ノベラニアのいる魔法文具店〜夏休みに出会った少女は「ノート」でした〜
澄庭鈴 壇
第1章 夏の雪
第1頁 「1104」
テレホンカード、というものを手にしたのは久しぶりであった。
「テレカ、今でもあるんだな……」
見たことがない、という同年代も少なくないだろう。
『テレカ』という言葉を知らない、という投稿がネットの記事になっていたような。
公衆電話にお金の代わりに差し込んで使う磁気カード。
チャージはできないが、一枚で結構な時間通話ができる。
携帯電話を持っていない小学生の頃、親に持たされていたのを覚えている。
両面真っ白で、片側の中央には赤い帯が途中まで入ったデザイン。
テレカと言って渡されたが、久しぶりすぎて記憶のものとは別物のようにさえ見える。
名刺サイズで少し硬さを感じる薄いカードを触っていると、後ろから声が聞こえた。
「新幹線って公衆電話ついてるんだね」
「この間初めて見かけて、少し驚いてさ」
男性と女性の声が近づいてくるのがわかる。
新幹線の車内は意外と静かなので、やや小声の会話でも聞き取れた。
「スマホがあるから普段は意識しないってのもあるよな」
「だよね。今時の小学生とか使ったことない、って人もいそう」
時代を感じるねえ……などとぼやく二人。
彼らは俺が座る席の横を通り過ぎ……なかった。
「ひっ!」
「……っ!」
どうやら彼女のほうの指定席が俺の隣だったらしい。
そして予想どおり、今日何度目かの小さな悲鳴を聞くことになった。
……声を出したのが彼氏側だったのは予想外だったけれど。
「せ、席は通路側だよな?」
「……う、うん」
中央に通路があり、左右に座席が並べられている新幹線。
この車両の場合、左が二人がけ、右が三人がけのちょっと珍しい構成だ。
俺が座るシートは三人がけのほう。
窓際が俺の席で、彼女は通路側。
俺と彼女の間に一つ席が空くことを確認した彼は少しホッとした様子だった。
「お、コンセントがあるのは気が利いてる」
「Wi-fiつながるみたい、すごいね」
二人は早速席に座り、小声で会話を続けている。
おそらく大学生だろう、彼氏側のファッションは先月の『Nan-ba Men』の表紙風に見える。
彼女と並ぶと、ファッション誌にお洒落な読者カップルとして登場しそうだ。
かたや夏休みに可愛らしい彼女をつれて、新幹線で旅行。
かたや地方のサマーインターンに男ひとり旅。
同じ学生だろうに、こうも世界は残酷である。
「足元邪魔じゃない?」
「ううん、大丈夫」
「隣空いてるし、そっちに置いといたら?」
「でも、誰かの指定席かもしれないし。夏休みの時期だから埋まってそうでしょう?」
彼氏は気を遣うように彼女に声をかけている。
彼女側の言葉をマナーの悪い乗客に聞かせてやりたい。
横目でちらっと見ると、彼女の足元には大きめの荷物が窮屈そうに置かれている。
荷物をあげる棚はそれぞれの座席の窓側にあり、彼氏は早々にそこへ荷物を上げリラックスした様子である。
『SHINE BOYS夏休み直前!モテ旅特大号』では、女性が「大丈夫」と言ったときは言葉では深追いせず、状況を良く観察せよと書いてあったじゃないか。
まったく最近のイケメンはこれだから……。
自身がいかに恵まれているのかわかっていない。
仕方がない、ここは俺が先導してやるとしよう。
俺はおもむろに立ち上がり、彼女側へ優しく手を見せる。
「その……荷物こちらへあげま――」
「ひぃっ!!」
