第4頁 オネエさんと相馬さん

 からん……、とドアに付けられた飾りが揺れる音がする。

 技術が進んでいそうな伊予川でも、こんなものは残っているんだなあ……などとぼんやりしたことを考えつつ。


「ええと……書森くん」

「はい」

「その、結構濡れちゃったね……ふふっ……」

「……はい」


 俺はこの惨状からの逃避を試みていたわけである。

 だが残念ながら、かぶったアイスティーの香りはそう簡単に消えてはくれないし、来てきた服もびしょびしょのままであった。


「おっ……お客様、こちらお使いください」


 ドアまでお見送りに来てくれた男性の店員さんが、小さなハンカチを渡してくれた。


「あ、ありがとうございます」

「ひっ……いえ……そちらはご来店の記念ということで……れ、レビューお待ちしております」


 わざわざ見送りまでしてくれて、その上ハンカチまで渡してくれるとは凄くサービスが良い。

 感謝を表現したくて精一杯笑顔を浮かべたつもりだったが、あまり効果はなかったらしい。

  

 ……ちなみに注文を取りに来た女性店員さんは、最初にオーダーをした後は一切こちらのテーブルに近づくことはなかった。

 今日は相馬さんがいたからそれで済んだのだろう。

 かつて一度店員さんに泣かれてしまった経験もある。

 様子を伺いにきた店長にも何故か謝られ……みたいな地獄だったなあ……。


「ふふっ……書森くんの長所だね、そのくじけない所」

「それ、褒められてるんですかね……」

「就活は自己分析も大事。そして他人からの印象も理解しておくべし……だよ?長所だって言ってるんだし、素直に受け取っておきなさい」


 そんな話をしたら、くすっと笑いながらキャリアサポート課らしいお言葉を頂いた。


 窮屈そうに頭を下げる彼をこれ以上困らせるのは忍びなく、俺と相馬さんは軽く会釈しそそくさと店を出た。

 立町一丁目たてまちいっしょうめ――バス停ではなく、パススポットというらしい――へ歩き出すと、相馬さんはくすっと笑う。


「ふふっ……さすがにいきなりグラスを爆発させるとは思わなかった」

「いや、何がなんだか……。すみません、相馬さんにもご迷惑をおかけしまして……」

「私は大丈夫!さっき見たでしょ?」


 グラスが爆発してしまった結果、当然二人ともお茶びたし?になった。

 しかし、相馬さんが来ている服も何か細工があるらしく、少し光ったと思うと何事もなかったように濡れる前に戻ったのだ。


「でも髪の毛も濡らしちゃって」

「だいじょーぶだって!少ししか濡れてないし、少しいい匂いになったと思えばね?むしろ書森くんは大丈夫なの?」

「あ、いや平気なんですが……インターン先に行くなら服を買いたいです」


 まったく意に介さない様子の彼女に、俺は感謝の気持ちで一杯になった。

 女神様が平気なら、俺がずぶ濡れでも問題はない。

 とはいえインターン先へはこの後挨拶をする予定のはず。

 さすがにこの格好は……。


「あ、それなら平気。むしろ服も借してもらえると思うし、心配しなくていいよ」

「借してもらえるんですか?」

「サイズも多分……書森くん大きいけど、まあなんとかなるでしょう」


 確かインターン先は文房具屋と聞いていたけれど、制服か何かあるのだろうか。

 いやそれ以前に、びしょびしょで挨拶に来る学生ってどうなんだ……。


「ありゃ……パスポ少し混んでるね、学校終わる時間か」

「このワープ、混んでるとかあるんですか?」

「うん、一応ね。そういう時は30秒くらいのCMが流れるの。ちゃっかりしてるよねえ」


 パスポ、というのはパススポットの略。


 次層の伊予川は、極めて表層の伊予川と近い構造だそうだ。

 パスポは表層にあるバス停と基本的に同じ位置にあり、駅や学校、その他のお店を含め、街並みはほぼ表層と同じらしい。

 ソトシマの場所には表層でもスイーツショップがある、と相馬さんが教えてくれた。


 日本の地方によくある街並みに、魔素スクリーンやワープできるバス停が存在する……というのはなんとも不思議な光景である。


 立町一丁目のパスポには人はいないが、ワープの経路が混雑しているようだ。


『世界をシンプルに選ぼう。Curizm<キュリズム>』


 バス停によく似た形の看板には、魔素スクリーンが浮かびそんな文字が流れた。

