●3
心は安らぎに満ちていた。
世はすべて事もなし。
というか物事全てが無しになったかもしれない。
「そんな馬鹿な、ちょっと待ってよ」
今このタイミングならば信じてもらえるかもしれない、と、うちゅうはかい爆弾とそれにまつわる体験を一通り先輩に話してしまった事を少し後悔する俺。頭のおかしい奴というレッテルを張られるのに慣れてはいるが。
ゲーム内デバイスのタブレットを皿洗いのごとく擦りながら狼狽えた声を上げる先輩。
「いくらでも待ってくれますよ、ひょっとしたら永遠に」
いくらなんでも、あきらめが早すぎないだろうか。リアル世界が終了してしまった可能性が僅かながらでもあるというのに、我ながらこの落ち着き様は何なのだ。
「だめだ、ネットに繋がらない」
「まあ冷静に考えたら、ゼノンのサーバーがメンテに入ってて、なぜか僕らだけログアウトできなかったというオチなのでは」
さらに、より一層冷静に考えれば、たとえ世界が終わったとしても、そこに住まう人間にとって、その事実を認識できる日は来ないはずなのだ。世界の終わりとともにそれを認識しようとする人間そのものも消えてしまうはずなのだ。それこそ終わる世界の外側にでも出てゆかない限りは。
「そ、そうだよね。リアル世界が終了しちゃったら、私たちの体だってなくなってるはずだし、意識だけがこっちの世界に残ってるなんてあるわけないよね」
「というか、リアル世界が消滅したら、この世界だって消滅しますよ。ゼノンの東アジアサーバーは太平洋の何処かの孤島にあるんですから」
「じゃあ、ログアウトしてみようか」
それを言った直後、はっとして固まる先輩。ラクシーを打ったこの状態でログアウトするためには、こっちの世界で死ななければならない。だが、もし本当にリアルが終わっていたら?
「ログアウトした先の世界が存在しなかった場合はどうなるんでしょう」
「本当にお陀仏かも」
途方に暮れる。俺たちは無為に時間をやり過ごす。
「現実逃避したくなってきた」
逃げるべき現実がもはや無いかもしれない、というのは、なぜだろう、妙な落ち着きをもたらしてくれた。
「ねえ、話でもしない。さっきの続き、聞かせてよ」
「それは名案ですね。ええと、校長だったのは知ってますよね」
世界の終わりに直面してつい口が軽くなってしまったのか、俺は言葉を放った。
「生徒会の副会長は女の子でした、たぶん、僕の初恋でしたね」
俺たちは仲が良かった。天野曰くカップルのように見えたという。ところが、とある事情で彼女はゲームから去った。探そうともしたが、現実の世界で彼女を探したところで、なぜだろう、二度とは会えない気がした。
「そのゲームは本来なら戦争をするゲームだったので、外国の軍隊にあっという間に蹂躙されたんですよね。校舎もなにもかもめちゃくちゃにされて。それで、一応再建はしたんですが、生徒数は十分の一も残りませんでしたね」
「関係ないけど、学ランってさ、元々プロイセンの軍服なんだよね」
話の腰が折れそうだったのでスルーした。
「寂しく思った僕は、彼女を模したAIキャラクターを、学校に置きました。外見を模しただけでは、なんだかしっくりこなくて、チューンナップし続けました。白状すると、彼女と交わした会話のログ全部をAIのリソースにぶち込みました。法律の整備されていなかった当時だから、法律で守られていたガキだったからこそ出来た芸当ですね」
「いいなあ、羨ましいぞ、私もそんな変態じみた恋心を抱いてみたいぞ」
「ところが」
俺は捲し立てるように早口になった。蓋をするように閉じ込めておいた記憶。いざ開け放ってみると、かすかな残り香のそれは、あまりに懐かしい。
ロコシィ。彼女は本物よりも本物らしかった。理想化され過ぎていた。だから、結局俺は好きになれなかった。突き放し、放っておいた。ある日気が付くと、彼女は学校からいなくなっていた。
しばらくして、そいつが別のゲームでアイドルをやっていると知った。それとはまた違うゲームで、誰かにコピーされた複製体が、魔法使いをやっていた。それとはまたまた全く違うゲームで、カジノのバニーガールをやっていた。また別のゲームでは、花売りを。ニュース番組で取り上げられ、一躍有名になったらしい。これほど精緻なAIはプロでもなかなか組めないのだとか、何とか、キャスターが話す。興味なかった。世間を騒がせた熱も冷めかけていたころ、たまたまログインしてしまったゲームで、彼女は大量に複製されていた。奴隷という文字が目に映った。
