第13頁 アトラとアレクサンドリア

 セミ達の鳴き声が一際大きく聞こえる伊予川の昼。

 翠屋の中は空調のおかげで涼しいので、暑さと無縁のリビングにいると普段はうっとおしく感じる鳴き声もいいものだった。

 インターンが休みだと、時間もゆっくり進む気がする。


「ハンバーガー?」

「おお!お洒落なもの作るねえ」


 のんびりお昼の準備をしていると、ぼさぼさ頭の二人がようやく寝床から這い出してきた。

 徹夜明けのアイリアと諏訪さんである。


「私達の分もあるかい?」

「え!食べるんですか?」


 諏訪さんは、もちろん、と笑顔を浮かべる。

 とはいえ彼女たちは今起きたばかりのはず。

 朝からハンバーガーというのは……。


「ファストフード店のモーニングだと思えば……って昼なのに気合入りすぎじゃないか!?ハンバーグも、付け合せのポテトまで手作りかい!?」

「なに?アンタ、これ一人で食べるつもりだったわけ?」


 アイリアは、寂しいやつねえ、といいながらさっさと席につく。

 作り置きしておいて、二人には後で温めて食べてもらう予定だったんだが……。


 ふふふ、と楽しそうに席につく二人の期待を裏切るわけにはいかなそうだ。


「昨日も徹夜だったんですか?」

「まあね。アイリアの指導に熱が入ってしまって」

「なーにが熱よ!貴方初心者に容赦なさすぎるのよ」

「最後は接待してあげたじゃないか」

「あれは誘い込みっていうんでしょう?結局私のことコテンパンにしたくせに……!」


 寝起きがいいというのか……。

 起き抜けに俺がつくったハンバーガーを食べ、ぎゃーぎゃーと騒ぐ同居人の二人に頬が緩む。


「美味しい!ロリコンじゃないし、ご飯も作ってくれるし、なんて素晴らしい同居人なんだ。受け入れを決めた自分を褒めてやりたい」

「まあ料理はやたら上手よね……昨日の夕飯も美味しかったし」


 翠屋に住んでから、俺は完全に料理担当であった。

 ニノ屋の牛乳パンをおやつにしてもなお、この二人は本当によく食べる。

 なんだか主夫になったような……。


 ちなみに諏訪さんとアイリアはいつの間にか意気投合。

 その証拠にアイリア「くん」から、「くん」が無くなった。


 今では毎日のように諏訪さんの部屋でゲームをやっているようだ。


「書森くんもそろそろやろう?『ATRAアトラ』楽しいぞ!」

「そうね、私のサンドバック役になりなさい」


 ワクワクとした様子の諏訪さんと、ニヤニヤとした様子のアイリア。

 サンドバックって……。 


 『ATRA』というゲームは次層を代表するスポーツとも言えるものらしい。

 大きな魔素スクリーンを広げてプレイする様子は、非常に眼を惹くものがある。


「プロモードは自分の魔力を使うからね。世界大会なんか皆終わったらぜーぜーいってるよ」

「ゲームなのに魔法の訓練にもなるっていいわよね。昔の訓練とは大違いよ」


 基本的にプレイヤー二人で対戦するこのゲーム。

 本人の魔力を鍛える側面もあり、教育現場でも採用されているそうだ。


 俺も何度か観戦、という形で諏訪さんに見せてもらったことがある。 


 キャラクター五人をリアルタイムに操作して、文庫とよばれる相手の基地を占領すれば勝ち。

 空からキャラを俯瞰して、各プレイヤーがそれぞれに指示を出し戦う様子はなかなかに見ごたえがある。

 キャラクター同士がぶつかった時のバトルも手に汗握るものがあった。


「私はまだ二対二が限界よ。よく同時に五人も操作できるわよね、眼が足りない」

「ノベラニアって眼は増やせないのかい?」

