第10頁 夕陽が残る部屋

「俺は沼田公平ぬまたこうへい。刑事だが……まあ、そのへんのおじさんだと思ってくれ、よろしくな」

「は、はい。書森一筆です、よろしくお願いします」


 深緑色のシャツに、濃いグレーのスラックス。

 堀の深い顔立ちに渋い声。

 40代くらいだろうか。

 その辺のおじさんより、随分とカッコいい彼はそう言って椅子に座る。


 諏訪さんと繋がりがあるらしく、彼女がテリカで呼んだようだった。


「お前さん、もう動いて平気なのか?」


 リビングの椅子に座る俺を見て、彼はこちらを気遣ってくれた。


「ええ。特に身体がどうこうってことはないです」

「魔力をいきなり使ったことで、身体がびっくりしたんだろうね。今モニターしたけど大丈夫そうだ」


 諏訪さんはそう言うと、片手で魔素スクリーンを操作する。

 宙に浮いたそれには色々な数値が表示されていて、どうやらそれは俺に関するものらしい。


「モニターっていうのは?」

「あ!まだ言ってなかったね。僕は一応医者なんだ。だから君の健康は保証するよ」


 諏訪さんが医者……!


「くくっ……見えないらしいぞ?」


 驚きに眼を見開いていると、沼田さんは楽しそうに彼女に言う。

 はいはい、といなす諏訪さんとは親しいようだ。


「暴れん坊の嬢ちゃんも顕現できてるみたいだし……ま、問題なさそうだな」

「あ、暴れん坊は辞めてよ!」


 アイリアとも面識があるらしい。

 聞けば、強盗騒ぎに駆けつけてくれた刑事が沼田さんだったようだ。


「捕まえた強盗はガタガタ震えてたがな……」

「た、確かに色々ぶち込んだけど!悪いことするからいけないんじゃない!」


 隣に座るアイリアが腰を浮かせつつ反論する、


 ぶち込んだ自覚はあるんだ……。

 赤い矢とか色々すごいことやってたもんなあ。

 ちょっとかっこいいな、と思ったのは黙っておこう。


「まあ正当防衛ってことにしてあるから、安心してくれ」


 やれやれと笑いつつ、沼田さんはそう告げた。

 過剰防衛っぽかったのは眼をつぶってくれるみたいだ。


 沼田さんによると強盗の一人はまだ捕まっていないらしい。


「全力で探してはいるんだがな……。とりあえず相馬堂周辺に、何人か私服警官を配置した。同じ店にもう一度、というのは考えにくいが安全確保は必要だからな」


 話を聞くと、逃げているのはアイマスクの男のようだ。

 あの凄そうな矢を受けて逃げるなんて……。


「強盗騒ぎの詳細は一旦後にして……より重要な話を先にしよう」


 彼がそう言うと、さきほどまでの穏やかな様子は消える。


「書森一筆くん、お前さんには……酷な選択が迫られている」


 真剣な沼田さんの様子にやや気圧される。

 酷な選択……というのはどういうことだろう。


 彼は一度頷いてからはっきりと口にする。



「この街に残るか、それともこの街を出ていくか。二つに一つだ」



 伊予川に残るか、出ていくかということだろうか……?


「お前さんは肌で感じたと思うが、ノベラニアの力はとても強大だ。魔法に慣れていない人間が行使しても、強盗をあっという間に無力化できる。今後熟達すれば更に大きな力になるのは明白だ」


 俺は赤い矢が放たれた瞬間を思い出す。

 夜を吹き飛ばしてしまうほどの光。

 大人を子供のようにいなしてしまう彼女の強さ。


「『イリスユニテ』を行使できる人間は脅威だ。強大な力を持つ『武器』を持っているのと同じ。国家として当然放ってはおけない。銃刀法という法律があるように、『武器』は管理される」


 俺はそっと隣のアイリアを伺う。

 彼女はほとんど顔色を変えることなく、静かに話を聞いている。


 『武器』……か。

 

 田沼さんの話は更に続く。


「日本では、ノベラニアは二つの方法で管理される。一つは国家研究機関での管理だ」


 この街には『文庫ぶんこ』と呼ばれる施設がある、と彼は続ける。


「そこで魔法文が書かれた物質を保存する。要するに、セキュリティを施した分厚い金庫に閉まって外に出さないってことだ」


 国家管理の『ノベラニア庫』みたいなものだろうか。

 国からすれば武器庫なのかもしれない。


「もう一つは『イリスユニテ』を行使できる人間を抱き込む。この国の研究機関に君が所属するってことだ」


 け、研究機関に俺が……?


