5 大切な

 夕方、達也は、樹李と家までの道を歩いていた。セイリュウは、海吏と夕食の支度をしている。達也が帰るとき、セイリュウは、朝同様、心底残念がっていた。送っていくと言っていたが、稽古の後の疲れた体で、もし何かあった時に、達也を護れるのかと言われ、即答できず、樹李が送ることになったのだ。

 達也としても、彼に訊きたいことがあったので、好都合だった。記憶がまるでない幼なじみが、心配でたまらない。ただ、自分が、どこまで首を突っ込んでいいのかが分からない。

「あの、樹李さん」

 達也は、勇気を出して訊ねた。

「アニキ、どうなるんですか?記憶とか、あの図書館で会った人とか」

「あー……」

 樹李も、迷っていた。達也は、自分たちともセイリュウとも違う。本人が望んでいるとはいえ、詳しく話をして巻き込むことは、危険でしかない。もちろん、ここまで一緒にいるのだから、護るつもりだ。それでも、無傷でいられる保証はない。

それでも、達也は真剣な表情で、答えを待っている。

「迷惑かもしれないし、完全に足手まといなんだろうけど、僕、矢沢竜の傍にいたいし、知りたいです」

 樹李は、迷いを振り切り、穏やかに笑った。

「そうだな。あの子の大切な幼なじみだからな」

 大切だから、訳が知りたい――――その気持ちが、痛いほど伝わってくる。何もできない自分がもどかしいという気持ちは、樹李にもよくわかるから。

「タツヤ、心配させて悪いな」

「あ、いえ」

「今は、状況が悪いけど、片付いたら、たぶん、元通りになるんじゃないかって思うんだ」

「図書館の人のことが、どうにかなれば、ということですか?」

「そうすんなりいくとは、思えないけどね」

 樹李は、困ったように笑った。

 不意に、何かを潜り抜けたような感覚が、樹李に伝わった。直後、彼の顔から笑みが消え、真剣な表情で、達也を庇うようにして立ち止まった。

「樹李さん?」

 途惑う達也は、彼の視線の先を確かめて、理由を理解した。数メートル先には、夜叉がいた。静かに、こちらを見つめて立っている。

 何日か前、まだ、幼なじみが記憶を失くす前、彼の話を聞いた。

 彼の父親が、矢沢竜の父親・杏須の死の原因であったこと。それから、その時に狙われていたのは、大切な幼なじみの方であったこと。

 達也の見つめる先で、夜叉は、静かに近づいてくる。会話のできる距離まで近づいて、夜叉は立ち止った。

 その間も、樹李も夜叉も、互いに視線を外そうとしない。空気は、ピンと張りつめていた。

「魔界、北の国の王子、夜叉だな?」

 視線と同じに鋭い樹李の声音が、夜叉に向けられる。

「そうだ」

「目的は何だ?」

「何故、それを訊く?」

 夜叉は、涼やかな表情で訊きかえした。

「私の答えに納得できたら、セイリュウを引き渡してもらえるのか?」

「引き渡す、だと……?」

「私からも、一つ訊きたい」

 夜叉の冷静さと、樹李の鋭さとが、正面からぶつかっていた。

「あなたたちがセイリュウを抱える、その訳は何なのだ?」

 夜叉の問いかけは、樹李を困惑させるのに十分だった。

 彼の言葉は続く。

「護る理由が、あるはずだろう?」

「護る……」

 瞬間、樹李の脳裏に浮かんだのは、杏須の姿だった。迷いなく、凛としていた彼の姿が、樹李の中の困惑を消していた。

「約束したからだ。あの子が、あの子らしく生きられるように、必ず護る、と。もう一度聞く。目的は、何だ?」

 夜叉の涼やかな表情に、僅かに影が落ちる。

「……セイリュウを、殺しに来た」

 それが、夜叉の最初の目的、使命だった。

「そちらとは関係のない話だ。そもそも『セイリュウ』は、この世界にとっても厄介者のはず。手出しはしないでもらいたい」

「『矢沢竜』は、この世界の住人だ。私たちには、護る必要がある」

「では……」

 夜叉の胸元で、ネックレスがキラリと光る。

 彼の口元だけが、三日月に形を変えた。

「手出しができないようにしないと……」

 呟いた彼の声に、違和感があった。それを疑問に感じつつも、樹李は、夜叉を牽制する。

「5年前のようにはいかない。本当にセイリュウを傷つけるのであれば、私たちも容赦しない」

「覚えておこう」

 応えた夜叉の瞳に光はなく、最初の涼やかさもなく、口元だけが、妖しく笑みをたたえていて、そしてやはり声に感じる、違和感。

 届いた声に、夜叉のものではない別の声が、僅かに混じっていた。



*   *   *   *   *


 夜空は、星と月の光を放っている。

 樹李は、社の縁側に座り、じっとそれを眺めていた。

 自分の、気持ちの向かう先を考える。

 月は耿耿と輝いていて、夜風は体に心地よい。

 護りたい――――あの人にできなかった分、あの子にしてあげたいと、ずっと思っていた。

 夜叉に、奪われたくない――――それは、紋章を持つ者を他へ渡すことへの危機感、それだけのはずだった。

 湧き出る泉のように、じわじわと溢れる思いが、一体何なのか。

「(わかってる。……わかってる)」

 うつむいて、どうしようもない思いを言葉に乗せずに吐き出した。

 伝えるわけにはいかない――――何故なら――――。

 不意に、背中に軽い衝撃と重みと少しの暖かさを感じて、樹李は、顔を上げた。肩越しに見れば、今まで頭に浮かんでいたその人が、そこにいた。

 ドキリとしたことは隠して、笑みを浮かべる。

「どうした?」

 自分に背を預けるセイリュウの表情は、窺い知れない。

「兄ィも、眠れないの?」

 問に問で返すのは、不安と悩みとを持て余している証。

「おかげさまで。セイリュウは?」

「おかげさまって……どういう意味だよ。……オレは、」

 こんな時、言い淀むのは彼女の癖なのだと、樹李は知っていた。彼女のことは、幼い頃から知っている。信頼をしてくれていることも、知っている。

「オレ、なんでこんな力があるのかな……って」

 つい最近、彼女から聞いた悩みだ。

 しかし、何故か、あのときとは違う響きがした。

「セイリュウにその力があったから、俺は、セイリュウと出会えた。俺は、その力に感謝しているよ。セイリュウと一緒にいると、心が暖かくなるから」

「オレ、いてもいいの?」

 栗色の瞳が、じっと樹李を見つめる。

「許可が必要か?」

「でも……」

「俺の言ったことを、ちゃんと聞いてた?俺は、セイリュウと出会えて、嬉しいと言ったんだ。一緒に時を過ごせて、幸せだと」

 セイリュウは、目を丸くして樹李を見ていた。

「兄ィ……」

「お前は、違うのか?ここにいることは、一緒に過ごす時は、お前にとって苦しみや悲しみなのか?」

 セイリュウが、首を横に振る。そして、ニコリと笑った。

「違う。オレも同じだ」

「お前が何者でも、護りたい者であることに変わりはない」

「オレも」

 夜空がそっと、二人を見ていた。



*  *  *  *  *

 

 土手から見える景色は、長く伸びた草と、グラウンドを持つ河川敷と、広い川と、その向こうの家々の屋根、そして広がる田畑に小ぶりの山。そこに今は、沈んでいく濃いオレンジ色をした太陽の光が広がっている。

