……」

「ちょ……ちょっと!!聞き捨てならないわよ!」


 ちょっと口角が上がってるんだよなあ……諏訪さんの。


「や、やるわ!やってやろうじゃない!かかってきなさいよ!」


 虚勢を張るアイリアに、ニヤリと笑う諏訪さん。

 ……見た目は小学生だが……割と汚い大人であった。



「これ、渡しとくわ。大事にしなさいよ」


 次の訓練はアイリアと合同のものらしい。

 そして俺の手には一冊のノート。


 見た目はアイリアのノートとしての姿にそっくりだ。


「これが私とアンタをつなぐ道具。前に一度触ったでしょ?」

「そういえば……」


 強盗騒ぎの時、確かこれに魔力を……。


「だ、駄目だったら!この野獣!」

「痛いッ!」


 俺が掌を表紙に載せようとしたのを見た途端、脇腹に裏拳がめり込む。

 見た目からは想像できない腕力である……。


「ほう……これが『写本』かい?」

「まあそうね。ユカリは見るの初めてなの?」

「かなり遠くからなら、何度か。こんなに近くで見るのは始めてだ」


 そう言ってまじまじと俺の手にあるノートを見つめる。


「『写本』?」

「そ。これ私そっくりでしょ?」

「いや、そうでも……っていうかノートだし……」

「ち、違うわよ。ノートになった私!」


 さらっとそういう事言わないの……!と何故か照れた様子の彼女。


「この写本は、私の写し鏡。本文に魔法文を書いた頁を追加すれば、私がその魔法を扱える。書士より早く、同時に行使することもできるわ」

「さすがノベラニアだね。同時行使とは恐れ入る」


 ふんふんと頷く諏訪さん。

 書士はさっきように魔法文ごとの発動だから、同時というのは難しいだろう。

 

 そして彼女が扱う魔力は、俺が供給源となる。

 アイリアが魔法を使い、俺はバッテリーといったことらしい。


「ただし、ノベラニアごとに規則のある魔法文が必要よ。私のは……厳格で難しいって言われるわ。やたら長いし……」


 そ、そのかわり強いのよ!と主張しアイリアは続ける。


「私なら普通の回路語も大丈夫。魔素を勢いよく回しちゃえば行けるわ。効果は落ちるけど」


 ん……?


