笑う神様
銭屋龍一
第1話
2019年初の閣議でも取り上げられ、これでよいのではないかということになり、そのアイデアは首相専用機にのってニューヨークへと旅立った。
リーマンショック以来、回復するかと思うと、何かの新たなショックが世界経済を襲い、その度の希望的観測を嘲笑うようにさらなる地盤沈下を続ける世界経済を救うには、何が効果的なのか。それを話し合うフォーラムが開かれるのである。
「オー・マイ・ゴッド。経済の真珠湾攻撃ではないのか、それは」
「いやいや、神様あるか? 神様飾っても、経済はよくならないあるよ。うん、なるあるか。ほうほう」
「なんばようわからんばってん。世界中の人間がその神様の像を買うのでありもうすな。そして買い物してきたものをお供えする、と。それが幸運の女神の歌声の入った商品ならば、神様の像が笑うのでありもうすな。ふむ。ようわからんばってん。何かおもしろそうでごわすな」
「アラーの他に神はないじゃろが。そんこというちょるとテロリストを送り込んじゃるぞ。うん? 何? テロリストの使用する武器にも幸運の女神の声が入っちょるかもしれないって? じゃからって、アラーより他に神を奉るのはまずいじゃろが。ああ、ただの人形と思えばいいわけね。人形ね。うんうん。それならええじゃろ。幸運の女神の歌声が聴けたら、国際機関から莫大な賞金が支払われるちゅうんじゃね。それでモスクでも建てればええちゅうわけか。そしてその建設材料には、またまた幸運の女神の歌声が入っちょるかもしれんというわけか。ええじゃろ。それやろ、すぐやろ」
フォーラム会場は一時騒然となったが、やがて、世界各国の要人や経済相が最終的にはニッポンというチンケな国のアイデアに乗ることに決めた。
すぐさま神様の像をどの国で作るのかという具体的な話し合いとなった。
さらにひと悶着あるかと思ったが、これには各国冷静な態度を取った。神様の像のパーツは中国やベトナム、インドなど新興国が担当することになるなど、それぞれの国の得意分野によって奇跡的にほぼ権益がそれぞれ満足するように割り振りされるように決まっていったのである。
一番肝心の神様が笑う部分については、マイクロチップなどはアメリカや韓国などが製作することとなったが、ブラックボックスでもあるキーになる部分は言いだしっぺの日本がその権利を受け取った。ただし、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、イタリア、中国の監視下において装着されることもあわせて確認された。
これはとんでもない経済施策であった。世界中の人間がその「神様の像」を買うのである。それだけでもその経済効果は世界各国の経済指数を相当押し上げるに至った。しかもそれだけにとどまらない。今後世界中で生産される商品には「幸運の女神の歌声」なるものが装着されることとなったのである。確実に装着されたと認められた商品には国際機関からの帯封がなされた。神様の像の前にお供えし、その帯封を切れば、当りなら、幸運の女神の歌声がながれるという仕組みであった。
最初はブラックユーモアかと思われていたこの経済施策は驚くほどの効果をあげた。世界的な消費の落ち込みが、みるみるプラスに転じていったのである。
日本の若い世代で、モノを買わない世代と言われていた者たちには成人式の記念品として「神様の像」が贈られた。ただで配られてしまうと、いらないと捨てる者もでなかった。それほど頻繁ではないにしろ、幸運の女神の歌声を聴いたというものがぽつぽつ現れ始めると、大衆の消費欲はさらに上昇していった。
やがてどのような消費行動が、より幸運の女神の歌声が聴ける確率を上げるのかというようなハウツー本が世界中で売れ出し、さらにはそのようなものを研究する大学や学部まで誕生したのである。
賞金は幸運な商品を引き当てた個人に支払われるのだが、それはまた国力の増大に直接結びつくものとなった。為替を大きく動かす要因となるからである。
そのようなことから各国に政府の専門調査機関が設けられていくようになった。
日本でも内閣機密調査室から発生したネルフがエヴァンゲリオンの管理とともに、サンプルとなる国民の消費行動を追うようになっていったのである。
