第9頁 ノートな彼女
まぶたに映る、光の波。
ふわふわと動くその影に、ゆっくりと目を開く。
「あ……」
いつの間にか俺は布団に寝かされていたようだ。
身体を起こすと、都心のワンルームより広い空間は和室であることがわかった。
ほんのり香る畳の香りが、なんだか懐かしい。
寝かされていた布団もふわふわで……。
「って相馬堂は!?」
強盗がやってきて、金髪の少女が現れて赤い大きな矢を放って……。
一体あれからどうなったんだろう、相馬さん達は無事なんだろうか。
思わず布団から出ようとすると、部屋の
「お!起きたね」
ひょっこりと顔を出したのは、黒のアンダーシャツに薄茶色のショートパンツの女の子だった。
彼女は裸足らしく、ペタペタとこちらへ歩いてきた。
小学生くらいの女の子が、初対面で俺を恐れない……。
人生で初めての出来事に混乱していると、彼女はよいしょ、と布団の近くにあぐらをかく。
「調子はどうだい?どこか痛いところはない?」
「ええと……だ、大丈夫です」
あまりの無警戒っぷりにしどろもどろになりつつ返事をする。
「混乱するのも無理はないね。ここは
相馬さんがちらっとそんな話をしていたことを思い出す。
確か、同居人がいるとかって。
「そう、僕が同居人の諏訪。よろしく、書森くん」
「え゛っ……」
こ、こんな小さな女の子が同居人!?
一人暮らしして大丈夫なんだろうか、それに異性と一つ屋根の下っていうのは……。
「あはは!分かりやすいね君。心配いらないよ、私はこう見えて三十路前だ。若作りしてるからね」
「ええっ!?」
思わず声をあげてしまうと、諏訪さんはくすくすと楽しそうにしている。
彼女のぼさぼさの髪が、部屋に差し込む陽射しで黒に近い紫であることがわかった。
「え、ええと、それでも女性には違いないですし……」
「あれ?君、こういう体型好きなのかい?真っ平らだぞ?」
そういうと諏訪さんは、どうだ?、と胸を張る。
どうもこの人は羞恥心とは縁遠いらしい……。
「ははあ……なるほど。そういう趣味だったのか。これは警察に……」
「わああ!違います、違いますって!!」
おもむろにテリカを取り出す彼女を慌てて静止する。
子供は可愛いとは思うけれど、そういう趣味はない!
「まあ、君の趣味はおいおい確認するとして……」
いずれ確認されるのか……。
そんな俺の反応に彼女は満足そうに頷く。
まずは気になっていると思うけど、と前置きすると諏訪さんは話を始めた。
「相馬堂も、相馬兄妹も無事だよ。知っての通りお店は散らかってしまったけど、盗られたものは無かったようだ」
「よかった……」
俺はその情報に心底ほっとする。
相馬さんが飛びついてきた後の記憶が全くなかったので不安だったのだ。
「君の活躍のおかげだと、二人とも感謝していた。ここにも妹さんが見舞いに来てくれていたよ」
聞くと俺は丸一日寝ていたようだ。
その間に相馬さんが様子を見に来てくれていたらしい。
でも『俺の活躍』というのは間違いだ。
「俺ではなくて、金髪の女の子が助けてくれたんです。むしろ俺も助けてもらった側で」
俺がそのことを否定すると、感心な若者だねえ、と諏訪さんは笑った。
しかしその彼女はここには居ない。
確かに相馬堂を守ってくれたと思うけれど、一体誰だったのだろうか。
そんな風に思った時、唐突に声が響いた。
『ようやく起きたわねっ!』
「き、君は……!」
頭の中に響く、聞き覚えのある声。
それは今話題にだした、金髪の少女のものだった。
「ん?声でも聞こえたかい?」
「は、はい……今確かに……」
諏訪さんは俺の様子に、すごいな、とつぶやき枕元を指差す。
「彼女はそこだよ。僕にはその状態の声は聞こえないんだ、出てきてくれるように話をしてもらえないかい?」
そこ……?
