3 憧れ

 程よくゆるんだ、静けさが広がる空間。木を多く使って作られた町の図書館は、建て替えられてからそれほど経ってない新しい建物だ。玄関ホールと館内を仕切る扉はない。大きなアーチ状の入り口があるだけだ。館内は、張り出した庇が影を作り、外気の熱が直接伝わらないようになっているが、大きな窓が丁度よい明るさを提供していた。

 図書館は、余計なものがなく心地よいが、なぜか眠気を誘った。

 竜は、テキストとノートから顔を上げて、この一時間で何度目かの欠伸をした。向かいの席で熱心に勉強をしていた達也が、それに気が付いて仕方ないと笑った。

「何か飲みに行く?」

「行くッ」

 達也がテキストを閉じるより、竜が彼の提案に乗って返事をする方が早かった。

 館内は、夏休み期間ということもあって、小学生や中学生の姿が目立つ。二人が知っている顔も多かった。

「達さぁ、サッカー部の一年と仲いい?」

 竜が、ロビーへと歩きながら、横に並ぶ達也に訊いた。

「え?悪くないけど……なんで?」

「や、今朝、神社に呼び出されたんだけど、見たことある顔だったなぁって思って」

「そう、なんだ」

「学年違うのに、見たことあるなんて、達と一緒のときだろ?」

「……かもね」

二人は、二つ並ぶ自動販売機の前で立ち止まった。竜は、ジュースを選びながら続けて訊いた。

「花火に誘われたんだけどさ、達、後輩にアドバイスしなかったか?」

 彼女は、別に尋問をしているわけはないし、責めているわけでもない。それは、達也もよくわかっていた。わかってはいたが、達也は、申し訳なさげに項垂れた。

「だって、すごい必死なんだもん」

「お前って、ホントいい奴だよな」

 ガコンとペットボトルのジュースが自動販売機の取り出し口に落ちてきた。取り出して、竜が体を戻すと、達也はうつむいていた。

「アドバイスしたのは、アニキがその子と付き合うとかないって、わかってたからで……」

 竜と入れ替わり、達也が自動販売機でジュースを買う。竜の目に、彼の背中が妙に淋しげに映った。その訳はわからないが、幼なじみに淋しい思いはさせたくない。

「達といるほうが、楽しいからな」

 ロビーに、再び、ジュースの落ちる音が響いた。

 図書館の玄関ロビーには、波の形を表すように弧を描いたようなデザインのソファーが、背中合わせに置かれている。そこで休憩しようと歩く途中、竜は、不意に足を止めた。

「どうしたの?」

 達也が、一歩先から振り返って首を傾げた。竜は、館内の方を振り返っている。

「今、」

 竜が、誰にともなく呟いた。

 確かに、今、妙な感じがしたのだ。自動ドアが開くのに合わせて外気が入り込むかのように、今、ふわりとかすかな風が起こり、竜の鼻先をかすめていった。その時、独特の香りのようなものがあった。今まで感じたことのない空気だった。

