第12頁 カチューシャ

 夏真っ盛りといった今日この頃、猛暑日には次層も表層も関係なかった。

 さんさんと降り注ぐ陽射しは容赦がない。

 とはいえ、相馬堂の店内は空調が効いてとても涼しい。


 今日もお客はこないのか……と思っていると意外な人が店内へやってきた。


「随分早くお店を再開されたんですね。安全面は大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。渋くてカッコいい刑事さんに守ってもらってるもの♪」


 ご機嫌で答える文さんに、渋さもかっこよさも安全には関係が、と表情を厳しくする彼女。


「あら、ティアちゃんには良い人いないのかしら?美人なのに恋を楽しまないなんて、もったいないわねえ」

「し、失礼な……っ!」


 端正な顔が真っ赤に染まる。

 ビジネスバックの持ち手から、ぎゅうっ、と音がするのが聞こえた。

 こ、怖い。


「被害は軽微だったみたいですが、キュリズムのスコアは下がっています。あまりいい傾向とは思えませんね」

「うちに来るお客さんのほとんどはそんなの見てないから平気よ♪」


 耳を貸さない文さんに、ティアさんは大きくため息をつく。


「若い世代を中心にキュリズムの普及率、使用率ともに急上昇しています。スコアへの意識が低ければ……」

「時代に取り残されるっていうのかしら?」

「ご自覚があるのでしたら、投資を受けてください。先日の事件もセキュリティの低さが一因であることは認識されているでしょう?」


 店舗のセキュリティにはとてもお金がかかるらしく。

 閑古鳥の鳴く相馬堂ではなかなか維持できないのよねえ、と文さん自身も愚痴をこぼしていたのは聞いている。

 

 とはいえ、普通の強盗――魔法の熟達していない人――なら文さんの拳でなんとかできてしまいそうではある。

 現にアイマスクが現れるまでは、文さんの体術は強盗達に通用していた。


「それなら尚更よ。スコアが高い店専門の強盗がでてるじゃない」

「その強盗の端くれが相馬堂を襲ったじゃないですか」

「不思議よねえ……」


 ティアさんの反論に文さんは首をかしげる。

 

 以前相馬さんのテリカに映った『人気店を狙う強盗』のニュース。

 実際、キュリズムのスコアが高いお店が立て続けに被害を受けていたらしいのだ。


 しかしそこで相馬堂の強盗騒ぎ。

 驚いたことにその犯人は『人気店を狙う強盗』と繋がりがあるようなのだ。


「スコアが低くても狙われるんじゃあねえ」

「ですから、セキュリティ対策が必要ですと申し上げているんです。私どもから投資を受けていただければ、投資先を守るのに金銭は惜しみません」


 そこまで言ったティアさんは手元のお茶を飲む。


 文さんが乗り気でないとはいえ。

 彼女は一応お客さん、椅子を用意し座ってもらっている。


「……美味しい」

「でしょう?一筆ちゃん、美味しいって!」

「!」

 

 猛暑日にスーツ……喉も渇いたであろう、ということでお出したアイスティーは口にあったらしい。

 『漫画 モテ執事』を参考に練習した紅茶スキルが役に立った……!