「簡易語は駄目ね、文字から回路になった時に貧弱。ひょろっちくて、正直頼りない文字ね」


 やわで困るわ、そう言ってやれやれと首をふる彼女。


「ふむ。『脳筋のうきん』ってやつだね、アイリアは」  

「の、脳筋?何よそれ」

「脳みそまで筋肉でできてるってこと。二人とも相性よさそうじゃないか。魔素で殴っていく感じで」

「はあっ!?し、失礼ね!野獣と一緒にしないでよ!」


 彼女の解説に、アイリアはプルプルと震え、顔を真っ赤にする。

 回路をひょろっちいと表現してしまう辺り、充分素質はある気はする。


「あ、あとは!定義文ていぎぶん。ノベラニアごとに持つ、世界に一つの魔法」


 世界に一つの魔法。

 アイリアは俺の眼を見て、一度頷く。


「アンタには一回見せたでしょう。まあ、かなり手加減はしたけど」


 そう言って彼女は片手を宙へかざす。

 するとそこにふわりと文字が集まっていき、徐々に一つの形をなしていく。


「それは……」


 そして彼女の手に収まったのは、赤いかんざし

 こうしてよく見ると、みどり色のラインが入っていることがわかる。


「おお!翡翠ヒスイじゃないか」

「ヒスイ?ほたる石かと思ってたんだけど……」


 不思議そうに自身の簪を見るアイリア。


「ほたる石より魔素と相性の良い宝石さ。なるほど……このノートのリング、一部が本物の翡翠だったわけだ」


 諏訪さんの言葉に俺は手元にある写本のリングを改めて見る。

 翡翠を模した、と聞いていたがリングの一部は本物のようだ。


「なるほど。これは写本の素材を変えたりすると、アイリアくんの見た目にも影響がありそうだね」


 確かにこれは彼女自身が「写し鏡」と表現した。

 翡翠のラインも今まではなかったというのは、彼女の反応から明らかで。


「表紙を薄くしたら……もしかしたらあられもない姿で顕現したり?ふふふ……」

「ちょ、ちょっと!!」


 再び顔を真っ赤にしたアイリアが諏訪さんに詰め寄る。


 最初は浴衣で現れたけれど、気づけば相馬さんから借りた服を着ているし……。

 彼女の服装って一体どういう仕組みなんだろう。


「い、いいから!魔法を試すなら、さっさとやるわよ!」


 彼女のその一言で、いよいよノベラニアの魔法練習が始まった。



「だからぁっ!そーっと流しなさいっていったでしょう!!」

「魔法紙を何枚燃やす気なんだい?後できっちり請求するから、覚悟したまえよ」

「す、すみません……」


 いつまでも青空が広がる芝生の上。

 どれだけの時間が流れたか分からないほど、俺たちは魔法練習を続けていた。


 理由は単純、結局俺の強すぎる魔力がアイリアにも影響を与えたからだ。

 端的に言うと、魔法は発動しないし写本の中の魔法紙が燃えてしまう有様。


「ふむ……やっぱり魔力が大きすぎることが原因か」


 諏訪さんは魔素スクリーンに映った様々な計器を見つめながら言う。

 俺にはよくわからないが、それらによって俺やアイリアの魔法をモニターしているらしい。


「どばあっ!ってくるんだもの。私だってさすがに扱い切れないわよ……」


 呆れたようにこちらを見るアイリア。

 

「私を構成しているのは魔素なのよ。水に水をドバっといれたら波打つでしょう?それと一緒の感じよ」


 だからとってもくすぐったいの!と彼女は言う。


「いや、モニターを見る限り……」

「ユカリ、余計なことは言わないように」


 何かを言おうとした諏訪さんは、ジトッとしたアイリアの視線に黙る。

 続きがとても気になったが、乙女の秘密、と諏訪さんが片目をつぶる。


 ……お、乙女? 

 


「データを見る限り、加減する方法はある」


 この状況に諏訪さんが提案してくれた方法は二つだった。


「一つはわざと面倒に魔法文を作る。ようは無駄だらけの魔法を使うってこと」


 俺の魔力のせいで大量に流れ込む魔素。

 それを無駄遣いし、魔法が吹っ飛んでしまわないようにする方法だそうだ。


「ただ、これをやるとアイリアには負担になるし、魔法の発動が遅くなる。魔法文を書くのもかなり面倒だよ」

「私は別に平気。ノベラニアをなめてもらっちゃ困るわ」


 ふふん、と胸を張る彼女。

 

 とはいえ、ただでさえ大量の魔素が流れ込み苦労している様子なのだ。

 更に苦労をかけるのは無しにしたい。


「もう一つはどんな方法なんですか?」


 よくぞ聞いてくれた、と頷く諏訪さん。

 

「これを使ってみようと思う」


 そう言って彼女が取り出したのは、みどり色のリング。

 合わせて、茶色で細長い筒状の革。


「この革は中指につけて……そう。それでその上に指輪をつける」


 俺は言われるがままその二つを身につける。

 中指だけに手袋をしたような、不思議な感覚だ。


「あの……これは?」

「翡翠のリング、僕からのプレゼントだよ?」


 翠色の指輪は翡翠で作られたものらしい。

 とても綺麗で高そうだけれど、これをどうやって使うんだろう。


「ふふふ、百聞は一見にしかず。まずは試してみようか」



 その後アイリアとのトレーニングは遅くまで続いた。


 深夜になった夕ご飯を作る暇はなく、三人仲良くニノ屋の牛乳パンになったのは言うまでもない。

 

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