 西の空を見つめ、夜叉は、深いため息をついた。

 美しい輝き、美しい景色。なのに、ため息しか出てこない。

 樹李――――この世界の、この土地の守護者。

 彼に宣戦布告をしてしまった。2日前の、こんな夕暮れ時のことだ。

「セイリュウも、見ただろうか……」

 呟いて思い出すのは、太陽のような笑顔だった。

「夜叉!」

 少し遠くから呼ぶ声がして、驚いて振り向くと、脳裏に浮かんでいたそのままの笑顔でこちらへ駆け寄るセイリュウがいた。

「セイリュウ……」

 夜叉が目を丸くしているのを、傍まで来たセイリュウは不思議そうに見上げていた。

「ごめん、ビックリさせたかな?」

「あぁ、驚いた。今ちょうど、お前のことを考えていたんだ」

 今度は、セイリュウが目を丸くする番だった。

「オレ?」

 夜叉は、微笑みを浮かべて夕日へと体を向けた。

「この景色を、一緒に見たかった」

 同じように、セイリュウも夕日の方へ体を向けた。

「あー。ここ、キレイだよな。タツヤと来たことあるんだ」

「そうか」

 二人は、静かに、しばらくの間夕日を眺めた。

「セイリュウは、何か用だったのか?」

 夜叉が、穏やかに沈黙を破る。

「昼間、タツヤが神社で勉強してたんだけど、忘れ物したから届けに行って、そのついで。夕日が見えたから」

 まっすぐに夕日を見つめる彼女の姿は、目が離せなくなるほどに、凛として美しかった。

「それに」

 ふと視線を下げ、セイリュウは、夜叉を振り仰いだ。

「もしかしたら、夜叉がいるかもって思ったから」

「私に、会いに……?」

「うん」

 答えて、セイリュウは再び、西の空を見つめる。

 川から吹く風が心地よく、昼の暑さを忘れさせた。

 彼女の栗色の髪も、風にサラサラと揺れている。

 美しくて、ずっと見ていたいが、見つめていればいるほどに、夜叉の胸はチクチクと痛み続けた。

「夜叉と、もっと話がしたかったからさ。この前は、すぐに帰ったし」

 嬉しそうな顔に、罪悪感が募る。

 何も知らないまま、剣を交えることができたなら、どんなに楽だっただろう。何故、こんなにも惹かれてしまったのだろう。まだ、彼女のことは、ほとんど知らないというのに。

 いっそのこと、本当のことを言ってしまおうか、とすら思う。

「……セイリュウは、いつも楽しそうだな」

「え、そう?」

 本当のことを言ったら、見とれるほど美しいこの笑顔は、見られなくなる。そして、それを嫌だと思っている自分がいることに、夜叉は、困惑していた。

「(自分は、ここに、何をしに来たのだろう――――)」

「最近さぁ、新しい技を教えてもらってるんだ。剣術と魔術を組み合わせるヤツで、ずっと基礎だったんだけど、今日は手合わせしたんだよ」

「そうか。どうだった?」

「手合わせのときに使うのは、まだ難しいけど、楽しかった。夜叉は、魔術とか使えるの?」

「剣術のほうが得意だが、使える」

「ホント?!じゃあ、手合わせして!」

 セイリュウの顔が、パッと輝く。

 しかし、夜叉の目に映る彼女の姿は、疲労困憊、限界は超えている。

「今度、セイリュウが全力でできるときに」

「えー!」

 不服そうにむくれるセイリュウを、夜叉は目を細めて見つめた。

「せっかく手合わせをするのなら、私は、セイリュウの実力が知りたい。なら、全力でできるときでないと」

「でも、夜叉と会うのって神社で稽古したあとだもん。……あ!なら、今度、神社に来てよ」

「え?」

 名案だというようなセイリュウに、夜叉は戸惑いを隠せないでいた。

 セイリュウを殺しに来た――――そう宣言をしている以上、自分は彼らにとって敵でしかない。

「そうしよう?ね?」

「あー……今度、な」

