第6頁 インキュノベル
夕日が差し込む店内で、俺は興味に動かされるまま文具の話を聞いていた。
「一筆ちゃん聞き上手ねえ。ついつい話過ぎちゃうわ♪」
「ふふっ、キャリア課のガイダンスもちゃんと聞いてくれるもんね」
興が乗ったのか、文さんと相馬さんは丁寧に説明をしてくれた。
その内容は新鮮で、大学の講義よりよほど興味をそそられる内容であった。
中でも特に惹かれたのは、今俺の眼の前にある『インキュノベル』という魔法文字だ。
歴史を感じる革製の表紙に、透明感のある緑のリングが印象的な本。
というより、ノートか手帳といったものだろうか。
サイズは大学ノートの半分……おおよそB6くらいの大きさ。
ページ数は少ないが、びっしりと文字が書いてある。
「インキュノベルは一番最初に生まれた魔法文字ね。文字の種類が多すぎて、同じ文字は一つとないとさえ言われているわ」
「確かに一つひとつ微妙に違います、右側が一緒でも左側が違ったり……」
文さんは俺の感想に大きく頷く。
「今も解読は続いてるんだって。私達が知らない魔法も沢山あるだろうって良く特集されてるよ」
相馬さんも同じページを覗き込みながら言う。
「本物は貴重で、これはレプリカ。先々代が海外の魔法都市へ言った時に、お土産で買ってきたものらしいわ」
「文字はすごくそれっぽいし、いい出来だからとっておいてるの」
確かにレプリカだとしても、とても趣あるデザインに惹きつけられる文字だ。
緑のリングも、
文字は手書きのようだし、きっとそれなりに高価だったのだろう。
「インクを使った魔法文字は、手書きじゃないと発動しない……っていう現実の法則を再現したんでしょうね。こだわりを感じてアタシは好きよ♪」
そう言って文さんは本を閉じ、引き戸のついた戸棚にしまった。
「とりあえず、今日の所は基礎の基礎ってことでおしまいね。せっかくだし、インターンをしながら少しずつ覚えていったらいいと思うわ」
「はい!」
今後もこの世界に触れられると思うと嬉しい。
つい、返事にも力が入ってしまった。
「それで、一筆ちゃんはどこで寝泊まりするのかしら。こっちに滞在するんでしょう?」
そういえば今回のインターンは、インターン先の近くで宿泊する……と聞いていた。
どこか、までは聞いていなかったことを思い出す。
「
「あら、本当?諏訪ちゃんも思い切ったわね」
相馬さんによると翠屋というのはシェアハウスだそうだ。
入居者は現在一人いて、俺用にも個人部屋が用意されているらしい。
「ここでもいいかなって思ったけど、翠屋のほうが部屋が広いからね」
そうねえ、と頷く文さん。
場所はここのすぐ隣で、寝坊しても安心だよ、と相馬さんは笑った。
「一筆ちゃん自炊好きなの?包丁さばきが様になってたじゃない」
「……私より出来る気がする……おかしい……」
時間も遅くなったということで、その後夕ご飯をご馳走になってしまった。
女性と夕食を囲むなんて緊張して味が……というのは
ちなみに食事の用意は手伝いをさせてもらったのだが、相馬さんには難しい顔をされてしまった。
「ま、まあ一応一人暮らしですから……」
『カリスマ専業主夫モテギの、モテ夫育成チャンネル』の動画を毎週欠かさず見て、料理の練習をしている……とはとても言えない。
というのも、見た目を乗り越えるには料理も必要だ……と思ったのだ。
しかし料理は作れても、女性と食事をする機会は作れないのである。
むしろ同学年の男子とさえ、禄にご飯を食べたことがないことに気づき、熱いものが頬を伝ったのは記憶に新しい。
『有名Vキュレーターに聞く!最新
木の板を横にして作られたテーブルで食事を終えた後、部屋の魔素スクリーンではそんな映像が流れていた。
「
「増えたわねえ、この類」
やれやれと言った表情の文さん。
俺の質問には、相馬さんが答えてくれた。
「さっき言ってたキュリズムってシステム。あれはね評価した人にも評価がつけられるの」
コメントが的確であったり、面白かったり、といったことが評価の対象になるそうだ。
その評価がその評価者そのものの人気につながり、今ではランキングも存在するらしい。
「それで順位の高い人が、有名キュレーターって言われてるの。若い子は特に憧れてるみたい」
相馬さんがこの仕組みの話をした時、何事も目立つ人が現れると、という話をしていた。
それがこういった有名キュレーターだったのか。
画面にはCGで作られたキャラクターが現れた。
『今日のゲストは大人気キュレーターのセムさんです!』
『セムです、よろしくお願いします』
可愛らしい熊のようなCGキャラクターが一声発すると、画面の下に文字列が大量に現れる。
声は男性とも女性ともつかない中性的なものだった。
こんな風にCGキャラを使うところがバーチャル、つまりVってことのようだ。
『すごい量のサップですよ!さすがセムさんですね』
『あはは、ありがとうございます。明日の夕食が豪華になりますね』
サップというのは、どうやら見ている人からの投げ銭システムらしい。
彼がそんな冗談を言うと、さらに画面の下の文字列は勢いが増す。
「この一言でうちの月商くらい稼いじゃうんじゃないのかしら、すごいわねえ」
「なんか複雑だなあ……」
キュリズムについて話す時は、どうにも気乗りしない様子の相馬さん。
彼女はこの仕組みがあまり好きじゃないみたいだ。
『脱飾系というのは、
『肩肘はらない、というと?』
女性キャスターの質問に、熊のアバターが考え込むような動作をする。