サンプルナンバー7779が小林念仏さんであった。
小林さんは小さな商事会社で働いていたのだが、このひょうたんから駒のような経済施策に会社がうまく乗り、業績は破綻寸前から一気にもちなおし、さらに支店や営業所を出すほどになったのである。当然小林さんのサラリーも上がった。
けれども小林さんには給料が上がって楽になったという実感がなかった。
というのも、給料が振り込まれるや妻や娘、さらには本人の小林念仏さんも、すぐにアウトレットなどに行き、様々な商品を買うようになったからである。
部屋の中に山となった商品を見て、小林さんはため息をついた。
「いったい、いつになったら幸運の女神の歌声が聴けるのだろう。こんなことをもう五年もやっているというのに」
そんな心の中の言葉が聞こえたかのように、妻がぽつりと言った。
「私たちがこんなに買い物をしなかったら、今頃、少しは生活が楽になるほどの蓄えはできていたでしょうに」
「私、嫌だわ。お父さんとお母さんみたいに買い物だけで一生を終えるなんて」
妻のつぶやきに、娘が辛辣な言葉で応えた。
「別に私たちは買い物だけで一生を終えるわけではないよ」
小林さんはそう言ってはみたものの、娘の指摘はもっともなことだと心の奥底では思ってしまった。
「じゃぁ、お父さんたちには何があると言うの」
娘が追い討ちをかけるように問いかけてきた。
「そうだな」小林さんはしばらく考えてから、「そんなことよりとにかく今日の買い物のチェックをしてみようじゃないか」
「やったって無駄よ」と娘。
「いやいや、そうとも限らないぞ」
と小林さんはこの冬10着めのセーターを神様の像の前に置くと、帯封を切った。
耳を澄ましてみる。何も聞こえてこない。
これまでの情報では価格や必要頻度などで幸運の女神の歌声が聴ける確率に差があることが伝えられている。となれば、一着980円の格安セーターではさすがに無理があるのか。小林さんはきょうの買い物の中でもっとも高価であったデジタルカメラに手を伸ばした。
「待って、お父さん。それは最後の楽しみに取っておきましょうよ」
妻が小林さんの手を押さえて言った。
「そうよ。それを試したら、きょうは終わりだわ」
あんなことを言っていたくせに、娘も妻に賛同する言葉を投げてきた。
「そうか。そうだな。ならば、これは最後にしよう。するとどれからかな。うん。冷凍食品辺りからいくか」
やはり幸運の女神の歌声は聞こえなかった。もちろん神様の像も笑わない。いくつあってもどうせ使うものだからと封を切った洗剤や歯磨き粉はもう売れるほどにたまっている。次の給料では何を買ったらいいのか。小林さんは途方に暮れる思いだった。
「デジタルカメラになったな」
「そうね。お祈りを込めて試しましょう」
「お父さん、置く角度とか気をつけてね」
「角度なんか関係ないだろ」
「この前当選した人は、神棚を作って、身も清めて封を切ったらしいわ。やっぱりそういうのって関係するのよ」
「わかった、わかった。それじゃあ私は手でも洗ってくるよ」
「私も一緒に行くわ」
「お父さんとお母さんが戻ってくるまで、私は一生懸命お祈りしておくわ」
本来、その神様の像はお祈りとかをするような対象ではなかった。しかし、いつしか多くの人々がお祈りをして、新しく買ってきた商品の封を切るようになっていた。きょうの小林さんたちがそうしているように。
「ついにデジタルカメラになったな」
小林さんがゆっくりと言った。
「なったわね」と妻が言った。生唾を飲み込む音も聞こえた。
「お父さん、慎重にね」
娘がアドバイスをくれた。
ふたりの顔を見、ひとつ大きくうなずいてから、デジタルカメラの帯封を切った。
その時、その音が鳴り響いた。
これは。これは。
紛れもなく水戸黄門さまのテーマ曲だった。
人生♪~楽ありゃ、苦もあるさぁ♪
小林さんの携帯電話の着信音だ。
妻と娘が聞えよがしの大きなため息をついた。
その上、電話に出てみると、間違い電話だった。
「あなたが携帯をマナーモードにしてなかったからですよ」
妻が目を吊り上げて言った。
「お父さん、最悪」
娘もかなり怒っている風であった。
「いやいや、これは私の携帯のせいではなくて」
そんな小林さんのいい訳など誰も聞いていなかった。