「高度なレーティングに守られていた中坊だったぼくは、なぜかその事に恐怖を覚えて、年齢制限の壁を誤魔化し乗り越えてログインしました。そこには全く未知の世界が広がっていました」
人類のエイチならぬエッチの結晶、集合痴の具現というべきか、古今東西のありとあらゆる醜悪な妄想を詰め込んだサディストたちの楽園がそこにはあった。平たく言うと、数百人のロコシィが好き放題犯されてから殺されていた。最高に気持ちよさそうな苦悶の表情で「みんな愛してる」と叫びながら何人もの複製体が死んでいった。死体は山のように積みあがっていた。
「興奮して鼻血を出すどころか、僕は大爆笑しました。全てが滑稽に見えたので」
だが次の瞬間、自分の頭からヘッドセットを毟るように引っぺがし、トイレに駆け込み、胃の中身が空っぽになるまで嗚咽の声をあげた。鏡に写る顔は宇宙人のごとく蒼白で、涙が伝った跡が幾つも線になっていた。まともに口から食事を取れるようになったのはそれから半年後で、ロクに学校にも通えなかった。
「ごめん」
話を遮った先輩は俯いていた。
「ごめんね、本当に。もうその話」
「べつにトラウマなんかじゃありません、笑い話です。飲み会用の一発ギャグです」
「本当、ごめんなさい」
長い沈黙のあと、先輩は目を泳がせるのをやめて言った。話を変えることにしたらしい。
「こないだ、私に告白してくれたじゃない?」
「告白? はて、カミングアウトしてくれたのは先輩の方じゃ」
「その時言ってたよね、法律が嫌いだとか」
嫌いだ、とまでは言わない。だが。
「少なくともこの国の法律はバグってますよ、企画バグです、一番やっちゃいけないやつです。なんで実在する女性をオッサンの醜悪な願望のために献上しちゃったクソ野郎が逮捕もされず野放しのままなんでしょう?」
先輩の返事はなかった。沈黙の中、ドームのガラスの壁を通して、月の砂漠と空に広がる闇を眺める。漆黒の静寂の中に動くものがあった。どこかで見たような宇宙船だ。そいつは砂漠に突っ込み、砂埃を上げて滑りながら迫ってくる。遅れて音が伝わる。地鳴りのような響きに続いて、電子音が聴こえた。左手に巻かれていたチェインから、聞き覚えのある声がする。
「お前ら何悠長に構えとんねん、世界の終わりやで!」
月面を滑走する宇宙船は、それでも速度を落とさない。このままだとドームに突っ込んでくるだろう。先輩は何処かへ走り去った。
「別にいいじゃないか。終わりそう、って状態ならまだしも」
すでに終わっているなら殊更すべきことも無いのだ。
「アホ言うなや! お前忘れたんかあの日の誓いを!」
「あれか、覚えてるぜ」
実際にはなんにも覚えてない。
「覚えとるよな、先ず俺が内閣総理大臣の座に座る」
「俺も内閣総理大臣の座に座る」
「参院選で日本国旗の中心にMマークを入れる公約を掲げる」
「俺の党は国旗の赤●を□△〇×に変えると公約する」
「ゲームキャラがピカァと鳴いたりイヤッフーと叫ぶことを禁止する」
「品川駅前に放射性廃棄物の処理場新設するで」
「京都府をソマリアに割譲する」
「国民投票で決着やで!」
「してねえよそんな約束」
「世界が消えてもうたら、どんな夢も希望も、もはや叶わんのやで」
などと遊んでいるうち、宇宙船の先端がドームに激突した。分厚いガラスの破片が降る。
「モクニ君、これ!」戻ってきた先輩はヘルメットを被っていて、脇に抱えたもう一つを俺の頭に強引にかぶせた。
ドームの機密が破れた事により空気が吸い出される。風圧で体が宙に浮く。砂ぼこりで何も見えないまま、まるで洪水に揉みくちゃにされるように、何かにぶつかりながら回転する。上下の間隔を失った頃、巨大な岩に体を押しつけられる。やがて、自分が張り付いたそれは巨大な岩などではなく、地面だった事に気づく。
「大丈夫? ねえ、聴こえる?」
ヘルメット内のスピーカーから、先輩の不安そうな声がする。しばらく聴いていたい気もしたが、俺は返事をした。
「くッ……何も思い出せない、誰なんだ俺は、君はいったい……?」
「よかった、いつものモクニ君だ」
低重力のせいで、砂埃が濃い霧の如くあたりを覆い続けている。2、3メートル先すらよく見えない。やみくもに歩き回ると、巨大な人工物が壁のごとく立ちふさがった。
「おい天野、お前の乗ってきたエンタープライズが墜落したぞ」
「知っとるわ、乗っとるわ」
壁伝いに歩くと、人影が見えた。俺は声をかける。
「オオ~久しぶりじゃン天野ッチ、元気してたァ⁉」
「元気元気マジ死ぬほど元気ィ! 交番前でオタクもオヤジも同時に刈っちゃうぐれえ元気ィ」
天野は生きていた。二重の意味で生きていた。式場での爆死を、どうやって免れた?