「貴方ノベラニアを何だと思ってるのよ……。そんな不思議生物じゃないわ」


 よかった……。

 こんな美少女の眼がいきなり増えたら間違いなくトラウマになる。


「アンタの顔も夜中に急に見たら、ちびっ子は間違いなく泣くわ」


 俺がほっとしたのを見抜いたらしい。

 彼女はニヤリと笑いつつそんなことを言う。


「昔、一度に百人ノベラニアを扱った……っていう『魔法書士まほうしょし』がいたという話があるんだ」


 アイリアの様子に笑みをこぼした諏訪さんが、説明を始める。

 『魔法書士まほうしょし』というのは魔法文の読み書きに長け、それを生業としている人のことを指したそうだ。

 今は様々な人が魔法を扱うので、特に秀でた人を指す言葉として残っているらしい。 


「百体って、また大きく出たわね」


 彼女みたいなのを百人相手にするというのはなかなか……。


「ATRAはそれをモチーフにしてるってわけ。実際大きな図書館を守ったっていう伝説に登場するからね」

「大きな図書館?」


 図書館を守る……というのはなかなかイメージがわかなかった。

 街を守る、国を守るというのは分かりやすいけれど。


「そうか、書森くんは魔法史まほうしやってないか。んじゃお姉さんが説明してあげよう」

「見た目的には妹じゃない」

「僕が確認した限り彼が好むエッチな動画には、妹要素はなかったと思うんだけど……」

「す、諏訪さんっ!?」


 不潔……、と鋭い目線を向けてくるアイリア。

 こ、こっちでもそういうサイトあるかなあって気になっただけなんだよ。

 ほ、ほんとだよ?

 っていうかテリカのセキュリティ甘くない!?


 ふふふ、と意味深に笑う諏訪さん。

 

 そして、魔素スクリーンを大きく表示させた。


「さっき言ってた図書館はこれ」


 えっ!説明は!?さっきの件の説明はないんですか!?

 相馬さんは、そんな俺の動揺にはお構いなしらしい。



 スクリーンには、幾本もつくられた柱が特徴的な建物が映る。

 古代ギリシャ建築、テレビでよく見るパルテノン神殿のような建物だ。


「アレクサンドリア図書館、って聞いたことあるかい?」

「は、はい。名前だけは」


 確か大昔にあった、とされている大きな図書館だったはず。


「紀元前300年。プトレマイオス1世によって作られた伝説の大図書館。世界中から集められた膨大な書籍を足がかりに、様々な学術研究が進んだ場所。

 併設されたムセイオンという学堂は、ミュージアムという言葉の語源とも言われている。人類の知を確実に前進させ、西洋科学の足場を築き上げた学芸の殿堂さ」


 古代エジプトに膨大な労力をかけて作られた図書館。

 しかし現代では記録が残るだけ、というのは知っている。


「原因は戦火や災害によっての火災と、一部のキリスト教徒の継続的な攻撃だった」


 当時の学問、自然を解明しようとする行為はともすれば神を疑うことと同義とされた。

 罪のない学者が襲われるような痛ましい事件もあったそうだ。


「そしてムセイオンを含め、その全てが破壊されもはや現存するものはない……」


 無論現代では反省すべき歴史として語られている、と彼女は付け加えややうつむく。

 その様子と話の内容に、俺もなんとも言えない気分になってしまう。

 

 しかし彼女はすぐに顔をあげ、ニヤリとした。


「――と、言うのが表の歴史。しかし学芸の殿堂はそんなにやわじゃなかったのさ」


 そして不敵に笑う彼女は、驚くべきことを口にする。



「アレクサンドリア図書館は次層に現存する。彼らはまるごと世界層転移に成功したんだ」



 まるごと……!

