第2頁 伊予川へようこそ

 いってらっしゃい、と女性の声が消えてからも、俺はどこか呆然としたままであった。


 とはいえ悲観的な考えが浮かんでこなかったのは、ごく普通の日本人に見える人々が道を往来していたからだろう。

 高校生のような制服を着ている人や、スーツの人も見かける。

 一瞬の内に変わった景色はともかく、異星人達が闊歩するようなことはないらしい。


 『超えていく、Tell Labテルラボ


 そんなナレーションとともに、よくありそうな日本語のコマーシャルが流れていることも安心を誘った。

 投影されているのは駅前ロータリーだったところに浮かぶ、大きなホログラム画面の一つだけれど。


 ちなみに映っているカードには見覚えがあった。


「これを作ってる会社……?」


 俺は未だに握りしめたままのカード――テレホンカードだったはずの何か――を見つめる。

 

「テルラボって響き的には電話の会社っぽいけど」


 どこか海外の電話会社なんだろうか。


 とはいえ、今は就活を控えた大学3年の夏。

 それなりに企業のことは調べているつもりだが、そんな会社は初耳だった。


「!!」


 唐突にブルッと手に振動が伝わる。

 発信源はこのカードのようだ。

 改めてそれを見て、俺は思わず声を出してしまった。 


「これ、すごい……!」


 フルカラーの画面が、うっすらカードに重なるように浮かんでいたからだ。

 そこに液晶があるわけではないのに、はっきりとスマホの画面のようなものが見えている。

 そしてそこには『CS課:相馬詩織そうましおり』という言葉と、おそらく彼女からのメッセージが表示されていた。


 映画やアニメのようなホログラム的な画面、その技術にとても興味をそそられつつ文面を確認する。


「『伊予川はどう?ちょっとそこで待っててね、すぐ行くから』……?」


 表示されているメッセージは、学生アカウントを通してのやり取りよりずっと砕けた調子だ。

 本当に相馬さんなんだろうか。


 CSというのはキャリアサポートの略、CS課は学生の就職支援をしてくれる大学の組織である。

 相馬詩織さんは俺が通う大学で、そのキャリアサポート課の職員として働いている女性だ。

 

 俺に伊予川でのサマーインターンを紹介してくれて、このテレカによく似た何かをくれた人でもある。


「そういえば、出迎えがどうとかって言ってたような」


 先程までの不可思議な体験による緊張から開放されたことで、少しずつ頭が回り始める。

 どうして相馬さんが迎えにくるんだろう?

 夏休みはキャリアサポート課も忙しいはずだ、まさか学生のインターンに顔を出すはずもないと思うけど……。


 

「書森くん!ごめんね、待ったかな?」



 返信はどこでやるんだろうか……とカードを見つめていると後ろから聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、そこにはデニムに緑の爽やかなノースリーブを着た美人が立っていた。


「そ、相馬さん……ですか?」


 俺はわかっていながらも思わず確認してしまう。


「ええ、正真正銘CS課の相馬さんです。落ち着いてきた?」

「あはは……」

「ふふっ、お姉さんの顔見たら安心したでしょ」

「でも、一体どうして?」


 照れくさいがその通りだった。


 初めて訪れる地域、不可思議な白い世界と、その後に起きた現象。

 そして高度な技術が採用されている都市。


 押し寄せていた混乱は、知り合いの顔を見たことで少しずつ収まっていった。


「『次層じそう』が初めての子を、いきなり放り出すわけにいかないしね」

「じ、次層……?」


 あまり聞き慣れない言葉だ。

 けれど、最近近しいものを聞いたような気もする。


「ああ、そうだよね。分からないことだらけだと思うし、おやつでも食べて落ち着こっか」

「え?おやつ?」

「ちょうどそんな時間だしさ。お腹減ってない?」


 相馬さんに言われ、俺は急激に空腹を感じた。

 もともとお腹も減っていたのだろうけど、安心したことが大きな原因だろう。

 俺は分かりやすい自分に苦笑いしながら頷いた。


 おごっちゃうよ~、と楽しそうに歩き出す彼女についていくと、バス停のような看板の前で止まる。


「それじゃ、次のカルチャーショックを受けてもらいますか!」

「カルチャーショック……?」

「じゃあ問題、どうしてバスを待っている人がいないんでしょうか」


 この時間のバスはあまり利用されていないのか、今はバス停で待っている人はいないようだった。

 しかしそれはそんなに珍しいこととも思わない。


「バスが少ない時間だから……ですか?」


 言ってから俺は、駅前のバス停に来るバスが少ない、という状況に違和感を覚えた。

 公衆電話を使う前の街なら、まあ時間帯によっては有りうるだろう。

 

