●-1
「あのパスワード入力は、ひっかけというか、声紋分析で回答者の確信度を測っているだけなんだよね。どれだけ、自分自身の回答を信じているか、その度合いに応じて、ログインが許可される」
加添は足を組み、ふんぞり返って言った。
「なるほどね。宇宙は差異によって出来ている、か。それもまた、半分正解だろうね」
「ふざけんな、ていうかそもそも世界の運命にパスワードかけてんじゃねえよ」
「君さあ、本当に現実の世界が消滅したと思ったのかい?」
まさか。
「俺の取り越し苦労だったとか?」
気が抜けてきた。
「まあ、二つの世界のリンクが切れたのは事実だよ。あっちの世界からはこっちが、こっちの世界からはあっちが、それぞれ観測不可能になった。そして、見えないものは存在しないのと一緒さ」
俺たちはオッカムの中に居た。正解と思しきログインパスワードを口にした瞬間、あの黒い球体は突如膨れ上がって、俺の体を飲み込んだ。黒い空間。周囲には何もない。グリッド線だけの地面が無限にどこまでも続いている。そして目の前には、黒幕のマニースーツが見えない椅子に腰かけている。
俺はヘルメットを脱ぎ捨てた。落ちたヘルメットはグリッド線をすり抜け、その先にある無限の闇の中に消えた。
「というかね、君が現実だと思っているあの世界は、実際のところ、あれが本当に現実なのか分からないんだよ」
予想はしていた。結局、俺たちはゲームの世界で生まれ、ゲームの世界で人生のすべてを過ごしてきたってわけか。仮想の存在って事か。
「じゃあ、ホンモノの現実は何処にあるんだ? どんな世界なんだ?」
それを口にした瞬間、加添は大声で笑い出し、椅子から転げ落ちて腹を抱え震えている。
「くっくっくっ……馬鹿だなあ」
馬鹿にされている。まあ、今なら理由は分かる。さっきの質問も、実はとっくに、俺の中で答は出ていた。儀礼的にというべきか、聞くだけ聞いてみた、というだけだ。
「おそらくね、そんなものは……」
「存在しない、そうなんだな?」
加添は笑うのをやめた。
「その通り。あるいは、こう答えるべきかな」
「全部が、現実なんだな?」
加添はまた笑いを浮かべた。今度は穏やかに、不敵な笑いを。
「量子力学では、粒子の状態は……つまり、世界のありさまは。観測されることで初めて確定する」
ハイゼンベルクだ。シュレディンガーのほうが有名か。
「それをもとに、多世界解釈が考案された。無限のパラレルワールドについて、その存在の可能性が、物理学的な裏付けによって示された」
「だが、本当なら、パラレルワールドはお互いを認識できないはずだ」
「まったく同じ世界だとしたら?」
何を言っている?
またもや、回りくどい言い回しだ。ツッコみ疲れた俺は加添の鼻に中指を突っ込んだ。
そのまま鼻声で加添は言った。
「例えば、君がさっきまで居た、スターゲの世界と全く同じパラレルワールドが存在したら?」
「そりゃ、無限の世界があるんだから、一つくらいは存在はするだろうさ」
だが、模倣品はどこまでも模倣品に過ぎないんじゃないのか?
「ゼノン世界と、それに瓜二つの実在する別世界が、どこまでも区別不能だとしたら?」
そうか。見えてきた。
「ラクシーか」
あのクスリ。
「そうだよ、ラクシーを打つことによって、使用者は本物とほぼ区別のつかない仮想現実に入ることになる」
ラクシーは欠陥品だ。効果は短時間で切れる。しかし……
「パラレルワールドを観測するための時間は、コンマ数秒で事足りる」
ゲームの世界そのものが、観測装置となる。一瞬でもそれを現実として認識してしまえば、使用者の現実を乗っ取ることになる。そしてラクシーの効果が切れたとしても、そこから先は、ゲームそっくりの、しかし実在する世界だ。見えるものは存在が確定している。認識できるものは、すでに決まった過去となる。
「なあ、例えばペーパークラフトで作った月を夜空に浮かべてさ。だれかがそれを見て、本物の月だと信じ込んだら、少なくとも信じた奴だけは、月が二つある世界へ行っちまうのか?」
「極端な例えだね」
「でも、月が二つもあったら、重力のせいで地球は滅茶苦茶になるだろ。そいつが並行世界へ飛んだ瞬間、そっちの世界では、人類が滅びたっておかしくないんじゃないか」
「世界は終わりを迎えるだろうね。いいところに気が付いた」
なんてこった。
「G7のゲームは、どの世界にも、世界寿命が存在するよね」
そうだ。ゼノンを含むG7の各世界は、現実世界の物理法則をかなりの精度で模倣している。が、ゲームなので魔法とかモンスターとか宇宙船とか出てくるし、死者が復活したりもする。
「知ってるよ。エラー負荷限界だろ」
そうした、ゲーム特有の味付け要素が、緻密に組み上げられた物理法則とぶつかり合い、矛盾を生み、小さなエラーが蓄積していく。そのエラーが、システムにとって許容不可能な量だけ溜まると、ゲームの世界は破綻し、崩壊する。だから、それを回避するために、一定期間ごとにゲーム世界はリセットされる。
「僕らが現実と呼んでいるあの世界も、実は寿命がある。とっくに終わりかけてたんだ」
そいつは大変だ。
「もちろん、ある時点まで巻き戻して再生することは出来るよ。スターゲの世界にログインしたのと同じ方法で、コピーしバックアップされた現実世界にログインすれば、すべては元通りだ」
「だけど、お前の葬式があったあの日、世界は終わるんだな」
「その通り、今まではね」
●ー2
裁火大学のだだっ広いキャンパスの真ん中あたりに、深緑に濁った池がある。池に沿うようにして、まだ設置されて間もない、檜風呂のように白い木材で出来たベンチが並んでいる。
俺はそこに寝そべり、空を見ていた。虚空を。
チェインを起動し、『人類滅亡』だの『世界の終わり』だのについて検索をかける。ごく一般化された、まるで特にアイデアもないまま締め切りに間に合わせるため書き上げられた小説のような……平凡なオカルト話の数々が、音声で読み上げられる。
「こえー」
自分でも驚くほど感情のこもらない声で、俺は独り言ちた。
ラクシーやらオッカムの一件で、すっかり独り言をやめる気はなくなった。誰にも理解されない、信じてもらえそうもない経験は、しかし吐き出さなければ窒息しそうだった。
世界は終わるそうですよ
でも僕の活躍によってちょっとだけ寿命が延びたんだそうです
信じられます?