 そう、自分たちは、敵同士なのだ。

 


*  *   *  *  *


 空には、満天の星が広がっている。

 社の縁側で、樹李は困り顔で、それを見上げていた。

 夕食前、達也の忘れ物を届けに行くというセイリュウと、神社の傍ですれ違った。早く戻るように忠告したのに、寄り道をしてきたらしく、戻ってきたのは、日がすっかり沈んだ後だった。

 その間に、川の方から夜叉の気配がしていた。海雷にも見に行かせたが、すぐに戻ってきた。別に、何も危険な香りはしなかったと。海吏も夜叉の匂いを感じ取っていたし、戻ってきたセイリュウの後からも匂うと言っていた。

「兄ィ、心配?」

 海吏の声が、斜め上から降ってきた。

 振り仰ぐと、どこか楽しげで意地悪に笑う海吏がいた。

「当たり前だろう」

 やましい思いなどないはずなのに、何かを見透かされているようで、面白くないという表情をして、樹李は答えた。

 海吏は、声を立てて笑って、左隣に腰を下ろした。

「二人で内緒話かよ」

 少しばかり拗ねたような声と共に、海雷が樹李の右隣に座った。

「あれー?熟睡してんのかと思ったのに」

 樹李の向こう側から、海吏がニヤリと悪戯な顔をのぞかせた。

「お前が起きて、俺が目が覚めないワケあるか」

「朝は、いつまでも寝てるくせに」

「うるせーよ。お前は、少しまともに起こせ。つーか、んなことどうでもいいんだよ。何のハナシ?」

「セイリュウのこと。寄り道してまで逢瀬してきたから」

 あぁ、と声を上げた後、海雷は、欠伸をひとつもらした。

 縁側に、神社を囲う森から心地よい風が吹く。

今日は、間違いなく眠っているセイリュウを、海吏と海雷は二人して振り返り、同時にため息をついた。

「敵と仲良しになるところが、らしいっていうか……」

 呆れたように、海雷がこぼした。

「さらに、敵もセイリュウにほだされてるみたいだしねェ」

 ケラケラと海吏が笑う。

「何を呑気なことを言っているんだ、お前らは」

 樹李は、眉間にしわを寄せた。こちらは、異世界の者の空気を敏感に察知できるはずなのに、それが今、機能していない。向こうが、自在に操っている。これでは、何かあった時に手遅れになるかもしれない。

「できれば、二人を接触させたくないんだけど、セイリュウに、ここを出るなというわけにもいかないし」

 樹李の困り顔を見た後で、海吏は、一度思案するように視線を外した後、ニヤリと笑って、もう一度彼を見た。

「兄ィさ、ホントのところ、何でアイツを夜叉から護りたいわけ?」

 樹李は、怪訝な表情を海吏に向けた。

「なんでって、何だ。今さら聞くな」

「そりゃあさ、すべてを破滅へ導くことも、すべてを支配することもできるのが、紋章を持つ者だから、異世界のやつに渡さないのは分かるよ?でも、兄ィ?それが夜叉で、セイリュウが仲良くしてるとか、ちょっと気に入ってるんじゃないかとか、そういうところに引っかかってない?」

 一瞬の間の後、樹李は、小さく息を吐いて、少しばかりひんやりとしてきた縁側に立ち上がった。動揺したことを、しっかりと隠して厳しい表情を作る。

「夜叉にも言ったが、矢沢竜は、この世界の住人だ。俺たちが護る必要がある。それだけだ」

 海吏はさらに訊ねた。

「でも、夜叉がもし、セイリュウを殺すつもりがなかったら、どうするの?」

「正面切って宣言されてるんだ。そんなわけあるか。もう、寝る」

「おやすみ~」

 奥へと消えていく樹李を、海吏は楽しげに見送った。

 二人のやり取りを静観していた海雷が、小さく笑った。

「素直じゃねェな、兄ィ」

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