 しかし今目の前に広がるのは、映画で見たような技術が使われる不思議都市だ。

 観光目的の人間だって多そうだけど……。

 

 相馬さんは残念!と嬉しそうに言う。

 そして肝心の正解は驚きの発言であった。


「正解は、この街にバスが無いからでした!」

「ええっ……バス無いんですか……?」

「正確に言うと、この街にはバスとか自家用車はほとんど無いの」

「じ、じゃあ皆さん徒歩で?」

「まあ徒歩もあるけど、基本的にはこれを使うの!」


 ふふふ、と不敵に笑う彼女は例のテレカを取り出した。


「書森くんも持ってるよね?それをこの看板に近づけてみて」

「わっ!」


 言われた通りカードを看板に近づけると、またホログラム的な画面が浮かんだ。


「それで、行きたいスポットの名前にタッチするの」

「スポット……?」

「まあバス停みたいなものよ。今から行くのは、『立町1丁目』ね、タップしてみて」


 画面に浮かぶパネルに恐る恐る触れる。

 すると、今度は数字が表示されカウントダウンが始まる。


 3.2.1……


 数字が0になった時、どこからか風鈴のような音が聞こえた。


「えっ!!」


 そして気がつけば、辺りの様子はすっかり変わっていた。

 ホログラム画面が並んだ駅前広場はそこにはなく、大きめの石畳が敷かれた道と『かすてら』と書かれた看板がついた建物が見える。

 収まったはずの混乱がぶり返してくるのを感じていると、また風鈴のような音が近くから聞こえた。

 

 音につられ顔を向けると、いつか見たような光の粒子がどこからともなく集まり、人の形になっていく。

 一度空間がぐねっとゆがんだように見えた後、そこには現れたのは相馬さん。



短距離転移たんきょりてんい……つまり人類の夢、ワープです!!」



 やたら誇らしそうにする相馬さんに、俺はやっぱり安心させられてしまうのだった。




「うま……!」

「でしょ?」


 初ワープの後、徒歩数分。

 相馬さんに連れられやってきたのは、ソトシマという名前の洋菓子店のカフェスペースだ。

 これほんと美味しいから!と進められた、賞をとったというチーズケーキは絶品だった。


「これ六本木のハールズにも負けてませんよ。あそこも並ぶだけあってミルクレープが相当美味しかったですが、全体的にパワータイプっていうか……」

「ぱ、ぱわーたいぷ……?」


 対面で食べている相馬さんが数度瞬きをする。


「ええ、質とボリューム両方で押してくる感じです。だから最後の方はちょっとしんどくなっちゃうんですよね。でもこのチーズケーキは甘味で攻めてくるっていうより、ちょっと上品に待っていてくれます」