しかし、彼女は切迫した表情で今度こそ悲鳴をあげた。
原因はたった一つ。
――俺の人相が悪すぎるのだ。
この風貌のせいで美容院、理髪店へ行けば店員の手が震えて碌な髪型にならない。
先日もそうだった。
だから今はほとんど坊主に近い。
さらに大柄な体つきも相まって、とても危ない人に見えるらしい。
「どうした?」
「え、やばい人?」
「車掌さん呼んだほうがよくない?」
さほど混雑していない車内がざわめき、乗客の声が聞こえる。
そこへ折よく車掌さんが車内へ入ってきた。
「どうしました?」
異変に気づいた車掌さんが、少し大きめの声で呼びかけつつこちらへやってくる。
それを視界の隅に捉えつつ、俺は彼に通じることを祈り念じる。
これが、見た目の力ってやつだぜ。
そのかっこいい顔に生んでくれたご両親に感謝しなさい。
それと、彼女の荷物はちゃんと棚に入れてあげなさい……。
「ひぇっ!」
「お客様、申し訳ございませんがこちらへ」
俺に見つめられた彼氏が悲鳴をあげるが、車掌さんはそれを意にも介さなかった。
彼女にも横目で見られ、ちょっと気の毒である。
車掌さんに無言で頷きつつ、俺は出したままの手を引っ込める。
先導をしようとして、まるで引導を渡されたような気分だが、俺がいなくなり荷物が入れられるなら良かったということにしよう。
目からしょっぱいものが溢れそうなのは内緒である。
ああ、ほんと。
多分似たような歳だろうに、世界は残酷だ……いや正直ってことかな……。
「
都心から約三時間。
目的の駅の改札を抜けると、手書きでつくられた飾りつけが見えた。
駅員さんが作ったのだろうか、手作りの飾り付けにじんわりと心が暖かくなる。
「大変申し訳ありませんでした」
とても申し訳なさそうに声をかけてくれたのは、先程まで同じ一室にいた駅員さんだ。
車内の監視カメラで、俺がおかしな事をしていなかったことを確かめてくれた。
「新幹線内でも揉め事が起きることがあって、ちょっと過敏になっていまして」
本当に申し訳ないです、と人が行き交う構内なのにもかかわらず頭を下げてくれる。
カメラで確認する前も、後も丁寧な態度だった駅員さん。
謝罪ももう何度目かわからないほどだ。
その様子に、また一つ心が暖かくなったことを感じる。
「怖がらせてしまったのは俺のほうなんで……。騒ぎにしてしまってすみません」
俺が余計なことをしなければ、彼女が悲鳴を上げることもなかったのだ。
もちろん俺にも責任がある。
こうして普通に話をしてくれる人は貴重だ。
特に旅先で対応してくれる人はとてもありがたく、目的の場所を聞いてみることにした。
「それで、この駅って公衆電話ありますか?」
「公衆電話ですか?それなら
人の良い駅員さんが手で指し示してくれたほうには、大きな窓があり奥には海が見えた。
そこで構内にも、わずかに潮の香りがすることに気づく。
「ここから海が見える駅なんですね……すごい」
「高い建物がないってことですよ。田舎の証拠ですかね」
やや自虐的とも取れる台詞だったが、彼は気持ちよさそうに笑っていた。
おそらくこの地域が好きなのだろう、とても爽やかな感じがする。
「で、その近くにエレベーターがあります。あれに乗って1階に降りると、出てすぐのとこに公衆電話がありますよ」
駅員さんが教えてくれたエレベーターを降りると、よりはっきりした潮の香りを載せて熱風が吹き込む。
セミの鳴き声も風に乗って聞こえてきた。