テキストメッセージは、エクリン先輩あてに送ったつもりだった。が、よく見ると操作ミスにより不特定多数に公開されている。
お前、それで口説き文句のつもりなん?
ていうか、本気でエクリン落とす気なんか? 悪い事いわんから止めといた方がええ!
たった一年しか付き合いあらへんけどそれでも死屍累々を見てきたんやで!
早速天野が食いついてくる。天野はあのゼノンの月面での一件を、ゲーム内イベントか何かのように考えているらしい。
柳中さんはワタシのパートナーになる予定なんデス!
勝手なコト言わないでくだサイ!
ステラちゃんも食いついてきた。
サークル内恋愛は禁止のはずだぜキンバリー
誰だったか忘れたが、もう一人食いついてきた。
シンスケ、ワタシが退部した途端一緒になって辞めたクセに、何も気づいてないと思ってマス? バレバレですヨ、もちょっとオトコらしくしてくだサイ!
「なんか、すごいことになってるね」
先輩の声がして、先輩の姿かたちをしたモノが現れた。
今俺の目の前に先輩そっくりな有機物が出現したんだけど、いったいこれは何だろう。
「いや、本人だから」
「先輩、あなたは実在してるんですか?」
「そんなの、自分じゃわからないよ」
「世界が再生される前、オッカムの中で加添に会いました」
「くわえぞ……誰、それ?」
そう。
誰一人、覚えていないのである。というか、部室で目を覚ました俺の記憶も、中途半端なものだった。加添とオッカムの中で会話をしていた所までは覚えているのだが、その後何をしたか思い出せない。確か、オッカムの中で扉のようなものをくぐった気がする。その扉が部室の天井に繋がっていて――あのモノリスが『どこだかドア』の如くパカっと開き――そこから俺は落下して、現実世界にたどり着いた。現実の世界が全く問題なく動いている事を――つまり再生なり帰還に成功した事実を――知り、あいつの葬式が執り行われたはずの日付から順調に時間が経過し、ちょうど今日で三日目だ。
ちなみに、葬儀の記録は何処にもない。爆破事件もない。フレーダーセンは健在らしい。俺以外、あいつの事を知らない。検索にも引っかからない。まるで、初めから居なかったかのように、加添崇刕はこの世界から姿を消した。
「僕だけが、加添を覚えてるんですよね、ひょっとしたら、あいつは架空の人物なのでしょうか」
「みんなラクシーの事は覚えてるし、天野君と私は、モクニ君と月の上でオッカムを探したこと、ちゃんと覚えてるよ」
「加添に言われたんです、僕はこの世界における、よそ者だと」
はっきり覚えている。
「イデ・モクニ、君は、現実の世界の生まれじゃないだろう? と」
「何それ、興味ある」
「僕は知っての通り奇行癖がある人間です。極めて軽薄な理由で自殺したりしちゃう奴です。その理由は、僕がこの世界を、そもそも現実の世界として認識していない、ゲームの中か何かと思っているせいだ、とかなんとか。つまり、僕はこの、いわゆる現実世界において、ゲストであり、プレイヤーなんです」
「へえ、たしかに説明できそうだね」
口ではそう言いつつ、付いていけない、と首をかしげる先輩。
「だから、この世界でアイスピックを首に刺して死んでもなんともないわけです。少なくとも残機がある限りは」
「そっか。なるほど」
「仮にそれを真実としましょう。すると、ある疑問が沸きます。この世界は、ひょっとしたら他の……ゼノンの世界同様、もともと単なるゲームなのかもしれません」
俺は体を起こし、先輩を指さす。
「ゲームというのは、プレイヤーを楽しませ、満足させるために接待しまくり褒め殺し続けます。アメとアメとアメと、あとムチの様に見せかけたアメの雨あられです」
「随分、批判的だなあ。ムチがムチじゃなくなってる事にちゃんと気がつく、無知じゃないプレイヤーもいるよ」
先輩は自分を指さす。
「出会ってからの貴方はずっと、僕にとってアメのように振舞いました。まるで昨日まで中のいい友人だったかのように、最初に会話を交わした瞬間から何の脈絡もなく打ち解けました」
「誰もかれもに心を開いてこその、青春でしょうが」
「あろうことか初対面の相手に好きですなどと言い放ち、許可も取らず手の甲に口づけた相手を、というか実は唇にも口づけたカスを、あなたは、邪険にするどころか気にかけ続け、デリケートな過去の思い出話まで聞かせてしまう始末です」
「いや、好意を持ってくれた人を邪険にはしないでしょ普通。えっ唇⁉」