 するとポケットから振動を感じる。

 テリカを取り出すと、こちらにもスクリーンが現れている。


「キュリズム……?これ、アプリか何かですか?」

「あぁ……」


 俺が聞くと、相馬さんはゲンナリした顔をする。


「それはねえ……レビューシステムっていうのかな。伊予川全体で凄く流行ってるんだよね」


 そういって彼女は自分のテリカを取り出し、横に振る。


「おお……」


 すると見えている街並みに、魔素スクリーンで文字が次々と浮かび上がった。

 そこにはネットで商品にレビューする時のような★が並べられている。


「こうやって、伊予川は様々なものにレビュー評価が採用されてるの」

「すごいですね、これ。わざわざサイトとかを見に行かなくていいんですか?」

「そうそう。今書森くんと一緒に見てるように、近くの人と共有する機能もあるの。このまま街を歩けば、スコアの高いお店かそうでないか分かるよ」


 浮き上がっている魔素スクリーンにはそれぞれ色があり、評価が悪いとほとんど真っ黒だ。

 聞く所によると、表示されるサイズも評価によって変動するらしい。


 なるほど……ここまで手軽に見れたら影響力も凄そうだ。

 それであの店員さんも、レビューお願いしますって言ってたのか。

 

「伊予川の人はほぼ皆使ってるんじゃないかな。今こうしてCMが流れてテリカに通知がきたのも、さっきお店に入ったからだね。今匿名で★評価ができるようになってると思う」


 匿名性を保ちながら、テリカはこうして位置情報を上手く利用しているそうだ。


 テリカのスクリーンには店名と★の数を設定する項目が浮かんでいる。

 簡単なコメントも打つことができるらしい。


「様々なもの……ってことは、商品にも?」

「うん、設定すれば商品棚に並んでるものも★を確認したり、つけたりすることもできるね」


 とりあえず俺はチーズケーキがとても美味しかったので、最高評価の★5をつけておく。

 コメントはちょっと恥ずかしいので省略させてもらった。

 ★の評価数は1,000を超えているらしい。


「おお……随分沢山の人が評価してますね」


 そうなんだよねえ、と相馬さんは苦笑いを浮かべる。


「まあ何事も目立つ人が現れると……お、順番だ」

「あ、はい」

「キュリズムの話はまた後で。翔鶴神社しょうかくじんじゃ前ね」


 テリカをしまい、俺は人生二度目の短距離転移を体感するのだった。



 今度の転移は神社の前だった。

 境内からすぐの所に道路があり、パススポットはそこに設置されている。


「ここは……」


 辺りを見回すと、町家建築が並んでいる。


「転移しちゃうとわかんなくなるけど、この辺は駅前通りの近くだよ。駅前魔法街まほうがいってやつ」


 こっちこっち、と歩き出した相馬さんについていくと甘い匂いがする。


「あ、そこにも美味しいお菓子屋さんがあるから、今度行こうね」

「えっ……あ、はい」


 美人さんとスイーツを食べられる喜びと、グラスを破壊した記憶で混乱しつつ返事をする。


「あれ?誰か来てる……?」


 そんな話をしながらしばらく歩くと、どうやら目的の場所へついたらしい。

 

 そこは町家建築らしい趣を持ちつつも、小さな前庭が風情を感じさせる建物だった。

 古ぼけた……という感じではなく、確かに歴史を感じさせる佇まい。

 和風の前庭の奥には、木材で作られ大きめのガラス窓がついた扉が見える。



「このまま独自技術を失うおつもりですか?」

「いやねえ、そんなつもりじゃないわよ」



 そしてその前庭では、パンツスーツを着た短めの白髪女性と。

 引き締まった……というより鍛え上げた胸板と、ソフトモヒカンな髪型が印象的な「男性」が言い合いをしていた。


「ではこの状況でどうなさるおつもりですか?人手も売上も足りていないじゃないですか。セキュリティコストも削り過ぎでリスクを軽減できてませんよ」

「ぐっ……」


 こちらからでは後ろ姿しか見えないが、白髪女性は仕事ができそうな感じの話しぶりである。

 一方「男性」は少し言い負かされ気味のようだ。


「私達のファンドがご支援いたします。稀有けうな技術があっても、スコアに足を引っ張られている状況ではどうしようもありません。ファンドの受け入れ、ということだけでも明るい知らせとして……」