「要するに国家公務員として雇われることになる。つまり、ノベラニアとそれを扱う人間を国家側に引き込み逃さないようにする。個人の事情で辞めることはまずできない。自由意思での旅行や、引っ越しなんかにも許可が必要になったり、場合によっては監視がつく」


 当然金銭的な待遇や扱いは相応のものになるけどな、と彼は付け加えた。


 そして、すでに現時点で俺がお前さんの監視役だ……とも。


「ちなみに文庫にノベラニアを寄贈、つまり納めた場合。納めた人間は次層からは追放されることになる」

「つ、追放!?」


 つい大きな声が出てしまう。

 その声に田沼さんは頷き、諏訪さんが補足する。


「一つのノベラニアが同時期に二人以上の人間から呼び出されることはないんだ。君が死ぬまで、アイリアくんを呼べるのは君だけ」

「だからノベラニアを厳重に保護し、魔法を扱える次層への立ち入りを禁止することで」


「……事実上私を封印するってことよ」


 田沼さんと諏訪さんの説明を、うっすら諦念が浮かんだ表情のアイリアがまとめた。


「そして、ノベラニアの寄贈をしなかった場合。有無を言わさず公的機関への就職が決定する」


 伊予川に来て三日目。

 そのうち意識があったのは、ほぼ一日だけ。

 

 サマーインターンに来たはずが、とんでもない話になってしまった。

 あまりの突拍子のなさに、どこか他人事のように感じてしまう部分があるほど。


 しかし、隣に座る彼女は本物で。

 夢でも幻でもない。

 俺は今、選択を迫られているのだ。


「正直酷だとは思う。強盗被害にあって眼が覚めたらこんな話なんだ、混乱するのも当然だろう。それにどっちに転んでも……君は程度の差はあれ監視の目にさらされていく」


 だが……。

 と表情を険しくする田沼さん。


「選択に時間はやれない。ノベラニアの存在が確認できた以上、長く猶予をやることはできない。お前さんを信用しないわけじゃないが、逃走を図った人間もいたからな……」

 

 ――明朝までに結論を出してくれ。

 

 そう言って彼は翠屋を出ていく。


 バタンっと扉が閉まる音が、静まり返った室内にやたら響いた。




 茜色に染まった陽射しが、リビングを照らす。

 普段ならこの夏の陽だまりも、空調が効いた室内で心地よく感じられたかもしれない。


 しかし……今の俺にとっては時間とともに逃げ場を奪う、恨めしい存在に思えてしまう。


「書森くん、とりあえず何か食べたらどうだい?」

「あ……」

「まったくいつまでウジウジしてるのよ……」


 部屋に残った諏訪さんとアイリアにそう言われ、今更ながら眼を覚ましてから何も食べていなかったことに気づく。


「ここで、美味しいスープでも出せれば僕もいい嫁キャラだったとは思うけど……」


 そうはいかないんだよねえ、と不自然に綺麗なキッチンの引き出しを彼女はごそごそと探る。

 そして、白くて四角い袋をいくつかテーブルに持ってきた。


「これだけは切らさないようにしてるんだ。僕の主食」


 眼の前に置かれた袋には、青色で昭和を感じさせるレトロな柄が印刷されている。


「これ食べ物なの?」

「これは、ニノ屋にのやの牛乳パン。伊予川の名物……いや、世界の宝だね」


 アイリアに返事をしながら、ふふふ……と嬉しそうに袋を開ける諏訪さん。

 俺もそれにならうと、ふわっとミルクの香りが漂う。


「えっと……」


 アイリアはテーブルにおかれた袋を前に戸惑っている。

 どうやら開け方が分からないらしい。


「ぐーって引っ張るんだ」

 

