第3頁 もう一つの世界

「最初に『世界層せかいそう』について話をするね」


 そう簡単に信じられないかもしれないけれど、と前置きをして相馬さんは話し始めた。


「ひとまず、これでいいかな」


 彼女は席に備え付けられた紙ナプキンを二枚重ね、改めてテーブルに置いた。


「まずここにテーブルがあるよね。これを地球……まあ大地や海、山だと思ってみて」


 相馬さんは紙ナプキンが置かれたテーブルを指で指す。


「山や海があるこの星に、紙ナプキンが二枚乗っかっているよね」


 俺はこの後の話が想像できないなりに、頷く。

 一体どんな話になっていくのだろう。


「この紙ナプキンの一枚目。これが科学の世界。書森くんが、さっきまで立っていた世界」

「さっきまで……?」

 

 彼女は、二枚重ねになった上のほうの紙ナプキンを軽く触る。


「そう。新幹線で伊予川駅へ来て、公衆電話にカードを入れるまでの世界のこと」


 つまりあの白い世界を目にする前……ということだろうか。

 そこで相馬さんは、さきほどのカードを取り出す。


「これ、正式にはTell Intelligence Cardって言うの。科学の世界、つまり書森くんのよく知る世界のテレホンカードとは別物」


 それは感覚的にわかった。

 テレホンカードに馴染みは薄いが、ワープしたり、白い世界に入ったり、メッセージが届いたりはしないだろう。

 それに……今ならわかるが、普通のテレホンカードは裏側は銀色だったはずだ。


「頭文字を取ってTelICa。だからテリカって呼ばれてるよ」

『――依然として、レビュー人気店への強盗被害が出ており警察が――』


 彼女がカードをこちらへ見せると、ホログラム的な画面が浮かぶ。

 ニュースキャスターが、何かの事件について伝えているようだ。


 あ!ごめんね!さっき見たままだった、と相馬さんは画面を閉じる。


「それで、このテリカを特定の公衆電話に入れると……」

 

 そう言うと彼女は一枚目のナプキンをペラっとめくる。


「二枚目のナプキンに移動する……?」

「そう、私達は今この二枚目のナプキンの世界にいる」



「地球という土台はそのままに、この世界は実は二つ重なっている。世界をめくると、そこにはもう一つ世界があるの」



 真剣な表情で話されなければ、なんの映画だよ、と物笑いの種になってしまいそうな話。

 けれど相馬さんの表情はとても嘘をついているようには思えない。


 にわかには信じられない話だ。

 もし本当なら、世界はまるまるもう一つあったということになる。


「そうよね、最初は信じられないと思う。でも……その、何と言ったらいいかな、事実なんだよね」


 多分転移の時に一度見たと思うけど……と彼女は紙ナプキンを再び重ねる。


「一瞬、『普通の街』の伊予川が見えなかった?白い世界から戻った時」

「……そ、そういえば。最初は普通の田舎が見えた気がします」


 高い建物もなく、海が見えて、タクシーがロータリーに停まっているような景色が見えた。


「その後、ぺらぺらっと光がめくれていくような現象はどう?」

「見ました。何かこう布がめくれて……あっ!」


 相馬さんは俺の言葉に大きく頷く。


 そう、あの現象こそ紙ナプキンが一枚めくられる様子だったのだ。

 つまり世界層を移動した……ということなのだろう。

 説明に使われた紙ナプキンは、つまり世界層そのものを表していたのだ。


「でもそうなると前の世界は……?」


 あの光は霧散していってしまったはずだ、前の世界は今どうなってしまったのだろうか。


「大丈夫。現象としてそう見えるだけ。実際にはめくられたというより、特定の道を通って書森くんが二枚目に移動した感じかな」


 あの公衆電話はその特定の道だった……要はそういうことらしい。


「この世界は『次層じそう』って呼ばれてる。みんながいつも通っている大学がある世界は『表層ひょうそう』ね。だから次層には私達がよく知っている大学はないの」

「そ、そんなに差があるんですか?」

「地形とかは一緒だけど、違う世界が広がってるって思ってもらってもいいと思う。とはいっても大抵は表層の人が移り住んだ所だし、同じような文化が広がってるって思ってもらっていいよ。ただ全体として『表層』より『次層』のほうが技術が進んでるかな」


 例えばこれ、と彼女はそこでテリカを取り出し、俺に見せる。

 すると鮮やかな映像が流れ始めた。

 しかしやはりそこに液晶ディスプレイのような装置はない。


「これはね『魔素まそスクリーン』。次層に色濃く存在する『魔素まそ』っていう物質に特殊な波をあてて映像を表示する技術だよ」

「魔素……ですか?」

「そう、空気中にある元素の一つっていうイメージかな。専門じゃないから、あんまり詳しく聞かれると私も弱いかも」


 ふふっと相馬さんは照れくさそうに笑った。


 鮮やかな映像はどうやらニュース番組のようだ。

 これは俺が見たことがあるテレビ番組とさして変化はないようで、すぐにわかった。


『魔素スクリーンで知られるYUKARIが新たに立ち上げたベンチャー――』


 ニュースの内容はちょうど今話をしていたことだった。


「お、ナイスタイミング。このYUKARIっていう会社を作った日本人が魔素スクリーンを発明したんだよ」

「日本……っていうことは次層にも国が?」

「うん。各国が自国の領土で、次層の入り口を探すからね。アメリカの次層はアメリカだし、日本の次層は日本。同じ政府が管理してるから言葉も文化も大抵は一緒だね」


 なるほど……本当にもう一つ国土があるようなものなのか。

 こうしたスイーツショップがあり、日本語でよく見たことのある感じのニュース番組が流れる。

 確かに文化も共通しているというのは理解できた。


「魔素はこっちの世界にしかないんですか?」

「表層にもあるにはあるらしいんだけど、凄く薄いみたい。だから魔素を使った技術の大半は表層で使われないの。短距離転移、ワープで通勤とかしたいけどね」

 

