第7頁 運命の夜

 「なに……?」

 

 不意に聞こえた大きな音に、びくっと身体を震えさせ相馬さんは少し怯えていた。


 昼に見た様子だと、整えられた店内には不安定なものはなかったはず。

 地震でも無い限りガラスが割れるなんてことはなさそうだけど……。


 と、さらに音が聞こえる。

 

 それは複数人の足音。


 立ち上がった文さんの顔つきが変わった。


「二人は奥へ行ってなさい。アタシがちょっと見てくるわ」

「わ、わかった……」


 相馬さんは顔を青くして頷き、奥の部屋へ俺を手招きする。


「書森くんも!」


 俺はそんな二人の様子を見ながら、ある映像を思い出していた。

 

 相馬さんにテリカの説明をしてもらった時だ。


『――依然として、レビュー人気店への強盗被害が――』


 不意に映し出された画面には、そんなニュースが流れていた。

 とはいえ、相馬堂のスコアはさほど良くない……とティアさんが言っていたような気もする。


「俺も行きます。見ての通り身体は丈夫ですから」


 文さんの体格を見るに心配は無いかもしれないが、相手は複数の可能性がある。

 

 『Rice 細マッチョ特集』から始まった自主筋トレの成果を出せるかもしれない。

 筋トレにハマり、モテ筋の細マッチョからはかけ離れたけれど……。


「わかったわ。詩織ちゃん?」

「今電話してる!」


 相馬さんが警察へ電話をかけていることを確認したのち、俺と文さんは急いで一階へむかった。




「ったく、やっと出てきたぜ……って顔怖ッ!!」


 目出し帽の分かりやすい強盗は、びくっと後ずさりする。

 予想通り複数犯のようだ。

 

 どうやら俺の顔は強盗にも有効らしい……。

 真剣な表情をするだけで、人を殺してそうに見えるのだから当然かもしれない。

 凄く釈然としないけど……。


「ってこっちも顔怖ッ!!おいここ本当に文具店かあ!?」

「服の趣味悪!!なんて用心棒雇ったんだ……?」


 大事な店の扉を壊され、ずかずかと閉店後に上がられたのだ。

 店主である文さんも相当に怖い顔をしつつ、指を鳴らした。


「聞いてねえのはこっちよ。営業時間はとっくに終わってるんだけど?」


 入ってきた強盗は二人だけのようだ。

 声から察するに男。


 店外に見張りがいるのかもしれないが、ここからでは分からない。

 

 低い声をだし睨みつける文さんに、強盗達は笑い声をあげた。


「ははは!むしろ営業時間外に来てやったんだ、感謝し――」



 ――刹那、笑った男は消えていた。



「はぶぁっっ!!!!」


 次にその男が発したのは、悶絶の声。

 彼は前庭に転がっていく。


「……まじかよ……」


 そう言葉を漏らしたのは、もうひとりの男。

 それもそのはず、男を吹き飛ばしたのは目にもとまらぬ文さんの拳だったのだ。


「営業時間外に来る人間を、うちの店じゃあ客とはいわないのよ♪」


 文さんは何事もなかったような様子で語る。

 大人一人を吹き飛ばした後とは思えないほど涼しげだ。


「セキュリティが妙に甘いと思ったらそういうことか……!」


 吹っ飛ばなかった方の男は悔しそうな声を出す。

 

「それで?大人しく捕まる?それとも、痛い目見てから捕まるのがご希望かしら」


 じりっと後ずさりする男に、文さんは一歩踏み出す。

 これは俺が来るだけ無駄だったかも……、と思ったのもつかの間だった。


「いいや、どっちもご希望じゃないね」

 

 もう一人の男は、一瞬のうちに文さんに肉薄し腕を振るったのだ。


「!!」


 まるで風船が弾けるような音がする。

 それは文さんが男の腕を叩き落とした音だった。


「ちっ……!」


 男が舌打ちをする。

 しかし間髪入れずに拳が振るわれ、その矛先は俺のほうだった。


「一筆ちゃんっ!!」


 文さんの声が響く。

 

 大丈夫。


「ふっ!!」


 俺はまっすぐに伸びてくる腕を抱え込む。

 

 『男の実践カラテ 女子を守れるモテ男子講座』全45回を読み切り、全国モテカラテ男子決定戦技術部門では一位になったこともある。

 

 モテ男に必要な強さは、打って出ることではなく守り切ることだ。


 そんな編集長の言葉を噛み締めながら、男の腕を捻り上げた。


「ぐううう!!」


 相手の勢いが上手く利用できたらしく、思った以上に腕を締め上げることができた。

 

 ……が、そこで一息ついたのは短慮たんりょであった。


「一筆ちゃん、離れて!!」


 文さんの切羽詰まった声とともに、俺の眼前には光る文字列が浮かんだ。

 

「こ、これは……!」

「攻撃魔法よ!いっぴつ――」


 彼の声が終わらないうちに、俺の身体は戸棚に叩きつけられた。 


 光る文字列が複数の玉になり襲いかかってきたのだ。

 一つひとつが鉛のように重く、とてつもない勢いだった。


 おそらく戸棚の引き戸はめちゃくちゃだ……申し訳ない。


「ぐ、ぐはっ……」

「一筆ちゃ……がはッ!!!」


 俺を気遣った文さんにも同じような光の玉が襲いかかったのが見えた。


「ふ、文さん……!」


 光の玉が当たった所が燃えるように熱く、立ち上がる力が出てこない。

 朦朧もうろうとする意識の中、眼に映ったのは透明感のある緑色のリング。


 叩きつけられた衝撃で落ちたのか、それは例のインキュノベルが書かれたノートだった。

 先々代からとってあるノート……レプリカとはいえ、相馬家にとっては当然大事なもののはずだ。

 