 何人かが、館内に入っていく。ただ、それだけの光景だ。

「今?なに?」

 再び問いかけられて、竜は、視線を戻し、首を傾げた。

「一瞬、変なカンジがした気がするんだけどなぁ」

 答えるというよりも、独り言のように言って、近くのソファーに、館内が見える形で座った。

「変な?」

 竜の隣に座り、達也は訝しげに眉を寄せて、彼女の顔を覗き込んだ。竜は、真剣な表情で、図書館の入り口を見つめている。

「アニキ?」

「今……」

 呟いて、竜は、思案するように少しばかり唸った。

「なんか今、図書館と不釣合いな恰好の奴がいた」

「え?」

 達也がきょとんとした顔で入口へと視線をやる。今見えるのは、夏らしいラフな恰好をした人たちばかりだ。

「不釣り合いって……なに着てたの?」

「なんっていうか……ロックな感じ?バンドとかしてそうなヤツの恰好。顔はよく見えなかったけどな」

「別に、バンドする人が図書館に来ないわけじゃ……」

「でもなぁ……違和感だったんだよなぁ」

 自分の鼻先をかすめていった、独特の香りのようなものと、目に留まった、図書館と不釣合いな恰好の奴が、無関係とは思えなかった。

 少しだけのどを潤して、竜はペットボトルのふたを閉めた。

「よし!」

 気合いを入れて、竜はニッと笑って達也の方を振り向いた。

「捜しに行こう!」

「は?」

 達也は、飲もうと口元まで持っていったペットボトルを元に戻し、ぽかんと竜を見つめた。

「だーから!今の奴を捜してみよう」

「えっと……捜して、どうするの?」

「どうって、声をかけてみる」

「声かけるって……だって、知らない人でしょ?」

 達也は、目を丸くした。十四年そばにいるが、竜にはいつも驚かされる。思いもよらないことを言い出すし、考えもしないことをやろうとするのだ。それも、迷いなく。

「いいじゃん。行くぞ!」

 こうやって、半ば強引に誘ってくる竜は、それでも自分が来るのを待ってくれる。その姿がいつも、一緒に行かなければ、という気にさせた。

 達也は仕方ないというように、ため息をついて立ち上がった。

 再び戻った館内には、変わらない静けさが広がっていて、夏らしいラフな恰好の人ばかりに見えた。確かに、竜の言うような恰好の人間がいれば、違和感はともかく、目立つだろう。

 ちょうど竜の頭と同じ背丈の本棚を、横に眺めるように歩いて、違和感のあった人物を探す。

 本棚は、窓に向かって同じ間隔で垂直に並んでいるため、あの人物が本を探していれば、見つけられるはずだ。

「ねぇ、アニキ?ホントに声かけるの?」

「ん?あぁ、まぁな」

「いい人じゃないかもしれないよ?迷惑がられるかも」

「気が合うかもしれないだろ?」

「(ホントにポジティブ……)」

「俺の予想だと、あいつは音楽の本のことにいるはずだ」

 愉しげな幼なじみに、いつも知らない間に乗せられている。

「雑誌のコーナーにはいなかったもんね」

「雑誌なら、本屋に行くだろ?」

「あ、そっか」

 いつの間にか、達也も真剣に探し始めていた。

 竜が予想した捜し人のいるだろう棚は、入り口とは反対側、一番奥にある。

 しかし、そこへたどり着くより早く、二人は足を止めた。

「いた……」

 竜が呟く。

 見つけたのは、目星をつけた音楽の棚より手前の、歴史の棚だった。

「……ホントだ」

 達也の目にも、竜が言った通りの『違和感のあるバンドマン』が映っていた。

 竜は、何のためらいもなく、むしろ嬉しげに目的の人物へ一歩を踏み出した。距離は縮んで、竜が声をかけようと口を開く。

「ねぇ、」

 肩にかかるストレートの黒髪がさらりと揺れて、優しげな瞳がこちらをとらえた。

「(あれ……?)」

 この瞳を、自分は見たことがある。竜は、体の内側でざわつくなにかを感じた。何かの感情――――少なくとも、プラスの感情ではなかった。

 捜し人が、体ごと、こちらを向いた。

 竜の体の内側で騒ぐなにかが、大きく広がっていき、そして――――直後、画面が乱れるように視界が歪み、後ろへと強く引っ張られた。

「へ?」

 訳が分からないうちに、視界はすぐ元に戻った。しかし、そこは、先ほどまでいた町の図書館ではなく、樹李たちの住む神社の裏だった。

 状況が、把握できない。今のは一体なんだったのだろうか。

「あれ?なに?どうして?」

 目の前にいたはずの捜し人もいない。そして、

「あっ!達……!」

 少し後ろにいた幼なじみを思い出して慌てて振り返るのと、すぐそばで、盛大なため息をつかれたのが、ほとんど同時だった。

「兄ぃ、海吏かいり

 振り返った先で、疲れたような表情の二人がいて、達也は樹李の小脇に抱えられていた。

「達っ、よかったぁ」

 少しずつ理解できてきた。理由は分からないが、どうやら、樹李と海吏の二人が、あの瞬間、図書館からここへと自分たちを連れてきたらしい。そして、今、二人はなぜか項垂れている。