「ま、待っててくれるの?」

「そうですね、こう……受け止めてくれるというか。安心させてくれるというか。どっちも美味しいんですが、こっちはホッとしますね。この方向性は原宿の……あっ……」


 あまりの美味しさに、ついまくしたててしまったことに気づく。

 相手は目上の人だというのに、夢中で話をしてしまうなんて……。


「す、すみません。つい……」

「あはは、大丈夫だよ。書森くんスイーツ好きなの?」

「……はい。似合わないのは分かってるんですが……」


 『悪魔とか悪霊も鼻息で滅しそう。』


 そんな失礼な表現を数少ない友人にされるほど、俺の顔は強面らしい。

 女性に怖がられるのはもちろん、初対面の男性にさえ恐れられる場合もある。


 とはいえ俺だって健全な男。

 女性とお近づきになったりしたいし、今でもラブラブしている両親を羨ましく思ったりすることもある。


 だからこそ、モテるため……というよりは共通の話題で親しくなったり、いざデートとなった時のためにと周囲の男より色々やってみている、と思う。

 その一環で、大学から行けるカフェはすべてチェックしているし、都内中心に人気スイーツ店は制覇したのだが。


「気づけば甘い物にドハマリしていて……」

「ぷっ……ふふっ……本末転倒すぎる……っ!」


 そしてたどり着いたのが、『悪魔を鼻息で滅する系スイーツ好き強面男子』というまったく需要のない存在であった。


「そ、それで……くっ……ぷっ……彼女はできた?」


 トドメを刺された俺はゆるゆると頭を横に振るのが精一杯であった。


「あははは!」


 ついに耐えかねたのか、相馬さんは楽しそうに笑った。

 こんなに笑われると心にくるものがあるが、俺を恐れないでくれるばかりか、気づけば一緒に甘い物を食べてくれる相馬さんには本当に感謝している。

 ただでさえ美人なのに、野獣にも優しいなんて現代に降臨した女神に違いない。 


 美人が野獣に興味を示すのは、動物園で眺めて楽しんでいるのと一緒だから勘違いするなよ!

 

 と、『S Marc the Men』の新年号コラムにあった。

 さすが『モテる男を育てるライフスタイルファッション誌』と称するだけある……その懐の深い意見にはまったくもって同意だ。

 女神様に出会えただけでも奇跡なのだから、野獣は大人しく感謝するのみである。


「あ、先週のグループワークとかはどうだった?」

「いやそれも、もう全然駄目っていうか……」


 相馬さんはひとしきり笑うと、キャリアサポート課らしい質問をする。


 先週のグループワークというのは、とある企業の短期インターンシップの内容だ。

 

 インターンというのは就職活動に向けた職業体験みたいなもの。

 毎年の夏休みの時期に、各企業が自社のアピールのため、もしくは良い学生を早めに囲い込む目的で開催されている。

 

 参加するかは当然自由だ。

 とはいえ、近年では実質選考を兼ねている企業さえある始末。

 参加しないという選択肢がないのは明白である。


「俺が話すと、全員怖がってしまって。リーダーをやるって言った学生も俺には意見を求めたくないような感じでした。見回っている社員さんも似たようなもので……」


 インターンは学生個人が応募して参加する。

 個人単位の応募なので、当日は大抵初対面の学生同士で会議をしなくてはならない。

 そうなると当然、鼻息で悪を滅しそうな俺は恐れられてしまう。


「社員も?」

「ええ、まあ。グループワーク後の個人面談もあっという間でした」


 俺の前に面談を受けていた学生は部屋から笑い声が聞こえ、30分近く会話が続いていた。

 その彼はグループワークのリーダーだったし、帰りは初対面のはずの数人の学生と楽しげに商業ビルへ消えていった。


 対する俺は5分もなかったと思う。

 コミュニケーション能力の違いは、戦力の決定的な差らしい。

 まあ……俺は能力がどうとか以前なのかもしれないが。


「採用のウェブページで、先進思考とか言ってる癖に……。見る目ないだけだから、書森くん気にしちゃだめよ?」

「……ありがとうございます」


 やや不機嫌そうに言う相馬さん。

 内心はどう思っているのかはわからないが、こうして元気づけようとしてくれる。

 やはり女神様に違いない、何かを捧げるべきではないか。


「そんなクソ企業の話は無かったことにしましょ」

「……」


 女神様は極稀ごくまれに……というか俺がインターンの結果を報告する度に、大変恐ろしい言葉遣いをなさる。

 いや、俺の耳がおかしいだけだろう。

 そうだと信じたい。


「伊予川でのインターンを始める前に、まずは伊予川にびっくりしてると思うの」


 俺は深く頷く。

 甘味を食べて落ち着くと、改めて疑問に思うことばかりである。

 ワープはもちろん、白い世界、テレホンカードのような不思議な端末……。


「それじゃあ、ゆっくり説明していくね」


 相馬さんはスイーツと一緒に頼んだ紅茶を一口飲むと、そう言ってこの不思議な地方都市について話を始めた。

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