 俺は強盗に見つからないように、なんとか身体を動かしそれを背中に隠す。 



「不用意に前に出るなと言っただろう」



 そんな声とともにもう一人誰かがやってきたらしい。

 眼が霞みはっきりと見えないが、黒っぽい服装を着た人物。

 声は何かで不自然に変えられていて、アイマスクのようなもので顔を隠している。


「た、助かったぜ……こいつなかなか……」

「……ああ、センスはいいな」


 つぶやくように言うアイマスクの人。

 さっきの魔法はこの人が使ったんだろうか。


「……そのTシャツ、どこで買った?」


 えっ……。


「……な、なんでもない」

「あ、兄貴、後で探しときましょうか」

 

 頼む、と小さくつぶやく彼――性別はわからないが――は倒れている文さんに近づく。


「用紙のストックがあるだろう?どこだ」


 息も絶え絶えの文さんは、それでも気丈な様子だった。


「紙のために強盗だなんて……どこの田舎者かしら」


 彼が言い終わった途端、鈍い音がする。

 目出し帽の男が倒れ込んでいる文さんに、蹴りを入れたようだ。


「さっさと――」

「おい」


 乱暴な言葉をかけようとした男を、アイマスクの彼が遮る。


「誰が蹴っていいと言った」


 ゾッとするような冷たい声に、目出し帽の男は静かになった。


「田舎者で構わない。二階まで探されたくなければ言え」

「……!」


 彼は相馬さんの存在を知っている……。

 暗に彼女に危害を加えられたくなければ……そう言っているのだ。


 悔しい。

 文さんの力に慣れないどころか、相馬さんまで危険に晒すことになった。

 

 背中に隠した本を左手でつい握りしめてしまう。

 むしろ身体で動く部分はそれくらいだった。


 ……俺は一体何のために……。

 


 『人は見た目じゃない』


 残酷な言葉だと、俺はいつも思う。

 この言葉を言える人はその残酷さに気づいていないのだろうけど。


 『見た目を制するものは、人生を制する』そんな帯がついた本が、ベストセラーになり山程売れる。

 自身の見た目をネタにして、笑いを取る芸人も大勢いる。 


 大企業の人事部、広報部の社員。

 中小も含めた企業アピールのウェブページ。

 ひいては大学の紹介、サークルの紹介、雑誌の表紙。

 取り上げられる人は大抵端正な顔立ちだ。


 普通の人だってSNSアカウントの写真は、一番写りがいいものを選ぶし、場合によっては程度はあれ加工だってする。


 綺麗どころを連れてきてほしい。

 ようやくありついたとあるバイトで、そんな要求だってあった。


 ――だから聞きたい。


 『人は見た目じゃない』という言葉がある理由を。

 それをあえて口にする理由を。

 

 もし本当にそうであったなら、その言葉が生まれる余地がないと思うから。


 皆気づいているのだ。

 見た目審査をパスしなければ、『見た目じゃない部分』にほとんどの人は辿り着かない、興味さえもとうとしない。

 

 ……俺は身をもって知っている。



 でも『ほとんど』なのだ。

 決して全員じゃない。


 これも、身をもって知っている。

 相馬さんや、文さん、伊予川の駅員さんがまさにそうだ。


 そうでない人も、きっかけ次第で変わることだってあるだろう。


 だからそんな人や場面と出会った時、力になれるように。

 そんな人を救えるように、楽しく笑いあえるように。

 そんなきっかけを、いつか引き寄せられるように。


 雑誌もテレビも片っ端から目を通して。

 流行の店は制覇して、流行の遊びも大抵やった。

 料理だってなんだって練習した。


 『モテたい』と言いつのってはいたけれど。

 実際はもっと手前だって構わない。

 『モテなそう』と笑われるくらいの関係でも、とても嬉しいのだ。


 守りたい、大事にしたい、有り難い。

 そう思った人達が痛い思いをしているのに……力が足りない。


 ……悔しい……!

 

 

「ほんっとたちが悪いわね……」


 吐き捨てるように、文さんが言っているのが聞こえる。


「時間を稼いでも、警察はこない」


 そんな彼の思惑を、希望を踏みにじるかのように黒服のアイマスクは言う。


「ど、どういうことよ」


 動揺を隠しきれない文さんの声は僅かに震えを含んでいた。


「説明する必要はない。紙の在り処を言え。手間をかけさせないで欲しい」


 ほんの一瞬の沈黙。

 それでも目出し帽の男はしびれを切らしたらしい。


「俺が!」


 そう言って俺の方向へ急ぎ足でやってくる。


 二階への階段を目指し、やってきてしまう。


 身体を動かしたくても、光の玉があたった場所が重くほとんど動かない。

 何か細工をされたのか……。


 くそっ!!

 動け……!!

 とりあえず足を掴むだけでいい……っ!

 

 上がらない右腕と、左腕。

 その現実が俺を打ちのめす。


 情けなく動く左の指が、隠したままのノートをもう一度握りしめた時。

 


『ったく、私に願うならもう少し大きく出なさいよ!』



 隣を通り過ぎようとしていた男に、唐突に光の帯が巻き付く。




 ――そしてまた、雪が降った。

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