改めて枕元を確認すると、一冊のリングノートが置かれていた。
それは相馬堂で見せてもらったもの。
インキュノベルと言われる魔法文字が書いてあったものだ。
『出てこいって?まあ別にいいけど……アンタも大丈夫そうだし』
彼女は諏訪さんの声が聞こえているらしい。
出てくる……どこから……?
と思った途端。
俺の眼の前で独りでにノートが開き、書き込まれていた大量の文字が宙へ飛び出した。
そしてそれに導かれるようにノートそのものも中に浮く。
白く発光し浮かぶ文字群は、あっという間に部屋を満たしていく。
まるでプラネタリウムに足を踏み入れたかのように、輝く室内。
不思議な星空が広がりきると、それらの文字は宙に浮かんだノートの周囲にあつまり始める。
集まった文字それぞれが手をのばすように繋がりあい、やがて人の形をなしていく。
そして、真っ白なそれはにわかに色づき始め。
――あの夜に出会った、金髪の少女になった。
神の顕現。
神々しさを伴ったその現象は、まさにそう呼ぶにふさわしい……と思ったのだけれど。
「ってやっぱ顔怖ッ!!!」
……再会の第一声はやっぱり俗っぽく。
諏訪さんの楽しそうな笑い声が響いた。
「ご、ごめんって。でもアンタ顔怖いんだもん」
ふわりと座った金髪の少女は、バツが悪そうにこちらを見る。
登場の仕方と随分ギャップのある少女の様子に、思わず肩の力が抜けてしまう。
大きな青い瞳に、美しい金色の髪。
透明感を感じさせる白い肌に、可愛らしい顔立ちは日本人離れしている。
けれど不思議と赤い浴衣が似合う。
「アイリアよ。アンタに呼ばれた『ノベラニア』」
「の、のべらにあ……?」
俺がオウムがえしのように繰り返すと、彼女は大きくため息をついた。
「私のこと、なんにも知らないで呼んだのね……。まあそんなとこだろうとは思ったけど」
やれやれ、という表情の少女。
そこへ諏訪さんが声をかける。
「アイリアくん、よく眠れたかい?」
「ええ、魔素は馴染んだと思う。量が多くって困るのは初めての経験だけど」
どうやら諏訪さんと、二人はすでに面識があるらしくリラックスした様子だ。
「一筆……でいいのよね?」
綺麗な顔をずいっと寄せてアイリアという少女は言う。
ち、近い……!
「は、はい……!か、書森一筆です」
「て、丁寧に話さなくっていいから。アンタ、魔法を知ったばかりなんですって?」
かしこまった話が苦手らしい。
少し居心地が悪そうにした彼女にあわせ、普通に話すことにする。
「あ、ああ。君に助けてもらった日に初めて知ったんだ」
「初日で……」
もとの位置に座り直したアイリアは、そう言って複雑な顔をする。
「僕からもある程度は説明できるけど……折角だ。アイリアくんから彼に教えてあげてくれないか」
「まあ……そうね。今の状態じゃあ何もわからないでしょうし」
諏訪さんの言葉に軽く頷く彼女。
そこで彼女は改めて自身のことを紹介してくれた。
「私は『イリスユニテ』っていう魔法文の効果で呼び出された自律型の魔法」
「魔法文の効果で……?」
俺が繰り返すと、彼女は頷く。
「アンタがもってたノート。インキュノベルが書かれていたでしょう?」
「あ、ああ……確かに」
「それが魔法文『イリスユニテ』。物質に人格を顕現させる魔法よ」
物質に人格を顕現させる……そんなものがあるなんて。
つまり彼女は、あの本が「人」になったもの、ということらしい。
「そしてその魔法によって『人化』したもの、それを『ノベラニア』って言うの」
「じゃあ君は、あの本のノベラニア……」
「そういうこと。まずはここまで理解できた?」
ややジトっとした眼で俺を覗きこむアイリア。
