●x

「あのパスワード入力は、ひっかけというか、声紋分析で回答者の確信度を測っているだけなんだよね。どれだけ、自分自身の回答を信じているか、その度合いに応じて、ログインが許可される」


加添は足を組み、ふんぞり返ってそう言った。


俺たちはオッカムの中に居た。正解と思しきログインパスワードを口にした瞬間、あの黒い球体は突如膨れ上がって、俺の体を飲み込んだ。黒い空間。周囲には何もない。グリッド線だけの地面が無限にどこまでも続いている。そして目の前には、黒幕のマニースーツが見えない椅子に腰かけている。


俺はヘルメットを脱ぎ捨てた。落ちたヘルメットはグリッド線をすり抜け、その先にある無限の闇の中に消えた。


「生出君、僕には夢があるんだ。そのためには、君にも頑張ってもらわないとならない」


「可哀そうな奴だ。自分の夢の先行きを赤の他人に握られてるなんてな」


「僕の夢は君と同じさ。フツウになりたいんだよ」


目の前の男は、表情を緩め、眉を潜めながら笑った。


「君の答えはそれほど間違っちゃいない」


「ほんとかよ。イカだぞ。人類に代わって知性を獲得したイカす烏賊のイカ墨の黒でこの世界が綴られているなんて以下略としか書きようもないいかれたた結末じゃねえか」


頭が痛くなってきた。


「冗談と恐怖、あるいはアメと鞭とでも呼ぶべきかな、それらによっていかんともしがたい混乱に陥ってしまったこの世界に、まあ一種の異化効果をもたらしてくれると思うよ。いかが、かな」


ダジャレ大会が始まったぞ。韻を踏めば気分はもうヒップホップだ。


「まあ、本当はI、アイと言いたかったんだけどな」


「それは前回も選択肢にあったね」


加添は唐突に、BGMなしのエアキーボードを始めた。俺に歌えというのか。


「この場所からなら、現実の世界をほんの少しだけ改変できる。例えば、君を大金持ちにすることだってできる」


「マジかYO! じゃ人類の頂点に立つ超エリートの息子という設定に変えてくれYO」


「わかった」


またエアキーボードを打つ。その打鍵感は静電容量式など比べものにならない程に軽いのだろう。そして俺はエアエリートのエア息子となるのだ。エア大金持ちが誕生した。


「最後に、君に一つだけ、知っておいてほしい事がある」


加添はいつになく烏煙な顔を見せた。それは、これまで見たことのない――人間的とでも形容すればいいのか――表情だった。


「僕はね、実は甲申高校の生徒だったんだ。君は知らないだろうけどね」


そうか、合点がいった。天野と知り合いで、同時に俺の事も知っている様子だった。


「あの頃は本当に楽しかったなあ、すべてが輝いて見えたよ」


どうだろうな。単に美化された思い出というだけじゃないだろうか。


「でもね、僕は知ってしまったんだ、気づいてしまった」


遠い目をする加添。


「悪の組織の陰謀にね。だから、君たちを守りたいと思った。守れなくてゴメンね」


「完全に中二病じゃなイカ!」


あははは、と大声で笑う加添。なんなんだ、なにが楽しい?


「この世界に……いや、この宇宙には、なぜ、こんなにも少ない種類のゲームサービスしか存在しないと思う? たった7種類だ。百億を超える人類に対して、たったの7つ」


みんなおかしいと思ってるよ、その設定には無理がある。


「答えは簡単だよ、うちゅうのほうそくがみだれにみだれきってるんだ。生命を生み落とし進化させ、世界を多用にしようとするネゲントロピーの力に対抗して、情報の増大を抑制しようとするエントロピーが働く。そして、常に勝つのはエントロピーの方だ」


ムズカシイ話だなあ。もうちょっとわかりやすく言ってくれないかなあ。


「インターネットの力もそうだね。閲覧数、イイねの数、★★★★★のレビュー。数の理ですべての価値を一元管理しようと考える人間を量産している。ネットは世界を多元化する力も持っているけれど、その何倍も一元化しようとする力の方が強い」


ムズカシイ話だなあ。★☆☆☆☆食らっちゃっても知らないぞ~。


「もっと分かりやすく言うと、悪の組織が仮想現実ビジネスで得られる利益を独占しようとしたのさ。そいつらはとってもとっても悪い奴らなんだ。なんと人殺しだ」


なんだって! こわいなあ!


「交通事故に見せかけて子供を消しちゃったりする事も厭わない。実は生きてることが判明したら、もう一度消しゴムを掛けるだけだ。気に食わない奴を三人も、一度に消すチャンスがあったら、まず間違いなく手を下しに来るだろう」


なるほど?


「あの爆弾は、オッカムの起動を止めるためじゃない。生出沐丹を消すためのものだ」


なるほど。


「フレーダーセンもか?」


「かもしれないね」


俯きながら、加添は自重するようにため息をついた。


「もし、君が答えに辿り着いたなら」


加添の顔から笑みが消える。


「その時僕の役目は終わるはずだ。そして、それは僕の夢が叶う瞬間でもある」


涙を流していた。わけがわからん。


「これは、生出沐丹がふたたび生出沐丹になるための、長い旅路の、最後の一里塚だ」


「お前、俺に向かって話してねえだろ」


「すべては君にかかっている。大丈夫、3年分も飛び級できる知能があるんだ」


あれ。


「幸運を祈ってるよ。それと、柳中さんの言葉をよく聴くんだ」


あたりが白く、ぼやけてきた。頭もぼやけてきた。ここはどこ、わたしはだあれ。


俺は生出沐丹。目の前に居るのが加添崇刕。それは間違いない。だが。


それしか思い出せないぞ。


ちょっと待て、いや、俺が沐丹だよな。俺でいいんだよな?


「それじゃあ、超エリートの親父に、よろしく伝えておくれ」













はじめにもどる


――●15へ




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クリエイター(笑) 八萩教徒 @kyocha

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