 よしっと、俺はこっそりガッツポーズをする。


「彼はこちらに就職されたんですか?」

「今はインターンね。いづれは婿の予定よ♪」

「は、はあ。文さんのお婿さん……」


 ぶふっ!と俺は吹きだしてしまう。


「何がおかしいのです?」


 きょとんとした様子のティアさんは、最初の印象より随分親しみやすく見えた。

 意外と素直……というかやや天然な人なのかもしれない。


「こんにちわー」


 そこへガラッと扉を開けて入ってきたのは、非常に整った顔の男性。

 絵に描いたような爽やかイケメン……大学生くらいだろうか。


 半袖Tシャツに、グレーの七分丈パンツ、ミディアムヘアもお洒落なグレーだ。

 『FUNAGE for Men』のモノクロ特集に出ていたモデルのような出で立ち。

 イケメンはシンプルな服でも様になる……。


「青山くぅん♪いらっしゃああい!」


 文さんの反応から察するに、彼も常連客の一人らしい。


「……私はこれで失礼します。くれぐれもお気をつけください。忌避する気持ちが理解できないとは言いませんが、店員が増えたのなら尚更検討するべきです」


 利益のことは当然だが、本当に相馬堂を心配してくれているのかも……。

 静かに、けれど真剣味が大いに含まれた彼女の言葉に、俺はそんなことを思わされた。


「貴方は、熱中症に気をつけなさいね」


 と見送った文さんも、同じような気持ちになったのだろう。

 ティアさんの背中を見る眼差しは、どこか物憂げに感じられた。



「いやあ、ニュースを見たときはびっくりしましたよ!」


 と、店内から聞こえる。

 さきほどの青山くんというイケメンの声だ。


 彼は俺の顔に耐性が無いタイプ――初対面でかなり引かれた――だったので、俺は彼の気分を害してしまわないよう店の奥へ引っ込む。


 最近貸してもらった魔法文字の本を読んでいると、会話は更に聞こえてきた。


「相馬堂さんが標的になっちゃうなんて思いもしませんでした。お怪我はなかったんですか?」

「大丈夫だったわあ♪心配してくれてありがとねえ」


 お気に入りのイケメンに心配され、文さんはご機嫌の様子だ。


「あ!いや、すいません。相馬堂を低く言ってるみたいになっちゃって……!」

「いやいや大丈夫よん♪実際スコアは低いんだから気にしないでいいのよ!」


 しっかり詫びることもできる立派な若者である。

 お洒落でイケメンで礼儀もわきまえるとは……。


「僕はここのノートとても好きなんですけどね。飾らないけど、自分なりにカスタムできるなんて素敵です」

「そう思うんだけどねえ……青山くんの周りはどうなの?」

「いやいや全っ然だめっすよ!」


 はあ、と大きなため息をついた青山くんは不服そうであった。


「『脱飾』が何たるかわかってないっていうか。脱飾っぽい感じのアイテムを沢山買って物を増やして、それこそ脱飾できてないです」

「あらぁ……。まあ、流行ってそんなもんよね。アタシも若い頃はそんな感じだったわあ」


 青山くんの語るところによると、『脱飾』というのはもっと削ぎ落とされたもののことらしい。

 必要なものを必要な分……というスタイルが大事なんだとか。

 だからこそ複数種類を買い込むのは、彼からすると許せないようである。


「カスタムノートなんてまさにそれですよ。自分の魔法文の癖を知って、道具も知って、適切なものを選ぶ。これがカッコいい脱飾です。まったく何のために紹介してるんだか……」


 彼の『脱飾』へのこだわりはなかなかのようだ。

 上滑りの流行というのが嫌いなのかもしれない。

 

「紹介?友達にそういうの勧めてるのかしら」

「あ、はい。レビューとかシェアしますね。サービス当初からレビューやってるんで、それなりに見てくれる人いるんですよ」


 ははあ、青山くんはキュリズム使いこなしてるのねえ。

 と、感心した様子の文さん。


「でも相馬堂はまだです!もっと紙を見せていただいてからにしたいんで」

「あ、そうそう。ちょうどまたストックできたわよ♪みていく?」

「本当ですか!もちろんです!!」


 その後、青山という若人は沢山の紙を購入して帰っていったようだった。



「関心な若者よねえ、青山くん♪」


 文さんが言うには、ここ一年ぐらいで良く来るようになったらしい。

 大学に入ってからノートに凝りだして、相馬堂へ行き着いたそうだ。


「『魔法紙』が好きってところに渋さがあるわあ」


 若い子はリングや、表紙に興味を持つのが普通らしい。


「市販では相馬堂みたいなカスタムノートってないんですか?」

「ううん……難しいところねえ。あるにはあるんだけど、どれも一緒ね」

「一緒……?」


 表紙やリングに違いがあっても本質的には変わらないわ、と頷く文さん。


「ただの色違いってとこね。材質は合成プラスチックとかだし、魔法文を使う上での違いはほとんどないわ。ただのファッション」


 そう言いながら、テリカから投影したスクリーンで写真をみせてくれた。


 ビジネスっぽいシックなもの、ファンシーなもの、アートっぽいもの。

 次々と映るそれらは千差万別……と言ったところだ。

 当然それらを自由に組み合わせるような商品も出ている。


「これが皆一緒なんですか……?」

「ノートとしては素敵よ?でも魔法には最適化されてないわね」


 文さんはそこで、ふふん、と不敵な笑みを見せる。



「いい機会ね!今日は『魔法紙まほうし』のお勉強をしましょ♪」



 また新しい話が聞ける。

 そう思うと、お客さんがいないことを憂慮しつつも、俺はワクワクを抑えられなかった。



「ざっくり言ってしまえば『魔法紙』っていうのは、普通の紙に魔素を染み込ませたものね」

「魔素を染み込ませる……?」


 文さんは満足気に頷く。


「魔法文字の発動を助けてあげるために、紙にも魔素を保持させるの。『魔素コーティング』っていったりもするわ♪」


 そう言って彼が取り出した表には、紙の名前が縦にずらりと並ぶ。

 

「この横に数字が書いてあるでしょう?」

「沢山書いてありますね……0.5から最大で3まで……?」

「そう、それがコーティングの厚みを表現してるの」


 単位はセンチではなく、染み込んだ魔素量を相対的に表したものだそうだ。


「このコーティングも色々と製造行程があって、それによっても魔法紙の用途は変わってくるわ。精度には弱いけど素早い行使が得意とか、その逆とか……。色々と特性がでるのよ」