 諏訪さんはそう言いつつすでにパンを食べている。

 俺が手元でやり方を見せると、彼女は恐る恐るといった様子で袋を持ち、引っ張った。


「わあ……」

 

 中から現れた牛乳パンに、アイリアは嬉しそうに口を付けた。

 その様子につい頬が緩んでしまう。


「何ニヤニヤしてるのよ。その顔でやると気持ち悪いからやめなさい」

「ぐっ……」


 て、手厳しすぎる……。

 哀しい気持ちを抑えつつ、俺もパンを口にした。


 二つのふわっとしたパンと、その間に挟まれたクリーム。

 とても優しい味がする。


「「……美味しい」」


 牛乳パンの感想は、意図せずアイリアと重なる。

 その様子にくすくすと笑う諏訪さん。


「……」


 ジトッとした眼でこちらを見るアイリアは、少し顔が赤いように見えた。



「……いつまでウジウジしてるのよ。さっさと決めちゃいなさい」



 彼女はつぶやくように言う。

 決めろ……というのは、俺が街を出ていくのか、残るのか、ということだろう。


「アンタ、どうせ私に遠慮してるんでしょう?」


 あっという間にパンを食べてしまったらしい彼女。

 残った袋を手元で触りながら続ける。


「保管されたって別に構わないの。今の私はノートなんだし。むしろそんな丁寧にしてもらえるなんて、有り難いくらいだわ。お土産品扱いよりずっといいじゃない」


 あの店も大切にしてくれたけど……と、こちらを見ずに続けるアイリア。

 手元では牛乳パンの袋を横にぐーっと伸ばして遊んでいる。

 よく伸びるこの袋が、気に入ったのかもしれない。

 

「呼ばれるのはこれが初めてってわけじゃない。昔から多くの人に呼ばれて力を貸してきた。まあ……おじいちゃんかおばあちゃんだったけど」

「君を呼ぶのは老人ばかりだった?」


 その来歴に興味が湧いたのか、諏訪さんが聞く。

 彼女もまた手元でみょーんと袋を伸ばしていた。


「ええ。多分私のイリスユニテを行使するのには、それなりの技術が必要だったってことでしょうね。誰かさんは力技だったみたいだけど……!」

「な、なんかごめん……」


 俺が思わず謝ると、意外なことにアイリアはくすっと笑顔を見せた。

 

「アンタはついてるわよ。ノベラニアを顕現させた人の中には、もっと悲惨な目にあってる人もいたわ。時の権力者や、金持ちは必ず私達を欲しがるから」


 遠い目をして語るアイリア。

 きっと醜い争いがあったのだろう。

 そして彼女はそれを見て、その身を持って体験したのかもしれない。


「選択ができるなんて、私の経験からすれば随分と権利が保証されていると思うわ」


 アイリアはそうは言いつつも、表情を少し暗くした。


「それでも……アンタの場合は意図していなかったんだからいい迷惑よね……」


 悪かったわ、と言う彼女に俺は切なくなった。


 どうして君が謝るんだと。

 憤りにも近い感情が湧いてくるのを感じる。



 ――だからこそ、まず伝えなければならないことを言おうと思った。



 「その……アイリア。本当にありがとう、俺を助けてくれて。あの時力を貸してもらえなきゃ、大事にしたい人を守れなかった」



 一種の事故という側面はある。

 それによって選択を迫られているのも確かな事実ではある。

 

 けれど。

 

 彼女が俺を、相馬堂を守ってくれたこともまた、揺るぎない事実なのだ。

 

 どうしても力が足りなかった俺に、守るための力を貸してくれたのは彼女なのだから。 


「い、今それ……?まあ……うん。どういたしまして」


 戸惑いつつ、でもアイリアは少しだけ笑みを浮かべた。

 その口元には少しだけ牛乳パンのクリームがついている。


 ああ……そうか。

 それを見た時、俺は自身に浮かんだ憤りの一つがわかった。


 