「あなた達は結局うちの罫線けいせんが欲しいだけでしょ?投資の後どうするか、ちゃんと言ってご覧なさい」

「それは当然、経営支援を含め私達のコンサルティングで……」


 罫線が欲しい……?

 ちょっと良く分からないが、会話内容から察するにここは会社……なのだろう。

 そして「オネエ言葉の男性」は、白髪女性の肩越しにこちらに気づいた。


「あ、詩織ちゃん!おかえり……ってイイ漢つれてるじゃない♪」

「でしょう?」


 いきなり話かけられたように感じたが、相馬さんにとっては普通らしい。

 

 その言葉につられて白髪女性もこちらを振り返る。

 相当に美人だ。

 相馬さんとは雰囲気が違う、冷たい感じの美人。

 モデルさんのような体型で……その……胸が大きい。

 

 ああ、いやいや。

 見た目が野獣なのだ、せめて中身は節度をもたなければ。


 ん?おかえり……?


「申し訳ないわね、ティアさん。今ちょうど、活きの良い、なんなら身体もイイ♪新入社員が来てくれたわ」

「新入社員?募集されてたんですか?」


 パンツスーツの女性はティアさん、というらしい。

 青い瞳に、日本人離れした雰囲気。

 日本語はとても自然だが、ハーフの方だろうか。


 オネエさんはともかく、彼女も俺の見た目に動じる様子がない。


「ねっ!」


 ティアさんに見とれてしまっていると、急に肩を引き寄せられた。

 大柄で怖がられてしまう俺でも、その力は強くぐぐっと身体を持っていかれてしまう。


「一筆くんだったわね?」

「っ……!は、はい……書森一筆と申します」


 近い!

 このオネエさん近いよ!

 どうやらこの方に抱き寄せられた格好になったらしい。

 身長も俺よりやや高いようで、至近距離で見下ろすように語りかけられ、鳥肌が立ってしまった。


「ほうら、この通り。アタシにも動じない、強そうな子じゃない。しかも『一筆』ちゃんですって。うちの店にぴったりだわあ♪」


 俺は視線で助けを求めようと、相馬さんを探す。

 

「ぷっ……くふっ……ふふ……双子みたい……」


 ああこれは駄目だ。

 完全に笑いを堪えている。

 むしろ半分笑っている。

 女神様、どうか御慈悲を……。


「……今日はこれで失礼いたします。どうか冷静にご検討ください。新入社員一人で、店が立ち直るほど魔法街は甘くないのはご存知でしょう?」


 ティアという女性は、そう言って綺麗な歩き方で去っていった。



 と、肩にかかっていた力が抜ける。

 

「一筆ちゃん、急に抱き寄せちゃってごめんね♪痛かったでしょう?」


 ようやく距離をとってくれたオネエさんが、優しげに声をかけてくれる。

 

「あ、ああ……いえ、大丈夫です。それより俺濡れてたんですけど……」


 アイスティーがかかった服を着たままであったことを思い出す。

 急なことだったとはいえ、非常識な格好できてしまったことも含め申し訳なくなった。


 と考えていると、再び急に抱き寄せられた……!


「ああ!なんていい子なの!詩織しおりちゃん、ナイスだわ!ナイスすぎるわ!」

「ぐふっ……!」

「ふふっ……でしょう?」


 苦しい!

 っていうか女神様さっきからそればっかりじゃありませんか!


「ふう……取り乱しちゃったわ」


 プロレス技のような抱擁から開放されると、すっきりした顔のオネエさんと相馬さんが並び笑顔を浮かべた。



「ようこそ、魔法文具店まほうぶんぐてん相馬堂そうまどうへ。夏のインターン歓迎するわ、一筆ちゃん♪」

「よろしくね、書森くん」

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