 黙って聞いていたアイリアも、やや呆れ気味に話す。


「いやあれは図書館じゃないわね……。前に見た時は大都市だったわよ」

「アイリアが見たのはいつかはわからないけど、今も次層を代表する大都市だね」


 そうか。

 つまり知の殿堂は、表層にいた時点で次層の存在を知っていた……。


「その通り。アレクサンドリア図書館では、すでに世界層と魔素を発見していた。そして世界層転移は段階的に行われていったんだ」


 襲撃を指示した有力者達は現象の一端を感じつつも、自らの正当性を誇示するため歪んだ歴史を広めた。

 

 こうしてアレクサンドリア図書館の「お引越し」は語り継がれなかった――それが図書館消失とされた歴史の舞台裏だったらしい。


「この段階的な転移の過程で図書館を守ったのが、百人のノベラニアを指揮した魔法書士アトラ。これがあのゲームの名前ってわけ」

「百人は絶対言い過ぎよ、複数使える書士だってまずいないんだし。そもそもその頃ってまだ魔法文字成立してなかったでしょう」


 私だって二人が限度なのに!と憤慨するアイリア。

 ゲームが上達しないことを結構気にしているみたいである。

 君はノベラニア側だったと思うんだけど……。

 

 にしてもATRAというゲームの名前だけでも、こんなに歴史があったとは。

 アレクサンドリアという都市にも、いつか行ってみたい。


「アレクサンドリア図書館の世界層転移後。

 次層先住の種族や環境とふれあいながら、彼らは独自の文化を広げた。

 そして世界層転移がしやすい場所を発見したり、魔法回路の実用化と研究を進めたりしていったんだ」


 次層は表層のように世界がつながってはいないらしい。

 予測としてはつながっているのだが空間の断裂があるらしく、地図は虫食い状というのが現状だそうだ。 


 ここ伊予川は世界的に転移がしやすい場所の一つだよ、と彼女は付け足す。


「フォッサマグナ、という地質学的な特色が関係してると言われてる。

ちなみに次層のヨーロッパ辺りは先住の人々も多くてね。ここでは魔法回路が非常に発達した。

ヴィクト、サンライニという地域は現代でもアレクサンドリアと並ぶ都市圏さ」


 ルーシャもこの地域発祥らしい。

 魔法文具の発達も著しく、現在でも様々な商品が生まれているそうだ。


「んふふっ……そうね、いい街よ」


 そして何故かアイリアが誇らしげであった。

 彼女はエジプト方面の都市より、ヨーロッパの都市のほうが好みだそうだ。



「それじゃあ、ここまで解説したところで」


 ハンバーガーをぺろりと平らげた諏訪さんはそう言って立ち上がる。

 

「書森くんの魔法講座の初級といこうか。沼田に頼まれていたし」

「ATRAね!」


 ばっと立ち上がるアイリアに、諏訪さんが笑う。


「いやいや、もっと初歩的かつ実践的なことさ。何事も基本が大事」


 そう言って彼女が手を動かすと、彼女の部屋への扉がうっすらと青みを帯びて光った。


「それじゃあ専用ルームへご案内しよう」




 諏訪さんに先導され、扉を開けるとそこは広々とした芝生の広場だった。


「――ってここ、どこ!?」


 俺の声は青々と広がる空に消えていく。


「ユ、ユカリ?ここ貴方の部屋よね……?」

「いかにも。さっきまで二人で寝てた部屋さ」


 どうやらアイリアもこの状態は見たことがなかったらしい。

 もともと彼女の部屋には入ったことがないため、普段どんなものなのかは知らないが……。


「魔素スクリーン技術の応用と、その他の技術も組み合わせて作った空間だ。まあ端的に言えば、大騒ぎしても大丈夫なスペースさ」


 とはいえ、ここは一応室内ではなかったか。

 大騒ぎすれば当然部屋の外にも影響が出るのでは。


「『認識の壁』……いや、なんといったら良いかな……。まあなんだ、すごい防音システムがついてると思ってくれ」

「!!……ユカリ、貴方……」


 『認識の壁』という言葉にアイリアが反応したが。

 俺は別のことが気になっていた。


 この空間を『作った』と彼女は言っていた。

 魔素スクリーンの『応用』を使ったとも。


 そしてアイリアは彼女のことを……ユカリ、と呼んでいる。



「ふふふ、僕の名前はゆかりっていうんだ。YUKARIの社長業に疲れて今はニート満喫してる。面白そうな子に付き合う時間があって嬉しいよ、ATRAだけじゃ暇だったしね」


 

 ご飯も作ってくれるし!