「かいつまんで言うと、あなたは疑わしいんです、都合がよすぎるんです、まるで中高生向けの安っぽいデーティングシムのヒロインみたいだ。攻略難易度が低すぎるんです」
「あの、ひっぱたいていいかな」
「どうぞ」
左手を振り上げ、振り下ろすことなく力を抜いて、先輩はその場に座り込んだ。胡坐をかいて、表情を曇らせた。穏やかだった目つきが、やがて、据えた冷たいものに変わっていく。
「キモチワルイ」
ドスの効いたそれは、拒絶の言葉だった。
「あなた、すごく気持ち悪い。キモイじゃなくて、キモチワルイ」
めまいがした。
血の気が引いた。
この数日で散々ぱら青い顔を見てきた気がするが、その何れにもまして、自分自身の顔が青くなっていくような感覚が沸いた。
次に語るべきセリフを探す。投げ返すべきボールを探す。
見つからない。
そもそも、自分が何をしたいのか分からなくなってきた。
俺は根本的に目的を見失っている。
他人の存在を疑い、疑った相手にそのまま疑問をぶつけるような、そんな愚か者にはふさわしい末路かもしれない。
痛かった。
俺はイタイ奴だ。
ひどく痛む、どこだか分らない場所が。
ひょっとしたら、この体を操っている本当の俺が、痛がっているのかもしれない。
「そんなの、当たり前だろ!」
気が付くと、俺は声を荒げていた。
なぜなら。
「気持ち悪いだろ? そりゃそうさ。なぜなら、それは、俺が目の前の相手と言葉を交わしたいからだ! 相手に俺の考えを知ってほしいし、相手の事を知りたいからだ! 存在を確かめたいからだ!」
そうだ。
「だからこそ、この、アタマん中身曝け出してるんだよ! ああ、そうだ。余計なもん前部脱ぎ捨てて公共の場で真っ裸になってるんだよ!」
俺は着ているシャツの胸元を引っ張る、引きちぎれそうなほど強く。
「気持ち悪くない奴なんているのか? 心に身に着けてる服も皮も全部引っぺがして、むき身にされたとき、その姿が気持ち悪くない奴なんて、この世に居るのか?」
声が掠れていた。
喉が痛い。
エクリン先輩は立ち上がった。
顔を見られない。見たくない。
「リアル確認拳んんっ!」
突然、先輩が大声を上げた。かと思うと、全身をバネの様にひねり、飛び上がり、俺に向かってドロップキックを放った。
胸部に衝撃が走る。白のレースが見えた気がしたが、その対価としてあばら骨が歪んだ気もした。ベンチにもたれかかった。
「ひっぱたくって言ったじゃないですか」
先輩は続けざまにコンクリへヒップアタックをかまし、いたぁた、と声を上げる。
「どう? 痛みを感じた? 蹴られて痛かった? キモイとか言われて心が痛んだ? このとおり、私は存在しています」
まだ、分からない。痛覚を再現できるゲームが存在することを、ついこの間、知ったばかりなのだ。
「モクニ君、ひょっとして他人の好意が信じられないタイプ? いたた」
腰を抑えながら、上体を起こし、かと思いきやその場に寝ころぶ先輩。
「大丈夫ですか?」
俺は手を差し伸べようと、先輩に近寄る。
「あのさ、一方的に愛情を押し付けておいてそのままトンズラするなんて、ズルいと思うんだよね」
先輩はその手を強く引っ張った。近寄る際に使った脚力の、その方向を乱されたために、体のバランスを失い、その場にへたり込む。
合気道ってこういう原理か。先輩に覆いかぶさった。先輩は顔を上げ、目を閉じ。
俺の唇と自身のそれとを、軽く重ねた。
「法律とかは、分からないけど、ルールは好きだよ、ゲーマーだし」
法律? 突然何を言い出すのか。
そういえば、いつだったか、俺の方からそんな話をした気がする。『もし先輩が裁判や法律をお好きなら』『まじめに交際について考えますが』だったっけ。
柳中殖久里がはにかむ。
大きな瞳を、刀の様に鋭く、細めながら。
俺にそんな顔を見せるのは初めてのはずだった。
だが、何故か懐かしかった。
どうやらこの俺、生出沐丹に、ついに春が訪れたらしき流れだ。
にもかかわらず、言葉が見つからない。相手の方も何一つ声をかけてくれない。
沈黙の春である。
そういえば、チェインのチャットはどうなっているんだ。
お、早速書き込みが。
私、恋人ができました! YEAH!
ノリが軽いなあ。
「もうちょっと日陰者ぽくしましょうよ仮想世界生まれの奴が相手なんだから」
考えようによっては二次元みたいなものだ。
「最近はそういうのも権利が認められてきてるんだよ? LGBTVのV」
ああ、なるほど。
ちなみに相手はモクニ君の形をした有機物です。 イヤー!
