第38話 マサオの登頂、そして妄想
「俺達はどうする?」
マサオとルナの後ろ姿を見送りながらトシヤはハルカに尋ねた。もちろんトシヤの希望は「二人が展望台まで上って、下りて来るのをココで待とう」だ。だが、ハルカは笑顔でトシヤの希望を打ち砕いた。
「決まってるじゃない。もちろん後を追うわよ」
言うが早いか、エモンダのペダルを踏み、さっき下ったばかりの坂を上って行った。
「……だよなぁ」
トシヤも諦めて右足でペダルを踏み、ギヤを一番軽くすると左のクリートを嵌め、走り出した。
遅いペースだとは言え、上りっぱなしのマサオとルナに対し、トシヤとハルカは展望台で休憩を取っている。四人の距離はすぐに詰まった。
「マサオ君、もうすぐよ。頑張って!」
「はい! 頑張ります!」
ルナの声援に応える元気などとっくに無くなっている筈だがマサオは律儀にも大声で返事をし、追走するトシヤは「マサオらしいな」と思いながらペダルを回した。そんなうちに時は遂に来た。数十分前に見て歓喜の声を上げた景色、ゴールの展望台駐車場に停まっている車の屋根が見えたのだ。
「マサオ、ゴールが見えたぞ! もう少しだ、頑張れ!」
トシヤが声をかけるが、マサオからの返答は無い。「なんて現金なヤツだ」一瞬そんな思いがトシヤの頭を過ぎったが、本当に余裕が無いのかもしれないと思い直して黙々とペダルを回した。正直なところ、トシヤにもあまり余裕は無かったのだから。
そして、左のカーブを抜けると駐車場の入口が見えた。マサオはヨロヨロと駐車場に入り、プリンスを隅に停めると左のクリートを外して足を着き、ハンドルに突っ伏した。
「お疲れ様。遂に上りきったわね」
ルナが隣にエモンダを停めて微笑みかけるが、マサオは顔を上げる事も出来ず肩で息をしたままでいる。
「おいおいマサオ、大丈夫かよ?」
トシヤが心配そうに尋ねると、マサオはようやく顔を上げ、トシヤにボソっと言った。
「ボトルの中身、残って無いか?」
どうやらマサオはボトルを空にしてしまっていたらしい。しょうがないなとトシヤがリアクトのボトルケージに手を伸ばそうとして、動きを止めた。
「悪い、俺のも空になっちまってんだ」
すまなさそうに言うトシヤにハルカは違和感を憶えた。途中の駐車場で自分のボトルに残っていた半分をトシヤのボトルに入れたのに、それをトシヤは全部飲んでしまったと言うのだろうか? だが、そんな事とは知らないマサオは諦めた様子で言った。
「そっか、じゃあコンビニ行くまでの我慢だな」
するとルナはエモンダからボトルを外すと、振る様にして中身がまだ残っているのを確かめ、ハルカに尋ねた。
「仕方無いわね。私のもあんまり残ってないけど……ハルカちゃんのは?」
いきなり話を振られたハルカだが、自分のボトルが空で無い事ぐらいは把握している。
「ええ、少しぐらいなら」
ハルカが答えると、ルナはハルカに一つの事を提案した。
「じゃあ、私はマサオ君に分けてあげるから、ハルカちゃんはトシヤ君に分けてあげてくれるかな」
その言葉を聞いたマサオの頭の中では夢の様な展開が繰り広げられた。以下、マサオの妄想。
「はい、マサオ君。よく頑張ったわね」
ルナがボトルに口を付け、喉を潤した後、飲み口を拭おうともせずマサオに手渡した。
「え……」
戸惑いながらもマサオがルナから受け取ったボトルを見ると、飲み口が艶かしく濡れている。それはスポーツドリンクなのか? それともルナの唾液なのだろうか……? それは定かでは無いが、とにかくルナが口を付けたばかりなのは確かだ。マサオがぼーっとしながらボトルを見つめていると、ルナが寂しそうな顔で言った。
「やっぱり嫌かな? 私が口を付けたボトルなんて……」
『嫌』どころか『大歓迎』だ。マサオがボトルに口を付ようとすると、ルナのリップの香りがマサオの鼻腔をくすぐった。
以上、マサオの妄想。ルナの声でマサオは現実に引き戻された。
「マサオ君、ボトルのキャップ外して」
ルナが差し出した手にマサオがキャップを外したボトルを渡すと、ルナも自分のボトルのキャップを外して中身の半分程をマサオのボトルに移した。
「はい。少ないけど、これでコンビニまで我慢してね」
ルナからボトルを返され、マサオのルナとの間接キスという甘い期待は打ち砕かれてしまった。だが、中に入れられたのは紛れもなく今しがたルナが飲んだばかりの物(の一部)だ。それだけでもマサオをドキドキさせるのには十分だった。
一方、ハルカがトシヤのボトルを見ると、中身はまだ残っていた。やはりトシヤは嘘を吐いていたのだ。いぶかるハルカだったが、トシヤの目が何かを訴えている事に気付き、はっとした。
――私、このボトルに口を付けちゃったんだ――
マサオとトシヤの仲だ。本来なら何の躊躇も無くボトルを渡して回し飲みしていただろう。だが、今回はいつもとは訳が違う。トシヤはハルカが口を付けたボトルをマサオに渡したく無かったのだという事だ。
「わかってくれたら、ボトルの中身を移すマネだけでもしてくれよ」
小声で囁いたトシヤがキャップを外したボトルを差し出すと、ハルカは小さく頷いて自分のボトルのキャップを外してトシヤのボトルにそっと近付けた。
ボトルの中身を移すマネをするからには、ボトルの中を覗き込む素振りも見せなければならない。ハルカがトシヤのボトルに顔を近づけると、ヘルメット越しにハルカの髪の匂いがふんわりと漂って来た。二人で写真を撮った時とは違う匂い。汗の匂いにフローラル系のシャンプーの匂いがブレンドされたその匂い、いや、これは匂いなどでは無く芳香だ。トシヤは頭がクラクラしそうになりそうで、もう少しでボトルを落としてしまうところだった。
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