 と笑った彼女。


 大成功し巨大企業となったYUKARIの創業者。

 魔素スクリーンの生みの親。

 見た目はほとんど小学生の彼女が。


 その張本人だったらしい……!

  

「医師免許はちゃんと持ってるから、騙してないよね?」

「そ、そうですね……お名前聞いてませんでしたし」


 下の名前を言うと色々面倒だから黙っていたのかもしれない。

 しかし、この風貌だと……。


「僕、メディアに一度も出てないんだ。だから多分わかんないじゃないかな?世間じゃ別の人がユカリってことになってるしね」


 どうやらメディアが嫌いらしく、若い頃から替え玉を雇っていたらしい。

 なんとも用意周到である。


「強盗の一人は捕まってない。そしてね、沼田も僕もあの強盗騒ぎには裏があると思ってる」

「裏……ですか?」


 そう言った諏訪さんに、アイリアも頷いている。


「私の魔法を凌いで逃げたやつ。あいつ、結界も使ってたしかなりの上級者」

「わざわざ相馬堂の強盗に力を貸すのは不自然だ」


 ああいう上級者は職にこまらないだろうし、罪を犯すにしても今回の強盗は不自然……というのが沼田さんと一致している見立てだそうだ。


「相馬堂によっぽど何かがあるか、アイリアの存在を嗅ぎつけていたか。……でも彼らは紙が欲しい、と言っていたんだろう?」

「は、はい。確かにそんなことを言ってました」


 目出し帽だけじゃなく、アイマスクも同じだった。


「と、なると相馬堂の技術を狙ったのかも知れない」

「ムラサキファンド……ですか?」


 相馬堂の技術を欲しがっている、とすれば思いつくのはムラサキファンドだ。


「その可能性は高い。話題の強盗をそそのかし、店に被害を出して経営をぐらつかせる。そこへ支援者として投資を持ちかけていく」


 そして、まんまと傘下に納め技術を手に入れる。

 確かにそういう筋書きはありえる。


「となれば一度で終わるとは思えないわね。あのモヒカン店主が簡単に首を縦に振るとは思えないし」


 軽くため息をつくアイリア。

 

「君たちが危害を加えられないとも限らない。研究機関達が手を拱いている以上、自身を守る力をつける機会だと思ってほしい」


 神妙な顔で語る諏訪さんは、相馬堂も守るものに含まれはするけれど、と前置きし続けた。


「いずれ属する場所がある君たちがわざわざ首を突っ込む理由はない。インターンは辞めて魔法の勉強をしながら、僕と一緒にしばらくニートを楽しむって手もあるが――」


 いいや。

 それだけはない。


「首を突っ込む理由が俺にはあります」


 野獣を優しい眼で見てくれる人々に背を向けたくない。  

 身の危険に変えても、あの暖かな人たちの力になる理由はそれだけで充分すぎるのだから。

 

「……面倒な書士に呼ばれたもんね」

 

 呆れたように声を出すアイリアは、少しだけ笑みを浮かべている。


「ニート仲間を増やしたかったんだが……まあ、勤勉さは美徳といったところかな」


 諏訪さんも冗談めかして笑う。


 そんな彼女たちが一緒に青々と広がる空の下に踏み出してくれたのを見て、俺は改めて決意を固めたのだった。



 出会えた暖かい人達へ、感謝を行動で示そうと。

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