炎上必至である。
●―3
「この度、ゲス男と柳中さんの仲を引き裂くため、創世記部に正式に部員として戻ってくることになりマシた、淦抄衒と申しマス。よろしくお願いしまス」
「おかえり、あらためてよろしくね、ステラちゃん」
女子二人がお辞儀しあうその真横で、俺は馬上に胸倉を掴まれていた。
ステラ氏の帰還と同時に小卒ヤンキーの馬上君もお帰りになった事を散々からかったせいだろうか。確かに、からかっているうちに小卒なのは俺の方じゃないかという気もしてきたが。
「殴れよ、ホラ殴ってみろ、世界を救った救世主様に一発入れてみるがいい」
俺の挑発に拳を振り上げる馬上。
「シンスケ、そいつロコシィの生みの親やぞ」
天野の一言が挟まれた刹那、馬上の顔は驚愕にゆがみ、俺の胸倉を掴んでいたその手を放し、後ずさる。
そして地に膝をつき、額を擦り付け、両の手を揃えて土下座した。
どうやらファンの人だったらしい。
「俺を神と崇めるか?」
俺の放ったその言葉に対し、たどたどしく、しかし恭しく、馬上は答える。
「は……ハイッ! 喜んで!」
それを聴いた俺は馬上の胸倉を掴み返して言った。
「俺は神じゃねえ! 断じて神じゃねえ! 今後は俺をただの人扱いしろ!」
「は……ハイッ! 喜んで!」
早速、一発ぶん殴られた。馬上は吐き捨てるように言う。
「テメエ、よくも中身が何だかわからねえ注射器打ち込んでくれたな」
一件落着だ。貸し借りなしだ。
「あの、副会長、さっそく暴行事件が発生しとるんやけど」
「天野君、たまには自分でサークルのトラブル解決したら? 会長でしょ?」
俺たち五人は部室に居た。創世記部の再始動キックオフミーティングと称して、天野が全員を招集したのである。正確にはやる気のないダラダラしたキャンパスライフを送っていた連中――主に俺と馬上とステラ氏――に五回ほど招集をかけ、ようやく今回初めて全員揃ったのだが。
「では諸君! 気を取り直して諸君! 今後の活動方針を発表するで!」
天野が左腕に手をかざし、全員が同様のポーズをとってチェインを起動する。俺もそれに倣うと、目の前には巨大な三文字のアルファベット。そびえ立っている。
S・Ⅴ・Nとある。
「これが今後の活動方針や! エス! ヴイ! エヌ! さあ皆さんご一緒に!」
「やるかよ。いやせめて何の略か教えろよ」
俺のツッコみに満面の笑みで返す天野。いや早く教えろよ。
「よくぞ聞いてくれました! まずエスですが、これはセクシャリティを意味しております。エンタメにとっての必要十分条件であります」
「ヴイはヴァイオレンスだよね」
Ⅴサインを作り笑顔で『ヴァイオレンス』を強調する先輩。
「その通り! さすがやエクリン。エンタメにとっての必要最低条件であります」
なにが流石なんだよ。
「エヌはノータリンか? 会長にうってつけだな」
馬上君意外とキツイんだね。
「違います、罰としてシンスケ君は会長権限で終身掃除部長に任命やでしっかり働けや」
「じゃあ何なんデスか。早くこの茶番を終わらせろって感じデス。会長ひょっとして『何なんだよ』のNとかいうオチじゃありませンよね?」
「発表します!」
眼前のNが上昇し、モーフィングし、省略されていた元の単語が出現した。こうある。
NO EXCUSE
つまり『言い訳なし』。性欲暴力いいわけなし。
「やっぱりノータリンじゃねえか。いや本当に、ただの馬鹿じゃねえか」
雨の日が続いている。だがそれが終われば、季節は間もなく、夏も本番といった陽気になるだろう。
「天野、一つ聞いておきたいんだが」
「なんや改まって」
「このサークルが作ってるゲーム、あれ、本当に、どうやって動かしてるんだ?」
天野と4年ぶりに再会し、エクリン先輩と出会ったあの日。俺は一度だけ、創世記部の制作している作りかけのゲーム世界へ足を踏み入れた。
「せやから、みんながみんな死ぬ気で頑張ったんやって」
そうじゃない。
「どうやって作ったかじゃない、俺が聞いてるのは、一体何をどうやってあんな精緻な世界を動作させる処理性能を手に入れたのか、だ」
不敵な笑みを浮かべ、人指し指で実在しないグラサンをクイっと上げる天野。
「クックック……よくぞ聞いてくれはりましたモクニ君。あれを見ろ」
天井を指さす天野。その先には、不気味な光沢の黒い板。モノリス。
「アレは通信機みたいなもんや。スターゲのゲーム世界と繋がっとる。そして、あっちの世界で俺が買い漁ったアイテムの高性能量子スパコンに常時、無線接続されとる」
そんな馬鹿な。
「ゲームの中のコンピュータで、ゲーム動かしてんのか」
「せや」
可能なのか、そんな事が。ていうか、天野の宇宙船は爆散してなかったか。
あと、スターゲの運営会社――つまりMS――の保有する演算処理能力の窃盗にあたるんじゃないのか。厳密に言えば違うんだが、そう見られても仕方ないぞ。
「そういやモクニ、お前正式に自己紹介しとらんやろ。いいチャンスやないか」
「確かに、次に何時このメンバーで集まれるか分からないからね」