「マジで⁉ スゲエ! ね金かぇしてくンない?」
「ほらよ、受け取れや」
天野が投げたそれは、見覚えのある黒い球体。宇宙破壊爆弾のオッカム君だ。
「なんでお前がこんなもん持ってんだよ」
「俺の勝手な想像やけど、そいつは宇宙を破壊する装置やないと思うで」
どういうことだ。
「カウント表示があるじゃねえかよ」
「そいつは爆発までの数字やない、このゼノン世界の寿命を観測して導き出しとるらしいで。加添がいっとったわ」
受け取ったそれには四桁の数字が記されている。が、よく見るとマイナスが付いている。マイナス千三百四十、マイナス千三四一と、負の方向に数字は増え続けている。
「あれ、なんでマイナス?」
「前回このスターゲ世界で、お前その数字がゼロになるとこ見とったんやて? なら、その続きでマイナスなんとちゃうん? 知らんけど」
わけが分からない。頭が追い付かない。
砂埃が薄くなり、視界が開けてくると、壁の正体が例の楔形の宇宙船だった事に気づく。周囲にはNPCの死体が散乱していた。エクリン先輩を探す。
「ちょっと待て、じゃあゼノンの世界はリセットされてないのか?」
「されとらんで。エンタープライズもこの通り、ボロボロでも存命中やったし」
爆発音が響いた。月面は真空だが、音は地も伝うのだ。艦橋が炎を上げて吹っ飛んでいる。
「今にもお亡くなりになってしまいそうだが」
繰り返す炸裂音。船のあちこちから火の手が上がっている。
「こら逃げなあかんわ」
そう言って、疾走のポーズをとりながらゆっくりとホッピングする天野。空中で足をばたつかせている。
「ホッピングお兄さんになってるぞ」
かく言う俺も同様のありさまだった。摩擦力で地を這う生き物である以上、月面の低重力下で高速移動する術がないのだ。
「こら、間に合わんな」
ドームの壁が吹っ飛んだ時とは比べ物にならない衝撃が背中に伝わる。
今度は綺麗に姿勢を保ったまま吹き飛ばされた。眼下の地上がみるみる遠ざかり、気づくと四、五十メートルほどの高さにいた。
空を飛ぶ。
「アイキャンフラーイ!」
天野の声がする。見上げると、俺よりもさらに百メートルは高い位置に、破片に紛れて人影がある。こちらに手を振っている。
「お前、死ぬぞ」
「みたいやな」
冷静だった。沈黙を守るうち、弾道の頂点を過ぎ、俺の体は高速で地面に近づく。
「冥土の土産に教えとくわ」
足を取られ、叩きつけられ、幾度となくバウンドする。ヘルメットの前部にヒビが入った。俺が死ぬんじゃないか。
「加添がリアル世界にこいつを持ち込んだ理由やけどな、滅ぼすためやのうて、再生させるためらしいで」
そもそも、ゲーム内アイテムであるはずのオッカムを現実に持ち込める事自体が大分おかしいのだが。
「じゃあ、現実の世界はもともと終わりかけてたのか?」
体を起こそうとした時、左腕に激痛が走る。思わずうめき声を上げる。
「おう、大丈夫か?」
「骨折したかもしれない、お前も絶対無事じゃ済まないぞ」
宇宙船の破片だらけの暗天に天野を探す。既に地平線に近づいていた。
「ともかく、お前はこのオッカムとかいう物体を現実の世界に持ってって起動させなあかん。成功すればたぶん俺も生き返るよ、グッドラック!」
デコボコした地平線の向こうへ消えていく天野。電離層のない月面ではこれ以上通信は続かない。アラーム音が鳴り始めた。ヘルメット内の酸素が尽きかけている。もはやこれまでか。
「金返せ!」
俺は叫んだ。
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