「新潟って雪国のイメージあったけど……夏は熱いんだ……」
駅の構内もすでに暑かったが、まだマシな方だったらしい。
眼の前にあるガラス張りの待合室にいるおじいちゃんが、なんだか羨ましく感じた。
少し見回すと、緑色の公衆電話はすぐに見つかる。
「テレカは……ここか」
久しぶり過ぎて戸惑いつつも、受話器をもち用意していたテレホンカードを入れる。
「ええと確か」
この後番号をダイアルする手順だったはず。
俺はスマホを取り出し、大学で使っているメールアカウントにアクセスする。
相馬さんからの『伊予川インターン案内』というタイトルのメールは直ぐに見つかった。
サマーインターンとして伊予川の企業が受け入れをしてくれること。
長期宿泊の準備が必要なこと。
とてもざっくりとした仕事内容。
連絡事項の最後は今見ても不思議なものだ。
――渡したテレホンカードを使って、公衆電話から『1104』に電話をかけること。
「『1104』……」
『117』とか『177』は聞いたことがあるが、これは初耳だ。
ネットで検索してもめぼしい情報はなかった。
それに連絡するにしたって、スマホでいいはずだけれど……。
とはいえ、相馬さんからのメールも大学ドメインからの本物だ。
就職サポートが仕事の彼女から、わざわざイタズラなんてのも考えにくい。
「まあ、やってみれば分かるか。尻込みしても仕方ないし」
駅の1階で日陰とはいえ、屋外。
ずっといたら熱中症になってしまう。
俺はスマホをポケットにしまいこみ、『1104』とダイアルした。
「雪……?」
そして、唐突に始まったその現象に、俺はそうつぶやくしかなかった。
――頭上から雪のような白いものが降り出し、辺りが白く染まり始めたのだ。
夏真っ盛りの今、そんなことはあり得ない。
セミの声さえ聞こえていたじゃないか。
俺はまず熱中症や、貧血による失神を疑った。
小説などで、目の前が真っ白になった後気絶する……みたいな描写があった気がしたからだ。
しかし、意識ははっきりしている。
握りしめたままの受話器の感触もリアルだ。
もう片方の手が汗ばんでいるのも感じることができる。
セミの声どころか、雑踏や風の音すら聞こえないのは俺が混乱しているからだろうか。
「な、なんだこれ……なにが……?」
そうこうしている内に、俺は更におかしなことに気づく。
降り続く雪のような白い物は、雪国特有の銀世界をつくるのではなかったらしい。
むしろ世界そのもの、見えるものすべてを真っ白に染めはじめていたのだ。
その証拠に、さきほどおじいちゃんがいたはずの待合室も。
俺が降りてきたはずのエレベーターの扉も。
そもそも駅の建物自体も。
白い雪のようなものが覆い隠し、今や俺は周り一面真っ白な空間に立っている。
「お、俺、死んだのか……?」
まさかこれがあの世……?
何か唐突な事故とかに巻き込まれた……とか?
自分が立っていると認識できるのは、白い世界の中唯一残った公衆電話のおかげだ。
自信がないが、多分この公衆電話は立っているのだろうと思う。
なぜこの公衆電話だけが残っているのか、それはわからない。
溺れる者は藁をも掴む、というが今まさに俺はそんな心境だ。
白い世界に溺れてしまいそうになるのを、受話器を握りしめることによって助かろうとしている。
すると、どこからか何かを話すような声がする。
――んで、――い……よ――
籠もったような、あまり明瞭ではないが人の声のようだ……!