エクリン先輩に背中を叩かれる。
「いや、別に入部する気は無いですよ」
目を丸くするエクリン先輩。
「ただ、創世記部にゲームを完成させてもらわなきゃいけない理由が出来ました。なのでまあ、お手伝いはさせてもらいます」
俺はテーブルの上に仁王立ちした。皆の視線が俺に集まる。
「お前らに教えてやろう。俺の名は生出沐丹。なんと普通の人間ではない事が先日判明してしまった。この世で俺だけが普通の人間だと思っていただけに、実につらい。普通の人間を辞めたい奴はいるか? だったら俺を崇め奉り奴隷のように奉仕することだ」
拍手喝采が起こる。どうやらみんな分かってくれたみたいだ。今日からお前らは俺の下僕だ。だが拍手の後に続くのはサムズダウンとブーイングだった。
そう、俺は普通の人間ではない。なりたくもない。
それは、俺がこの世界とは別の世界の出身かもしれないから、とか、そんなスケールのデカい理由によってじゃあない。
「なぜなら、俺は知っている。普通ってのはつまり、他との差異が、他人と違う部分が、存在しないって事だからだ。普通の人間になりたがるってことは、他人との差異を消し去りたいって願うことだからだ」
かつて、俺が願っていたこと。
俺はチェインのAR機能を起動し、テーブルの上にグラスを出現させた。全員によく見えるよう、持ち上げる。
「ここに、グラスが二つある。この二つのグラスが、量子レベルで全く同じ構造だったとしよう。そして、まったく同じ空間座標に重なり合うように存在していると仮定しよう」
俺は手に持ったグラスをぴったり重ね合わせる。ゲームでよくある、同じ場所に同じキャラやアイテムが出現してしまった状態だ。
「どんなふうに動かしても、振り回しても、叩き割っても、二つのグラスには全く同じ角度から全く同じエネルギーが与えられる。それによって、二つは完全に同じ動きをするようになる。それこそ細かな破片の一粒に至るまで、寸分違わず、だ」
グラスを床に落とす。粉々になる。
「他のグラスに比べて多少重たくなるかもしれない。が、それでも二つを区別することは、もはや不可能になる。最近のゲームは、こういう事態が発生した時、片方を自動的に消去する機能があるぐらいだ」
そして、それが意味するのは。
「先生、話が見えません。訳が分かりません」
馬上が珍しくツッコみを入れてきた。
「つまり、こういうことだ。存在を定義するための各種の値や要素が、二つのモノで全く同一になったら、片方は消えてしまうんだ」
そう、かつての、俺自身が願っていたこと。もしくは、矛盾した幻。
「普通になりたい、なんて願いは、消えたいって願いと、たいして変わらないんだ」
喉を震わす声が、自然と荒々しくなる。
「存在し続けるためには、他とは違うもので有り続けなきゃいけないんだ」
●ー4
【速報】エンタープライズ、消息不明
【宇宙】人類初の有人火星探査、またも失敗か
【天文】火星は人類を拒むのか? コロンビアに続き再び原因不明の事故
ニュースサイトに似たような見出しが躍る。現実世界のエンタープライズは行方不明となった。加添の葬式の日に着陸を決行する予定だったものが延期され、そのままズルズル時間が流れ、今回の事故が起こった。
「うひゃひゃひゃ、俺の力を思い知ったか」
独り言ちる。
「気持ちワリィなおい」
馬上が俺の部屋に居た。おかしいな、こいつを呼んだ記憶は無いのだが。例のキックオフミーティングの後、宴会でもやろうかという話になり、俺は自分のアパートを会場として提供する羽目になった。他のメンバーは宴のため、暮れなずむ街へ買い出しに行ってしまわれた。
「なんだ居たのか。主要な登場人物じゃないから気が付かなかったよ馬上君」
「テメエ、何でいつも俺にケンカ売ってんだよ。恨みでもあんのかこのヤロー」
「ところで馬上君、なぜ人類は火星に降り立てないと思う?」
「知らねえよ」
「降りられたら神様が困るからさ」
馬上はため息をつき、仮想キーボードを叩く作業に戻った。例のゲームのメンテをやっているらしい。
「ゲームを動かすうえで最も処理が重いものは?」
「そりゃ、キャラだろ。次に背景だな」
模範的な、ありきたりでつまらない回答だ。
「そうだな。一番処理性能を食うのは、人間のNPC、次が野生動物やモンスターだ。その次が、植物だな」
「何が言いてえんだよ」
「生物は重いんだ。とんでもなく処理性能を割かれる。風や岩や海なんか、どれだけ巨大だろうが、たいした量の演算は必要ない」
馬上は黙った。考え込んでいるご様子だ。
「だから、月なんかめっちゃ軽い。地球を動かすスペックの千分の一もいらない」
「貴様、この世界が仮想現実だって言ってンのか?」
「だと仮定してみよう。で、この世界を動かしているコンピュータが、地球一個を動作させるだけでヒイヒイ言うレベルだとしよう。オマケで月ぐらいは動かせるかもしれない、だが、生命体の存在するそこそこ広大な惑星を丸々一個追加されちゃ、たまったもんじゃないだろ? フリーズして再起動しちゃうよ」