「本当に俺が君を呼ぶ魔法を……?」
「私もアンタみたいなのに呼ばれるとは思わなかったわよ」
やれやれ、とため息まじりに言う彼女。
そんな凄そうな魔法を使ったなんて、正直信じられない。
しかし目の前には確かに、不思議な少女が座っているのだ。
「いつ魔法を行使したのが、思い当たる節はないのかい?」
正直まったく心当たりが無い。
というか、俺が自覚的に魔法を使ったのはただの一度だけなのだ。
「コイツ、私をぐーっと握って魔力を叩き込んだのよ。信じられない量で、私は飛び起きたって感じ」
「あ、ああ……確かに握ってたかも……」
左手の指だけが動いたあの時、自身の無力さに思わずノートを握ってしまっていたのだ。
あの時は身体が動かなかったし、もしかしたら『見えない筋肉』というのに力が入りやすかったのかもしれない。
「でも俺……そもそもちゃんと魔法は使えなくて、グラスを割っちゃうくらいで……」
俺のその言葉に諏訪さんはぴくりと反応する。
「グラスを割った……?もしかして、飲み物冷やすやつかい?」
「あ、はい。それです。お店で割っちゃって……」
文さんはグラスの手入れが悪かったのよ、と慰めてくれたけれど……。
「アンタ、飲み物冷やすって……それルーシャのことじゃないでしょうね?」
「そういえば昔はそんな名前だったって相馬さんが……」
アイリアの質問に俺がそこまで答えると、諏訪さんは大笑いしはじめた。
「あはは!!やっぱりとんでもないね!!」
「う、嘘でしょ……」
反対にアイリアはげっそりしている。
そして、ひとしきり笑った諏訪さんが嬉しそうに俺に言う。
「魔素を動かすことで、魔法が発動するっていうのは知ってるね?」
「え、ええ……文字に魔素を込めるって聞きました」
うんうん、と笑顔を絶やさず諏訪さんは頷く。
「その魔素をどれだけ送り込めるかを決めるのが『魔力』。魔素を動かすための筋力みたいなものだ」
『見えない筋肉に力を入れる感じ……』と相馬さんも言っていたし、力と似ているんだろう。
諏訪さんによると、この力は鍛えることで大きくなるそうだ。
「それね、強すぎると魔法文字が書かれたものをふっ飛ばしちゃうんだ。書森くんがやったみたいに」
「え゛っ……!!」
うんうん、と楽しそうに頷く諏訪さん。
聞けばああいうタイプの道具は、とにかく安全性を重視して作られているそうで。
水が漏れるほどのヒビが入ってないなら、まずぶっ飛ぶことはないらしい。
「そりゃあ普通はグラスの方を疑うわけだ。実績のある鍵がかかったドアを、実績も鍵もないのに素手でこじ開けちゃうみたいなもんなんだからね」
まずは鍵の故障を疑うよね?という彼女の言葉に、俺は妙に納得させられてしまう。
「まったく……どうりで入ってくる魔素がおかしいと思ったわ。加減だけの問題じゃなかったのね……」
はあ……とため息をついたアイリアに諏訪さんはまあまあ、と楽しそうに声を掛けて続けた。
「君はその馬鹿魔力で、理屈も全部ぶっ飛ばして『イリスユニテ』を発動させちゃったってわけだ。多分歴史上初めてだと思うよ、インキュノベルを力でなんとかした人」
あはは!と再び笑いだした彼女は、ひーひーとお腹を抑えている。
ば、馬鹿魔力とは……。
「さて、個人的にこの話は楽しいけれど……。もう一つ重要な話をしておかなきゃいけないんだ」
諏訪さんの表情からは笑みは薄くなり、真剣な声色になった。
「重要な話……?」
「ああ、二人のこれからに関わることさ」
彼女はそう言ってテリカを取り出した。
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