「お、まえなぁ~~~~!」

 古い社の方からした声は海雷かいらいのもので、苛立ちのこもった足音がずんずんと近づいてくる。竜が、彼の方を振り向くと、彼は今まさに、握りしめた拳を振り下ろすところだった。

「危ね……!」

 竜がとっさに避けて、海雷の拳は空を切った。

「避けんな!殴らせろ!」

「嫌に決まってんだろ!ふざけんな!」

 殴られる理由が分からない。おまけに、いつもならすぐに止めに入るだろう樹李もその気配は見られない。素知らぬ顔で、抱えていた達也を下ろしている。

「ワケを話してあげたら?そしたら、素直に殴られてくれるかもよ?」

 呆れ顔の海吏がそう言って、もう一度ため息をついた。

「は?俺、何かした?」

 殴られるほどのことをした覚えなどない。訳が分からず、海吏と海雷とを交互に見やる。

「図書館で、さっきなにをしようとしてたの?」

 海吏の呆れ顔が、冷たいものに変わっていく。問いかけというより、むしろ尋問だ。余計に訳が分からない。竜は、戸惑い気味に答えた。

「え?声、かけようとしてたけど?」

「誰に?」

「なんか変なカンジがしたなぁって思ったら、図書館に来るにはちょっと不釣り合いっていうか、そーいう奴見かけたから、そいつに」

「あのさぁ~……」

 海吏は、額に手をやり、三度目のため息をついた。

「もうちょっと、自分が周りの中学生と違うって自覚してくれる?俺たちとこうやってつるんでて、魔術とか使えちゃう奴が変だって感じたら、それ危ないってことだからね?」

「だって、そんなカンジに見えなかったからさぁ……なぁ?」

 達也に同意を求めると、少しばかり視線を泳がせた。それを見た海雷が、ふんと鼻で笑った。

「だから言ったろ?竜には、危機感が足りねぇって。タツヤの方がよっぽどしっかりしてる」

「お前ら、そいつのこと見てねぇだろ?!勝手なこと言うな!」

「目の前で、のほほ~んとしてたお前より、情報量あるっつーの」

 海雷が、またバカにした顔で竜を見下ろした。

「なんだよ、えらっそーに~~~~!」

「なんだ?やるか?」

「あぁ、今日こそ叩きのめしてやる!」

 今にも殴り合いを始めそうな二人を見て、それまで静観していた樹李じゅりが、ようやく止めに入った。

「やめなさい。主旨が変わってるから」

「だって、兄ィ!海雷が!」

「竜、もう少し慎重に行動すべきだったよ」

 静かに説き伏せられ、竜は項垂れた。それを見て、海吏も海雷も得意げに笑った。

 しかし、樹李の言葉はそこで終わりではなかった。

「海吏も海雷も、あれだけ心配してたんだから気持ちは分からなくないけど、もう少し、言葉を選びなさい」

 いつもからかったり、けんか腰だったりするだけに『心配』というワードを聞くと何となく照れくさい。海吏も海雷も、気まずそうにそっぽを向いた。

「え?心配?なんで?なにを?」

 きょとんとした竜に視線を向けられて、海吏も海雷も言葉に詰まった。正直に心配していたことを表すなんてことはできない。できないが、だからといって、竜は答えを諦めないだろう。

「だからね……」

「あのっ……」

 竜が訳を察してくれることをあきらめて、海吏が再び説明しようとしたとき、達也が意を決したように言葉を遮った。

「やっぱり、危ない人だったんですか?僕たちが捜してた人」

 不安げな表情をした達也を安心させるように、樹李が微笑んで、彼の肩に手を置いた。

「とりあえず、中に入ってお茶でも飲もうか。話は、それからにしよう」

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