「スターゲは、地球を含め、そういう惑星には降下できないようにしてるな。宇宙空間から眺めるだけだ。お前の言う通り、処理性能を食いすぎるからな」
「そんな風に、この世界にも、惑星を覆う見えない壁が必要なんだ、たとえば火星に」
「そんなバカな! ていうか生物なんか発見されてねェだろ」
「多分、居るんだよ。アメーバみたいのより、多少は高等な奴が」
「妄想も大概にしろよ」
「この世界は複雑になりすぎたんだ。だからこれ以上情報の増大に耐えられない。寿命なんだ。俺たちは次の移住先を探さなきゃならない。そのために、G7のゲーム群が作られたんじゃないかと、俺はそう思ってる」
「もうわかった、これ以上貴様の無駄話を聴きたくねえ」
「だが、正直言ってどのゲームも好きになれない。どいつもこいつもSVNだ。世界寿命も短い。だから、自分で作ってみようと思う。でも一人じゃ無理だ」
馬上は作業を止め、振り返って俺を見た。口をあんぐりと開けていた。
「だから、創世記部を手伝うよ。よろしくネ、馬上クン!」
「キメえんだよ」
キメえと言われたが、先輩の時と違い、塵ほども心が痛まないぞ。こいつはいい、思った通り、ぬいぐるみに話しかけているようだ。これからは、重要な事実を誰かに打ち明ける時には、まずこのぬいぐるみを使って練習するとしよう。
「ところで永久掃除部長」
「永久じゃねえ終身だ」
掃除部長は否定しないのかよ。
「では終身掃除部長、早速この部屋の掃除をお願いする」
無視された。
「掃除部長、部員のアパートの掃除を順番に続けていればそのうちステラちゃんの部屋を拝めるかもしれないぞ」
ぴくり、と動きを止め立ち上がる馬上。まさか本気にしてるのか。
「キッチンから頼む」
「やらねえよ、便所だ。どこにある?」
「そんなものは無い。広さを優先したんだ」
馬上は部屋を去った。玄関扉の閉まる重たい音が聞こえる。
引っ越したばかりの段ボールだらけの部屋に、静寂が戻る。
愛用のマグカップに火星の砂を撒いて、ポットの湯を注ぐ。
「ん~マズイ」
火星の砂。コロンビア号の火星軌道到着を記念して発売されたインスタントコーヒーだ。
「もう一杯」
段ボールに腰かける。浮遊感を覚える。蓋が抜け、膝から下がすっぽりと中に納まる。空の箱だったようだ。飲み干していてよかった、危うく淹れたてのコーヒーをこぼして火傷するところだった。もちろん飲み干す際に舌は火傷したが。体を抜き取ってそいつを折りたたむ。蓋にはマジックペンの文字で「食器」とある。開封作業をやった記憶は無いのだが。そもそも、ガムテが剥がされていない。
ふと、疑問が沸いた。
別の段ボールを開けてみる。『衣類』は空だった。『洗面用具』も空だった。『電子機器』も空だ。
積み上げられた段ボールは、未開封にも関わらず、すべて中身が空っぽだった。
ドアノブが回る音がする。
「今帰ったで」
「うわあ、スゲエ散らかってまス」
「なんで、このタイミングで荷下ろしするの……」
コンビニのビニール袋を提げた三人が居た。
「エクリン先輩、今日お宅に泊めてもらえませんか」
沈黙。
「さすがに進展早すぎやろ。どんな手使ったん?」
単に生活するための道具が無いから先輩を頼ったのだが、少々常識はずれな発言だったことに気が付き、訂正を試みる。
「あ、やっぱりステラちゃんの家に泊めてもらおうかな」
沈黙。
正直に事情を説明した。少々不思議がられたが、業者のミスか、奇行癖のある奴が荷造りしたせいだろう、という結論に彼らは至った。
宴会をやるにも、食器もテーブルも遊び道具の一つも無いんじゃ不便だ。結局、天野の部屋に場所を移すことに決まり、大学を挟んだ反対側まで徒歩で移動する事になった。その途中、見覚えのあるビルの横を通り過ぎる。あの極彩色のネオン。
25Hours for prayingだ。消えてはいなかった。
中を覗いてみようかという気持ちも沸いたが、それを抑え込んで、俺は三人の後姿を追いかけた。
バカ騒ぎは嫌いじゃない。
天野のカオス極まりないがらくたコレクションが並ぶアパートで、俺たちは実にくだらない、無意味な時間を過ごした。昔はよく『ゲームはくだらないし時間の無駄だ』などと言われたらしいが、それを事実とするなら、俺の人生でも一、二を争う無駄な時間だった。
そして、こんな日々がいつまでも続けばいいと思った。
●ー5
天野のアパートの廊下は、俺の借りた建物のそれよりも大分ボロい。歩くだけで鈍い音が鳴り、今にも踏み抜いて落下してしまいそうだった。階段を降り、自販機の明かりの方へ向かうと、妙な甘ったるい匂いがした。
「タバコかよ、不良め」
「リキッドやし、ニコチンはゼロやで」
黒のスウェットに黒いトレーナーという忍者ファッションで七色に光るスティックから直接肺にカフェインを注入している男が居た。
「あいつらまだ寝とるんか」
「ぐっすりだ」