『SNSも含めて注目を集めたいっていう気持ちで、皆さん投稿も工夫してますよね。でもその工夫に時間がとられ過ぎて、疲れちゃう、みたいなことありません?』
『あ!いい写真を撮るために、何時間も粘っちゃうみたいな?』
そうですそうです、と頷くセム。
すると画面端に可愛らしい芽が生え、みるみるうちに成長し黄色の花が開く。
「あ、この番組は花なんだ。これはちょっと好きかも」
少し笑顔が戻った相馬さんに聞くと、これは視聴者の反応を表しているらしい。
SNSなどで賛同の意見が広がると、花が成長し開く仕組みだそうだ。
要は「あるある」みたいな意見が多いってことだろう。
『俺も投稿用に一眼レフを買うたわあ。ちょっとカッコつけたくてな!』
『でも投稿ださいじゃないですかあ』
『ずばっとくるぅ!!』
芸人とアイドルだろうか、テンポのいいやり取りで笑いを誘う。
それが楽しければいいんですよ、と有名キュレーターは前置きした。
『でもだからこそ、格好つけない楽さっていうか。そういうの大事だよねっていう皆の気持ちが現れたのが、
『なんか深いですねえ!確かにセムさんが評価をつけるものって、どこかノスタルジックだったり、シンプルだったり、飾らないっていうのわかります』
熊はにっこりと笑顔を浮かべ、話を続ける。
『こうして思った以上に共感がもらえて。注目していただけたからこそ、まだ知られていない脱飾系のお店とか紹介したいなと』
『おお!では今日もここが始めてのキュレートなんかも……?』
『ええ、もちろん。おすすめをもってきましたよ』
『セムはん、まぁた伊予川に行列作る気なん?罪な人やねえ!』
そこからは彼が色々なお店や商品を紹介しはじめた。
それらはどれも派手さではなく、シンプルなものだ。
高価ではないけれど、数が限られたものや、手作りっぽい風合いのものが取り上げられていく。
「うちも脱飾じゃない?素朴で飾らない魅力を売っていこうかしら」
「前庭に入りづらさがあると思うなあ。レビューにもあったじゃない。あれなんとかしようよ」
文さんは相馬さんの言葉に、ううむ……と唸る。
オネエというより父親的な威厳を感じずにはいられない。
「あのティアって女も似たようなこと言ってたわ。でも前庭は先祖代々のものよ?」
「あ!結局あの人何だったの?」
確かティアという女性は、相馬堂へ着いた時にいたパンツスーツの人だ。
ファンドがどうとかって……。
「うちの技術に目をつけてきたムラサキファンドの女。ちょっと前から投資したいってしつこいのよ」
「ムラサキファンドが投資!?うちなんかに?」
相馬さんは目を丸くしている。
文さんは、失礼ね、とため息をつく。
「相馬堂の代々の技術は業界じゃ評判いいのよ?ま、その技術が欲しいってわけね」
「いいじゃない、世の中WIN-WINだし!」
勢い込む相馬さんに、はいはい、と適当に返事をする文さん。
「あの……ムラサキファンドっていうのは?」
「ん?あ、そっか。書森くんはわかんないよね」
うんうん、と頷きつつ相馬さんは説明を始める。
キャリアサポート課で面談をしてくれる時のようだ。
「まずはファンドってわかる?」
「ええと名前だけはとりあえず……」
ニュースで単語を聞いたことはあるけれど、正直言ってあまり知らない。
就活の一環で覚えておくといいね!と相馬さんは続けてくれた。
「ファンドって言葉自体は、基金とか資金って意味。けど最近じゃ投資の商品のことを指したり、投資組織を指したり……いろいろ広がってきたの。このムラサキファンド、っていうのは投資のプロがいる投資会社のことね」
普通は投資家からお金を集めて、株や不動産などに投資して利益を上げる。
そして投資家にその利益を分配し、手数料をもらう……みたいな会社らしい。
「要は人様の金を使って、儲けを出そうって言うやつらよ。まったくずる賢い話ね!」
文さんはこのファンドの人間が嫌いらしい。
手に職、という彼からすると対極のように見えるのかもしれない。
投資も立派な専門職だからね、と苦笑いする相馬さんが言う。
「ムラサキファンドはYUKARIの関連会社なの」
「ええと……魔素スクリーンを作ったっていう?」
「そう!今日だけで魔素スクリーン技術は沢山見たでしょう?」
確かにテリカを始め、パススポット、駅前のスクリーン、そして今相馬堂にあるもの。
初日でこれだけ眼にしたのだ、その普及率は想像に
「ムラサキファンドはその莫大な利益を使って、色々な会社に投資して次のビジネスにつなげようとしてるの。どう?なんとなくわかった?」
俺は頷いたのを見て、相馬さんは笑みを浮かべた。
「次のビジネスが立ち上がる頃には、投資された会社は吸収。技術だけとられて、どうせ経営者はほっぽりだされるのよ!小さくても頑張ってる会社を応援、なんて言ってるとこほど胡散臭いものはないわ」
「ううん……まあ可能性が0とは言えないけどさあ……お兄ちゃんの技術が無くなるわけじゃないでしょ?」
「YUKARIの資金で機械化されちゃうわ」
まあそうかも……とうつむきがちになる相馬さん。
「それにね、相馬堂は――」
しかし、不服そうな文さんの言葉は唐突に途切れた。
まるで雷のようにも聞こえる、複数のガラスが割れる音。
それが一階の店内から、食卓ある二階へ響き渡ったからだった。
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