 俺はこの少女を、『ノート』だって信じていないんだ。



「……君はノートじゃないな」

「はあ!?アンタさっきの見てなかったの?わざわざ顕現してあげたのに!」


 少し腰を浮かせながら言う彼女が少しだけ可笑しい。

 

 だからこそ、彼女の感情を無視したように進むこの状況が悲しくて、嫌なのだ。


「俺、生まれつきこんな顔で。大抵怖い人だと思われる」

「今度は何よ……。まあ顔は怖いのは認めるわ。悪役みたいだし」


 ぷっ……と諏訪さんが吹き出す。

 あ、悪役かあ……ずばっといわれるとくるものがある。


「ま、まあとりあえず。そんな俺でも就職はしたいし、女性にモテたりもしてみたいし、お世話になった人の力にだってなりたい」


 女性にモテるのは難しそうだけど。


「皆が考えてるようなこと、俺だって考える。怖がられて距離を取られると、分かってはいてもやっぱり悲しくなる」


 気まずそうに顔を横に向けるアイリア。

 その表情と仕草は、やっぱりどこまでも『ノート』らしくなかった。


「だからさ……君を『武器』だって言って、『ノート』だって割り切ってしまったら。それは俺を怖がって距離をおいてしまう人と一緒だと思うんだ」

「!」


 あくまでも俺の意見で、俺の気持ち。

 多分我儘に近い。

 むしろそのものかもしれないけれど、どうしても譲れない。


 ゆっくりこちらを向くアイリア。

 そんな彼女をしっかり見て、俺は自分勝手な宣言をする。

 


「俺はそういう人だけにはなりたくない」



 怖がり離れていく人の存在にいつも悲しくなって。

 そうじゃない人の存在にいつも嬉しくなっているのだから。


 アイリアだって俺を怖いっていうけれど、こうして隣にいてくれるのだ。

 そして俺に権利を行使しろと、そう言ってくれるのだ。 


 彼女が『ノート』であるということだけで、距離を置けるわけがない。

 そんなことをしたら、いつも俺に暖かく接してくれる人達に対しての裏切りだ。 


 ――だから、俺が進むべき道は決まっている。



「俺は、君と一緒にこっちで過ごす人でいたい」



 沈黙が支配したリビング。

 夏らしい夕陽は、まだ部屋を茜色に照らしている。


 そんな中、アイリアは眼を見開いたまま、呆けたような表情。

 もしかしたら呆れているのかも……と思った時。


「ぷっ……ふふっ……プロボーズ?結婚するの?」


 笑いを堪えられなくなったらしい諏訪さんが、そう言って大笑いを始めた。


「あっ……いやいやいや!」


 自分が言った言葉を思い返し、急激に恥ずかしくなってしまった。

 かなりそれらしいことを言ってしまったが、決して他意はない……!


 すると、ぷちっという音。

 音がするほうを見ると、真っ赤な顔をしたアイリアが叫ぶ。


「へ、変態ッ!!見境なし!!や、野獣顔ッ!!」


 言うやいなや、部屋には文字が広がりあっという間に彼女はノートになってしまう。


「ちょ、ちょっと!!」


 アイリアにだって選択権はある。

 だから文庫に入りたいのかどうか、聞きたかったんだけど……。

 

 ノートの近くには限界まで伸ばされた牛乳パンの袋。

 青字で印刷されていた牛の絵は、上下に伸びてユーラシア大陸みたいになっている。


 ま、参ったな……。


「国家公務員の旦那。いいんじゃない?アイリアくんも安泰だね」


 返事をしなくなってしまった彼女に途方にくれていると、諏訪さんは目尻を拭いながら嬉しそうに言った。


「ま、ファッションセンスは奥さんの助力が必要かもね」


「あっ……」



 自分が未だにピンクTシャツであったことを思い出し、俺は頭を抱える。


 夕陽の名残が満ちるリビングに、楽しそうな諏訪さんの笑い声が響いた。




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