 満員電車ってほんと嫌だよねぇ……と、遠い目をする彼女。

 確かにさっきのワープがあれば、どれだけ通勤通学が楽になることか。


「あれ……でも、どうして次層のことは教えられないんですか?国も当然知ってるんじゃ……」


 同じ政府が管理している、ということは政府関係者は知っているはず。

 でも俺は今日まで知らなかったし、そこまで世間知らずではないと思う……多分


「それはね、この次層に来られる人が限られているから。魔素に適正のある体質でなければ、世界層の転移ができないの。ワープ出来る人が限られてるってわかったら、結構揉めそうでしょ?」

「適正?」

「そう、予め渡したテリカ。あれ見える人って限られてるんだよ?当然触れられる人も」

「えっ!」


 ということは俺は新幹線の車内で、宙に手をあげぼんやりしていたのか……恥ずかしい……。

 でもどうして俺に適正があるってわかっていたんだろう。


「ふふふ……国家というのは恐ろしいのだ、書森くん」

「き、急にどうしたんですか」


 俺の顔を覗き込むようにする相馬さん。

 か、顔が近い……化粧品のかな、いい匂いが……いかんドキドキする。

 女神様、どうかもう少し距離を……。


「健康診断。学校とかで時々うけるでしょう?」

「!」

「そう、こっそり皆さん調べられているの。体重計とか身長測定の台にそういう機器がはいってるのだ!」


 つまり国家レベルで適正を見られていたらしい。

 そしてその情報は大学でも当然集められているのだろう。


「私は一応ガイダンス役、要は表層から来た人を案内する資格をもってるの。そして然るべき手順を踏むと、こうして適正を持つ人を呼べるってわけ」

「はあ……なるほど……情報統制されてるんですね」


 マスコミを始め、SNSや匿名掲示板に至るまですべて検閲済みだそうだ。

 匿名投稿から個人が特定出来る時代、それくらいは出来るのだろう。


「表層のマスコミはかなり厳しく見られてるみたい。与える影響が特に大きいからね」


 噂や妄想、胡散臭い話と思われる程度は基本的には放置らしい。

 そのレベルを対処するにはさすがに限界があるので、今はAIに学習をさせ少しずつシステムを構築しているそうだ。


「まあ扱える人が限られているけれど、魔素は便利なんだよね。当然、皆が使えるように、っていう研究も進んでる」


 そう言って、彼女は俺のグラスに手をのばす。

 そこには、遠慮しなくていいの、と頼んでもらったアイスティーが入っている。


「例えば、こういうの」


 相馬さんがグラスに触れる。

 するとそこに光る模様が現れた。


「さ、どうぞ?」


 半分ほど残っていたが、氷もとけ、すっかりぬるくなったはずのアイスティー。

 ところが促されるままそれを飲むと、まるで運ばれてきた時のように冷たくなっていた。


「こ、これ相馬さんが?」

「そう、適正がある人が魔素を扱えるようになると、こういう効果がある道具を使えるようになるんだよ。便利でしょ」

「すごい……」

「こういうグラスはルーシャっていうの。昔はテーブルとセットの道具だったんだって」


 まさに魔法のような現象に、俺は驚き、ワクワクしてしまう。


 聞けば次層のヨーロッパで随分昔に開発されたもので、歴史ある道具だそうだ。

 今は表層にこの仕組みを持ち出せないか、研究が進んでいるらしい。


「これ俺にもできますかね……?」

「もちろん!その適正があるからこそ、わざわざ来てもらったんだから」


 少し前のめりになって確認すると、嬉しい答えが返ってきた。

 

「お腹と、肩の周りの空気に……力をふっと入れる感じ。見えない筋肉を動かす感じ……って言われても困っちゃうか」

「み、見えない筋肉?」

「ちょっとやってみよっか。まず軽くグラスを握って……」


 そう言って相馬さんは俺の手を躊躇なく包み、グラスを握らせる。

 

「っ……あの……!」

「ん?」


 女神様は野獣の手も関係がないらしい。

 ただ野獣にとっては大変関係があり、思わず身を固くしてしまう。


「あ。書森くん、照れてる?ふふふ……」

「そ、そりゃあ、あの……はい」


 いたずらっぽい笑顔を浮かべた相馬さんはどことなく楽しそうだ。


「それじゃあ深呼吸して、心を落ち着かせてね」


 彼女はそっと手を離し、ゆっくりと話す。


 助かった……さすがにあのまま心を落ち着かせられるほど女性慣れしていない。

 むしろ、対面に美人が座っているだけでも正直落ち着かない。


 だからこそゆっくりと息を吸って、吐き出そうとした瞬間。



「ちょっ、書森く……きゃあっ!!!!」



 ――眼の前にあったグラスは真っ白に光り、粉々に弾け飛んでしまったのである。

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