狭い部屋の中、はしゃぎ疲れた女子二人がすやすやと寝息を立てている状態ではどうにも落ち着かず、徒歩で自宅に帰ることにしたのだった。天野が後ろをついてくる。
「自分の部屋に帰れよ」
「いや、さすがに女子二人と寝るんは気が引けるというか」
「しょうがねえな、段ボールで良かったらやるよ。その辺の公園で寝てくれ」
「けち臭いこと言うなや」
「いや部屋で寝てもいいが、本当に段ボールしかないぞ」
「将来に備えてホームレス体験でもしとこか」
「てっきりゲームで一攫千金でも狙ってるのかと思ってたが」
「狙っとるで。でもなあ、モクニ。クリエイターなんて本質的には河原乞食やで」
河原の乞食。最下層の貧民。何も持たない人々。
「そういう最下層民てさ、それもまた神だよな、この国では」
「飢えてくたばれば仏や。神も仏も成り放題やな」
「くせえよ」
「すまんな、年取ってもうたわ、実年齢よりもな」
タバコの事を言ったのだが。
「聞いていいか?」
歩を止め、振り返る。
「なんで創世記部は空中分解したんだ?」
今度は天野から歩き出す。その後に続く。
「さあな。俺の理想が高かったんかもな。プロを目指すとかならともかく、プロを超えようとすら、しとったワケやしな」
「超えられるさ」
歩きながら、天野は口笛を吹き始めた。それを妨害するため俺は変拍子の多用された進歩的かつ前衛的な鼻歌を歌う。周囲に不協和音を撒き散らしながら、しばらく歩くと、大学の正門に着く。
「部室寄らへん?」
「こんな時間にかよ」
いそいそと門をよじ登り、不法侵入に成功する。天野の学生証で建物のロックを解除し、あっさり108号室にたどり着いた。どうなってんだよこの学校のセキュリティ。
「ただいまー」
明かりが点灯する。見覚えのある白一色。天井のモノリス……が、ない。
「あれ、おかしい」
「これやろ?」
天野は黒いテニスボールを持っていた。ボールじゃない。
「うちゅうはかい爆弾~♪」
「もうやめてくれ。トラウマになりそうだ」
「石板状態はARつこうた一種のフェイクや」
そうか。葬式で加添が持っていたのは、別にスターゲ世界から持ち込んだんじゃなかったのか。というか、部室から盗んだのか。
「確かにセキュリティが甘すぎる」
「なんのこっちゃ。ちなみに医学部の方も甘々やったで」
さらにポケットから、見覚えのある注射器を二本取り出す天野。
「目も当てられない依存ぶりだな」
そう言いつつ、一本を受け取る。手首にあてがい、投薬ボタンを押す。
世界が回る。
懲りないなあ、俺も。
「うーんキマってきた」
「純度高いわ~めっちゃ楽しいわ~」
あらかじめ言っておくが、我々が接種したのはナノマシンのはずである。決して夢見るクスリの類――具体的にはメ多ンフェ多ミンとか――ではない。
目を覚ました瞬間、飛び起きた。
コツを掴んできたと言えばいいのか、大分このクスリに順応できてきたようだ。
見上げると、月が出ている。あたりを静寂が支配している。
虫の鳴き声すら聞こえない。暗すぎて、足元のアスファルトと月しか見えない。
「静かすぎるだろ。もっとなんか鈴虫でも増やそうぜ」
「試したんやけど、異常繁殖してばっかしなんや」
わずかに、水音が聞こえた。
音のする方へ歩く。
足元で月が揺らめいていた。
「おっと、危うくドボンするところだった」
「別に危なくない。水深3センチぐらいや」
川べりのコンクリに沿って進む。
時間が流れる。空が白んできた。街の輪郭が浮かび上がる。
遠くに丘がある。
その上に、見覚えのあるシルエットを見つけた。
「お前が、作ったのか、この世界」
「せやで。俺だけやないけどな。俺の記憶を頼りにここまで再現したんやで」
甲申高校だった。
そうか。
ラクシーを使った状態でログアウトするには、死ぬ必要がある。
バーで首を刺して倒れたあの時、俺はおそらくゲームオーバーになった。そして直後に飛ばされたのは、おそらく俺の生まれた世界だ。
段ボールの中に何も入っていないわけだ。
天野と4年ぶりに連絡を取った日。あの日の直前まで、俺はそもそも存在していなかったんだから。
「お前が初めて、ラクシーを使ってここに来たのは、入学式の前日だな?」
「なんで分かったん?」
「多分、俺はお前の知っている生出沐丹だ」
「せやろ、少なくとも残像ではないやろ」
「いや、残像だ。お前の知ってる生出沐丹の、残像が俺なんだ」
俺はここの出身だ。創世記部の愉快な仲間たちが天野の記憶を頼りに再建した、この世界で生まれたんだ。甲申高校とその周辺の街並みを再現するだけで、色々と不完全なまま、誰一人訪れない世界。
「お前、俺用のアバターも用意してたろ? それも2体ほど」
「ようわかったな。探しとったんやで、お前どこにおったん、4年間も」
俺の正体は、俺を模したアバターなのだ。天野がラクシーを使用して作りかけのこの世界を訪れた時、それとほぼ同一の並行世界が観測され、アバターは本物の生命を獲得した。
でも、俺はどうやって現実の世界に移動した?
現実世界の、元の俺はどうなった?
