第8頁 夏の雪

 どこかで見たような、光る雪が店内に降っている。


 幻想的で、まるで映画のワンシーンのようにも見える光景。


「っ!」

「なんだっ……!」

「これは……っ!」


 その様に息を飲んだのは俺だけではなかった。

 この場にいる全員が、まるで時が止まったかのように身体を固くする。


 口をパクパクしていた目出し帽の男の運命はわかりやすかった。


「あーもう、邪魔っ!」


 女性の声とともに光の帯が動き、彼は店外へすごい勢いで飛んでいく。


「ぎゃふっ!!」


 何かにぶつかったのか、地面に落ちたのか。

 情けない声が遠くで聞こえた。


 そして、眼の前に唐突に現れた声の主は背中を向けたまま話す。



「で?この変な黒服も片付けていいの?」


 

 降っていたのは雪ではなく、白く光る小さな文字だとこの時気付いた。


 それらは、振り返った彼女の輝くような金髪を構成していく。

 白く発光する文字は、宙空に集い彼女の姿を形成していっているのだ。


 現れたのは、赤い浴衣を着た少女。

 美しく長い金髪はゆっくり纏められていき、文字が集い現れた赤いかんざしがそれを収める。


 その様は、まさに神の顕現けんげん

 神秘的な現象に息を呑んだ。


 そして、現れた彼女の透き通るような碧眼と目が合う。



「ちょっと?……って顔怖ッ!?え!何こっちの人も怖ッ!?ぶっ飛ばすやつ間違えた!?」


 

 ……本人はあまり神々しくはなかったらしい……。

 

 振る舞いや見た目は高校生くらいといった所だろうか。

 ご丁寧に俺をみた反応も……大体そんな感じである。


 しかし彼女は驚いただけだったようだ。

 俺から眼をそらさずに頷く。


「呼んだのはアンタね……刺客みたいな顔して、服の感性はぶっ壊れてるみたいだけど。で?」

「……お、俺?」


 俺は状況が一切飲み込めず、頭が回らない。


 と、彼女の表情が不機嫌そうなものになった。

 俺の逡巡しゅんじゅんが気を悪くさせてしまったのか……と思ったが原因は別にあった。


「舐められたもんね」


 ぱんっと何かが弾ける音がして、アイマスクが距離を取るのが見えた。


「ちっ……!」


 悔しそうに声を漏らすところを見るに、どうやら何かしら攻撃を仕掛けてきたようだ。

 少女はそれを防いだようだが、一切そちらを見ていなかった。


「わかったわ。チンケな小細工も仕掛けてるし……あっちが悪者ね」


 少女がそう言うと、一瞬わずかに景色が歪む。


「な……っ!!」


 再びアイマスクが声を上げる。

 それと同時に、動かなかったはずの身体が動くようになった。

 

 文さんは……!

 

 焦燥感に駆られ慌てて立ち上がると、少女はわずかに眼を見開いた。


「動けるの……?」

「あ、ああ……」


 節々が痛むが、あの妙な重さがなければ立てないほどではない。


 『Tarchan 美ボディ改造塾』掲載の筋トレが効いているのかもしれない。

 美ボディとされる細マッチョを通りすぎるほど、筋トレにハマっていてよかった。

 

 ……今日のためにハマったんだな。きっとそうに違いない。うんうん。


「くっ!!」


 そこへ、アイマスクが突っ込んでくる。

 

 少女はこちらを向いていて、敵に背中を明け渡している状況だ。

 それに、俺も弱っている。


 どちらを攻めるのにもチャンスだと思ったのかもしれない。

 

 華奢きゃしゃな彼女と、ガタイのある俺。

 盾になるべきは明白。



「……らぁっ!!」



 今度は動く。

 身体が動く。


 だから、少女とアイマスクの間に俺は身体を無理やりねじ込む。


「っ!?」

「い、一筆ちゃん……!」

「いっ…………」


 ……ったぁあ!!

 

 さほど鍛えられた肉体に見えない黒服が繰り出したパンチは、下腹部に突き刺さった。

 途中から声もだせないほどの痛みに、恐る恐る腹を見る。

 とりあえず、血が出たりはしていないらしい。

 

 それに弱々しい声も聞こえた……!

 どうやら蹴られた文さんも無事なようだ。


 俺の行動を予測していなかったのか、慌てた様子で間合いを取るアイマスク。

 

 すると、後ろからむんずと肩を掴まれる。


「ちょ、イタイイタイ!!!」

「こっちの台詞よっ!!」


 肌に食い込むような力で握られ、情けない声をあげてしまう。

 下手人げしゅにんは少女。

 怒りに瞳を染めて、俺を睨みつける。


「ぎゅーってするのやめなさい!!」


 びしっと指で示した方向にあったのは、俺の左手。

 そこには、表紙に文字が浮かび上がったノートがあった。

 リング部分は緑色に明滅している。


 これ……さっきのノートか?


 痛さにまかせて握りしめたそれが、気に入らないらしい。

 一体どうして……?


「痛いの!優しく扱いなさいよっ!!」


 至近距離で叫ばれ、つい取り落としてしまう……はずだった。

 

「落とすなっ!」


 手から確かに滑り落ちたそれは、光の粒子になり手の平に集まる。

 みるみるうちに光の粒子は冊子の形を取り戻し、気づけばさきほどのノートが手に収まっていた。


 少女は俺を一喝すると、改めて俺の前に出る。


「今、とんでもない可能性に思い当たったけど……そのことは後で」


 アンタへの制裁もその時よ、と恐ろしいことを言う少女。

 せ、制裁とは……。

 

 そして彼女は、さっと横方向に手を振る。

 たったそれだけで、こちらをうかがっていたアイマスクが吹き飛ぶ。


「ぐはっ……!」


 壁に叩きつけられた彼は、初めて苦悶の声をあげた。


「あ、あれ……?ちょっと!どうなってるのこれ!?」

 

 しかし少女にとっては予想外だったらしく、金髪を振り乱し慌てている。

 そして顔だけこちらに向け叫んだ。


「真っ白じゃない!魔法はどうしたのよ!」


 真っ白……?

