●2

世界は終わり、天野はくたばり、酸素残量は残り十と余分を切り、唯一、将来に対し希望的観測を持つための根拠たりえそうな彼の遺したアイテムは遥か地平線の向こうだ。


にもかかわらず、俺たちは宝探しで遊んでいた。


アダムとエヴァの如く、月の上で。エヴァの如く、あるいは∀の如く、月の上で。


爆散した宇宙船エンタープライズ。その瓦礫が、ゆっくりと、きらきらと、舞い降りてくる。蹴り上げる砂もまた、ガラスのように光を照り返す。


無機物の世界。無慈悲で美しい数理の世界。


「見つけた!」先輩の声がする。姿を探す。


「た……た……楽しんでます?」


「すごい遠いから、届くか分からないけど!」


先輩の息が荒い。


「どこに居るんですか」


「カモーンこっち!」


「チッ先を越されたか」


動くものが見えた。ただの欠けたネジだ。何もかも動いている。瓦礫や鉄くずはどんなに小さなものでも、空気抵抗のないまま地面に落ちるまで回転している。


動くものが見えた。規則的な、静的な動の光景のなか、不規則に揺れる影。手を振っている。何かを持ち上げ、振りかぶり、投げた。


「軽いね意外と」


「取ります、絶対」


近づいてくる、まるい黒。地に落ちた丸い影。二つの黒丸が重なる地点にむけて、歩を進める。


「頼りにしてるよ」


「世の中理不尽だらけです」


「スマイル、スマイルよ」


先輩の声は震え、掠れていた。


手を伸ばす。届かない。黒い球体が地面に落ち、二つの影は重なる。バウンドしたところを両手に収める。俺はラグビー選手のように、体を滑らせ、タッチダウンを決めた。


寝ころんだまま、球体をくるくる回し、調べる。


黒い。


ひたすら黒い。反射もなく、映り込みもない。世界一黒い塗料よりも黒い。まるで空間に穴が開いているようだ。


調べる。


ひたすら調べる。もう時間が、酸素が残り少ないのだ。何とかしてこいつを現実の世界に持っていく方法を……そして、現実世界を再生する方法を見つけ出さなくては。指で表面をなぞってみる。日光に透かしてみる。体重をかけて踏み潰そうと試みる。頬ずりしてみる。


そうこうするうち、足元に影が見えた。エクリン先輩だった。


「よく、コイツを見つけられましたね、天野と一緒にどこまでも飛んで行ったのかと思いました」


「単に、目で追ってただけ」


お気づきかもしれないが、俺と先輩は宝探しをしながら同時にしりとりをしていた。


宝探しの方は先輩の勝ちで終わったが。


次は『け』である。宇宙服に身を包みながらのしりとりで『け』である。


これはもう、アレを言うしかない。


「決闘しましょう」


「うん?」


「んだぁっ」


俺は手にした球体を全力で先輩めがけて水平投げした。咄嗟に両手で受け取る先輩。


「ったい、なあ。いや痛くはないけど、どうしたの急に」


「にっちもさっちも行かなくなったんですよ」


起動する方法なり何なり、ある筈なのだが、皆目見当がつかない。


「もうお手上げです完全に。ていうか先輩、さっき『ん』で負けてますし」


「試合終了だよ、諦めたらそこで」


先輩は振りかぶり、投げつけた。俺はしっかり受け取った。世界の命運を握るアイテムを使ったドッヂボールが始まっていた。


「で、どうしましょう?」


投げる。


「う~ん、どうしよう」


投げ返される。投げ返されたそいつを、両手で天にかざす。ヘルメットに押し当てる。


「動け! 動け! 動け! うごけうごけうごけ動いてよぉ!」


「オッカム、起動します」


無機質な声が聴こえた。


「すごい、やったよ!」と先輩。


実はこいつは音声認識型のデバイスで、真空では伝わらなかったものが、ヘルメットを押し当てて喋ることでようやく俺の声に反応し、起動のアナウンスも俺の耳に届いた、というオチだった模様である。


「ログインパスワードを入力してください」


しかし第二の壁が立ちはだかった。


「嫌だよ」


「ログインパスワードを入力してください」


「いちにいさんしごろくしちはちきゅうにかえりたい」


「ログインパスワードを入力してください」


「生き死地に浮くすつぬ起こ素とのホモ因ろ」


「ログインパスワードを入力してください」


「いいか、よく聴け」


息を深く吸って、大声で言った。


「俺は普通の人間になりたいんだ! そのためにはまず世界に普通であってもらわなきゃ困るんだ! こんなスぺオペ世界でこの先一生過ごすなんてゴメンなんだよ! ていうか俺の事はどうでもいい!」


「ログインパs」


「先輩はどうなる? 天野はどうなる? ステラちゃんはどうなる? 甲申高校で遊んでたあの連中は? 俺の家族は? ていうか、その他大勢の全人類は? みんなあの世界が好きなんだよ! あの世界で、生きてたくて、生きてたんだよ!」


俺は天に輝く地球を指さした。


「ログインパスワードを入力してくだ」


「確かにどいつもこいつもゲームに入り浸って現実世界をほったらかしにしてた。そうだよ、現実逃避に明け暮れてたのかもしれない。けどな、それはでも、なあ、ただの現実逃避で、どんなに楽しくても、重要でも、現実逃避なんてのはな、現実があって、一番大事なものがあって初めて成り立つんだよ!」


「ログインパスワードを入力してくだ」


「だから、さっさと教えろよ! 世界を再生できるんだろ? やり方を、さっさと、教えやがれよ!」


「ログインパスワードを入力してください」


「いちいちうるせえな死ね!」


俺はオッカムを地面にたたきつけた。


何度かバウンドし、吸い付くように地に落ちる黒い玉。


「こんなことになる前に、もう一度枢に会いたかった……なあ」


ため息の少し後、嗚咽が聴こえだした。先輩は泣いている。


「ん……ぅうん……」


両手で顔を――正確にはヘルメットの硝子を――覆う先輩。


かける言葉もなかった。


「どうして別れたんですか」


と思いきや、無粋な質問を投げつける俺がいた。


「だって、さ。私たちはまだ子供でさ、このまま一緒に居たら、いつか、まったく同じ人間になっちゃうと思ったんだ」


よくわからない。支離滅裂とまでは言わないが。よくわからないべき、だと、俺が俺自身に対しブレーキを掛けている。


「私たちは、お互いの存在を尊いものだと信じてた。信じていたはずだと思う。だから違いを乗り越えようと頑張ったよ」


鼻をすする音が聞こえる。


「でもね、存在しているって事はね、違っているってことなんだよ」


「ですよねぇわかります、よくわかります物凄くカンペキに共感を覚えます」


俺はごくごく軽いトーンでそう即答し、しばしの沈黙が訪れた。


「はは、私とモクニ君は相当違うみたいだね」


先輩に近づく。ヘルメットを押し当てる。エクリン先輩の顔がよく見える。両目は真っ赤に腫れ、それでも目を細めて笑っていた。


「ひょっとしたら、良かったのかもしれない」先輩は言った。


「君みたいな人と、世界の終わりを過ごせて」と。


どこか遠くで声が聞こえる。


「パスワード」


地面を伝って、あの黒い玉の音声が聴こえているようだった。


うるせえな。


「パスワードの」


ほっといてくれよ。


そう思いつつも、違和感に気づく。


「パスワードのヒント」


俺は耳を澄ませた。


声は、こう言った。



パスワードのヒント:宇宙は何から出来ている? 最小の単位を答えなさい。




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