「なるほど……」


 これは魔法紙という世界も相当に深そうである。

 もととなる用紙自体の種類もあるらしく、それを考えればまさに千差万別なのだろう。


「これに魔法ペン。それから中に入れるインクによって魔法文の書き込みやすさが変わるわ」

「書き込みやすさ?」


 魔法文の本は読んでいたが、実践についての項目にはまだ入っていない。

 書き込みというのはどういうことだろう。


「魔法文は書き込む時にも魔素を込めるのよ♪各々の魔力に合わせてペンとインクを選ぶの。筆圧が高い人は折れにくいシャーペンの芯を選んだり、低い人は逆に柔らかくて濃い目の芯を選んだりするでしょう?」

「ああ!あの2Bを選んだりHBを選んだり……みたいなことですね」

「そうそう。魔力が強い人向け、弱い人向けだけじゃなく、それぞれに相性もあるわ♪」


 そういったことに対応するために、多数のインクを混ぜてオリジナルのものを作るサービスもしているそうだ。

 インクの瓶が沢山並んでいたのは、そういった理由もあったのだ。


「ペンも沢山選び方があるし……奥が深いのよ~!」

「おお……!!」


 その後も色々な説明を受けながら、俺は魔法文具の広大な世界にまた一歩足を踏み入れた気がした。



「で、うちの最大の売りはこれよ」


 しばらく商品を解説付きで見回った後、文さんが見せてくれたのはどこかで見た紙。


「あ!これ……」

「そう、確か最初に一筆ちゃんに見せたノートのものだったと思うわ。覚えてるかしら?」


 罫線の代わりにうっすらとドットが書かれたものだ。

 ちょっと不思議なもので、このドット一つ一つ僅かに形が違うように見え、手書きなのかと聞いたのを覚えている。


「一筆ちゃん眼がいいわ。これ、本当に手書きなの。一枚一枚アタシがドットを書いてるのよ♪」

「ええっ!!」


 用紙自体はB6サイズ。

 小さめとはいえ、一枚辺りのドットの量はかなりのものだ。

 これを手書きで……?


「これも魔素を込めながら書いているのね、だからコピーってわけにはいかないのよ♪」


 ふふん、すごいでしょ!と胸を張る文さん。

 確かにすごい……!


「このドットが魔法文の行使に影響を与えるわけ♪魔素が文字に集中しやすくして、魔力の無駄遣いを減らすっていう効果があるの。青山くんも今日はこれが目当て」

「そ、そんな効果をもたせることもできるんですか?」

「そう、ドット以外にもいろいろと種類を用意してるのよ♪」


 誇らしげに頷いた文さんが言う。


「この手書き罫線けいせんと、罫線を書く際のインクの配合。これが相馬堂独自の特殊認可技術『カチューシャ』として、お国から認可をもらってるのよ」

「『カチューシャ』……」


 いつもより少し真剣味の増した声で、彼は続ける。



「努力はしているけれど、あと一歩足りない人。気づかない内に既成品に足を引っ張られている人。新しい魔法に挑戦しようとする人。

 そんな人達の背中を押す。それが魔法文具店の仕事、お客さんへの愛情だと思っているわ。

 だからこそ相馬堂は昔から、この罫線技術でその愛を表現しているのよ」



 カスタムノートもその一環ね♪といつもの調子を取り戻した文さん。


 俺は胸を鷲掴みにされたような錯覚を覚え、しばらく口を聞くことができなかった。



 仕事を通して愛を語るなんて、夢の見すぎだ。

 仕事を楽しもうなんて、所詮経営層からの刷り込みと誘導だ。

 お金を得るための手段なんだから、割り切って私生活を楽しむべき。


 そんな考え方もある。

 けれど、そうでない考え方を実践している人がここにいた。


 自身の店という形で。

 自身が継承した技術という形で。

 当たり前のように志を持ち、仕事を「愛情の表現」と言える。



 夏の上手くいかない就活は、やはり楽しくなかった。

 その理由としては、見た目で敬遠されてしまう虚しさももちろんあった。


 でもそれと一緒に、ボディブローのように効いていたこと。


 それは、出会った多くの社会人が楽しそうでなかったこと。


 

 ――大変だけど、まあ仕事だし当たり前だよ。


 と語る人達は、皆疲れ切った顔、諦めきった顔をしていたこと。

 大変、という言葉が最初に来てしまうこと。

 

 仕事も社会もきっと辛いんだろう。

 その事だけしか汲み取れないことが悲しくて仕方がなかった。



「ちょ、ちょっと一筆ちゃん!?なんで泣いてるのよ!?」

「あ、いや……だ、だいじょ、大丈夫です……っ……」


 

 だから俺はとにかく嬉しかったのだ。


 こういう生き方もあるって見せてくれる人と、出会えたことが。

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