「だ、誰かいますか!?」
自分でもおかしくなるほど余裕のない声で、俺は思わずさけんでしまう。
その声は俺に答えるように、今度ははっきりと聞こえた。
『死んでないですよーっ!!』
「うわっ!!!!」
勢いこんだ声は、俺がもっている受話器から聞こえたものだった。
真っ白な世界で聞こえた人の声は、なんだか随分久しぶりに感じた。
俺は恐る恐る受話器に耳を当てた。
『はじめまして……ええと、カキモリイッピツさんでお間違いないですか?』
向こうは若い女性らしい。
人の声を聞けた安心感で、俺はおもわず何度も頷く。
『ふふっ見えてるからいいですけど、これ電話ですよ?』
「あっ……」
自分の必死さと、ここまでの狼狽を見られていたことを知って、暑さとは違う汗が流れる。
「た、確かに……自分は
『大丈夫です。皆さん初めはそうですし、どこかに公開されることはありませんよ。まずはゆっくり深呼吸してください』
そんな俺の心境もお見通しらしい。
彼女は優しい声で告げる。
俺は言われたとおり、ゆっくりと深呼吸する。
受話器から可愛らしい咳払いが聞こえると、彼女は改めて続けた。
『こちらは
何かを祝われているらしいのだが、正直何がなにやら分からない。
とりあえず、ありがとうございます、と応じておく。
『ふふっ……あっ、失礼しました。今からカードが出ますので受け取ってください』
ピピッと電子音がなり、公衆電話からテレカが返却された。
真っ白だったはずのカードは虹色に輝いている。
俺は震える手でそれを受け取った。
『では出発手続きをしますので、受話器を戻してください。私の声はそのまま聞こえますから、安心してくださいね』
「は、はい」
一体どこへ出発しようというのか、そもそもこの状況で何を安心したらいいのか……。
ともかく今は彼女以外に頼れるものもない。
俺は素直に指示に従い、受話器を戻す。
すると、公衆電話そのものも白い世界に溶けるように消える。
『そのまま後ろに振り返って、ガイドにそってゆっくり前に進んでください。カードは手に持ったままでお願いします。歩いていくと音がして色が変わりますからそこで止まってくださいね』
空間に響くように聞こえる彼女の声。
言われたとおり後ろに振り返ると、足元に映画でみたホログラムのようなものが浮かぶ。
緑色に光るそれは、歩く方向を指示するガイドのようだ。
三角形がいくつもつながり道になっているが、真っ白すぎる空間に見えるものはそれだけだ。
俺はおっかなびっくり進む。
数歩進むと風鈴のような音が鳴り、手に持ったテレカの色が変わった。
『
女性は少し嬉しそうな声色だ。
虹色から白色に戻ったカード。
そこには透明感を感じさせる緑色の帯が入っている。
帯は赤色だったはずだが、どうやらこの色が変わるらしい。
『書森一筆様の世界層転移の成功を確認。バイタル、周辺魔素値正常。
いかにもオペレーターといった様子になった彼女の声。
その言葉が途切れると、白い雪は宙へのぼっていく。
降ってきた雪が戻っていく様子は、何かの映像の逆再生を見ている気分だった。
するとそこには「高い建物がない」と駅員さんが言っていた景色が戻る。
どこにでもありそうな地方の田舎だ。
さきほどまでのことはまるで無かったような、ごく普通の風景。
『相馬詩織様が出迎えをされるそうです。慣れないことも多いでしょうから、始めのうちはご一緒に行動されることを推奨いたします』
確かに知らない街だけど、さすがにそれは過保護じゃないか……と思ったのは見当違いだった。
『二次接続の確立を確認、展開します』
彼女のその言葉に合わせて、地方都市の景色は再び動き出す。
空と海を除くすべての構造物が真っ白の光で覆われたかと思うと、その光は宙へ浮かびながら霧散していく。
その様子は、今まで街にかかっていた秘密の白い布を次々と取り去っていくかのような。
ヴェールを脱ぐと言う表現を彷彿させる現象だった。
そして光の布が完全に取り払われると、辺りは一変していた。
どこの都市にもある、ただのコンクリートだったはずの地面や道路は、深みのある赤の石畳に。
お世辞にも賑わっているといえなそうだった駅前は、町家建築がならぶ小京都とも言える街並みへ。
駅前のロータリーに止まっていたタクシー群はなくなり、大きなホログラムのような画面が宙に浮かぶ。
『書森一筆さん。希望ある空白、未知なる貴方を歓迎します』
その後聞こえた彼女の言葉はとても朗らかなものだった。
『
暑さも返事も忘れ、呆然と立ちすくむ。
そんな俺の背中を、その声は優しく押してくれたような気がした。
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