そのとき、小林さんの脳裏にあることが閃いた。
まさか、と打ち消そうとするが、その思いは消すことができないほど、どんどん膨れ上がってくる。そこで妻と娘にその思いを打ち明けた。
「なぁ、これだけいろいろなことを試しても神様の像が笑わないってことは、この神様の像が壊れてるんじゃないのか?」
ふたりとも即座に否定した。神様の像は現在持ちうるあらゆる技術を駆使して、不良確率を1/100000よりももっともっと少なくしてあるのだ。その神様の像が壊れているということはありえない。それでも小林さんの頭の中からその考えが消えることはなかった。
神様の像の国際管理団体、ジュネーブに本部のある大国屋フェニックスに国際電話をかけて、問い合わせてみた。返答は故障の可能性は限りなく0に近いとのことだった。しかし、0ではないわけだ。ならば、と、さらに問い合わせてみると、自己診断機能も搭載されているので、それを試してはどうか、とアドバイスされた。ただそれを行ってしまうとデータが初期化されるとのこと。万が一故障であり、これまで試した商品の中に大当たりがあったとしても、そのデータは消えてしまうのだ。オンライン診断でも同様とのことだった。
小林さんは困り果てた。
「いったいどうしたらいいんだ」
心の中の声がつい口をついて出た。
「そう言えばそうよね。貯金をおろして車まで買い替えたというのに、こんなに私たちには運がないものかしら」
やっと妻が同調するようなことを言ってくれた。
「データをセーブすればいいんじゃないかな」
娘がアイデアを出した。
「セーブって、記憶させるってことだろ。ならばこの神様の像は一回一回行っているじゃないか」
小林さんは思うところを言ってみた。
「だから、お父さんはこの神様の像が故障しているかも知れないと思っているわけでしょ。だったら別の神様の像にデータを入れ替えてもう一度確かめなきゃダメってことじゃない?」
娘は丁寧に説明した。
「なるほど。それは簡単にできることなのか?」
「データの移植はそう簡単じゃないかもしれないけど、とりあえずこの家にある商品はもう一度確かめてみることができるわね」
「そうだな。なんでそんな簡単なことに気づかなかったのだろう。よし、もう一体、神様の像を買いに行くとしよう」
神様の像を買うにはクレジットも簡単に通る。そうでなければ、世界中の人に平等にいきわたらないから当然のことだ。小林さんは来月一括払いで2体目の神様の像を買ってきた。
オンラインでデータを管理センターに登録する間も、もどかしい思いがした。早く試したくて仕方がない。
たぶん仕組みとしては電磁波か赤外線か何かそのようなものが神様の像から送出されているのであろう。それを浴びた商品が当りなら、商品に埋め込まれたチップが幸運の女神の歌声を出すのだろう。それを感知した神様の像が今度は笑うという仕組みのように思えた。
「よし。セットできた。いいか? 新しい神様の像の帯封を切るぞ?」
「いいわ。早くやって」
妻と娘は声を揃えて言った。
帯封を切ったとたん、こころを揺さぶられるような歌声が響いた。そして2体目の神様の像が笑い始めた。
歌声はすぐ側から聞こえている。間違いなくこの部屋の中の何かだ。この素晴らしい歌声からしてこれが幸運の女神の歌声であることは間違えようがなかった。神様の像から離れると歌声も離れたように思える。ひとつづつ確かめていき、何が歌っているのかようやくわかった。
それは1体目の神様の像だった。
このシステムが開始されたとき、おそらく真っ先にその幸運を小林さんは手にしていたのだ。
けれども、それはすぐそこにありながら、これほど遠回りをしなければ手に入らないものでもあった。
そのものこそが幸運の女神であるのに、それを確かめるのもそのものであったが為に、そのものの本当の価値にきょうまで気づけなかったのだ。
小林さんにはそれが何か大切なことを示しているようにも思えたが、結局、それが何か分る前に、これまでの苦労が報われた感激にあふれる涙のほうに気持ちが移ってしまっていた。
笑う神様 銭屋龍一 @zeniyaryuichi
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