 魔法……?


 彼女が慌てているのはわかるが、言っている意味はわからない。

 そもそも魔法というのも、つい数時間前に知ったのだ。

 

 そんな俺が一体何をすればよいのか……。


「ったくもう!!今度はおじいちゃんじゃなくって素人だし!」


 ほんっと腹立つ!

 ……と、ご機嫌ななめの様子の彼女は、再び前を向きアイマスクを睨みつけつつ続ける。

 彼はさきほどの衝撃でも意識を保っているらしく、ゆっくり立ち上がろうとしていた。


「とりあえず、そのノートに掌をおいて!」

「て、てのひら?」

「早くッ!」


 急かされるまま、文字が浮かび上がった本に手を乗せる。


「ありったけ魔素を送って!それくらいできるでしょう!?」

「ま、魔素を送るって……?」

「ちょっ……嘘でしょ!!?こう……がーーーっとやるの!お腹と、肩の周りに力!!」


 どこかで……。

 そうか、グラスを割ってしまった時の……今回は本だし大丈夫かな……ええいままよ!


 俺は全力で腹に力を入れる。

 すると本が緑色に強く発光した。



「ぅやぁんっ!!」



 それにあわせ、少女がびくっと震える。

 艶めかしい声に、不覚にもドキっとしてしまう。


「こ、殺すわ……アンタ、絶対殺す……!」


 顔を真っ赤にした彼女は眼を釣り上げてこちらを睨む。

 

 ……が、すぐに前を向き、再び飛びかかってきたアイマスクに手をかざした。


「が……っ!!」


 すると、光る文字が壁のように浮かび、彼を跳ね飛ばした。

 アイマスクは床を転がるように受け身をとり、再び立ち上がる。


「すっからかんじゃない。大した器でもないくせに、余計な結界張ってるからよ」

「っ!」


 挑発するような少女の言葉に、彼は身をこわばらせる。

 

 大人と高校生くらいの少女。

 その力量差は常識に逆行する形で歴然としていた。


 少女が完全に大人を圧倒している。


 それを悟ったのか、アイマスクはこちらに背を向け前庭へ走り出した。


「ま、待てっ!」

「はいはい、待つのはアンタ」


 俺が思わず追いかけようとすると、少女はそう言って俺の前にでる。


「まあ見てなさい」


 そう言って長い髪をまとめていた簪のようなものを抜く。

 その瞬間、彼女の周りには再び無数の文字が浮かぶ。


 その文字を一瞥いちべつした少女は、いつのまにか大きな弓を手にしていた。


「この状況で3本……素人よね……ほんっとアンタなんなの……?」


 少女がつぶやくのと、アイマスクが彼女の様子に気付き振り返ったのは同時。

 隠れていない彼の口が焦りに歪む。


 現れた真っ赤な弓に、少女は簪をまるで矢のようにつがえる。

 弓の弦を引くような動作にあわせ、簪はみるみるうちに赤く輝く矢に変わっていく。


 身体よりも大きく見える矢。

 しかし少女は涼しい顔で引き絞る。


「はっ!!!」


 そこで黒服の声が聞こえたかと思うと、彼は意識を失ったままの男二人を抱え高くジャンプしていた。

 とても人間技とは思えない高さ。

 あれも魔法だろうか……。


「浅はかね」


 少女が言ったのをきっかけに、彼女の周囲に浮かんでいた無数の文字は3本の光の矢に変化し、彼に飛びかかっていく。


「あがっ……!!!!」


 光の矢の一つは彼に刺さり、まるで空中に縫い付けられたかのように動きを止めた。

 彼が手放した男二人にもそれぞれ矢がささり、同じ状態だ。


 少女はわずかに笑みを浮かべ、言い放った。


「文字との縁を切ってあげる」

 


 ――そしてついに赤い矢は開放される。



 ひゅんっと空気を切り裂く音。


 矢を追うように無数の文字が飛び立つ。

 それはまるで渡り鳥が群れをなして飛んでいくかのよう。 


 その先頭を進むのは、赤く美しく輝く光。

 

 そして。

 宙に縫い留められた3人の男にその光が届いた。

 


「わっ!!!」

「うわっ!!!」


 

 声をあげたのは、俺と文さんだった。

 まるで朝が来たかのように、世界が明るくなり……また夜が辺りを覆う。


 そして静寂の訪れとともに、マナーの悪い客が地面に転がったのがぼんやりと見える。



「書森くんっ!お兄ちゃん!!」

 


 しばらく呆けていると、顔を真っ青にした相馬さんが転がるように階段を降りてくる。


「あ、あ……」


 そして俺の顔と、文さんの顔を何度も見る。

 とりあえず、俺が強盗達が去ったことをつげると、彼女は泣き出してしまった。


「よ、よがっだぁ……なんか、なんかすごい音するじぃ……テリカはつながらないじぃ……!」


 相馬さんにそのまま抱きつかれた所で。


 ――目の前が真っ暗になった。

 

 そして自身の身体が倒れていくのを自覚する。



「一筆くんっ!!!!!!」

「一筆ちゃんっ!」

「あ、ちょっと!寝るなっ!!!!!」

 


 意識を失う直前に聞こえた声は、三者三様。



 優しくない一人の声が、特に頭に残った。

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