アタマがこんがらがってきた。吐きそうだ。
ショック状態のせいか美少女の幻覚が見える。
「おかえりなさい、マスター」
「ロコシィも一体置いといたで。作者不明の著作権フリーやからな」
そうだ、俺は坂の上でこいつに会った。
「マスター、悩まないで」
いや、あの、マスター呼ぶな。
「ロコシィ、お前は知ってるか、俺がどうやって、現実の世界へ移動したのか」
俺がまともに相手をしたことが嬉しいのか、ぱあっ、と顔が明るくなる。
「うん、知ってるよ。だって、アタシが連れて行ったんだから」
ロコシィの指が俺の手を取る。チェインに触れる。
チェインが起動する。未読メッセージが鬼のように溜まっている。
おーい、モクニ氏、レス!
返事マダァ? マチクタビレター
息子よ! 奇跡の復活を遂げた神の子よ! お願いだから父さんに返事を送れ!
火星軌道上で死んだ息子からメールが届くって。ソラ〇スかよwwww
送信者の欄には「パパ」とある。
何だよ、これ。
頼むよ、モクニ。返事をくれ。
お願いだ。お前ともう一度話したい。
たった一度でいいんだ。
●ー6
MOKUTAN YAMADOOI(15) WAS DEAD
北米での交通事故を報じた記事の中に、その一文を見つけた時、すべてが繋がった。
俺は八馬問競という姓を知っている。
その女性は、父が再婚する相手だった。いや、実際に再婚したのだ。
アバターに過ぎない俺の記憶は、天野と連絡を絶つ時点までしか存在しない。
だが、不治の病で妻を亡くし、さらに交通事故で一人息子と二人目の妻を同時に失った男が、遠い惑星に旅立つのに何の躊躇もしなかった事は想像できる。
「誰だよモクタンって。モクニと読むんだ沐丹は。萌え……燃えカスキャラかよ」
恐らく、記事を書いた米国人が低性能な翻訳機を使用したのだろうが。俺の死に天野が気付かなかった理由ってこれかよ。
「何ぶつくさ言っとんねん」
なにが設定変更だ。そもそも、最初から実の父親だったんじゃないか。
エンタープライズで火星に降り立つはずの男、八馬問競武。旧姓だと生出武。親父の名前って存在感薄いよな。親父としか呼ばないもんな。それに加えて、苗字まで変わってやがる。気が付かないわけだ。いや、俺が不注意過ぎただけか。
そして、親父は消息を絶った。
俺が着陸を延期させたからなのか?
頼むよ、モクニ。返事をくれ。
お願いだ。お前ともう一度話したい。
たった一度でいいんだ。
もはや手遅れだ。
いまさら、俺はどうしたらいい?
メッセージのメタ情報に目をやった時、ふと、気が付いた。
おかしい。
つい2時間ほど前に送られたことになっている。どういう事だ? エンタープライズが消息不明になったのは日付をまたいで昨日の昼頃のはずだ。
慌てて返事を打つ。
行方不明になったんじゃないのかよ!
時間が流れる。妙に返事が遅い。そうだ、データが往復するのに少なくとも十分かかるんだ。
来た。
お前が行方不明扱いで発表しろって指示してきたんだろうが!
そうだ。そうだった。
あの事件の――帰還の――直後に、朦朧とする意識の中でやったことだ。
すっかり記憶から抜け落ちていた。
スターゲの世界からオッカムに入り、この現実世界を救って――あるいは再発見して――帰還した直後、俺は真っ先にフロリダの某所に連絡した。声紋と光彩のデータで八馬問競の息子だと証明して、あるメッセージを親父に送った。火星への降下を延期してもらうためだ。突拍子もない話を聞かせることになってしまったが、幸い、話は通じた。
実の息子じゃなきゃ信じないぜ、あんな話。で、結局いつまで上陸を延期すればいい?
即座に返事を打つ。
出来れば永久に延期していただきたい。こっち帰ってこいよ。
また時間が流れる。天野は何処かへ散歩に行ってしまった。ロコシィは楽しそうに俺の周りを跳ねまわる。返信が返ってくる。
そいつは難しいな。俺はお前の話を信じるが、たぶん同じ話を同僚や上層部に行ったところでプゲラッチョされるだけだろう。今は計器の故障って事にして、地球との交信を切ったり着陸を延期してるんだよ。いずれはバレる。色々他の手も考えてあるが、どう足掻いたところで、着陸を引き伸ばせるのはあと三ヵ月が限度だ。中止はあり得ない。
作用でございますか。九十日ですか。
天野が返ってきた。
ステラちゃんもいる。
ステラちゃんの後ろに自律して動く金魚の糞がある。
まあ、馬上なんだけど。
そして、俺の最愛の人も姿を見せた。
彼らに立ち向かって両手を組み、俺は声を張り上げ言った。
「三か月で、この現実世界をはるかに超越した魅力を持つ新世界をでっちあげるぞ」
全員、ポカンと、口を開け放っている。しかし、やがて各々、いつものモクニだなあ、と呆れた顔を見せてくれる。
「俺たちは神だ。最高のクリエイター(笑)だ。必ず出来ると信じている。さあ」
「まあ、締め切りって大嫌いだけど大事だよね」とマイハニー先輩。
「納期がなきゃいつまでも完成しませんもんね」とステラちゃん。
「お前ら俺を差し置いて会長のアパートで宴会やってたのかよふざけ」と馬上。
「というワケや、準備は出来とるで」とキアキくん。
俺は再び宣言する。
「創ろう」
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